166話 中間報告
『なるほど。『死の森』とはそのような場所でしたか……』
『むぅ……魔大陸にはそのような魔物の領域があるというのか』
『俄かには信じられない話ね。クラウスが逃げ帰ってくるほどだなんて……』
宿の部屋の机に置いた通信水晶の向こうでは、オルグレン伯爵家の面々が一様に難しい顔をして唸っている。
画面の中には筆頭宮廷魔術師のヘッケラーの姿もあった。
何せ、今回の通信の要件はかなり重大な報告だ。
悪名高き『死の森』に足を踏み入れた初日、俺はアンデッドの大群に夜襲を掛けられて、サウスポートへの撤退を余儀なくされたのだ。
ただでさえ強力な魔物の密度が濃い場所に、圧倒的な脅威度の上位アンデッドが群れを成して押し寄せてくる。
過去に魔大陸の外からやって来た冒険者が全滅したのも納得の状況だ。
Sランククラスの冒険者たちが皆殺しになった経緯を、俺が身を以て証明したと言っても過言ではない。
魔物のレベルもそうだが、俺は冒険者ギルドに預けた設置型の転移結晶を使って、サウスポートの街までワープすることで撤退した。
スペクターに襲撃されたうえにデミリッチとドラゴンゾンビに囲まれたあの状況。
並の冒険者が転移結晶も持たずに同じシチュエーションに陥ったら、まず逃げることは不可能だろう。
しかし……まさか初日に転移結晶を使うことになるとはな……。
三セットしかない貴重な魔道具が、早くも一つ消費されてしまった。
因みに、撤退する場所が何故に冒険やギルドかといえば、セキュリティ面を考えた結果、冒険者ギルドが一番安全だという結論になったのだ。
設置型の転移結晶は二つ一組で、移動先のものだけあっても意味は無いが、それを知らない人間も大勢居る。
知らずに盗むような無知な輩が現れたら面倒くさいことになるだろう。
最初は宿に転移結晶を預けることも考えたが、『グリフォンの止まり木亭』の主人や女将はただの一般人だ。
俺も彼らの腕を信用などできないし、向こうとしても強盗事件と信用失墜の火種にしかならない預かりものなど、さすがにご免被るだろう。
冒険者ギルドは一応ではあるが冒険者からの預かりものを保管する機能があり、設置型の転移結晶を預けるという事例も珍しいが存在しないことも無い。
結果、俺のサウスポートのワープ地点は冒険者ギルドとなったのだ。
それでも、やはり転移で帰ってくる冒険者は珍しいらしく、ギルド職員にはそれなりに驚かれたが……。
ところで、俺が『死の森』から帰ってきたのは一昨日だ。
冒険者ギルドに転移した俺は、そのまま宿へ向かった。
『グリフォンの止まり木亭』の女将さんは、出発したその日の夜に姿を現した俺に目を丸くしたが、すぐに部屋を用意してくれた。
次の日は、当然というか早くも俺の帰還の噂を聞きつけたマーカスたちが押し掛けてきて昼間から宴会が始まってしまった
そんなわけで、こうしてフィリップたちに通信を送っているのは帰還の二日後になってしまった。
フィリップたちには『死の森』で起こったことを全て話した。
Sランクの魔物が多数生息すること、浮遊魔力に異常があり“探査”がまともに効かないこと、巨大フルーツのこと、夜になると強力なアンデッドが絶え間なく襲ってくること、全てだ。
『クラウス君、君を疑うわけではないのですが、一応その魔物を見せていただけますか? 正直、前に見せていただいた百頭単位のワイバーンやロックバードですら、未だに夢ではないかと思うほどの代物なのです』
『あたしも! 見たいわ!』
『私も興味があるな』
ヘッケラーとレイアの魔術師コンビだけでなく、フィリップまで食いついている。
まったく、こっちは命からがら逃げてきたというのに、こいつらは呑気なものだ。
ヘッケラーはともかく、他の二人は完全に野次馬根性じゃねぇか。
まあ、ちょうどいいか。
昨日、マーカスたちにせがまれてベヒーモスとアーク・グリフォンの首を十個ほど見せてやったが、魔法の袋に仕舞っただけで整理はまだだった。
宿の裏庭まで移動すると、容量の余っている汎用の魔法の袋に素材を移しがてら、通信水晶の方に魔物を向けて見せてやる。
とりあえず、二匹目のベヒーモスの頭部を出した。
『やはり、そちらにもベヒーモスが居るのですね。以前、サヴァラン砂漠で討伐したものは、角が折れていましたが……それは無傷ですか』
前に狩ったベヒーモスは、俺が角をサーベルで根本からへし折ってしまったからな。
この立派な角付きのベヒーモスの頭部こそ、二匹目であることの証明だ。
続いて、数十匹のアーク・グリフォンを次々と予備の汎用の魔法の袋に収納していく。
スペクターの魔石と黒い剣、それに何とか数体は確保したデミリッチの死骸と杖は、直接手を触れないように注意して別の汎用の魔法の袋に仕舞った。
『ほぅ……壮観だな』
『それだけの魔物が生息する地が、この世界に……』
『錬金素材の宝庫じゃない』
『たった一日でその成果というのは、クラウスだからできることですわね』
『ひゃ~……とんでもない価値なのです』
『まさに、冒険者の夢ですな。クラウス殿』
『現地の冒険者がその数分の一でも確保できるのであれば、是が非でも輸入ルートを確保したいのであるな』
俺が戦利品の整理を終えるまでの間。通信水晶の前に勢揃いしたオルグレン一門は感嘆の声を上げ続けた。
俺としては巨大フルーツを、特に巨大『あま〇う』イチゴを推したいのだが、そちらの反応は魔物の死骸に比べると小さかった。
ファビオラは高級フルーツが自然に群生すると聞いて少し興味を覚えた様子だったが、俺が居るのが魔大陸だということを思い出し、すぐに金にならないと判断したようで、欠伸をカマして舟を漕ぎ始めた。
まったく、ものの価値がわからん奴らだ。
『ところで……現状でクラウス君以外に『死の森』で活動できる冒険者は居ないのですね?』
「いや、俺も活動できているかと言われると微妙なところですが……まあ、確かに、この大陸の冒険者でもやはり『死の森』から生きて帰ってくる者は居ないみたいですね。龍族以外は」
たった一日の探索で逃げ帰ってきた俺では、とてもではないが『死の森』が狩場とは言えない。
だが、現状で一番『死の森』の事情に詳しい人間が俺だということも事実だ。
何せ、肝心の龍族とはコンタクトが取れていないのだから。
ヘッケラーが難しい顔で考え込んだことで妙な沈黙が生まれてしまい、メアリーは空気の悪さを払拭するように口を開いた。
『クラウス。やっぱり……魔大陸に渡った冒険者の死因は、その『死の森』ですの?』
「ああ、そう見て間違いないだろう。あの状況では、まず普通の冒険者は生き残れない。俺も転移結晶が無かったら帰還できる保証は無かったな。特にデミリッチの数が厄介だ。上級魔術の一斉射撃で攻めてくるんだぜ。俺の“探査”の外から」
俺の“探査”の距離が森の浮遊魔力によって妨害されていることを差し引いても、あの数のデミリッチは危険すぎる。
俺と同等レベルの腕を持つ人間でも、例えば一体多の殲滅力に乏しいフィリップだったら、かなり手間取ることだろう。
メアリーたちにしてみれば、尚更フィリップが魔大陸に来るのは認められなくなっただろうな。
『死の森』またの名を『人喰いの森』。
不吉な名前は伊達じゃない。
まるで、森自体が一つのダンジョンか意思を持ったネクロマンサーのような存在だった。
木の蔓に足を引っかけられたわけでも、トレントの大群に襲われたわけでもないが、何となくあの森全体が明確な殺意を以て魔物を嗾け襲ってくるように思えたのだ。
『それで、これからどうするの?』
「どうもこうも……今ある装備で挑戦し続けるしかないだろう。君に貰った魔法陣も、一応スペクターに反応はするし」
レイアの魔法陣はまったくの無力ではない。
ただ、あの距離を一瞬で詰めて襲ってくる霊体アンデッドなど、本当にどう対処していいのかわからないのも事実だ。
寝込みを襲われたらマジで死ねる。
それに、脅威はスペクターだけじゃない。
ドラゴンゾンビも脅威度でいえば十分にヤバイ敵だ。
当然、昼間に出現する魔物も、兎や小鳥とはワケが違う
攻略難度を下げるアイテムが入った宝箱も無い。
ドラ〇エなら現地で有用な装備品やアイテムが手に入るが、現実ではそう都合のいいことは無いのだ。
今持っている装備や道具で、どうにか突破するしかない。
「トライ&エラー……いや、エラーしたら死ぬけど、とにかくまた森に行ってみる。目下の問題は、とりあえず夜のアンデッド軍団を何とかすることだ。設置型の転移結晶にも限りがあるから、次からは最低限そのまま撤退できるところからだな。夜を乗り切る方法についても、結界や聖水など色々と試すさ。ちょくちょく連絡するんで、レイアはまた知恵を貸してくれ。師匠も」
『わかったわ』
『もちろんです』
数日の休息を取り、俺は再び『死の森』へ向かうこととなった。