144話 強敵、再び3
「ファビオラ! 大丈夫か!?」
「――“解毒”……っ! 効かない!? どうして……?」
「あうぅ……ワタクシぁ、だいじょ……」
敵から目を離さぬまま後退したフィリップは、横目で膝から崩れ落ちたファビオラに解毒魔術をかけるレイアを確認する。
先ほどファビオラが受けた攻撃は、敵の女が左腕に装備していたガントレットから放たれた毒針のようなものだった。
高位の毒薬だろうと、レイアならば即座に解毒できるはず。
そう信じていただけに、レイアの驚愕の言葉とファビオラの弱弱しい声を耳にして、フィリップは一気に表情を強張らせた。
「動くんじゃないよ!」
フィリップがレイアとファビオラを庇う位置に立ち、再度レイピアを構えなおしたところで、襲撃者の女から鋭い警告が飛ぶ。
いつの間にか、周囲にはアンデッドのように生気の無い男たちが現れていた。
「くっ、どこから……?」
ファビオラを介抱するレイアが唇を噛む。
濃密な瘴気によって“探査”が使えず、新手の接近を感知できなかったのだ。
瘴気の靄や影は、全部で十人の男たちの存在を隠蔽していた。
現れた十人の男たちの足元には、気を失って倒れているエルナンド伯爵配下の騎士たちが居る。
彼らは甲冑を装備した騎士たちを片手で掴んで軽々と引き起こすと、その喉元に短剣を突き付けた。
無力な十人の公国人が人質に取られてしまった。
「くくっ……ざまぁ無いねぇ」
女は口を歪めて嘲笑った。
短い間とはいえ共に盗賊の討伐に乗り出し協力してきた騎士たちを人質に取られては、フィリップたちに成す術は無かった。
少しでも攻撃の意思を見せれば、女の配下たちは見せしめに騎士を処刑するだろう。
「くっ……」
しかし、フィリップたちが歯噛みする中、マイスナーは静かに口を開く。
「影を操る軽装の女戦士。最初の強襲であれだけの接近を許しちまうほどの腕前。それに……二年前の『あいつ』に匹敵する危険な匂い」
マイスナーが女を見据えた。
「てめぇが……『影帝』ロベリアか……」
「『影帝』……こいつが、デ・ラ・セルナ校長を……」
レイアが震える声で目の前に現れた『黒閻』の幹部を見上げた。
相手は紛れもなく強敵だ。
今のクラウスには及ばないとはいえ、聖騎士のデ・ラ・セルナは王国で最も腕の立つ魔法剣士の一人だった。
そんな最強の一角を暗殺した敵と相対するとは……。
レイアは軽く絶望しそうになりながらも、慌てて杖を強く握りしめた。
ロベリアはそんなレイアの様子に残忍な笑みを浮かべながら嘲笑するように肩を竦める。
「貴様……ファビオラに何を!?」
「何って、わからないのかい? その小娘も同じような武器を持っていただろう」
フィリップの噛みつくようにロベリアへ問いかけに、ロベリアは意外にも簡単に自分の武器の種明かしをした。
ロベリアが顎で示したのはファビオラだ。
彼女が持つ武器といえば、ロイヤルワイバーンの素材を使った短剣と、クラウスから譲り受けた魔剣の一つで腐食毒のような作用を有する短剣。
「まさか……呪いの武器!?」
レイアの顔から一気に血の気が引いた。
呪いの武器で付けられた傷は、その強力な殺傷力もさることながら、普通の治癒魔術では癒せない点が特徴だ。
低級の呪いの武器による傷ですら、魔法陣を使った解呪を必要とする場合がほとんどである。
ロベリアほどの敵が所持していた呪いの武器となると、本来なら宮廷魔術師団が封印か破壊を検討するほどの品に違いない。
ファビオラが毒針を受けたのは右前腕。
急所に受けたわけではないので、今すぐ内蔵が機能不全をおこして、座して死を待つしかないなどという状況ではないが、決して楽観視はできない。
ファビオラの体には傷以上の危険が迫っており、治療も一筋縄ではいかないことが確実だった。
「おっと! そっちのハーフの小娘も妙な真似はするんじゃないよ」
魔法の袋に手をやろうとしていたレイアを、ロベリアは鋭く見咎めた。
レイアは呪いを解呪する魔法陣を所有している。
魔法陣を用いた治療ができれば、ファビオラの応急処置が、あわよくば解呪ができるかもしれない。
しかし、それを許すほどロベリアは甘くなかった。
彼女が軽く手で合図すると、生気の無い男たちが、各々の拘束している人質の騎士の喉に、ナイフを浅く食い込ませる。
「……わかったわ」
レイアは項垂れると杖を手放した。
ロベリアは気を良くして笑みを深める。
「はっはー! 案外『傀儡』も使えるねぇ!」
「…………(“Lumière”)」
レイアはおとなしくロベリアの言葉に従った。
最後に、普通の魔術ではない技術を用いて、僅かな抵抗をしながら。
「何を、している?」
瘴気の残滓の向こう側、倉庫の中から一人の男が現れた。
不機嫌な表情でロベリアに問いかける。
黒いローブにロングソードはありきたりな装いだが、フィリップたちにとっては忘れるはずもない姿だ。
「てめぇ……ボルグ!」
マイスナーが怒気をむき出しにして男の名前を叫んだ。
かつてクラウス以外の面々を“マナドレインミスト”一発で戦闘不能にした『冥帝』の異名を持つ『黒閻』の幹部。
オルグレン伯爵一門と『黒閻』の対立。
全てはこの男との戦いから始まった。
かつてデ・ラ・セルナとクラウスがどうにか撃退した、最も危険な敵だ。
ボルグはマイスナーの方をつまらなそうに一瞥すると、フィリップに視線を戻した。
「なるほど、勇者か……」
ボルグは苦々しい表情で、フィリップと彼の持つレイピアを睨む。
フィリップは軽く眉を動かして反応しただけだった。
しかし、レイアは厄介な強敵が二名に増えたことで、さらに表情を強張らせている。
しばらく動きの無い時間が過ぎ、ボルグは先ほど自分が出てきた倉庫の扉に手をかけると、大きく倉庫の入口を開け放った。
「「メアリー!!」」
「てめぇら……」
倉庫に入ってすぐの場所には、磔のように支柱にロープで拘束されたメアリーが居た。
見たところ、外傷は軽い擦り傷程度しか無い。
目隠しと猿轡で顔を覆われているが、目立つ傷は見当たらなかった。
しかし、それよりも問題なのは、彼女の足元だ。
メアリーが縛り付けられた支柱の真下の地面――メアリーの爪先の数センチ下――には、この世のものとは思えないほど不気味なドス黒い粘着質の物体が渦巻いている。
明らかに、自然の物質や魔物の類ではない。
昨年のミアズマ・エンシェントドラゴンの纏っていた触手と同質の気配を感じて、フィリップは軽く身震いした。
「その禍々しい物体は、一体……?」
「……『冥界の口』」
ポツリと呟いたのはレイアだった。
フィリップの視線が説明を求めて一瞬レイアに注がれる。
「あたしも見たのは初めてだけど、錬金生物の一種よ。犠牲召喚などで生贄を取り込む冥界の入口を具現化させて、生命体として実体化させたもの。普通の犠牲召喚は捨て駒や自爆によるものだから、発動後の制御は実質不可能。一人の命と引き換えだから、召喚される魔獣のレベルもその生贄の魂相応。でも、『冥界の口』は存在する限り生贄を喰らい続け、瘴気を蓄積する」
フィリップたちの脳裏に二年前の記憶が蘇る。
あの時は、ボルグが仕込んでいた犠牲召喚で現れたロイヤル・ワイバーンと対峙した。
ロイヤル・ワイバーンはフィリップとクラウスによって無事に討伐されたが、あれも冒険者ギルドの討伐難度ではSランクに分類される魔物だ。
裏切り者の警備隊の下っ端を使ったものですら、それだけ強力な魔物を召喚することができるのだ。
大勢の命を一纏めにした犠牲召喚が可能だとすれば、召喚される魔獣がどれほどの脅威か。
事態の深刻さにフィリップもマイスナーも蒼白になった。
「デ・ラ・セルナ先生の蔵書にあったの。『黒閻』は『冥界の口』の錬成と制御の技術を保有しているって。まさか、本当だったなんて……」
レイアより先に再起動したフィリップが、先ほどボルグが扉を開けた倉庫の中を見ながらロベリアに問いかけた。
「積み上げてある袋は……まさか『フェアリースケール』か?」
「ご名答」
「この忌まわしい薬を作ったのもバラまいたのも……全て貴様らか?」
「ああ、そうさ」
フィリップもメアリーの誘拐の件とクラウスの故郷の件との関連は予想していたものの、本当に大本が『黒閻』だと判明したことには衝撃を受けた。
「ボルグとエルアザルの専門ってのは癪だけどね……。今更焦っても遅いよ。『傀儡』を大量に投資したからねぇ。あいつらの尊い犠牲のおかげで……くくっ……必要な量の瘴気は、もうほとんど溜まってるのさ」
ロベリアは生気の無い男たちを示しながら笑った。
フィリップの中で『傀儡』と『フェアリースケール』の関連性のピースが噛み合う。
「この『傀儡』という奴らは『フェアリースケール』の中毒者の成れの果てだな? 貴様ら……配下を生贄に?」
「配下? 『傀儡』ってのは、元々そのために使うものだったのさ。何せ『フェアリースケール』は肉体の限界を超えさせる。人の体に溜め込める瘴気の容量を増やしてくれるんだ。ちょいと弄った隷属の術を同時にかければ、さらに中毒を加速させて瘴気を効率よく集められるって寸法らしいよ。使役しているのは余り物さ。まあ、あたいにとっては、どうでもいいことだけどね」
全てが繋がった。
奴隷狩りが年齢性別関係なく頭数重視で盛んになったのも、『フェアリースケール』が急に再興したのも、全ては生贄となる『傀儡』の数を揃えて質を上げるため。
そして『傀儡』の運命は、『冥界の口』に捧げられて強力な犠牲召喚の材料になることだった。
「中毒を蔓延させて既に出来上がった奴らを集められれば、もっと楽だったらしいけどね」
「ふっ、クラウスの力を侮ったな」
その企みは、クラウスと軍務局の働きによって潰えた。
奴隷狩りに精を出し始めた盗賊団の捜査から『フェアリースケール』の流通ルートも片っ端から洗い出し、強襲にはクラウスも度々参加した。
結果、大量の中毒者という名の産廃を王国中に作られるという事態は、どうにか防ぐことができたのだ。
しかし、肝心の『冥界の口』の強化という目的は、時間をかけることで達成されてしまった。
「貴様らの目的は?」
「そんなの決まってるだろ? あたいらの主君を……」
「余計なことを言うな。この誘拐といい、貴様は独断専行が過ぎる」
調子に乗ってペラペラと喋るロベリアをボルグがついに窘めた。
「うるさいね! こいつらを全員始末しちまえば済む話だろ。勇者は生かしておけば必ずあたいらの邪魔をする。さっさと片付ければいいものを……」
「…………」
「あんたがブルってた聖騎士のガキってのも、こうして勇者から引き離したんだ。腰抜けのあんたも、これなら文句ないだろ。黙って協力しな」
ロベリアが細剣を構えてフィリップたちに向き直った。
フィリップは状況を利用して色々と聞き出そうと試みていたが、それもここまでのようだ。
『冥界の口』で何を召喚して、どこに放つつもりなのか?
肝心なことは聞けていないが、もう情報を渡す気は無いようだ。
ロベリアから立ち上る殺気に反応して、フィリップも身構える。
「おっと! 動くなよ! 逆らえばこの小娘を『冥界の口』に放り込むからね。必要な量の瘴気がたまったとはいえ、生贄をぶち込むだけならいくらでもできるんだ」
嗜虐心をむき出しにしたロベリアが、フィリップに鋭く警告した。
細剣を弄びながらゆっくりとフィリップに切っ先を向ける。
「早くやれ。動きを止めている内にな。何のためにオレがこいつを用意したと……っ!」
忌々し気に『冥界の口』を指し示しながら発したボルグの言葉は、最後まで紡がれることは無かった。
突如、横合いから煌めく刃が飛来したのだ。
続いて、連続した炸裂音が辺りに木霊する。
クラウスのSIG SAUER P226が9mm弾を吐き出す音だった。
「くそっ!」
「なっ!?」
回転しながら飛来した一振りの曲刀を、ボルグとロベリアが慌てて回避する。
しかし、公国の騎士を人質に取っていた『傀儡』は、皆一様に頭から血を噴き出して倒れ伏した。
今の一瞬で、この場に居た『傀儡』全員が9mm弾のヘッドショットを食らったのだ。
放たれた銃弾は『傀儡』を一掃するだけでは飽き足らず、続けて三発ずつボルグとロベリアに殺到する。
さすがに『黒閻』の幹部だけあって剣で防御して対応していたが、フィリップとマイスナーも同時に行動を開始していた。
そして、最強の援軍は満を持して登場する。
「クソどもが……今度は生かして帰さん」
クラウスは隠形のローブを脱いで魔法の袋に仕舞うと、スライドオープンしたP226のマガジンキャッチを押して空の弾倉を抜き取り、十五発の9mm弾が装填された予備のマガジンを叩きこんだ。
先ほどは、チャンバーにも弾を保持した状態で、満タンの十五発入りマガジンが装填されていたので、一連射で十六発を撃てたわけだ。
スライドストップを押してスライドを前進させ、マガジンの一発目をチャンバーに送り込んだクラウスは、二年ぶりに姿を現した宿敵に鋭い殺気をぶつけた。