172話 新婚生活?1
この世界における魔力というものは、思った以上に存在感のある代物だ。
魔術として火や雷に変換されずとも、魔力そのものが激しく動けば、生物の知覚にも捉えられ物理的な干渉もする。
例えば、俺が強化魔法をフル出力で発動すれば、地面が小刻みに振動し空気が揺らぐ。
そこまでいかなくても、初級魔術でも発動されれば、その魔力の動きが大気中に満ちる浮遊魔力を動かし、空気の流れのような感触で認識することは可能だ。
これが所謂、魔力反応である。
今となっては、地球には魔力が無かったのか、それとも地球人に魔力の類が感知できなかっただけなのかはわからない。
だが、少なくともこの世界の住民にとっては、魔力は自然とその存在を意識できる程度には身近な物質なのだ。
そして、強力な魔術を行使すれば、消費する膨大な魔力によってそれだけ魔力反応は激しいものになり、知覚されやすくなるのも当然である。
もちろん、魔力反応を気取る能力には個人差がある。
それは人間だけでなく、魔物も同様だ。
一般的に、低級の魔物は魔力反応にかなり鈍く、ゴブリンなどは魔術師が姿さえ見られないように気を付ければ、のんびり中級以上の魔術を詠唱していても、存在を気取られて反撃される心配は無く、一方的に虐殺できる。
しかし、高ランクの魔物は違う。
特に、AランクやSランクに分類される魔物は、魔力反応なども十分に読んだうえで立ち回る知能を持つものも多い。
事実、今俺の目の前にいる厄介な敵も、こちらの魔力を検知して対策を取っている。
「ふんっ! よし、大分減ったぞ」
「紅蓮よ――“火槍”」
俺が魔力剣で薙ぎ払ったトロールの群れの奥に控えるトレントにしては貫禄のある魔物は、エレノアが俺の後ろから放った火魔術を土魔術で相殺した。
ハイトレントだ。
討伐難度はAランクに指定される、強力なトレント種の魔物である。
この森では珍しくCランクに分類される通常種のトロールの群れが生き残っていたのは、こういう理由である。
トレント系は何故か他の魔物と行動を共にすることが多いのだ。
本来、魔物で明確な魔術を扱う個体といえば、ゴブリンなどの人型モンスターの中で稀に誕生するゴブリンメイジや、上位種であるトロールキングなどが主だ。
トレント系は例外で、“土槍”や“岩槍”などの土魔術を使ってくるくらいには魔力操作のセンスがある。
そして、トレントの最上位種であるハイトレントは、一流の魔術師を凌ぐほどの魔力と制御能力を持つ。
事実、エレノアが詠唱を短縮して放つ中級魔術は、悉く撃ち落とされている。
さらに、他の魔物を前面に出してそれを援護するように立ち回るなど知能も高い。見た目は枯れ木の癖に……。
「代わります!」
「頼んだ! 距離を保ってくれ! ――“影枷”」
俺は数を減らしたトロールの群れをエレノアに任せ、一旦後退した。
ハイトレントの足首に絡みついた闇魔術は数秒で引き千切られたものの、俺とエレノアが立ち位置を入れ替える時間稼ぎには十分だった。
敵の得意属性の“土枷”よりはマシなはずだ。
ただ排除するだけなら、Aランクの魔物にここまでの手間は掛からない。
ハイトレントが扱う魔術の弾幕や魔法障壁なら、俺が魔力を込めた大剣を叩きつければ用意にぶち破れる。
ところが、ハイトレントはBランクのエルダートレントに比べてもさらに個体数が少なく、非常に希少な魔物なのだ。
当然、素材はラファイエットとレイアが揃って涎を垂らしかねないほど貴重な品である。
エレノアが取っ組み合ってズタボロにするのも、俺が雷魔術や魔力剣で黒焦げにするのもアウトだ。
「こっちよ!」
「行けるぞ! ――“コキュートス”」
エレノアがトロールの群れを掻き回して時間を稼いでいる間に、俺の魔術の制御も終わった。
もちろん、俺がのんびりと詠唱している間もハイトレントからの“岩槍”は雨のように飛んできていたが、それは全てエレノアが魔法障壁や刀で防いだ。
そして、俺が発動した複合闇魔術は、ハイトレントを含む魔物の群れのほとんどを攻撃範囲に捉え、巨大な魔力反応を撒き散らしながら顕在する。
「「「「「グォォァァァ!?」」」」」
真っ先に足元から全身を凍て付かせたトロールの群れが断末魔の声を挙げる。
こちらの魔術の発動を事前に感知できなかったトロールは、成す術なく絶命した。
エレノアのすぐ近くに居る個体は撃ち漏らしたが、仲間が全滅して混乱しているトロールの数体程度、彼女の敵ではない。
エレノアの動きを見逃した隙に、一瞬で斬り殺された。
次いで、自身の魔力で俺の闇魔術を相殺しようとしていたハイトレントも、ついにはこちらの魔術の威力に抗えなくなり、徐々に足元から凍り始める。
「おっと!」
苦し紛れにハイトレントが発動した魔術は、これまた見たことない代物だ。
地面から触手のように木の根が数本伸びてきて、鋭い先端が俺を前後左右から貫こうと迫る。
しかし、さすがに最後っ屁の一撃程度では威力も高が知れており、俺が魔力を込めた大剣で叩き斬ると触手は簡単に焼き切れた。
……見た目が少し気持ち悪いので、最後に火魔術で燃やしておこう。
そして、俺が視線を戻すと、ハイトレントは全身を氷漬けにされて活動を停止していた。
「やりましたね! クラウス様!」
「ああ」
ハイトレントが生み出した触手の始末を終えると、エレノアが上機嫌で俺のもとまで戻ってきた。
黒い装束とロイヤル・ワイバーン革の防具が、トロールの返り血で僅かに汚れている。
ちょっと怖い……が、笑顔が可愛いから許す。
「トロールはともかくハイトレントは厄介でしたね。私の魔術はまるで通用しませんでした」
「あいつらはそれが真骨頂だからね。ただ討伐するだけなら、エレノア一人でも強引に斬り込んで頭を潰せただろう?」
「できないとは言いませんが……でも、ここまで綺麗に倒せたのはクラウス様が居たからですよ」
「う~ん、まあ連携がよかったということにしておこう」
「そ、そうですね!」
エレノアは顔を赤らめているが、実際、彼女の動きは完璧だった。
奇襲でハイトレントを綺麗に倒すことは叶わなかったが、最初はエレノアが遠距離からハイトレントを牽制している間に俺がトロールの数を減らし、今度は前衛と後衛を入れ替えてエレノアがトロールを誘導して俺が広範囲魔術で一網打尽。
どのレンジでも器用に立ち回れるエレノアが相棒だからこそ、この戦術が通用したのだ。
はっきり言って、俺と彼女の相性は最高だ。
以前、フィリップとレイアと組んでいたときも、冒険者パーティとしては非常にバランスが良いと思われていた。
強化魔法の使い手で剣士のフィリップに、生粋の魔術師レイア、そして武装の幅が広く前衛と後衛の両方に対応できる魔法戦士の俺。
実際、魔術師が一人も居ないパーティなど珍しくも無いのだから、かなり恵まれていた方だろう。
しかし、フィリップたちと冒険者活動をしていた頃は、俺はフォローに回ることが多かった。
フィリップが攻める逆サイドから魔力剣を叩き込み、レイアの詠唱が終わるまで弾幕を張る。
もしくは、フィリップが突っ込む前に魔術で敵の行動を阻害し、レイアが撃ち漏らした箇所を爆撃する。
それが悪かったわけではないが、やはり戦術の幅は限られるわけだ。
二人にはそれぞれ苦手なレンジがあるので、俺はそれをフォローしなければならず、また二人の取れる行動の幅も狭い。
フィリップが遠距離から攻められれば、彼が敵に接近するための支援が必要になり、レイアが敵に接近されれば、俺はフィリップの代わりに前衛に出るかレイアの護衛を務める。
ところが、エレノアとのコンビでは、俺はフォローよりも敵の殲滅に圧倒的に長い時間を割けるのだ。
確かに、エレノアは今のフィリップに勝るほどの剣士ではなく、レイアほど強力で複雑な魔術も使えない。
だが、一人でオールレンジの戦闘を相当な高レベルでこなせるという点は、この魔大陸という強力な魔物の巣窟において素晴らしい強みだった。
俺の一番の売りは火力だ。
火力以外の面でフィリップたちとの共闘において要求されたほとんどの役割を、エレノアは俺以上に器用にこなせるのだ。
どの距離でも堅実に立ち回り、あらゆる状況下で敵の攻撃を凌ぐことができ、さらに対人も対魔物も戦闘経験が豊富な熟練の戦士であるエレノアは、この地において俺の能力を引き出してくれる最高の相棒なのだ。
これが年上の包容力……かもしれない。
「しかし、トロールキングならともかく、通常種のトロールでは剣術の練習になりませんね。もう少し獲物を探しますか?」
「いや、連携の練習にはなったから十分実りはあったよ。先生もいいしね。それに、今日は里の近くの害獣を掃討することが主目的だから、これくらいでいいだろう」
「そ、そうですか。では、少し早いですが帰りましょうか」
「ああ。それじゃ、また案内を頼むよ」
もう一つ、彼女が最高のパートナーである理由があったな。
龍族は『死の森』の中でも鼻と探知が利く。
人族の俺では濃密な魔力の奔流で“探査”の魔術が阻害され獣の匂いも感じにくい空間だが、この森に適応した龍族は魔力の揺れのようなものを見て魔物を回避できるのだ。
本人たちにとってもこれは感覚的な技術なので、まともに説明もつかなければ俺に教えることもできない。残念だ。
まあ、エレノアを連れ回す理由にはなるから、俺にとって悪いことばかりではないかな。
さて、そんな完璧美人のエレノアも人間である以上は欠点があるわけで……。
「ハイトレントにトロールの群れ……収穫としてはそれなりではありますが、どちらも食べられる魔物ではありませんね。仕方ない、魔法の袋に保存してある肉を焼きましょうか……」
帰宅直後、エレノアは今日の獲物の内容を思い起こして呟いた。
俺は焦りを顔に出さないように努めて冷静に返答する。
「せっかくだから今日はシーフードを使おう。ガルラウンジとサウスポートでたっぷり仕入れてきた分がまだどっさりある。ご馳走するよ」
「え!? いいのですか?」
彼女に料理を任せると碌なことにならない。
辛うじて、肉を焼いて野菜を洗うことくらいはできるようだが、焼きムラが酷く周りも焦げており、できればあまり食いたくない代物であった。
見栄があるのか、未だにエレノアはちょくちょく料理をしようと目論むが、俺はご勘弁願いたい。
手の込んだ料理を作ろうとすると、さらに酷い物体が出てくるからな。
そもそも、今のエレノア邸には俺が居るのだから、わざわざ彼女のクソマズイ料理で食い繋ぐ必要は無い。
そう、クソマズイ料理で生きる必要など無いのだ。
たとえ爆乳美女との同居でも、食事の時間が拷問になる毎日は耐えられない。
幸い、エレノアは俺の料理を気に入っており、字面からして美味そうなメニューを伝えると、簡単に俺に厨房を譲る。
だから、これは欺瞞などではなく尊い行いであり、エレノアとの幸せな生活を維持するために必要な、さりげない気遣いなのだ。……はぁ。
厨房に入った俺は、魔法の袋から今日の夕食の材料を取り出した。
鯖を二尾、鰯を三尾、鰻を一尾、殻をむいた生ウニを調理台に置いてゆく。
なかなかに豪勢な品数だが、これには理由がある。
今日は狩りが早めに終わったので、少し手の込んだ料理を作ろうと思ったのと、エレノアへの礼も兼ねてだ。
彼女はハイトレントの素材を全てこちらに譲ってくれたからな。
この里では、ほとんどの住民がある程度の戦闘能力と魔力を持っており、『死の森』という俺からすれば酷い居住環境にしか思えない場所にも適応しているので、魔道具や錬金術の研究はそれほど盛んではない。
もちろん、着火や洗浄の魔道具などはそれなり普及しており、一部の錬金素材の需要はあるが、我が王国に比べれば錬金素材の不足という問題は小規模だ。
高位の魔物がこの辺りでは珍しくない故に、素材が無駄に潤沢なことも理由だが。
元々、今回のハイトレントとトロールの討伐が、里の近くに出た魔物の駆除というだけで素材が目的ではなかったこともあるが、何はともあれ、エレノアからは相当に価値のある物を貰ってしまったのだ。
せめて腕によりをかけて美味い料理を提供しなければならない。
……だから、決してエレノアの料理の腕を心の中でディスったことを勘付かれないかビビッているわけではない。
ん? それでも二人分にしては多すぎないかと?
それはもちろん……。
「楽しみねぇ」
「そうですね。クラウス様の料理は本当に絶品ですから」
「あらあら……うまくやっているようで何よりだわ」
何故か来ているジルニトラだ。
彼女はちょいちょいうちに押し掛けては夕食を要求してくる。
まるで近所の厚かましいおばさんだが、一応この里の長である。
ぞんざいには扱えない。
まあ、食べ終わったらすぐに帰るあたり、俺とエレノアにはそれなりに気を遣ってくれているみたいだが……。
「(そういえば……あなたもそろそろ身を固めないといけないわよね)」
「(その話は……)」
「(今更、里の男衆の誰かと結婚しろとは言わないわよ。それに、あなたの気持ちもわかっているわ。……あの子と正式に、ね)」
「(えぇ!? で、でも……私は……百歳以上も年上で……)」
「(大丈夫よ。彼はそんなこと気にしないわ。……反応は悪くないんでしょ?)」
「(そ、それは……確かに、夜寝る前に色々としましたけどごにょごにょ……)」
いや、聞こえてますんで。
マジで何言ってくれてんの、族長。
……ってか、エレノアも何をジルニトラに暴露してんだよ。