153話 新たな任務
メアリーの誘拐事件と因縁の敵ボルグたちとの死闘から数か月。
もうすぐ、俺やフィリップたちは魔法学校の4年に、アンは2年に進級する。
いつも通りオルグレン伯爵邸でデスクワークに勤しんでいた俺は、いきなり王城からの呼び出しを食らった。
まだ暑いってのに……ご苦労なことだ。
「よく来たな、イェーガー将軍」
「……はぁ、どうも」
呼ばれたのは俺一人にもかかわらず、国王直々のお出迎えだ。
宰相のデヴォンシャー公爵に筆頭宮廷魔術師のヘッケラ―まで居る。
王の御前なので勝手に会話するわけにもいかず、二人とは軽く会釈を交わしただけで済ませた。
しかし……この状況は悪い予感しかしないな。
「それで……今日はどういったご用件でしょうか?」
「まあ、そう焦るでない。イェーガー将軍も少し寛ぐがよいぞ」
焼き菓子が山盛りになった皿のタワー越しに、リカルド王は俺に微笑みかける。
「この紅茶はグレイ公爵領で栽培しているものでな。茶菓子も王室御用達の品だ。美食家のそなたもこれなら満足するであろう」
あぁ……これは相当面倒くさい話だ。
わざわざ国王自ら俺なんぞの機嫌を取るような真似をする意味は、この後に言い渡される面倒事への予防線だ。
大規模な魔物の群れやSランクモンスターの討伐の仕事なら、その程度の話であれば、国の重鎮が雁首揃えて出張ってくる必要は無い。
客観的に見れば重大事件だが、聖騎士の出撃要請が来る時点で、それなりに危険な状況なのはいつものことだ。
任務の通達に関しては、俺を軍務局や騎士団の指令室に呼び出すか、もしくはヘッケラ―経由で伝えればいい。
はてさて……。
一体、何事やら。
「……申し訳ありませんが、本題に入るまでの時間が延びるほど胃痛が進行しそうです。早いとこ、話しちゃくれませんか」
「……わかった。心して聞くがよい」
少々、不敬に過ぎる言葉遣いになったが、リカルド王は気にせず話を進めた。
この国の最高権力者は俺に念押ししてからゆっくりと口を開く。
「イェーガー将軍には魔大陸に行ってもらいたい」
「……左遷ですか?」
「違う」
数秒間のフリーズの後に俺が導き出した結論は、すぐさまリカルド王に否定された。
そうか……。
この王様は真面目に言っているのか。
一般人なら死刑以上の懲罰になりそうな任務を、通常業務の範囲として命じているのか。
ブラックだな。王国軍って。
「説明しよう。余は何も嫌がらせや思いつきで言っているのではない」
そう願いたいね。
魔大陸といえば、中央大陸の北にある危険な未開地だ。
いや、未開地なのか巨大な国家が存在しているのかすらわからない。
まともな情報があるのは、交易拠点である南端の港町サウスポート近郊までだ。
中央大陸の北端は王国の領土で、そこの港町ガルラウンジからはサウスポートへ定期船が出ており、それが唯一のルートである。
ガルラウンジの領主は確かグレイ公爵の寄子だったな。
とはいえ、ガルラウンジの港は西の帝国や中央大陸の北東との交易がメインであり、魔大陸に向かう人間は少ない。
無事に帰ってくる者もごく一部だ。
そんな状態では、入手できる情報も少ないのも当然だろう。
わかっているのは、中央大陸ではフロンティアに踏み込まなければ滅多に遭遇しないAランクやBランクの魔物が、魔大陸ではサウスポート近郊にも頻繁に出没するということくらいだ。
俺だって実家の森の奥で初めてグリフォンを見たときは大騒ぎだった。
魔大陸では町の一歩外がこちらの魔物の領域と同じ。
そりゃ、普通の人間がサウスポートよりさらに先へ進むなんて無理な話だ。
はてさて……うちの王様は何だってそんな場所に俺を向かわせたいのか?
「事の発端は、サウスポートから帰還した商人たちによって齎された報告だ。最近、魔大陸で強力な魔物が異常に増えているらしい。その影響が中央大陸との交易拠点であるサウスポートにも及んでいる。街の近くの魔物の密度がさらに高くなり、街道沿いでも頻繁に戦闘が起こるようになった。現地の高ランク冒険者が大勢死んでいるらしい」
そりゃ、ヤバいな。
冒険者ギルドというものは、冒険者個人の身分証明こそ万国共通で使えるものだが、管理主体は各国ごとに違う。
世界共通の議会や権力中枢は存在しない。
俺が直接見たわけではないので断定はできないが、魔大陸の高ランク冒険者ということは、戦闘能力に関しては王国より平均レベルが一段か二段は高い可能性がある。
そんな連中が次々と戦死するような状況とは……。
「また『黒閻』ですかね?」
「不明だ。魔大陸の北の魔物が南下しているのか、サウスポート近くで繁殖しているのかも不明だ。しかし、物流や物価には顕著な影響が見られる。現地では武具やポーションの類の価格が上がっているようだ。ただでさえ少ない中央大陸との連絡船も、さらに運航を減らすかもしれぬ。もっとも、このような状況で魔大陸に渡る人間など多くはないが……。その商人たちもサウスポートの近くにワイバーンの群れが出現した時点で、慌てて帰って来たそうだ」
寧ろよくそこまで粘ったな。
ワイバーンの群れが襲ってくる状況などSランク冒険者でも危ない。
「他に情報は?」
リカルド王に促されたヘッケラ―が答えた。
「魔大陸に生息する魔物に関する情報は大幅に更新されました。その最近増えているという魔物に関しても、現地の冒険者から直接聞き取った内容が、ガルラウンジの代官経由で報告されています。クラウス君の分も写しを用意してありますので、後で渡しますね」
王権による統制が隅々まで敷かれた国ではないとはいえ、件の商人たちは結構な諜報活動を成し遂げたようだ。
「そこでだな……サウスポートに王国政府からも人をやるべきではないかとの意見が上がった。余の勅命を受けた人間を派遣すべき、とな」
大体の事情は理解した。
王国としては、数こそ多くないものの珍しい品を仕入れることができる魔大陸で唯一の交易地サウスポートの異変を見過ごせない。
現地に行って魔物の鎮圧と定期船の運航の確保ができればベスト。
建前としても、せめて状況を確認するための人間を送らなければ示しがつかない。
しかし、現地はラスボス前の最終ダンジョン並みの魔境。
一介の商人よりも信憑性の高い報告を求めるだけでも、それなりのポジションの者を派遣する必要があるが……まあ、志願する奴など誰も居ないわな。
「なるほど。それで結局、俺にお鉢が回ってきたと……」
「うむ、その通りだ」
しかし、人を送れと言っておいてリカルド王の勅命にしろとは無責任な……。
国王からの勅命が士気と報告の信憑性を上げるなどと抜かしたのだろうが、要は自分の提案として責任を取りたくないだけだ。
なら最初から口を閉じていればいいのに……何をしたいのだか。
文句や指図をしないと死ぬ病気にでもかかっているのか?
その意見を上げたという奴は、エンシェントドラゴンのときの宮廷貴族みたいな連中に違いない。
「とりあえず、その具申した口だけ野郎を切り刻んでやりたいですね。話はそれからで……」
「まあ、そう急くな。イェーガー将軍、この件をそなたに任せるにあたって、もう一つ重要な背景があるのだ。カーライル」
リカルド王の促しで、今まで一言も喋らなかった宰相デヴォンシャー公爵が口を開いた。
「実は、イェーガー将軍を推薦したのは私なのだ」
「え?」
俺、デヴォンシャー公爵がキレるようなこと、何かしたかな?
まさか、キャロラインを嫁に貰わなかったことを根に持って!?
「……別に悪意があってやったことではない」
「あ、そうなんすか?」
「……何故、意外そうなのだ……」
デヴォンシャー公爵は怪訝な顔をしていたが、やがて気を取り直して説明を続けた。
「魔大陸に王国の人間を派遣する案を出した連中はいい。奴らは何も考えておらぬからな。私が様子を見ていたのは別の括りだ。ごく僅かだが、公国との関係を慮りイェーガー将軍を遠征させると、彼奴等に匂わせたのだ」
何となく読めてきたぞ。
魔大陸の件のついでに、溝が深くなった公国の方にも対処しようというわけか。
「要は、公国との戦争の火種になりそうな張本人を遠ざける、という名目だ」
「話は分かりましたが、それでいいのですか?」
デヴォンシャー公爵の側から言い出したとはいえ、その無責任な連中の言い分を聞いてしまった形だ。
魔大陸への人員の派遣に関しても、俺を遠ざけるという話も。
馬鹿は配慮してやってもつけ上がるだけだぜ。
「うむ、今のは建前だ」
「やっぱり……」
確かに、外交のポーズだけで満足するおっさんたちじゃないよな。
「イェーガー将軍、そなたも聞いているかもしれぬが……最近、他国の間者が増えておるのだ」
リカルド王の言葉で俺は納得した。
そういえば、軍務局の方からもそんな話を聞いていたな。
公国からのスパイだけでなく、公国との関係がギクシャクしている隙を突いて、奴らは活発に活動している。
「案の定、君の派遣に乗り気な連中は、ほとんどが公国や周辺各国との関係が深い連中だったよ。公国に近い者たちは、いつもは無駄に慎重な風見鶏ですら、遠回しに賛成してきた」
王国の戦力の象徴である俺が留守にすれば、スパイの動きはさらに活性化する。
内通する連中の尻尾も掴みやすくなるというわけだ。
俺が王都に居るからって、スパイを狩れるわけではないのだが。
「俺が消えたことで油断してはしゃいでいる阿呆どもを一網打尽にするわけですね。煮るなり焼くなり……泳がすなり」
「そういうことだ」
リカルド王は悪い笑顔で肯定した。
「内偵の指揮はデヴォンシャー公爵が?」
「君にも予想はついているだろう? 娘が張り切っているよ」
「なるほど……」
まあ、一般市民に紛れ込んだ他国のスパイなど、俺にはどうしようもないからな。
俺を狙ってきた暗殺者や盗人なら、いくらでもぶっ殺してやるのだが。
手練れの諜報員とやり合うなど、直接戦闘にでもならなければ、俺は役に立たない。
おとなしくキャロラインと軍務局に任せるとするか。
「まあ、そういうわけだ。イェーガー将軍はのんびりと魔大陸を見物してくるがいい。あの危険な魔境も、そなたにとってはウサギ狩りと変わらぬであろう」
王様よ……これを休暇と言われちゃたまらん。
休みはきっちり貰う予定だぞ。
しかし……実家の森奥のフロンティアと同じだと考えれば、バカンス感覚で行けるのかな……?
いや、魔大陸は未知の危険地帯だ。
侮るわけにはいかない。
「クラウス君、現地の魔物の生態の資料などは渡しますが、『冥界の口』以上に厄介な存在と遭遇するかもしれません。くれぐれも、警戒は怠らないように」
「ええ、わかっています。魔大陸でここまでの天変地異が起きるということは、『黒閻』が関わっている可能性もありますし」
ヘッケラ―の言葉で、俺は魔大陸の騒動の背景に関して、最悪の想定を改めて認識した。
その場合は、とてもではないが一人では対処できない。
定期的な連絡は絶やさないようにしよう。
フィリップから借りた通信水晶がまた役に立ちそうだ。