154話 旅立ちの準備
運送ギルドの馬車で王国北部沿岸に位置する港町ガルラウンジに向かう前に、俺は王都の知り合いにしばらく留守にすることを伝えた。
かなり長く王都を空ける予定だが、挨拶は意外と軽いものだった。
オルグレン伯爵家の面々は誰も俺の心配をしてくれない。
レイアもメアリーもファビオラもカーラも、エドガーやロドスに至るまで、俺は五体満足で帰ってくると確信している。
「いってらっしゃい。楽しんできてね。あなたが死ぬほどの状況なら……中央大陸も消し飛んでいるわね」
「大丈夫ですわ。クラウスをどうにかできる敵なんて、想像できませんもの」
「クラウスさん、お土産は期待しているのです」
「あなたはフィリップ様の護衛を務められるほどの騎士。心配など無用ですね」
「クラウス殿は王国最強の戦士です。未知なる大陸でも、その力は必ずや通用することでしょう」
「イェーガー殿、休暇を楽しんでくるのであるな」
これは信頼というより人間扱いされていないような……。
フィリップに至っては自分も来たそうにしていた。
いや、当主の君を魔大陸なんぞに行かせられないから。
代われるものならなら代わってほしいけどさ。
「って、ロドスさん! これを休暇扱いされちゃ堪らないんですけど!」
「しかし、運送ギルドとしては、魔大陸に人をやる理由は無く、イェーガー殿が向こうで仕事をしているとは言い難い……いや、吾輩の貧弱な発想力では先入観を拭えないだけで、イェーガー殿ならば途方もない事業の拡大を……」
「あんた鬼か!?」
確かに、現在の魔大陸との交易といえば、ガルラウンジとサウスポートの定期船だけだ。
手荷物で持てる量の商品でそれなりの利益になるほど、貿易の規模は小さい。
別の海路を確保するなり現地に拠点を開拓するなり、交易の規模を広げて運送ギルドを噛ませれば、その利益は莫大なものになる。
しかし、俺はサウスポート周辺の調査と可能ならば魔物の討伐に秩序の回復という重大な任務を引っ提げている。
これだけでも普通は無理ゲーだ
何せ、行き先はラスボス前ダンジョン並みの危険地帯である。
これでさらに運送ギルドの営業もしろってか?
ランドルフも新しい商品と交易路の開拓をそれとなく匂わせてきたのだから呆れる。
フィリップはニヤニヤやしながら俺の肩を叩いてきた。
「クラウス、去年の南部での働きは素晴らしかった。レッドドラゴンもそうだが、現地の食材で新たな料理を開発したのは見事だ。貴公ならば、魔大陸においても同じくらいの活躍をしてくれると信じておるぞ」
この野郎……。
俺が去年のパーティーの準備から逃げたことを根に持ってやがるな。
「運送ギルドも我々の舌も満足する土産を期待する」
「……向こうにあったらな」
俺の飯すらマトモなものが食えるかどうかわからないというのに……。
飯で思い出したが、出かける前に俺の食事を買い溜めしておかなければ。
向こうにまともな食材があるとも限らないから、これが無いと生死に係わる可能性がある。
ワイバーン亭の大将とコルボ―とミゲールに、数か月分の料理をまとめて注文した。
鍋はこちらからの持ち込みだ。
魔法の袋があるので、保存には困らない。
ワイバーン亭からはシチューやスープの煮込み料理を鍋ごと、パストラミやカツレツのサンドイッチは大皿で数枚分を受け取る。
肉を塩コショウで焼いたり揚げたりするくらいなら自分でもできるが、ワイバーン亭の味が恋しくなっても、自分ではどうしようもない。
結構な期間、ここに戻って来ることができないのだ。
大将にしか出せない味のものは、可能な限りストックしておこう。
「デミグラス系の万能ソースも用意した。これなら現地で調達した肉にも合わせやすいだろう」
鍋一杯のデミグラスとはありがたい。
とりあえず火を通した食材の上に掛けるだけで、それなりの味になるからな。
コルボ―にも彼の屋台特有の味付けの料理を頼んでいる。
甘辛いタレが絡んだ鶏やバジリスクやワイルドボアの串焼きに、カラッと揚がった衣に香草が香る串揚げ、最近増えてきたつくね串っぽいメニューは追加で頼んだ。
これも彼の店でしか食べられない味だ。
「魔大陸ねぇ……。親父が生きていたら、何かしら聞けたかもしれねぇが……悪いが向こうの食料事情なんざ知らねぇな。ま、うちの料理に比べれば、相当劣るんじゃないか?」
そういえば、コルボ―の種族は魔族に近いと言っていたな。
しかし、彼自身は王国育ちなので、魔大陸の情報を得ることは不可能だ。
続いてミゲールのスイーツ店だ。
彼には焼き菓子の類も大量に注文したが、珍しくクリームたっぷりのケーキもホールでいくつか頼んでいる。
中世の未開地ともなれば、どう考えても甘味は少ない。
普段はレイアたちほどスイーツに執着しているわけではないが、長旅のストレスで無性に甘いものが食べたくなることもあり得る。
「はいよ。大量に注文してくれたからな。装飾付きの木箱はサービスだ」
洗練された菓子は贈答用の品としても有用だ。
役に立つかもしれないな。
まあ、基本的には俺の分としての購入だが。
そんなわけで、俺は現地で手に入りにくい料理を優先的に確保したわけだ。
これだけあれば、魔大陸が味覚の砂漠でも、しばらくの間は持つだろう。
しかし……商店街の人々も、俺が魔大陸に行くと知っても、心配する素振りは微塵も見せないな。
長い付き合いなので、どうかご無事での一言くらいあってもよさそうなものだが……。
まあ、物資を用意してくれるだけでもありがたい。
唯一、行きつけの武器屋ではアンが少しだけ顔を曇らせた。
投げナイフと投げ槍とクロスボウの矢を補充しがてら顔を出したが、俺の癒しはここにあったか。
「お兄さん。まだ、あなたの魔剣、完成してない」
うん、わかっていました。
色気のある話なんか存在しないことは。
あと、予備の銃弾を持ってきた親父さんの顔が怖いから、もう少し離れてください、アンさん。
ラファイエットも餞別をくれた。
「これは……」
「転移結晶アルね」
「っ!」
ボルグたちが持っていたあれか!
現代の錬金術では最上級に分類される超高級品だったはずだ。
「原材料は君持ちだから問題ないアルよ」
ラファイエットがくれた転移結晶は全部で十六個。
大きめの歪な石が十個に、二つずつまとめられているサイズも形もお揃いの石が六個の三セット。
大きな方はランダム型で残りの三セットは設置型らしい?
「え~と……」
「……私の授業を忘れているアルね?」
さーせん。
ラファイエットは改めて説明してくれた。
まずランダム型の転移結晶は完全な逃亡用だ。
一般的なものは飛ぶ距離も方向もランダムで、とにかくその場から離れたいときに使う。
安物だと同時に転移した仲間がバラバラになることもあり、空中に飛ばされる可能性もあるとのことだ。
リアル『石の中に居る』をやらかすわけか。
それでも、一度しか使えない割に、結構なお値段の魔道具なのだが……。
「……これは問題ないアルよ。距離は五十キロぴったりで固定、地面に接触した状態で転移するようになっているアルね。密着すれば五人は同時に運べるから、とにかく逃げたいときに使うといいアルね」
普段ならそんな後先考えない運任せの道具など使わないが、魔大陸では何があるかわからない。
危険なときは躊躇わずに使うようにしよう。十個あるからな。
もう一方の設置型は対になっている結晶の方で、予め片方の結晶を起動して目的地に置き、外出先で手持ちの結晶を使ってその場所に飛ぶのだ。
一方通行でこれも使い捨てだ。
ダンジョンの転移装置には程遠いレベルらしいが、セキュリティのためにはそれでいいのではないかね。
自分の持っている方の転移結晶を目標にして転移できるのであれば、逃走用が逆に襲撃に使われかねない。
何度も使える転移結晶など、それこそダンジョンの転移装置と同じレベルのアイテムだ。
盗人に狙われるリスクも段違いだろう。
「まず言っておくアルが、今回は数を用意することを重視したので、近衛騎士が国王陛下を逃がすのに使うものほど高級品ではないアルね。あれは十人以上を同時に運べて、飛べる距離も長い。王都が戦場になっても、安全な場所へ護衛を引き連れて転移できるアルよ。行き先の拠点はいくつか確保しているアルが、中には国外も……」
なるほど。
って、近衛騎士団の機密情報をペラペラと……。
しかし凄ぇな。
事前に目的地に結晶を仕込んでおくことが必要とはいえ、一個分隊を数百キロも飛ばせるのか。
ラファイエットの情報漏洩によると、拠点の方も抑えられていた場合のために、最後の手段として千キロの距離を飛ばすランダム型の転移結晶も常備しているらしい。
「それで、こいつの性能はどれくらいです?」
「飛ばせるのは一人だけアルが、距離は少し多めにできたアルね。歩兵なら三日は必要な距離を戻れるアルよ」
百キロを圏内なら大丈夫そうだ。
魔大陸から中央大陸に戻ってくるのは無理だが、王都近辺での冒険者活動の行動範囲を鑑みるに、サウスポート周辺で使う分には問題ないだろう。
宿の部屋にでも置いておけば、町の外に出てもよほど遠くまで飛行魔法で飛ばない限り、直接戻って来れそうだな。
こういうアイテムを待っていたんだよ。
「ラファイエット先生、ありがとうございます。本当に助かります」
「魔大陸の魔物の素材、期待しているアルね」
気楽なことを……。
果たして現地でその余裕があることやら……。
おっと、もちろん例のお嬢様にも挨拶はしましたとも。
忘れたら後々ヤバイ。
「話は父から聞きました。間諜の件は我々にお任せください。ふふっ……」
キャロラインは冷たく嗜虐的に微笑んだ。
うん、彼女は性癖がドSなだけで、人間的にそこまで歪んでいるわけでは……ないこともないような……。
ロベリアよりはマシだろう、多分。
「イェーガー将軍、魔大陸は桁違いの危険地帯と聞き及んでいます。一度行ったきり行方不明になった腕自慢や高ランク冒険者は数知れず。聖騎士のあなたでも、命を落とす可能性が現実味を帯びることでしょう。どうか、お気をつけて」
正直、キャロラインから身を案じるセリフが聞けるとは思ってもみなかった。
最初は人が瀕死になっているのを見て興奮する変態サド女だと思っていたが、さすがにそこまで不謹慎ではないようだ。
それとも……初対面の頃とは少し変わったのかな?
しかし、俺が驚いていると、キャロラインは俯いてしまった。
「失礼、差し出がましいことを申しました。未開地の危険性など、軍属とはいえ文官に言われるまでもありませんよね」
「いえいえ、とんでもない。キャロライン殿だけですよ。俺を心配してくれたのは」
「そ、そうですか……」
そうですとも。
他は俺を人外扱いする薄情な連中ばかりだ。
しかし……こうもはっきりと口元の緩んだキャロラインは珍しいな。
いいことでもあったか?
何はともあれ、挨拶回りは済んだので、俺はパウルの操る馬車に乗って王都を後にした。
北部へ行くのは初めてだったが、パウルも熟練の運送ギルド構成員なので道に迷うことなど無い。
道中で遭遇した魔物や盗賊は俺が先制して片付ける。
順調な旅路だ。
途中、カーラの実家のグレイ公爵領には何日か滞在することになったが、予定には大して狂いは生じていない。
そして、パウルが手綱を握る馬車は王国最北端の港町ガルラウンジに到着した。