167話 魔境の奥
再び『死の森』にアタックし始めて数週間が経ち、ついに魔大陸で年明けを迎えた。
この日の俺の姿は『死の森』の奥深く、アーク・グリフォンの縄張りよりもさらに深い場所にあった。
「“エアバースト”……っらぁ!」
「ゴオオオォォォァァアアアァァァァァ!!」
雷属性の魔力を起点にした対空砲もどきの魔術が炸裂し、黒に近い灰色の鱗を持つドラゴンの翼に無数の切り傷を作った。
間髪入れず、俺は魔力を通した大剣を振るって、錐揉みしながら落下を始めたドラゴンに紫電の迸る剣閃を飛ばす。
巨大な刃を形作った魔力の塊は、ドラゴンの首を半ばから切断した。
「よし、これで全部だな」
俺が戦闘態勢を解いたとき、周囲には先ほどの敵と同じ黒っぽい灰色の鱗を持つドラゴンが、十頭近く横たわっていた。
全て下級竜に分類されるエビルドラゴンだ。
レッドドラゴンなどに比べると幾分かサイズは小さめで、膂力などもかなり劣る。
ロイヤル・ワイバーンよりは防御力も機動力も高くブレスの威力もあるが、エンシェントドラゴンとは比べ物にならないほど脆弱だ。
基準が少しおかしいとは思うが、このレベルであればいい獲物だ。
ドラゴンゾンビと違って肉も食えるし、鱗も頭部も普通に錬金素材として使える。
俺が持つ魔剣のスティレットにもエビルドラゴンの素材が使われているので、素材の等級はむしろ最高レベルである。
挑む価値は十分にあるわけだ。
……これが一頭ずつ出てきてくれれば、もっとありがたいのだが。
夜のアンデッド問題は思いのほか簡単に解決した。
何回か森の探索と野営を試している内に、アンデッドどもに襲われにくい方法を発見したのだ。
最初の数回は、火を焚いてみたり、天幕の周りに聖水を撒いてみたり、穴を掘ってみたり、木の上で寝てみたりしたが、その度にスペクターに奇襲を掛けられ、デミリッチにアウトレンジから魔術を撃ちこまれ、ドラゴンゾンビやワイバーンのアンデッドにブレスを食らって退散を余儀なくされた。
さらに、転移結晶を浪費したくないので、森の上空を飛行魔法でかっ飛ばしての危険運転でサウスポートまで逃げ帰ることを繰り返す羽目になった。
おまけに新しいアンデッド系の魔物まで出てくる始末だ。
リビングアーマーは痛みも疲れも知らない厄介な重戦士だ。
魔術や特殊な魔力攻撃こそしてこないものの、パワーだけなら戦闘時の標準出力で強化魔法を発動した俺に勝るとも劣らない。
デミリッチと同時に出現して前衛で突撃されたときは最悪だった。
もうアンデッドはお腹いっぱいだというのに……。
さて、冒険者ギルドと『グリフォンの止まり木亭』の従業員が、夜中に街まで飛んできてチェックインする俺に呆れ顔を見せ始めた頃だ。
その日は、以前ラファイエットがまとめて渡してくれた結界魔法陣を使ってみた。
警戒用のレーダーではなく、“聖域”のような魔術を周辺一帯に展開し続ける、広域結界の魔法陣だ。
ミアズマ・エンシェントドラゴン戦のときに宮廷魔術師団が使っていたアレだ。
用途としては、闇属性の魔物やアンデッドの集団にデバフをかけ続けるもので、聖魔術が使えない俺のために、ラファイエットは魔法陣を描いた紙の消耗も見越して、大量に作ってくれていたのだ。
基本的に、俺がアンデッドと戦うときは、聖属性の魔剣クラウ・ソラスで素早く仕留めるか、火魔術で殲滅する方法を取る。
この対アンデッド広域デバフ装置は今まで使う機会が無かったが、今回は本当に役に立った。
聖結界を展開している間は、その結界内部にアンデッドが侵入してこなかったのだ。
この森のアンデッドに対して、聖結界は忌避剤として有効であることが証明された。
アンデッドを結界内で捕らえているわけではないので、魔法陣は一時間程度なら連続で稼働させられる。
一時間だけの睡眠では、とても魔境で連日活動することなどできないが、これは魔石プログラムの簡単な仕掛けで解決だ。
一度に数枚の聖結界魔法陣を用意し、一時間ごとに順番に魔法陣を起動するようにセットすれば、夜が明けるまでアンデッドに襲われる可能性は格段に減る。
これで『死の森』の夜は乗り越えられる。
さらに、何度も試すうちに、もう一つ重要な発見があった。
強力な魔術でも発動しない限り魔力反応を遮断してくれる隠形のローブ。
これを被っていると、アンデッドの集まり方はさらに緩いものになるのだ。
以上の二つが判明した日から、俺の『死の森』の探索は一気に効率が上がった。
アンデッドが出現する時間帯は、隠形のローブを被り、レイアの警戒センサーと聖結界の魔法陣を起動し、夜が明けるのを待つ。
夜の安全が確保された今なら、鮃の縁側の炙りと牡蠣のオイル漬けで晩酌をする余裕もありそうだ。
さすがに酔うのは危険すぎるのでやらないけど。
エビルドラゴンの縄張りを抜け、そのまま同じ方角にしばらく進むと、ロイヤル・ワイバーンの気配が多くなった。
僅かながら一帯を支配する魔物のレベルが下がったので、ついに折り返しを過ぎて森の浅い階層に到達したのかもしれない。
俺が『死の森』をまともに進めるようになって約一か月。
本格的に雪が積もり始め、死の森の地面にも季節相応の雪が……降雪量を思えば明らかに雪の層が薄い。
針葉樹ばかりというわけではないのに、木々にはほとんど雪が積もっていない。
何とも不思議な光景だが、俺も慣れたものでそこまで驚かなかった。
この『死の森』で不可思議な現象が起こるのは、今に始まったことではない。
例えば、巨大フルーツの木だ。
信じられないことに、こいつらは凄まじい速度で修復し増殖する。
フルーツを捥いでも、ものの数日で再び実を付けるのだ。
初日にデミリッチの一斉攻撃で焼き払われた一帯にも、既にその爪痕は無く、一週間ほどで巨大フルーツの木が生え揃って元通りである。
大型の魔物が大量に生息していても餌に困らないわけだ。
それを思えば、雪の積もり方が人通行を妨げない程度になるわけも……いや、そこまでは納得できないか。
さて、そんなわけで、俺はここ一か月をこの広大で危険な森を抜けることに費やしてきたわけだが、そろそろ終わりが見えてもいいのではないだろうか。
そもそも、俺の目的はサウスポートと近郊の秩序を恒久的に回復することなわけで、魔物が増えている原因を撃滅することが近道だと思い、このクソッタレな森に足を踏み入れたのだ。
森に入ってすぐに原因究明ができるなどとは考えていないが、次の策として俺が目論んでいるのは、この地の守護者のように扱われている龍族との接触だ。
この『死の森』を根城とする最強の戦闘民族ならば、何か有用な知恵を借りられるかもしれない。
しかし、これだけ森をうろついても、アンデッド以外の人型の影が見えないのは堪える。
さすがに一か月以上かかっても森の迷子から進展が無いようでは、色々とあきらめざるを得ないのではないかと思えてくる。
森の上空まで高度を上げて、しばらく飛んでみるか?
魔力の消費と飛行魔法の制御の難度を思えば危険な行為だが、このままでは永遠にモンスターだらけの果樹園を彷徨うことになる。
「やってらんねぇ……ん?」
相変わらず、薄く伸ばすような“探査”は距離が著しく制限されているが、長いサバイバル生活のおかげで、森に木霊する音や騒めきから、戦闘や面倒事の気配は感じ取れるようになっていた。
微かに聞こえていた地響きや木々と木の葉が揺れる音が徐々に大きくなっている。
かなり大勢の魔物が移動しているようだ。
次の瞬間、俺は“探査”で捉えた気配に肝を冷やして固まった。
「……何だよ、この数……?」
百メートルの距離まで接近したところで、俺の“探査”に捕捉された敵は、トロールキングの集団だと判明した。
怪力と屈強な体を持ち、攻撃魔術に治癒魔術も使いこなす厄介なAランクの魔物だ。
昔はフィリップやレイア共々苦しめられた。
総合的な強さで言えば、エビルドラゴンやベヒーモスの方が上だ。
しかし、多芸であらゆる技術を使いこなすという意味では、こいつらもそれなりに面倒な敵なのである。
特に、徒党を組んで襲ってくる状況はありがたくない。
それぞれが独立しても多彩な戦術で立ち回れるが、奴らは群れると自然に魔術を援護射撃として放ち、前に出た奴は前衛としてタンクやアタッカーの役割を果たす。
下手な人間の冒険者パーティに襲われるより厄介である。
さらに、討伐しても素材が美味しくない。
魔石やトロールキング自身の魔力により変質した黒曜石のような石斧にはそれなりに価値が有るが、魔大陸の魔物を大量に討伐して売り払っている俺にとっては、最早大した金額ではないのだ。
ワイバーンやベヒーモスのように全身が素材になり肉が美味い魔物がこれだけ出現すると、トロールキングの価値がゴミのように思えてくる。
しかし、そんな俺の気持ちなどお構いなしに、トロールキングどもはこちらに向かって真っすぐに近づいてきた。
「妙だな。この距離で俺を捕捉する手段はトロールキングには無いはずだ」
今までも『死の森』やサウスポート周辺でトロールキングに遭遇したことはあるが、奴らの魔術のレパートリーに探索系の魔術は無い。
あの規模の集団がこの勢いで移動しているということは……何かから逃げている?
以前、サヴァラン砂漠でも、ベヒーモスから逃げて相当な距離を走り続けているサンドバッファローに遭遇したことがあった。
はてさて、この『死の森』でトロールキングどもが逃げ出す相手とは……。
「ま、先手必勝だな。――“火槍”」
トロールキングの集団のド真ん中に、俺は炸裂効果のある対地ミサイルこと“火槍”を打ち込んだ。
絨毯爆撃よろしく放たれた数十発の弾幕は、爆炎の中にトロールキングの集団を消し去る。
「「「「「ゴガァァァァァアアァァァォォォォォ!!」」」」」
思いのほか綺麗に命中した。
密集する木々が少しばかり吹き飛ばされたこともあるが、向こうに見える着弾点からはトロールキングの肉片が結構な勢いで飛び散った。
しかし、さすがは知能の高い人型の魔物だけあって、何匹かは魔法障壁を張って致命傷を回避している。
しかし、そのまま逃走するのを許すほどお人よしじゃない。
俺は次の魔術を構築し始めると、地面を蹴って森を走りながら、再び手を翳して魔力を収束させた。
「“落雷”……“放電”」
集団から少し外れた場所に居る個体は、あまり時間を掛けると逃走される恐れがあるので、早めに雷で狙撃しておいた。
続いて、左手からばら撒くように電撃を放ち、密集しているトロールキングの集団を舌なめずりするような紫電で捕らえる。
威力は重視していないので、ほとんどの敵は体が痺れて動きが鈍っただけだが、俺の武器は放出系の魔術だけではないので問題ない。
「ふっ!」
トロールキングは防御もままならない状態で、俺の魔力剣の薙ぎ払いを受けた。
数年前の魔力量も制御の力量も低い頃だったら防御されていたかもしれないが、今の俺の大剣は生半可な魔法障壁なら貫く。
防御態勢を取ったトロールキングたちは、漏れなく胴体を両断された。
一匹だけ地面に伏せることで難を逃れた勘のいい個体が居たが、立ち上がって逃げようとしたところで、俺が“倉庫”から取り出した偽フラガラッハを投げると、魔剣の刀身が半ばまで埋まった首から血を噴き出して倒れ伏した。
「よし、残りだ」
俺はトロールキングを大剣で叩き切り、しぶとい個体には巨大な両手剣デュランダルを叩きつけて回る。
数分後、辺りに散乱するトロールキングの死体に、息のあるものは無かった。
俺は殲滅したトロールキングが来た方向に進路を取り、しばらく移動し続けた。
Aランクの魔物の中でも上位に入る強さを誇り、知能も高いトロールキングが尻尾を撒いて逃げ出すほどの相手がこの先に居る。
本来なら、そのような危険な場所に一人で赴くのは避けるべきだが、この一か月の『死の森』の探索ではほとんど進展が無い。
新しい発見の可能性があるのならば行ってみるべきだろう。
これがさらに強力な魔物の縄張りというだけだったら残念だが、自然地理的に説明のつかない何かを発見できれば、それだけでも大きな前進だ。
通信水晶を使えば、ヘッケラ―やラファイエットの知恵を借りることもできるのだ。
もしかしたら、先ほどのトロールキングは龍族の狩りから逃れた集団という可能性もある。
「まあ、そんな都合のいい話は……っ! おいおい、今のは……?」
そして、ついに俺の肌はこの先のエリアで蠢く魔力の流れを感じた。
“探査”の範囲内ではない。
だが、俺は確実に捉えたのだ。
通常の魔物が纏う魔力とは異質の、トロールキングの使う魔術とも違う、綿密に制御された魔術の気配を。
「……行くか」
日は傾いているので、早めの休憩を取ってもいい時間ではあるが、今の俺にそんな選択肢は無かった。
魔術を使うのは、人族やエルフはじめ十分な知能を持つ人間種族、そして一部の人型の魔物のみ。
上級竜ほどの知能があれば術式として構成される魔術も使用できるかもしれないが、そのレベルの魔物になると、人間の間で普及している魔術よりも強力なブレスや魔力の扱い方を修めている。
そうなると、やはりこの『死の森』で魔術を使うのは、サウスポートや周辺の街の冒険者か……もしくは龍族だ。
俺は逸る気持ちを抑えつつ、自分が冷静とは言い難い状態なのを改めて自分に言い聞かせ、この森では半径百メートルが限界の“探査”を張り巡らせて警戒しつつ森を進んだ。
そして、ついに俺は魔術の形跡の元に辿り着いた。