158話 サーペント釣り
男はロバーツと名乗った。
日に焼けた肌に服の上からでもわかる逞しい筋肉。
身長も既に百八十に届いていると思われる俺とほとんど変わらない。
いかにも海の男だ。
服装から見ても、恐らく船乗りだろう。
それなりに上等な上着を着ているので、下っ端ではないはずだ。
腰に佩いているカトラスっぽい剣も安物ではない。
さて、俺の身分を知っているこの船乗りは何者でしょう?
その問いへの一番のヒントは、服装ではなく彼の顔にあった。
「お察しの通り、あの偏屈の警備隊長は俺の兄貴だ」
ロバーツは俺に街を案内してくれた警備隊長ロジャースの弟だった。
ロジャースにロバーツ。
顔だけでなく名前まで似てやがる。
まあ、海の方がロバーツなら覚えやすい。、
地球に実在した某海賊に居るからな。
そういえば、ロジャースの実家は漁師だと言っていた。
ロジャースが兄で軍人ということは、実家は弟のロバーツが継いだのか?
「で、俺は魔大陸への定期船の船長をやっている」
違ったようだ。
話を聞くと、どうやら俺が乗る予定の船『ラ・フォルトゥーナ』の船長のようだ。
当然、偶然の出会いなどということも無く……ロジャースが来させたのかな。
「俺のことは、ロジャース殿から聞いて?」
「いや、兄貴からは……偉そうに振る舞うことにも慣れてねぇ、根っからの武人だって聞いていたからな。仰々しく事前に挨拶なんざしに行っても、困らせるだけかと思っていたんだが……」
ロジャースからはそんな風に見えていたのか。
初対面で将軍と警備隊長という身分があるので、お互いに相応しい態度を取っていたつもりだが、やはり違和感はあるのか。
「まあ、何だな。将軍様っぽくはねぇな」
「そうですかね?」
「そうさ! 現に、こうして俺が普通に喋っていても、無礼者とか愚民とか言わねぇだろ」
ロジャースも俺は理解のある方だと言っていたな。
今まで王都からガルラウンジに来た連中は、皆どれだけ非常識のクズだったんだか……。
「だから、あんたも堅苦しい喋り方なんざやめてくれや。後が怖くならぁ」
「なるほど、そういうものか」
相手が明らかに年上だと敬語で喋ることが多いが、ロバーツの場合は困るだろうな。
王国軍の将軍と定期船の船長では、明らかに前者の方が立場は上だ。
俺の方からも砕けた口調で話した方がいいだろう。
「ところで、だ。市場の連中から妙な噂を聞いてな。余所から来た若い騎士が、銀貨の大盤振る舞いで、魚のアラやらイールやら、妙なものを大量に買っていったんだと。それ、あんたのことだろ? 気になって様子を見に行こうとしたら、今度は自ら海辺に出向いて釣りをするって言うじゃねぇか。一体何がしたいんだ?」
どうやら、ロバーツが来た理由はそちらのようだ。
釣れたての新鮮な魚が欲しい旨を伝えたら、ロバーツも自分の釣り竿を持ってきて、俺を手伝ってくれた。
熟練者の協力とアドバイスのお陰で大漁だ。
鯵、鰯、鯖が数十尾、それに例のバラクーダエッジも十尾ほど、俺の魔法の袋にプラスされた。
因みに、バラクーダエッジはほとんどロバーツが釣りあげたものだ。
彼は慌ててリールから手を放しかけたが、そんな勿体ないことを許す俺ではない。
泣きそうになるロバーツを説得して、海面近くまでバラクーダエッジを引き揚げさせ、魚影が見えたら俺の“放電”の出番だ。
ギリギリまで引き寄せて電撃でスタンという戦法は、現代のカジキ漁なんかでもやっていたはずだ。
そんなわけで、俺は予てから準備していた料理に着手するのに、十分な量の魚を手に入れたわけだ。
「ロバーツ船長、あんた最高だ!」
「お、おう……生きた心地がしなかったぜ」
しかし、港町の堤防から釣ってこの釣果か。
擦れていないうえに魚の密度が濃い。
それに、この五十センチの鯖など、前世なら船で沖に出なければ釣れない大きさだ。
どういうことだとロバーツに聞いたら、沖には大型の水棲の魔物などの強力な敵が居るため、小型や中型の魚は堤防からでも狙える距離に多いそうだ。
「で、釣った魚をどうするって?」
「すぐに下処理をする。とりあえずは内臓を抜いてしまおう」
塩や酢で締める工程では一時間ほど置く必要があるので、ここで全ての下ごしらえを終わらせることはできないが。せめて刃物と水だけで済む処理はしておこう。
俺は一旦魔法の袋に仕舞ってあった先ほど釣った魚を取り出し、ハンティングナイフで捌き始めた。
ヒルトが小さめで戦闘には向かないナイフだが、獲物の解体や細かい工作などにはもってこいだ。
贅沢にウルズの水差しから出した水を惜しまず使い、ナイフの峰で鱗を落とし、腹を裂いて内臓を取り出し、血を掻き出しながら水で洗う。
“分析”と“探査”で寄生虫を探り、念のために解毒魔術もかけておく。
鯖は釣った直後に首を折り魔法の袋へ仕舞う前に内臓を抜いてあるが、それでも早く処理をするに越したことは無い。
手を離す度に必ず魔法の袋に仕舞っているため、前世の釣りたてと比べても鮮度はいいだろうが、この世界の寄生虫や中毒が予想以上に強力な可能性もあるのだ。
地球における鮮度を保ち食中毒を防止する手順と、魔術を活用した対策。
どちらもやっておくべきだろう。
手早く作業を進める俺を、ロバーツは興味深そうに見続けている。
「なぁ、安いマッカレルをここまで丁寧に絞めて……何の意味があるんだ?」
「生で食えるようにね」
「生だと!? そんなことをしたら、虫に胃を食い破られるぞ!」
さすがにロバーツは港町の人間だけあってアニサキスのことを知っていた。
「もちろん、内臓を取ったからといって安心とは言えない。特にマッカレルは。ただ、アニサキスはマイナス二十度以下で四十八時間も冷凍すれば死滅するんだよ。要は……魔法陣を使って氷よりさらに低い温度で二日も置けば、虫は死ぬってことだ。マッカレルは脂が多くて足も早いから、ヒスタミン中毒の対策としてビネガーに漬ける。米酢は無いからワインビネガーで」
「なるほど……言ってることは半分もわからねぇが、あんたがマッカレル一つに馬鹿みたいな手間を掛けることはわかった」
因みに、冷凍処理にはレイアに書いてもらった魔法陣を使う予定だ。
“氷結”を結界に組み込んだだけなので、術式としてはそれほど複雑なものではない。
頭脳明晰なレイアだけあって、氷点下や温度の概念もすぐに理解してくれた。
アイスクリームのように数分間冷やすだけなら、自分の魔術で“氷結”を使えばいい。
生鮮食品の保存というだけなら魔法の袋がある。
そんな事情で、今まで冷凍技術を使う機会は無かったが、いざというときのために用意しておいたのだ。
寄生虫対策でようやく日の目を見ることになったな。
そして、俺はロバーツが見守る中、釣った魚の内臓を抜いて洗い、青魚は三枚に下ろし、バラクーダエッジは開いた。
これで下処理は一通り終わった。
鯵はタタキに、鯖はしめ鯖に、鰯は刺身と酢で締めたもの両方でいこう。
バラクーダエッジは当然ながら干物にする。
「続きは船でやらせてもらうよ。船長の分も航海中には渡せるかと」
「お、おう。別に俺は……」
ロバーツは妙に警戒しているが、一度食えば病みつきになるから。
まあ、比較的アニサキスが寄生している可能性が低い鯵はともかく、鯖は冷凍できない状態で生はやめた方がいいけどな。
「さて、それじゃあ最後に大物でも狙うとするか」
俺は再び釣り竿を構えて海に向き直った。
何のことは無い。
ただ、釣り餌にしたスルメイカの切れ端がまだ残っていただけだ。
残った烏賊の身を全て釣り針で貫通する。
肝は塩辛にして人間様がいただくが、安い烏賊の身くらいなら全部くれてやるよ。
「うりゃ!」
俺は調子に乗って強化魔法を発動した勢いで、今までよりも遥か沖の方へ仕掛けを飛ばした。
まあ、港から船が出る航路からは外れているので大丈夫だろう。
「おいおい、将軍様よぉ。釣り餌を大量にぶち込んだからって、そう掛かりがよくなるわけ……」
「デカいのが当たるかもしれないだろ?」
「あんたが言うと本当に掛かりそうだから怖いよ……」
俺の冗談半分の予言通り、数分後、俺の竿は強烈な引きを受けた。
バラクーダエッジとは比較にならない、一発目の引きで感じた重量からして桁違いだ。
「くっ!」
「うぉい! 大丈夫か!?」
釣り竿をより一層強く握りしめた直後、俺はズリズリと海の方へ引き寄せられた。
フェアな勝負だ何だと言っていられる状況ではないので、俺は強化魔法を発動して、脚を大きく開いて踏ん張る。
海面に引きずり込まれるのは免れたが、それでも堤防の端ギリギリまで引き摺られた。
悪いがロバーツに答えている暇は無い。
このまま一気に勝負に出て、この大物を海中から引きずり出してやる。
「ふぉおおぉぉぉ!」
タイミングを合わせてリールを巻く余裕はないので、釣り竿ごと引いて欄干から後退し始めた。
しかし、直後の引き合いで俺の釣り竿からは嫌な音が断続的に発せられる。
「やべっ」
俺の釣り竿は王都の商店街で買ったありきたりな品だ。
どうやらこの大物を相手取るには火力が足りないらしい。
大きく撓った釣り竿の先端からビキビキと芯が限界を迎える音が出始め、ついに俺の釣り竿は真っ二つに折れてしまった。
俺の釣り竿は安物でこそないが、釣り人としてはほぼ素人の俺が貴重な一品ものを買う意味が見いだせなかったので、銀貨一枚に満たない値段の品をいくつか購入した。
数千円の釣り竿であれば、強度は十分だと思っていた。
現代のカーボン製のロッドと比べても、そう劣るものではないように思えたのだ。
しかし、今回は相手が悪かった。
糸や針をどうこうされる前に、竿を破壊されてしまうとは……。
「くそ! 逃がすかっ」
「お、おい……」
大物の気配が徐々に遠ざかっていく。
今は“探査”の範囲内だが、沖に出られて海中に逃げられたらお手上げだ。
いや、逃がすだけならともかく、敵は船着き場の入口辺りを通るつもりのようだ。
これは見過ごせない。
行きがけの駄賃に港を破壊されては堪らないからな。
俺は欄干を蹴って飛行魔法を発動し、獲物を空から追いかけた。
しかし、次の瞬間、水面から空中の俺に向かって一筋の魔力の線が接近する。
「っ! 危ねぇ……」
水属性の魔力が収束したブレスだ。
体を回転させて躱したが、魔力反応の大きさからそれなりの威力だと思われる。
こりゃ、完全に高ランクの水棲の魔物だな。
この段になると、港の近くに強力な魔物が出現したことに街の人間も気づき、船着き場や堤防付近が俄かに騒がしくなる。
もう少しすれば、衛兵や冒険者など戦える者たちが集結してくるだろう。
しかし、今この魔物に一番近いのは、上空からずっと追跡している俺だ。
あのレベルのブレスを吐く魔物が相手では、この街の警備隊や冒険者に丸投げして帰るわけにはいかない。
何より、奴は一度俺の竿に掛かった獲物である。
逃がすのは癪だ。
こちらから敵の姿は見えないが、“探査”で大体の位置はわかるので、俺はその場所に向かって海面越しに攻撃を仕掛けた。
「ふんっ!」
“倉庫”から出した投げ槍を、敵の位置に向かって数本投げ込む。
もちろん“ブースト”をかけてだ。
一瞬、“レーザー”の魔術でも撃ち込もうかと思ったが、水中でどれだけの精度や威力を保てるか疑問だったので、物理で攻めたわけだ。
街の近海に爆弾を投げ込んだり火魔術をぶち込んで海を干上がらせたりするのも、後々に問題になりそうだからな。
とはいえ、槍が何発か命中した程度でくたばる相手ではなさそうだ。
俺は続けて魔力を練って攻勢に出続ける。
ここまでくると、俺にも有効な魔術の当たりはついていた。
「――“津波”」
「ギュルオォォオオオォォォォォン!!」
海水に干渉する形で魔術を制御しているので、かなりの深さから海をひっくり返したように水の柱が立ち上がった。
大型の敵も急な水流に呑まれて海面から上へ投げ出される。
敵の姿が露わになった。
全長十メートルを超える、鰭の付いた海蛇だった。
シーサーペントだ。
つい最近、ロジャースに見せてもらった冒険者ギルドの資料にも乗っていた。
「うわぁぁあああぁぁ!」
「シーサーペント!」
「何でこんな近くに!?」
「軍は何をしている!」
悲鳴を上げる港の連中のお陰で、こいつの正体が保証された。
そりゃ、並の釣り竿なんかへし折られるわけだ。
何せAランクの魔物だからな。
俺は空中のシーサーペントに追撃をしようと魔力を練り始めたが、敵も高ランクの魔物だけあってそれを察知したのか、空中で身を捩ってより早く海に着水する。
先ほど俺が投げてシーサーペントの体に浅く刺さっていた数本の投げ槍が、海面に激しく接触した衝撃で抜け落ちた。
シーサーペントは水棲の魔物だ。
当然、その戦闘能力は水中でこそ存分に発揮される。
このまま潜らせたら、今度は簡単に引きずり出されてはくれないだろう。
「“プラズマランス”」
俺は構成していた魔術を、シーサーペントの体より幾分か下に狙いを付けて発射した。
準備していた“プラズマランス”で土手っ腹をぶち抜いて止めを刺すことは叶わなかったが、それなら次に繋げればいいだけだ。
シーサーペントは自身の胴体の下を高熱の槍が通過していったことで、潜水を妨害されて動きが止まった。
海面に着弾した数万度の熱を帯びる光の槍によって、一瞬だが水蒸気の霧が広範囲に立ち込める。
その時には、俺は既に“倉庫”から鈎鎖を取り出していた。
「ふん!」
俺が投擲した魔導鋼の鈎鎖は、うまい具合にシーサーペントの口に飛び込んだ。
先ほどのちっぽけな釣り針とは比較にならない強烈な食い込みが、シーサーペントの口内を襲う。
「ギュァシャャャアアアァァァァァ!!」
シーサーペントは激痛に身を捩りながら海中に逃げようとした。
ベヒーモスに比べれば力は弱いが、それでも十メートルを超える巨大な魔物の膂力である。
俺は強化魔法があるとはいえ足場の無い空中、それに対して向こうは自分の運動能力がフルに生かせる水中だ。
このまま力比べをしては、持久戦になってしまう。
俺は鎖を握る手を緩めることなく、魔力を制御して魔術を発動した。
「“放電”」
鈎鎖の材質は魔導鋼だ。
魔力剣の要領で制御した魔力が通りやすく、金属表面に魔力を帯びやすい。
テーザーの要領で継続的に流し込んだ雷属性の魔力は、鎖を伝ってシーサーペントまで到達する。
シーサーペントは見事に感電し、俺との綱引きが全くできなくなるほど完全に麻痺した。
「――“津波”」
再び発動した俺の魔術で、シーサーペントは抗う術なく巨体を波に押されて、船着き場の方へ流れる。
そのままシーサーペントを曳いて行き、鎖を持ったまま着陸できる位置まで来ると、俺はようやく大地を足で踏みしめた。
欄干ギリギリだが、空中よりは遥かに勝手がいい。
俺はしっかりと両足を踏ん張りながら強化魔法の出力を上げ、一気に鎖を引いて鈎部分を振り上げた。
「ふぬぅ!」
シーサーペントの巨体が宙を舞った。
この段になると、敵も麻痺から回復し始めており、緩慢な動作ながらも空中で俺に向き直ってブレスを吐こうと試みる。
しかし、俺もただシーサーペントを陸地に向かって放り投げたわけではない。
俺の手には既に“倉庫”から取り出した真・ミスリル合金の大剣があった。
俺は地面を蹴って上空のシーサーペントに向かい飛び出す。
「ギュルァァ!?」
遅い。
シーサーペントが口元に魔力を収束する前に、俺は魔力を通した大剣を敵の首に向かって振り抜いていた。