168話 龍族の戦士たち
切り立った崖の上に出て、眼下にさらに続く森を見下ろすと、低空を舞う厄介な魔物の姿が目に入った。
「エビルドラゴン……ではないな」
下級竜に分類されるエビルドラゴンは、黒というよりグレーっぽい煤けたような光沢の無い鱗を持っている。
ところが、今目の前の上空を旋回しているドラゴンは、黒曜石のような漆黒の鱗に覆われていた。
大きさもエビルドラゴンより一回りは大きい。
前に南部で討伐したレッドドラゴンと同じくらいか。
そうすると、嫌でも敵の正体がわかる。
中級竜に分類されるブラックドラゴンだ。
それが全部で十体以上……十二体も飛んでいる。
しかも、ドラゴンの眼下には獲物が居る。
あれが先ほどの魔術の反応の発生源だ。
「(――“衝撃波”」
ドラゴンと戦闘中と思わしき人間の集団は、素早く正確な制御で空中に魔術を放った。
空中のブラックドラゴンの翼の近くで上手い具合に炸裂した辺り、コントロールは良さそうだ。
しかし、中級竜はその程度では撃墜できない。
人間の集団は劣勢のようだ。
浮遊魔力で妨害された“探査”の範囲外なので正確な人数はわからないが、あの集団にはそれなりの人が居るように見える割に、先ほどから放たれる魔術は散発的で、徐々に後退するように移動している。
「さて、どうしたものかね……」
ここ最近は冒険者として活動してきたので、こういう場合は援護が要るかどうか一声掛けるのが暗黙の了解だと知っている。
しかし、ここは『死の森』のど真ん中だ。
サウスポート周辺のルールなど通用しないかもしれない。
そもそも、大声を出したらドラゴンに気取られてしまう。
下級竜ならともかく、中級竜の群れ相手に不意打ちを仕掛けられない状況を自分から作るなど愚の骨頂だ。
俺は隠形のローブを羽織ると、大剣を手にしたまま崖をゆっくりと滑り降り、木々を伝ってブラックドラゴンの集団に近づいた。
都合のいいことに、ヒットアンドアウェイの離脱途中だったブラックドラゴンが俺の真上に近づく。
「グァ?」
さすがは中級竜というべきか、ブラックドラゴンは俺の殺気に気づいたようで、眼下の森に鋭い視線を飛ばした。
しかし、その時には既に俺は魔力を込めた大剣を振りかぶり、ブラックドラゴンの首めがけてフルスイングの一撃を放っていた。
「グルォァァァアアァァァァァォォォォォ!!!!」
俺の魔力剣は確かに命中した。
雷の魔力が収束し、袈裟懸けのモーションで振り抜かれた刀身から放たれる紫電を迸らせる剣閃は、ブラックドラゴンの体一つ分の回避など無駄と嘲笑うような攻撃範囲で首筋に吸い込まれる。
しかし、刀身の間合いには入っておらず、尚且つ敵も咄嗟に体に障壁のように纏う魔力を制御して刃の当たった位置に集中させたようで、俺の一撃は致命傷とはならなかった。
ドラゴンが完全に戦闘態勢で、魔法陣のトラップによる拘束もしての状況では、さすがの俺も中級竜を一撃では葬れないようだ。
しかし、最初の一撃で頸動脈を切り裂かれたことで、確実にブラックドラゴンの機動力は鈍った。
「っらっせい!」
間髪入れず、俺は続けざまに大剣を振るって魔力で強化された真・ミスリルの刀身を叩きつける。
向こうも反射神経は大したもので、鋭い爪の生えた前足を振るって俺と何合か打ち合ったが、捌き切れなかった斬撃は確実にブラックドラゴンの体表を抉り、ついに俺の剣がブラックドラゴンの前足を切り落とした。
「ギェェェェェァァアアァァァォォォオオオォォォォォ!!」
「うるさい!」
痛みに悲鳴を上げつつもこちらに顔を向けて噛みつこうとするブラックドラゴンの脳天に、俺は既に“倉庫”から取り出していたデュランダルを唐竹に振り下ろした。
不滅の刃を持つ巨大な魔剣に頭をかち割られては、さすがの中級竜も生命活動を維持できない。
俺と相対していたブラックドラゴンは、目から力を失って倒れ伏した。
「っ! 何者!?」
次のドラゴンに向かう直前、人間の集団の先頭に立っている女性から鋭い誰何の声が飛んできた。
とりあえず、いきなり襲い掛かってくる連中ではないようだ。
戦闘終了後に獲物を独占しようと仕掛けてくる可能性は否定できないが。
「冒険者だ! 援護する! “エアバースト”」
先ほど、この戦士たちから放たれていた“衝撃波”とは比べ物にならない規模の炸裂が空中で起こり、ブラックドラゴンの群れは回避行動を取りつつも何体かは体勢が崩す。
俺は地を蹴って二体目の獲物に向かい大剣を振りかぶった。
「障壁を張りなさい! 負傷者を真ん中に下げて、防御態勢を!」
先ほどの女性がこの集団の指揮官だったらしく、俺の援護で態勢を立て直した彼らは、堅実に全方位からのブラックドラゴンの攻撃を捌き始めた。
それぞれが魔法障壁や魔術を駆使して距離を保ち、一瞬だけ接近した拍子に軽くブラックドラゴンの手足に斬りつけ、重傷を負う者が出ないように立ち回っている。
このまま魔力や体力が続けば、彼らだけでも中級竜を倒せるかもしれない。
まあ、この数が相手では殲滅は厳しそうだが。
犠牲もそれなりに出るだろう。
「ぬぅ!」
「グォルァァァァァアアアァァ!」
眼下の集団が攻勢に出ると同時に、俺も負けじとブラックドラゴンに斬りかかり、パワーで押し込んでゆく。
俺の大剣が危険だということは敵も気づいているので、クリーンヒットで切り裂くことは難しいが、それでも迸る紫電と押し切った刃は、ブラックドラゴンの漆黒の鱗に浅くない亀裂を入れた。
「ギシャァァァアアァァァ!!」
死角から別のブラックドラゴンがブレスを放ってきたが、その程度の挟撃などボルグとロベリアに比べたら屁でもない。
体を回転させざまに先ほどまで切り結んでいたドラゴンへ回し蹴りを放ち、横っ面を蹴り飛ばす。
ノックバックで吹き飛んだドラゴンには目もくれず、俺は魔力を込めた大剣を振り抜いて迫りくるブレスを迎撃した。
「おおぉぉぉ!」
雷の魔力が収束した剣閃は、ブラックドラゴンのブレスを正面から切り裂き、そのままカウンターの一撃となってブレスを撃ってきたドラゴンの翼に命中した。
自分のブレスの閃光を割って突如現れた剣閃は躱せなかったようだ。
敵は空中での体勢の制御が利かなくなり、錐揉みしながら地面に落下した。
「――“火炎放射”」
「しぃ!」
俺が横っ面を蹴り飛ばしたブラックドラゴンを攻めきって止めを刺している間に、翼を破壊されて地面に落ちたブラックドラゴンを戦士たちが連携して攻撃している。
後ろの仲間の火魔術による援護と同時に、指揮官の女性が地面を蹴って飛び出し、鮮やかな剣の一閃を放った。
いい腕だ、
無駄の無い洗練された剣筋ながら斬撃は実用的な鋭さを持ち、踏み込みの段階も離脱後もステップを利かせやすい体勢が維持されている。
ブラックドラゴンはもう片方の翼も深く切り裂かれ、再度空に飛び上がることは叶わなかった。
「グ……ゴグォ!」
「くっ!」
しかし、彼女の強化魔法の出力は一般的には結構なレベルだが、俺ほどの火力は無い。
一撃では中級竜の動きを完全に止めるには至らず、顔を上げたブラックドラゴンの反撃を食らいそうになる。
いや、彼女自身は対応できているので大丈夫そうだが、後ろに仲間が居ることで簡単には離脱できないのか。
「こっちだ! クソトカゲ!」
「グルァァ!?」
「あっ」
俺は指揮官の女性に注意を向けて延髄を晒しているブラックドラゴンの首に、大剣を思いっきり振り下ろした。
こちらに注意を向けさせたので、敵はギリギリ回避行動を取ることができたようだ。
強烈な衝撃音を轟かせて、大剣はブラックドラゴンの顔の一部を叩き割るが、頬から顎を引き裂かれても、生命力に満ち溢れた中級竜は絶命せずにもがく。
しかし、空も飛べないうえに満身創痍の魔物など、最早俺の敵ではない。
俺は骨に食い込んだ大剣から右手を離し、素早く腰のサーベルを抜くと、そのままブラックドラゴンの眉間にオリハルコンの刀身を突き立ててやった。
「ゴ……グッ……」
さすがに頭部を貫かれれば中級竜もくたばるようで、ズタボロのブラックドラゴンは力なく項垂れた。
「大丈夫か?」
「……ええ」
指揮官の女性と後ろの仲間は無事のようだ。
小さく安堵の息を漏らした俺は、ブラックドラゴンの死骸に食い込んだままの大剣を強引に引き抜き、残りの敵の掃討に移った。
中級竜の群れとの戦闘は一筋縄ではいかなかったが、十数分後には俺も全てのブラックドラゴンを仕留め終わり、戦闘態勢を解いて地面に下りることができた。
俺が地上に降りて武器を仕舞うと、先ほどまでブラックドラゴンと戦っていた人間の集団が近づいてきた。
サウスポートの冒険者も腕利き揃いだが、彼らの纏う強者の雰囲気は一線を画すものだ。
正規兵のような警戒と威圧を隠さぬ雰囲気とも違う。
それぞれが熟練の狩人のような静かな鋭さを持っている。
それと……人族ではないな。
普通の人間に見えないことも無いが、彼らの瞳はほとんどが金色で瞳孔が僅かに縦長だ。
要は、少しばかり爬虫類っぽい目なのだ。
装備も特徴的だった。
レザーアーマーや胸当てなど軽量の防具の下に着た服は、サウスポートや王国ではあまり見かけない和服っぽい装束だ。
何より俺の目を引いたのは、彼らの武器で一番多いのが日本刀だということだ。
彼らが、龍族なのだろう。
「人族の冒険者殿、ご助力に感謝いたします。あなたの援護が無かったら、我々は甚大な被害を受けていたことでしょう」
「…………」
「あの、どうかされましたか?」
「え? ああ、いえいえ! ご無事で何よりです」
いかん。
つい挙動不審な対応をしてしまった。
何が原因かって……そりゃ、目の前の戦士たちを代表して声を掛けてきた女性である。
先ほどの戦闘で仲間に指示を飛ばしていた指揮官で、俺がブラックドラゴンに止めを刺して助太刀した人だ。
魔力量や立ち振る舞いや気配からも、彼女が一番の腕利きとわかる。
先ほどの動きを鑑みるに、剣術の技術自体は俺どころかエドガーやフィリップ以上かもしれない。
直接戦ったら、魔力量や根本的なパワーや瞬発力の差でこちらが勝つだろうが、それでも並のSランク冒険者では相手にならないだろう。
それはともかく……めっちゃタイプだ。
いささか目は鋭いが、金色の瞳は軽くウェーブがかかった黒髪や少しふっくらとした顔の輪郭と相まって、包容力のある美しさが損なわれることは無い。
年齢は二十代後半から三十代前半くらいに見えるが、左目の下と口の右下辺りにある黒子が妖艶な大人の色気を醸し出しているから大人っぽく見えるだけで、実年齢はもっと若いのかもしれない。
プロポーションも最高だ。
身長は俺の鼻くらいまである。
今の俺が百八十センチ半ばくらいとすると、彼女は百七十センチを超えているな。
この世界の女性としてはかなりの長身だ。
剣士として鍛えているためか、肩幅も若干広めなので、下手な人族の男性よりも大柄だろう。
しかし、何よりの特徴は、その巨大な胸部緩衝ユニットである。
黒い和服っぽい装束の上からレザーアーマーを装備した程度では隠せない。
彼女は、今までに会ったどの女性よりも、立派なお胸様をお持ちだった。
G……いや、Hはあるかな。
中級竜の集団が相手だったこともあり、先ほどはあまり彼女のことをまじまじと見る暇が無かったので、視界の隅に捉えた程度だったのだが、やはり俺の目に狂いは無かったな。
しかし……この世界の二十代の女性はほとんどが既婚者だ。(キャロラインは例外)
これだけスタイル抜群の美人が独身ということはまず無いだろう。
くそっ……彼女の旦那、羨ましすぎるぞ。
「申し遅れました。我々は龍神の眷属にして森の民。私は戦士長のエレノアと申します」
「これはご丁寧に。私はサウスポートのSランク冒険者クラウス・イェーガーと申します」
指揮官の女性は丁寧にお辞儀をしながら名乗って来たので、俺も王国の作法で答える。
しかし……和服や刀だけでなく所作も日本っぽいな。
「つかぬ事を伺いますが、あなたがたはサウスポートで言うところの『死の森』の守護者、龍族で間違いありませんか?」
「いかにも。石の街の民は、我々そう呼びます」
「石の街? あ、サウスポートね」
確かに、サウスポートの防壁は石材を積んだものだな。
「え~と……とりあえず、こいつらを先に片付けませんか? ちょうど偶数なので、山分けでどうでしょう?」
「……ええ、こちらに不満はありません。ありがとうございます」
俺がブラックドラゴンの死骸を指差しながら提案すると、エレノアは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに受け入れた。
ブラックドラゴンの大半を仕留めたのは俺だが、初対面の相手と良好な関係を築くためには、ここで素材をがめつく独り占めする手は無い。
エレノアも部下の手前それほど恐縮するわけにもいかないので、冷静に受け答えしているようだが、最後の礼を言うのを忘れないだけの礼節を弁えている。
何と言うか……サウスポートでの話と違って、普通に話せる奴らだな。龍族って。
まあ、警戒は解いていないようだが、それは仕方ないか。
魔大陸で随一の精強さを持つ龍族と比べても、中級竜の群れを実質一人で撃滅する俺は化け物扱いだろう。
「それで、あなたは何故このような場所に? あなたは……一応、サウスポートの冒険者ということでしたね」
ブラックドラゴンの死骸を俺と龍族の戦士たちの魔法の袋に半分ずつ仕舞い、負傷者の手当てを終えて一息ついたところで、エレノアが声を掛けてきた。
微妙に探るような言い方なのは、俺が魔大陸の人間ではないと悟っているからだろう。
サウスポートを石の街と表現されたときに、頭にクエスチョンマークを浮かべてしまったことも原因かな。
「わかりますよ、それくらい。あの港町の人間は私たちを恐れていますから」
なるほど、普通に受け答えをして言葉を交わした時点で、俺が余所者だということはお見通しだったわけだ。
まあ、別に隠すほどのことではないし、そもそも龍族は協力関係を築くのが目的の相手だ。
俺の素性やこちらの事情は近いうちに伝えることになるだろう。
この美人な戦士長に睨まれるのはご免だし、さっさと説明してしまうか。
「確かに、私は魔大陸の人間ではありません。サウスポートに来たのは去年の秋……三、四か月ほど前です。改めて名乗りましょう。私は、中央大陸のライアーモーア王国の聖騎士にして、当代の勇者であるオルグレン伯爵の筆頭家臣クラウス・イェーガー将軍です」
「勇者……」
俺の主君が勇者だという話には、エレノアも他の龍族の戦士たちも目を見開いた。
驚いたな。
こんな場所でも勇者の伝説は語り継がれているのか。
しかし、龍族の面々は半信半疑か。
まあ、本人を連れて来れない以上、仕方のないことか。
「あ、因みに、勇者がここでは悪党扱いなんてことは……」
「いえ、そのようなことはございません。過去に龍族を迫害から救った英雄は、後に中央大陸へ渡った勇者を盟友と語っています」
ん? 確か、似たような話をデ・ラ・セルナに聞いたような……。
まあ、勇者が龍族の宿敵なんてことにならなくてよかった。
さすがに軽く言い過ぎたな。反省。
「それで、私がここに来た目的ですが……大本の目標は、サウスポート周辺の治安の回復です。最近、『死の森』の南で魔物の数が増えています。サウスポートは中央大陸との交易拠点なので、街近郊の危険度の上昇は経済へ悪影響を与える可能性がありますので。魔物の増殖の原因が『死の森』にあるようなら、それを発見して叩くこと、もしくはこの地に詳しい龍族に接触して協力を要請すること。それが、私がこんな魔境に足を踏み入れた理由です」
エレノアは俺の言葉にしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて口を開いた。
「イェーガー様、あなたのことは客人としてお招きしましょう。我々の里へ」
「団長!」
「この方は勇者の片腕。長に会わせないわけにはいきません。それに……我々を訪ねるために『死の森』を突っ切って来た客人を無下に追い払うなど……。戦士長エレノアの名において命じます。先に里へ戻り、長に『海の向こうから客人が来た』と伝えなさい」
「っ! はっ」
エレノアは思わず声を上げた部下を制してきっぱりと言い切った。
こうして、俺は『死の森』の戦闘民族こと龍族の里へ招かれることとなった。