160話 クラーケン戦
出航から数日。
またしても暇を持て余した俺は、船尾の右側辺りから海に向かって釣り糸を垂らしていた。
現代の客船でこのような真似をしたらクルーにキレられるに違いないが、『ラ・フォルトゥーナ』は舷側式の外輪船で後方にスクリューなどは無いので、航行中に釣りをしても糸が巻き込まれることにはならない……はずだ。
この速度なら、仕掛けが一気に流されて、釣り竿が手からすっぽ抜ける心配も無い。
ロバーツに怒られたら、船首に移動して浅く釣り糸を垂らそう。
そのまま撒き餌を使えば魚が寄って来る可能性がある。
鰹の一本釣りでやっているあれだ。
まあ、たとえ釣りを止められることになったとしても、最初に怒られるのは俺ではなく……。
「旦那、あれは何です?」
マストの根本を指さしながら俺に尋ねるのは、俺と並んで釣り竿を握っている船員の一人だ。
口調は似ているがパウルではない。
彼が指差した場所には、体を開かれたバラクーダエッジが並べられている。
天日干ししている最中のカマスの干物だ。
「バラクーダエッジの干物だ。保存の意味もあるが、天日干しにすることで旨味が出る。例によって、初めて作ったものなので、安全である保証は無い。しかし、実験だ……モニターが居ると大変助かる。それでも食ってみたい、我こそはという者は……」
「「「「「やります!」」」」」
「おい、待て! 俺が先に……」
「将軍様、是非俺に」
素晴らしきかな。
今の俺はボッチじゃない。
俺はここ数日の間で非番のクルーたちとコミュニケーションを取ることに成功した。
こうして俺の釣りを手伝っているのは、晩酌の時間に俺がご馳走してやった鯵のタタキと冷やしたエールの味を知った連中だ。
最初は生魚に腰が引けていたクルーたちも、出航前に俺に絡んできた二人組を起点に攻略された。
人身御供に差し出された二人は、最初こそ絞首刑に向かうような表情で鯵の切り身を口にしたが、今は彼らも喜んで毒見をしてくれる。
ロバーツが航行中に釣りをしていることにキレても、彼らは俺を庇ってくれるだろう。
持つべきものは友達だね、うん。
今回は特に危険度が高い生魚ということで、人体実験の尊い犠牲になってくれる連中が居るのは助かる。
……もちろん、一度に大勢に食わせるようなことをしない。
クルーの食中毒が原因で船が進まなくなったらさすがに困るからな。
「よし。明日すぐ配置につく者以外が、今日の晩酌のときにでも食ってくれ。体に悪影響が無くて味もいいようだったら増産するからな。あと、俺が近くに居るときにバラクーダエッジが掛かったら、逃がさずに俺に一声掛けてから海面まで引き上げろ。“放電”で仕留めてやる」
「「「「「へい!」」」」」
俺が電撃を用いたバラクーダエッジの仕留め方を教えてからというもの、船員たちはよく指示に従ってくれる。
因みに、ロバーツは一度も生魚を口にしていない。
船長として万が一にも腹痛で寝込むわけにはいかないからなのか、それともただ臆病風に吹かれたからなのかは、武士の情けで突っ込まないでおいてやろう。
食中毒が一件も発生せず、俺の生魚の調理法がそれなりの安全を確保できている確信が強まってきた頃、ついに『ラ・フォルトゥーナ』に襲い掛かる魔物が出現した。
「左舷に敵影! ヴァンガードシャーク複数が急速接近中!」
見張り台のクルーが艦橋に向かって大声で伝える。
甲板に居た俺も“探査”で魔物の反応を捉えた。
見てみると、確かに遠くの海面に鮫の鰭がいくつか飛び出している。
「旦那! どうしやす?」
何故か俺に指示を求めるクルーが多数。
ロバーツも俺の言葉を待っている。
いや、あんたらの船だろ……。
まあ、仕方ないか。
俺が殲滅できるのなら、その方が彼ら船員にとっても一番安全だからな。
何より、この船の乗客は俺一人ではない。
こんな時期でも魔大陸に向かう商魂たくましい連中は居るのだ。
彼らの安全を確保するためにも、単体での戦闘力が高い俺が出た方がいい。
「いつも通り船長の指揮で応戦準備! 俺は遊撃だ! 撃ち漏らしがあることを前提に動け!」
「「「「「へい!」」」」」
「了解! 野郎ども、配置につけ! 左舷バリスタ用意!」
ヴァンガードシャークはCランクの魔物で、その名の通り果敢に接近戦を挑んでくる獰猛な鮫だ。
屈強で全速力の突進は木造船の壁などぶち破り、顎の力も人間など簡単に噛み千切るくらいには強靭だ。
武装した冒険者が船の上からタコ殴りにすれば勝てない相手ではないが、それでも一歩間違えば噛み殺される。
大型船の『ラ・フォルトゥーナ』にとっても、ヴァンガードシャークの群れの脅威は決して無視できるものではない。
「装填! 狙え!」
ロバーツの指示で、側砲のように並べられたバリスタに取り付いた船員たちが、一斉に太い矢を装填した。
バリスタの直接照準の範囲内に接近される前に片付けるのがベストだな。
護衛の冒険者も何名か乗っているが、今は手柄を分かち合うことより船の安全が優先だ。
「先に撃つぞ。並列起動――“爆破”」
『ラ・フォルトゥーナ』と先頭のヴァンガードシャークの中間くらいの位置で、俺の火魔術が連続で発動し、爆雷のように炸裂する。
轟音と共に水柱がいくつも出現し、海水を空中高くまで打ち上げた。
魔力もたっぷりと込めているので、現代の対艦機雷にも劣らない爆発力だ。
海中を伝わった衝撃波はこちらにも届き、『ラ・フォルトゥーナ』は鋭い波を横っ腹に受けて傾いた。
当然、敵の一団にもかなりの損害を齎し、数十匹のヴァンガードシャークが気絶して海面に浮かんでくる。
「うぉ!」
「何だ!? 今のは!?」
「慌てるな! 将軍の魔術だ!」
「見ろ! 鮫どもが浮いてきたぞ!」
「何だあの数! でも……全部やったのか!?」
船全体が揺れるほどの衝撃で、『ラ・フォルトゥーナ』のクルーたちにも動揺が走る。
しかし、ヴァンガードシャークの群れを全滅させるには、これでも不十分だった。
どうやら、普段この船が遭遇する群れよりも数が多いみたいだな。
脳震盪は起こしているものの、未だに進軍を止めない鮫どもは多い。
だが、確実にヴァンガードシャークの接近速度が鈍ったことを、俺は“探査”で把握している群れの位置情報から理解した。
「“落雷”」
水中の敵の位置をある程度把握していた俺は、並列起動でピンポイント爆撃の魔術を連続で発動した。
続けざまに数条の雷が海面を直撃する。
通常の雷よりも広範囲の水中に影響を及ぼす強力な稲妻だ。
感電したヴァンガードシャークは残らず気絶して海面に浮き上がった。
「……やった」
「一人で……全滅させた……?」
「凄ぇ……」
船に接近する影が無くなったことで、ヴァンガードシャークが全滅したことを悟ったクルーたちは警戒レベルを下げる。
まだロバーツから戦闘態勢解除の指示は出ていないので、バリスタに取り付いた船員たちは今も辺りを見回しているが、緊張は解けてきている。
「敵影なし!」
「船尾! 異常なし!」
ロバーツも甲板の各場所のクルーから報告を受けて、ほっとため息を漏らした。
「よし、戦闘終りょ「まだだ!」」
しかし、俺はロバーツの号令を遮った。
何故なら、先ほど仕留めたヴァンガードシャークの下の、さらに深い海中から接近する反応があったからだ。
これは……デカいぞ。
「――“爆破”」
雷属性の魔力による点火を起点に、火属性の魔力を炸薬と燃料に見立てて、連続で海中に流し込む。
対潜水艦の爆雷のように、海中では次々と爆発が起こった。
弾数が違うので、先ほどのヴァンガードシャークを倒したときよりも、さらに激しい衝撃が多方向から『ラ・フォルトゥーナ』を襲う。
「ぐっ! 将軍! 何が起きてる!?」
「旦那~!」
ロバーツたちは泡を食らっているが、構っている暇は無い。
俺が“探査”で捉えた敵の魔力反応は、それこそシーサーペント以上に強力で、かなりの巨体を持っているようだ。
大きさはそれだけで脅威だ。
俺は無事に済んでも、船をぶち壊される危険があり、クルーをまとめて食い殺されるかもしれない
早めに倒したいところだったが、それは叶わなかった。
爆雷もいくつか命中したようだが、敵はほとんど勢いを落とさずに海面から飛び出した。
大きく水を跳ね上げて、巨大な魔物が姿を現す。
姿を現した新手の正体は……。
「あ、あれは!」
「まずい!」
「クラーケンだと……」
「ひぃぃぃ!」
「で、デカい!」
この船の武装ではどうにもできない敵が現れてしまった。
この世界のクラーケンは巨大な蛸だ。
それも頭部の形がはっきりと丸みを帯びているマダコだ。
もっとも、脚は八本ではなく十本以上あるが……。
体長は脚まで入れれば恐らく数十メートル。
脚を広げれば、帆船くらいなら船体ごと鷲掴みにできそうだ。
Aランクの魔物の中でもかなりの巨体だな。
「ギュルォォオオオォォォォォン!!」
俺の魔術で体の所々を焦がされたことを根に持っているのか、クラーケンは怒りの雄叫びを上げながら俺に脚を振り下ろしてきた。
「ふん!」
「ギョァシャァァアアアァァァァァ!!」
既に大剣を取り出していた俺は、甲板を蹴って空中に躍り出ると、雷の魔力を込めた魔力剣を振り抜いてクラーケンの脚を迎え撃った。
紫電を迸らせながら放たれた剣閃が、巨大な太いタコの脚を真ん中から叩き切る。
クラーケンは堪らず悲鳴を上げた。
振り払うように横合いから薙ぎ払われた二本目の脚も、大剣で撫で斬るように受け流した拍子に、半分以上が切れて千切れかける。
「しっ! ――“レーザー”」
「片舷斉射!」
「深紅の揺らめき、我が手に集い、光と熱の恵みを与えしものよ、彼のものを貫け――“火槍”」
俺が千切れかけのクラーケンの脚を蹴って後退し、そのまま切れ目に高出力の“聖光”もどきを打ち込んで完全に切断するのと同時に、ロバーツの号令で一斉にバリスタが発射された。
俺の離脱に合わせた、絶妙なタイミングでの援護だ。
『ラ・フォルトゥーナ』の甲板に降り立って見てみると、大型の矢が一斉にクラーケンに着弾し、それなりのダメージを与えているように……いや、クラーケンが体を捩って暴れると、浅く刺さったバリスタの矢はすぐに抜けてしまう。
冒険者の魔術や矢も飛んではいるが、あれもほとんど効果が無いようだな。
中級火魔術は唯一バリスタ数発分のダメージくらいは与えたようだが、あの冒険者の魔力量では連発はできないだろう。
仕方ないか。
彼らはこの時期の魔大陸行の船に乗せられるという本当に運の悪い貧乏くじを引いてしまった連中であり、ロバーツたちも俺が居る時点で冒険者にそれほどの戦力は期待していない。
そもそも、航路上でクラーケンに遭遇するなど、船乗りにとっても人生最悪レベルの不幸だ。
「ギュグォォォォォオオオォォ!!」
クラーケンはもう一度雄叫びを上げると、頭から身を翻すようにして海に潜った。
「“落雷”」
急いで追撃を仕掛けるも、クラーケンは巨体からは想像もつかない速さで潜航する。
さすがに海中深くに隠れられては、俺の雷も届かない。
逃げられたか?
しかし、俺の疑問はさらに厄介な形で答えを得ることとなる。
「っ! 伏せろ!」
船員のほとんどは俺の指示に従い、慌てて甲板に身を伏せた。
次の瞬間、『ラ・フォルトゥーナ』の船体のすぐ傍の海面からクラーケンの脚が飛び出した。
そのまま叩きつけるようにして甲板上が太い脚で薙ぎ払われる。
伏せていた者はほとんど無事だったが、間に合わなかった数名は横薙ぎに吹き飛ばされ、衝撃で甲板を転がり海へ転落した。
「畜生!」
「奴はどこだ!?」
「真っ黒だ! 何も見えねぇ!」
クラーケンは墨を吐いたようで、海面を覗き込んでもその姿は見えない。
こうなると、敵の位置を把握して攻撃できるのは“探査”が使える俺だけだ。
元々、一般人のクルーたちは水中の敵には無力なのだが……。
「くそっ、面倒な……」
俺は海の魔物との戦闘には慣れていない。
いや、厳密に言えば、この街に来て戦ったのが初めてだ。
それも、強力なシーサーペントなどは、海面から無理やり引きずり出して、空中に投げ出したところを仕留めたのだ。
波止場近くの浅い場所だったから、俺の足が陸に着いていたからできたことだ。
周り一面が海で、真っ直ぐ立てるのは足場の悪い船の甲板だけ。
Sランクに及ばない魔物でも、環境が違うとこれだけ苦労するのか……。
仕方ない。
クラーケンは逃げるつもりが無いようなので、奴の脚が尽きるまで消耗戦だ。
「防御態勢を取れ! 無理に攻撃しなくていいから耐えるんだ!」
俺は船員たちに襲い掛かる触手を追いかけて、大剣と回復効果のある魔剣エクスカリパーで切り刻み、爆雷型“爆破”を同時に海に放ち続けた。
クラーケンの墨は魔力を吸収する効果があるようで、俺の魔術の威力と精度を減衰させる厄介な障壁となったが、ほとんどの脚を切り落とした頃に、爆雷はようやくクラーケンの鼻っ面にクリーンヒットした。
「イェーガー将軍! あそこだ!」
「旦那!」
「わかってる。――“レーザー”」
ぷかぷかと浮いてきたクラーケンが回復する前に目と目の間を撃ち抜き、俺は厄介なAランクモンスターに止めを刺した。