159話 船出
水揚げされたシーサーペントは、すぐにその場で解体された。
港の作業員が切り分けて、冒険者ギルドからやって来た職員が素材を瓶に詰めていく。
何故、こうも迅速に事が進んだのかといえば、これもまたロジャースのおかげだ。
首を刎ねたシーサーペントを俺が魔法の袋に仕舞おうとしたところで、ロジャースは数人の兵士を引き連れて船着き場までやって来た。
「通報がありましてね。バラクーダエッジを釣り上げては、手から雷を放って殺している騎士が居ると」
情報が遅いようだが、ロジャースは疲労の色を若干深めながらも、素早く事態の収拾を図ってくれた。
シーサーペントが既に討伐されたことを街中にアナウンスするよう部下に指示し、港と冒険者ギルドから人手を出してこの場でシーサーペントを解体するように手配してくれた。
突如、埠頭のど真ん中で始まった大型の魔物の解体ショーに、街中から大勢の野次馬が集まっている。
こうして実物を民衆に見せることで、脅威が既に無くなったことを知らしめるわけだ。
解体も終わりかけ、街がある程度の落ち着きを取り戻したところで、ロジャースは再び俺のもとへやって来た。
「イェーガー将軍、この度は本当にありがとうございました。もし、シーサーペントにこれ以上の接近を許していたら、警備隊も冒険者も甚大な被害を受けていたことでしょう」
「いえ……」
シーサーペントは俺の釣り竿に掛かったことで存在が露わとなった。
俺のせいで相対する羽目になったと言えないこともないので、こっちはロジャースから恨み言の一つでも言われるのではないかと思っていた。
まあ、ガルラウンジ側としても、俺が危険な目に遭ったと主張して癇癪を起こすリスクを鑑みれば、礼を言って美談にした方がいいということなのだろう。
それに、水揚げされたシーサーペントには損傷も少ない。
首を切り落とされた以外は、体に数か所の槍の刺し跡と、口腔内に鈎鎖が食い込んだ傷だけだ。
これだけ綺麗な状態でAランクの魔物が手に入れば、この街の冒険者ギルドとしても文句は無いだろう。
まあ、実際に俺と話すロジャースや代官は相当なストレスを受けるかもしれないが、そこは街の利益で勘弁してもらおう。
シーサーペントの素材に関しても、俺が欲しいのは可食部とラファイエットやレイアに渡す錬金素材だけだ。
頭部は丸ごと、内臓は切り分けたものを二瓶ずつ、こちらで引き取ればいい。
魔石は今更Aランクの魔物のものなど必要ないが、冒険者の慣習としては討伐の証だというし、一応貰っておくか。
残りの素材や皮はこの街を潤すのに使ってくれればいいさ。
そのまま転売しても防具などに加工しても、ここの冒険者ギルドの利益になるだろうし、冒険者の戦力アップにも繋がるはずだ。
因みに、シーサーペントの身は極上の白身とのことなので、半分を引き取らせてもらった。
あっという間に数日が過ぎ、ついに魔大陸への定期船の出航日がやって来た。
サーペント亭の最後の食事を楽しみ、俺は装備を整えて港に向かおうとしたが……警備隊長のロジャースと代官に率いられた文官が数人、宿まで俺を迎えに来た。
運送ギルドのものとは比べ物にならない豪華な馬車で。
何だか護送されるみたいだが、国王の勅命を受けた人間を見送るには、これくらいのポーズが必要というわけか。
糾弾されるリスクを排除したい彼らにしてみれば、本当なら出航日まで俺には役場から一歩も出ずに過ごしてほしかったことだろう。
今まで自由に買い物や釣りをさせてくれただけでも、彼らは十分俺の気質を理解して配慮している。
シーサーペントの素材の件で俺に接触しようとするケチな商人紛いの連中も、警備隊や代官がシャットアウトしてくれた。
最後くらい、彼らの顔を立てて付き合ってやろう。
「あちらになります」
港に到着すると、船着き場に停泊する一隻の船を代官が示した。
あれがロバーツの定期船『ラ・フォルトゥーナ』か。
全長百メートルに満たない外輪船だ。
マストが四本あるところを見ると、補助用の帆も装備しているようだ。
見た目は少し大きめの初期の蒸気船だな。
「サウスポートへの到着は、出航から十八日後が目安です。水棲の魔物を迂回することになった場合、多少の遅れが生じる可能性がありますが、どうかご了承ください」
聞いた話では、『ラ・フォルトゥーナ』の動力は蒸気機関ではなく錬金術の産物である魔導機関だ。
ガルラウンジとサウスポートを結ぶ定期船の中でも、エンジンの質が高くかなり速い船らしい。
この時代の船舶としては、軍艦を除けば最新の部類に入る一隻だろう。
外輪を二十四時間フル稼働はさせないにしても、平均で十ノット近い速度を維持できて十八日ということは、一般的な大西洋横断より距離が長めか。
魔大陸、遠いな。
「ええ、どうも。ロジャース殿、代官殿。色々とお世話になりましたな」
「こちらこそ。イェーガー将軍、ご武運を」
「次は是非、プライベートでお越しください」
俺はロジャースたちに見送られて『ラ・フォルトゥーナ』に乗り込んだ。
タラップを登ってまずは甲板に出る。
さて、出航まではまだ時間があるな。
とりあえず、下の自分の船室に行ってみようかと思ったが……。
「船長! 武装の点検、終わりました!」
「機関室、異常ありません!」
「よぉし! 整備は出航まで待機だ。見張り台! 航路上に異変は?」
「異常なし!」
「今日はシーサーペントも居ませんぜ!」
「あたりめぇだ! そう頻繁に出られて堪るかよ」
キャプテンと呼ばれた男の声には聞き覚えがある。
ロバーツだ。
一応、顔を出しておくか。
俺はそのまま甲板を歩き、艦橋に向かった。
ところが……。
「おっと、ここはお坊ちゃんが来る所じゃないぜ」
「そうそう、高貴なお客人は船室にお戻りください、ってな」
二人の船員が俺の前に立ちはだかった。
本気で喧嘩をする気は無いようだが、逞しい筋肉を見せびらかすようにしてニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
どうにも、一般人に対してイキるのを楽しんでいる感がある奴らだ。
さて、どうしたものか……と思っていたら、艦橋の方から声が掛けられた。
「ん? おお! イェーガー将軍じゃねぇか!」
「どうも、ロバーツ船長」
俺を見つけたロバーツはこちらに歩み寄ってきたが、二人の船員を見るなり事情を理解したようで、一瞬だが顔色を変えた。
「おう! 注目だ! お前らも覚えとけ。国王陛下の勅命で魔大陸へ向かう、王都から来た聖騎士のクラウス・イェーガー将軍だ。この前のシーサーペントを叩っ斬ったのもこの人だぞ!」
何の因果か、船長のロバーツ自ら俺に船内を案内してくれることになった。
出航直前に船長の手を煩わすなど普通なら考えられないが、本人から是非にとのことなので断れない。
まあ……状況を鑑みれば仕方ないか。
先ほどの二人組は、俺の正体がわかるや否や、顔面を蒼白にして平謝りだった。
近くに居た他の船員たちも、俺と目を合わせないようにしながら仕事に戻っていった。
別に今すぐ船の案内などしてもらわなくても大丈夫なのだが、ここで俺を放置するのは、クルー全員にとって最も困難な選択らしい。
とはいえ、俺の接客を担当させられるなど、一介の船員には死刑宣告にも等しいと……。
俺の機嫌を取らないと不安過ぎて仕事が手につかない、しかし自分が矢面に立つのはご免、というわけだ。
船長のロバーツ頼みになるのも当然か。
これからクルーたちとは半月以上を同じ船で過ごすのに、ギクシャクするのは本当に勘弁してもらいたい。
「あれでも俺にとっては大切な部下なんだ。その……何だ。切り刻んで釣り餌にするのは勘弁してやってくれ」
「いや、そんなことしないから……」
どうも激しく誤解されているな。
船に少し慣れたら、非番のクルーと一緒に酒でも飲んでみるか。
「ところで、ロバーツ船長。先ほど、武装がどうとか言っていたが、この船には何が積んであるんだ?」
「何ってバリスタだが……ああ、投石器や攻撃用の魔道具までは積んでねぇよ。軍艦じゃねぇからな」
船に搭載する投石器は、石だけでなく油や可燃性の液体を入れた壷を飛ばすのに使うはずだ。
要は、原始的な対地攻撃や対木造船用の兵器か。
客船として運用されている『ラ・フォルトゥーナ』には、さすがに無用の長物だろう。
艦砲として高価な魔道具を搭載しているのも、この大陸の国家では国の海軍に所属する戦艦がほとんどのはずだ。
どちらかというと、俺には大砲が無いことが歪に見えるのだが……。
地球では、蒸気船が出てくる前の帆船の時代から、船の武装としては大砲が一般的だった。
火薬技術が一般的でないと、外輪船やスクリュー船の武装がバリスタやカタパルトになることもあり得るのか。
いや、たとえカロネード砲レベルの火器があっても、あまり普及はしないかもしれない。
火力やコストにおいては、下手な火薬兵器を開発して配備するより、魔術師が船上から攻撃魔術を撃った方が確実だったりするからな。
「この辺だと、基本的にはヴァンガードシャークやレモラを撃退するために使う。たまにコカトリスが出るんで空中も狙えるぜ。シーサーペントやクラーケンの相手は……あまり期待しないでくれや。優秀な冒険者の護衛が居れば、足止めして離脱するくらいはできるかもしれないけどな。ま、将軍様が居れば、魔物なんざ何の脅威でもないか! はっはっは!」
気楽な……。
海の魔物に関しては、俺は冒険者ギルドで資料を見ただけで、実際に戦った経験は無いんだぞ。
まあ、シーサーペントならこっちから仕留めに行ってもいいか。
前に討伐したものは宿に持ち込んで焼いてもらったが、なかなかに美味い白身だった。
サーペント亭というだけあって、料理人も扱い方をしっかりと心得ている。
何はともあれ、この船の武装がAランクの魔物に対して頼りにならないことはわかった。
「因みに、リヴァイアサンは?」
「……聞かなかったことにするぜ」
軽い冗談のつもりだったが、神妙に流されてしまった。
ロバーツの案内で船内を一周し、最後は俺の船室に行き着いた。
中世の船の客室など天井の低い安宿みたいなものかと思っていたが、予想に反して部屋はそれなりに広かった。
十分な大きさのベッドに棚と立派な机、食事用のテーブルと椅子は別にある。
俺の立場が立場なので、ここは一等船室に相当するのだろうが、この時代の船で十畳以上もありそうな部屋とは恐れ入る。
地球の十九世紀の蒸気船と違ってボイラー設備が大きくないことも理由だろうが、中世世界でここまで快適な客船があるとは思ってもみなかった。
「さて、とりあえず……」
まずは荷物を整理しよう。
とは言っても、俺の装備や荷物は基本的に“倉庫”と魔法の袋に収納しているので、船室に何かを置く必要はない。
とりあえず、簡単に部屋を掃除しておくか。
「(出航だ! 錨を上げろ!)」
テーブルを拭き、床を一通り掃いたところで、『ラ・フォルトゥーナ』は港を出た。
窓から遠ざかる港町をしばらく見ていたが、それもすぐに飽きてベッドのシーツを整える。
さて、暇になったな……。
ベッドは整えたが、昼寝をする気にもなれない。
お茶でも淹れようかと思ったが、今日はまだ何もしていないので、休憩という気分でもない。
ネットがあれば、いくらでも時間は潰せるのだが……。
「……料理、仕込むか」
早速、俺は船の厨房に向かい、コック長に頼んで隅の一角を借りる。
料理人たちは突然現れた俺に戸惑っているが、気にせずまな板代わりの板を熱湯消毒して魚を捌き始めた。
まずは釣ってすぐに頭を落として内蔵を抜いた鯵を三枚に下ろし、腹骨を削いだら皮を剥いてナイフで切る。
念のため“探査”と“分析”で寄生虫や中毒物質が検出されないか調べた。
今のところ問題は見つからないので、俺は鯵の身を皿に盛りつけると、みじん切りにしたネギと下ろした生姜を添えて、再び魔法の袋に収納した。
これでいつでも鯵のタタキが食える。醤油は無いけど。
鰯も半分は同じ手順で刺身にする。
さて、肝心の鯖だ。
しめ鯖の作り方は以前ネットで見た方法を採用しよう。
まずは三枚に下ろして腹骨を削いで中骨を抜き、こちらも寄生虫と有毒物質の有無を調べておく。
砂糖、塩の順番で約一時間ずつしめて、水分をしっかりと鯖の身から出す。
一時間の放置の間は、水魔術で作り出した氷と一緒に、隙間の少ない木箱に入れた。
冷蔵庫の代わりだ。
どちらの調味料も、しめ終わったらウルズの水差しの水でさっと流し、キッチンペーパーは無いので清潔な布で水分を拭き取る。
最後はワインビネガーに漬けるのだが、これも同じく一時間くらいでいいか。
冷蔵庫から出して、今度は水で洗わず、余分な酢を軽く拭くだけにする。
これで調理は完了だ。
次はアニサキス対策に冷凍する。
“分析”や“探査”の魔術では検知されていないが念のためだ。
ここでようやくレイアの魔法陣の出番となる。
マイナス三十度の結界を展開できる魔法陣の上に鯖を置き、四十八時間は冷凍だ。
場所はまた冷蔵庫代わりの箱でいいな。
ここまでやれば、いかに異世界の寄生虫が魔術の探知をすり抜け且つ強力でも、さすがにくたばるだろう。
水分は予めしっかりと出したので、解凍してもそれほど味は落ちないはずだ。
残った鰯にも締めの工程を施し、今日の作業を終えた。