145話 強敵、再び3.5
キャロラインにイェーガー士爵領のことを引き継いで故郷を飛び立った俺は、そのまま高度を上げて真っ直ぐ王都方面に向かった。
俺は体内で魔力を操作して体の動きを補助するセンスも体外で魔力を扱う技量もあるので、空を飛べば馬車よりは遥かに速いが、それでも一瞬で王都まで到着するかといえば、そんなことはない。
前世のラノベやゲームに登場する魔法使いは、簡単にジェット機レベルの移動を実現するが、この世界では魔術の構成的にもその他諸々の事情でも不可能だ。
まずスピードがそこまで出せない。
飛行型の敵と戦うときには致し方ないが、人里近くを高速でかっ飛ばすわけにはいかない。
街道沿いとはいえ、森や茂みにどんな魔物や脅威が潜んでいるかわからないうえに、他人とぶつかれば大事故だからだ。
予め視認できない長距離を航空機並みの速度で飛ぶのは危険すぎる。
高度を上げれば問題ないかと思いきや、飛行魔法自体が体内と体外の両方で精密な魔力の制御を要求されるものである以上、一歩間違えば急降下して、地上に文字通りフライングヘッドバットをお見舞いすることになる。
俺自身は強化魔法によって無事でも、下に民間人が居たら悲劇では済まない。
法定速度を守らない飛行魔法には、無謀運転致死に直結する可能性があるわけだ。
空中機動の制御プラス歩行者への配慮。
はっきり言って、車の運転よりも気を遣う。
当然、前世の俺には飛行機どころかヘリの操縦経験すら無いわけで……。
素人がヘリの操縦桿を握っているようなものなのだから、長距離飛行はかなり脳みそが疲れる。
車の運転ですら、高速道路を長い時間飛ばした後は甘いカフェオレが妙に美味しく感じるのだから、長時間の飛行がいかに消耗する行動かわかるだろう。
当然ながら、構成に無理がある効率の悪い魔法である以上、魔力の消費量も多い。
俺の魔力量ならば問題ないかと思いきや、意外なところで強敵と遭遇する可能性を鑑みれば、飛ぶだけで魔力を大幅に消耗するわけにはいかない。
一日の間で移動に割く時間も馬車を使う場合より短くなる。
そんなわけで、俺の飛行魔法が速いからといって、一瞬でフィリップのもとまで飛んで行けるわけではないのだ。
何度か休憩を挟みつつ、レイアに貰った警戒用の結界魔法陣を張って夜を過ごし、どうにか王国東の国境付近に到達した。
途中、王都郊外のオルグレン伯爵邸に寄り、エドガーとカーラから直接状況を聞いている。
ついでにフィリップたちが痕跡を見つけた場所を俺も経由し、キャロラインから借りた例の『フェアリースケール』の中毒者の痕跡を感知する魔道具を使ってみた。
結果は大当たりだった。
誘拐犯が偽造に使ってから乗り捨てたと思わしき荷馬車には、見事に『フェアリースケール』の痕跡がべったりとついていた。
汗や垢や大小便から『フェアリースケール』の代謝物を検出できるというのは本当のようだな。
俺が公国との国境に近づくと、国境線近くには王都から派遣された軍隊が駐留していた。
周辺諸侯も一部は兵を集めているが、さすがに全てを国境に集結させたりなどしたら、公国に宣戦布告と取られる可能性があるので控えているとのことだ。
王国貴族の側室を攫って逃亡した賊が、公国に潜伏している。
この事実だけでも、両国の間にかつて無いほどの緊張が走るのに十分すぎる。
おまけに、つい先ほど俺の報告によって、誘拐犯は軍務局が指定する違法薬物をキメていることが明らかとなったのだ。
最前線には公国を刺激しない程度の規模の軍を王都から派遣して様子見、という状態になってはいるものの、諸侯軍の編成が完全に済んでしまえば、いつ勇み足をやらかすかわかったものではない。
勇者であり当事者でもあるフィリップが僅かな手勢とともに公国へ入国したことも、周辺諸侯をおとなしく待機させる説得材料にもなるが、同時に一歩間違えば開戦の大義名分になってしまうのだ。
メアリーの件を早急に片づけて、フィリップたちを無事に帰国させなければならない。
そのためには、俺が先行したフィリップたちと一刻も早く合流しなくては。
「おお! イェーガー将軍!」
街道沿いを低空飛行で進み、王国軍の陣地付近まで来ると、見知った顔が声を掛けてきた。
「ああ、バイルシュミット隊長。こちらに派遣されていたんですか」
王都の警備隊長のバイルシュミット少佐だった。
二年前は共に王都近くの小規模ダンジョンに挑み、ボルグの襲撃の際には別動隊の魔物の群れの対処を担当した。
相変わらず、声のデカい。
バトルアックスを背負った二メートルに届こうかという筋肉じじいだ。
ってか、王都の警備はどうした?
副隊長のマイスナーが公国に行っている以上、王都警備隊の指揮を執れるのはバイルシュミット以外に居ないだろうに。
「マイスナーがオルグレン伯爵のお供で行ってしまいましたからな! 儂は国境の防衛ラインの現場指揮を担当しております!」
「王都は?」
「部下に任せております!!」
堂々と大声で宣言することじゃないって……。
王都警備隊だけでなく他の部署の軍人も大勢居るので、将軍である俺には敬語を使っているが、そもそも内容で台無しだ。
「ところで……イェーガー将軍」
バイルシュミットが急に神妙な顔になった。
どうやら本題のようだ。
「お急ぎのところ、大変申し訳ないのですが……少しばかり後方陣地の方へご足労いただけませんか?」
「?」
俺は頭にクエスチョンマークを浮かべた。
フィリップが公国北西部の盗賊の巣が多い地域へ向かったことは、事前にオルグレン伯爵邸で聞いている。
俺もさっさと公国に入って北へ向かった方がいいはずだが……。
バイルシュミットは俺の耳に顔を近づけて小声で囁いた。
「(周辺諸侯の使者が来ております)」
その一言で俺は納得した。
要は、血の気の多い馬鹿と威勢のいいこと言いたいだけの小物が、この緊迫した状況下にあって暴走しかけているのだろう。
確かに、彼らがフライングして進軍でもしようものなら、わざわざフィリップが公国中央を刺激しないように配慮したのが水の泡だ。
少数精鋭で向かったことの意味がなくなってしまう。
オルグレン伯爵の筆頭家臣であり聖騎士の俺が向かうと言えば、うるさい貴族もしばらくの間は黙らせることができるというわけか。
「わかりました。公国へ向かう前に立ち寄りましょう。国境線の防衛は重要です。少しくらい労わないといけませんね」
「ありがとうございます」
王国軍の指揮官たちを労うついでに、王国東部を治める貴族たちの家臣どもに「自分が代表して行ってくる(意訳:黙って待機しろ)」と伝え、俺は国境を越えた。
国境線の両側に配置された両国軍の監視施設で、Sランクの冒険者証を提示して名を名乗ると、俺はすぐに通された。
事前に話が通っていたこともあるだろうが、この時代の入国審査などこんなものなのかもしれない。
どちらかといえば、商人や旅人も街道の途中にある関所で止められる可能性の方が高い。
フィリップも入国してしばらく移動してから関所で絡まれたと言っていたな。
空を飛んで街道沿いに進むと、確かに関所が見えてきた。
かなりの規模の軍が集結している。
どうやら公国側もそれなりの戦力を用意しているようだ。
向こうも諸侯軍の寄せ集めだとすると……舐められないようにした方がいいな。
下手に調子づかせて暴走などさせたら、俺が公国の兵士を虐殺する羽目になる。
そんなことになれば、それこそ戦争を始める大義名分になってしまう。
俺は強化魔法を意識して発動し、紫電を体に纏うように覚醒魔力を循環させた。
威圧感を振り撒くように魔力を制御すると、周囲の浮遊魔力も共鳴して、空気が重くなったような感触を醸し出す。
感覚的な魔力の扱いによる小細工にすぎないが、それでも一般人にしてみればチビりそうになる感覚を得るものだ。
そのまま関所の公国軍陣地の近くまで接近し、砂煙を上げながら着陸した。
「な、何者!?」
「聖騎士のクラウス・イェーガー将軍だ。指揮官に取り次ぎを頼む」
冷や汗を流しながら誰何する見張りの兵士に用向きを告げた。
苛立った様子でサーベルの鍔を指でトントンと叩いてやると、俺の存在を察知して俄かに騒がしくなった陣地の中に、片方の兵士が慌てて走って行った。
「ゴ、ゴンサロ男爵が五男にして……五百人隊長の……ふ、フランシスコ・モラレス……ご、ゴンサロです」
ゴが多いな……。
「えーと、ゴゴンサロ殿?」
「なっ、私はゴンサロだ! あ……失礼しました」
フィリップの援護に向かう部隊の指揮官だという男は、装飾重視の鎧を身に着けた軍人とは思えない男だった。
立ち姿にも魔力にも、まともな戦闘能力を感じさせない素人だ。
ビビってはいるものの、先ほど俺に噛みつきかけたときの表情などから察するに、少なくともオルグレン一門に好意的でないことはわかる。
本当なら、男爵の血筋であることを笠に着て威張り散らしたいのであろう。
俺が先ほどから意識して体表に循環させている魔力の威圧感には気圧されているが、表情は今もなお忌々しげだ。
小声で「若造が……」などと呟いている。
ああ、そういえば……フィリップに関所で絡んだ貴族出身の騎士というのはこいつか。
オルグレン邸で聞いてはいたが、名前を忘れかけていたな。
何故、こんな奴に公国からの援軍の指揮を任せたのか疑問だったが、要は面倒ごとを押し付けられたのと本人の名誉挽回のためか。
役には立たず良好な関係こそ望めないが、これ以上の失態のリスクを呑んでまで妙な嫌がらせはしないということか。
まあ、俺にとっては都合がいい。
こういう奴が相手だと、気を遣わなくて済むからな。
「では、ゴンサロ殿。早速、現場の状況を説明してくれ」
「は?」
「……現地の地図と、盗賊の潜伏情報を。それと、貴殿らの進軍ルートを説明したまえ」
「そ、そんな急に言われても……」
「こちらは最低限の地形すら知らないのだ。有益な情報を提供していただけない場合、私は独自にオルグレン伯爵の支援に向かわざるを得ない。その場合、まずは国境線全域を焼き払って視界を確保しなければな」
明確な殺気を向けながら脅したら、さすがの無能もケツに火が付いたように走り出した。
公国軍に先行し、俺は飛行魔法で北に向かった。
必要な情報はゴゴンザレスから聞き出したので十分だろう。
公国軍はあの無能な指揮官の下で今の右往左往しており、出撃してフィリップの援護に迎えるのがいつになるかわからない状態だ。
それに関しては、俺は何も手出しするつもりは無い。
寄せ集めの部隊が五百人来たところで、役に立つかと言えば微妙だ。
俺の目的はフィリップを捜索しつつ、ついでに広い範囲の盗賊を殲滅していくことだ。
残念ながら、フィリップに現在地を通信で教えてもらい、一直線に向かうことはできない。
公国側が把握している地形がもっと精密なら、こんな苦労をしなくて済むのだが……。
無いものねだりをしても始まらない。
地形を把握していないということは、地図を頼りに合流できない可能性が高いだけでなく、打ち漏らした敵が潜伏している可能性も高くなるのだ。
身軽で機動力が高く殲滅戦が得意な俺が酷使されるのも当然か。面倒くせぇ……。
「む……」
早速、キャロラインから借りた魔道具に反応があった。
近くに『フェアリースケール』中毒者の体液や垢や排泄物がある。
”探査”を広げて周辺を探ってみると、ちょうど近くの盗賊の隠れ家と思わしき穴倉に、数人の存在を探知した。
俺は隠形のローブを魔法の袋から出して羽織ると、クロスボウと魔剣のスティレットを手に、慎重に徒歩で近づいて行った。
アンデッドのように生気の無い緩慢な動作の男たちを三人発見した。
どう見ても近くの村人や狩人ではない。
盗賊……にしても妙に不気味な連中だ。
『フェアリースケール』探知の魔道具を使ってみると……予想通りビンゴだ。
俺はクロスボウの狙いを一番遠い男につけ、右手のスティレットを握りなおした。
エビルドラゴンの牙で作られた魔剣の錐刀は、生半可な金属鎧ならば簡単に貫く威力を持っている。
俺はクロスボウの引き金を落とすと同時に、スティレットを構えて一番近い男に突進した。
「ひゅ……」
「ごぁ……」
一人の頭にクロスボウの矢が突き立ち、同時にもう一人の延髄をスティレットで抉った。
この男たちが『フェアリースケール』を服用して強化されていたとしても、急所を突けば普通の人間と同じように死ぬ。
イェーガー士爵領での襲撃で、その事実は嫌というほど確認済みだ。
二人を手際よく始末した俺は、クロスボウを手放すと“倉庫”から鈎鎖を取り出して最後の一人に向き直る。
緩慢な動作で振り返った男に、俺は四又の鈎を投擲して横合いから叩きつけるように鎖を巻き付けた。
僅かな俺の魔力に反応した魔導鋼の鎖は、絶妙に向きを変えて標的に絡みつく。
「ぐおおぉぉぉ!!」
獣のような咆哮を上げる男を引きずり倒し、近づいた俺はそのまま男の両手両足を鎖でぐるぐる巻きにする。
このような原始的な拘束をしたのは、過去に戦った経験で『フェアリースケール』を服用したものが魔術へ耐性を得ることを知っているからだ。
普通の人間なら確実に気絶する威力の“放電”でも、この薬をキメた襲撃者は平然としていた。
中毒者に効くレベルの電気を流すとなると、黒焦げは免れても心臓を止めてしまう可能性がある。
調整が難しいので、最初から鎖で拘束したわけだ。
俺は改めてキャロラインから借りた魔道具を起動する。
鎖で縛った男にも死体になった二人にも、はっきりと『フェアリースケール』の代謝物の反応があった。
「末期の中毒者か……」
この道具では『フェアリースケール』の血中濃度や中毒の進行度まではわからないが、こいつらはヒルデブラント男爵の護衛よりも重度のヤク漬けと見て間違いないだろう。
奴らは、少なくとも俺の攻撃を受ける前は、普通の人間と変わらない立ち振る舞いだったからな。
このアンデッドのような連中は、中毒が進行した者の末路か、それとも薬プラス何かのきっかけでこうなったか……。
まともに言葉は喋れず、拷問用の闇魔術も無駄だった。
「尋問は無理か……。仕方ない、次の……っ!」
突如、俺は首筋に悪寒を覚えて振り返った。
「なっ!?」
信じられない光景が目に飛び込んできた。
先ほど頭をクロスボウで撃ち抜いた奴とスティレットで延髄を貫いた男が、ぴくぴくと痙攣しながら起き上がろうとしているのだ。
靄のような魔力が傷口に集中し、徐々に開いた傷が塞がろうとしている。
「マジかよ……」
末期の中毒者ってのは、急所を突いて殺しても、まだ生き永らえるのか……。
俺はしばらく迷った末、“倉庫”から聖剣もどきこと聖属性の魔剣クラウ・ソラスを取り出し、再生しかけている男に突き立てた。
「っ!」
思った以上の魔力の乱流が発生し、再生しかけていた男はビクンと跳ねると、そのまま動かなくなる。
どうやら、傷口を修復しようとしていた靄は、見た目通り闇属性の魔力に近い性質で、クラウ・ソラスの聖属性の刃で滅することができるようだ。
俺は急いで残りの二人にもクラウ・ソラスを突き立てて、確実に息の根を止めた。
無傷で縛り上げた男は急所を外して突いてみたが、闇属性の反応が完全に消失すると、男の命の灯も消えた。
魔剣を持っていたおかげで、永遠に止めを刺せないという最悪の事態にはならなかったものの、尋問の手段は相変わらず見つからない。
「結局、虱潰しにやるしかないのか……。まあ、聖属性が著効だと分かっただけでも収穫かな……」
そうして数か所で人間の反応を見つけてはクラウ・ソラスで叩き切り、俺は歩を進めた。
盗賊は接近する者だけを殺し、基本はキャロラインに借りた魔道具に引っかかった『フェアリースケール』中毒者のみをサーチアンドデストロイしていく。
殲滅した中毒者の住処は“火嵐”で焼き払っておいた。
公国からの援軍は全く到着する様子が無いので、魔法陣の結界を張って夜を明かした。
劣悪な労働環境であることこの上ない。
いい加減腹が立ってきたので、フィリップへの目印に数十発の“業火”でも打ち上げてやろうかと思い始めてきた。
公国内であまり派手に高火力の魔術を撃ちまくると、それこそ国際問題になる可能性があるので、今までは自制してきた。
しかし、あまりにもフィリップとの合流が遅れるようであれば本末転倒だ。
真面目に狼煙を上げようか悩み始めてとき……ついにフィリップたちに動きがあった。
「っ! あれは……」
目視できる範囲に、天を穿つような闇属性らしき魔力の奔流が出現したのだ。
高ランクの闇属性の魔物が現れたか、敵が強力な術を使ったか。
どちらにせよ、フィリップたちが関わっている可能性が高い。
それほど高くない山を一つ越えたあたりだ。
俺は即座に上空まで飛び上がった。
山の中腹までは飛行魔法でぶっ飛ばし、そこからは隠形のローブを羽織って慎重に近づく。
草木に身を隠しながら接近すると、ついに俺はフィリップの魔力を捉えた。
敵の術の魔力が濃いせいでレイアたちの反応は見つからないが、フィリップの強力な聖属性の覚醒魔力は見間違えようがない。
そのまま身を隠しながら今なお敵の術が発動しているエリアに接近するが……。
「(っ!)」
俺の目に飛び込んできたのは、戦闘不能になってレイアに支えられるファビオラ、柱に縛り付けられたメアリー、人質を取られて動けないフィリップ、それに忘れ難い宿敵の姿だ。
俺は刃のブーメランこと偽フラガラッハを左手で“倉庫”から取り出し、ホルスターからSIG SAUER P226を抜いた。
ボルグと敵側のロベリアと思わしき軽装の女戦士に向けて偽フラガラッハを投擲し、同時に公国の騎士に短剣を突き付ける生気の無い男たちにP226の銃弾を浴びせ始めた。