141話 頼りになるお姉さん
「お待たせしました、イェーガー将軍」
「いや、お待たせって……」
予想外の人物の登場に、俺は数秒間まともな言葉が出てこなかった。
「何故、こちらに?」
俺が再度キャロラインに来た理由を尋ねると、彼女は僅かに首を傾げるような所作で微笑む。
「軍務局に調査員を派遣するよう要請されたではないですか」
気品と美貌を兼ね備えたキャロラインに見惚れている者も多いが、俺は彼女の本性を知っているので、表情が引き攣るのを止められない。
俺はヒルデブラント男爵の身柄とヴァレリアの首の引き渡し、それに情報を引き継いでイェーガー士爵領の周辺とヒルデブラント男爵領の捜査を進めてもらうために、役人や捜査官を寄越すよう頼んだのだ。
まさか、キャロライン本人が、それも空路を使って当初の予想より早く到着するなど、夢にも思っていなかった。
「クラウス、そのお嬢さんが王都から来るっていう役人なのか?」
バルトロメウスは彼女の正体が気になっているようなので、俺は周りの人間にも聞こえるように紹介する。
「宰相カーライル・デヴォンシャー公爵の令嬢で、軍務局の官吏キャロライン・デヴォンシャー殿です。『フェアリースケール』関連の捜査の指揮を執ってらっしゃいます」
イェーガー士爵領の人々の間に衝撃が走った。
まさかの公爵令嬢だというカミングアウトに、広場に居たほとんどの人間の顔が俺を向いて固まる。
真っ先に復帰したのはアルベルトだった。
「失礼しました、キャロライン様」
アルベルトはキャロラインに向かって淀みなく略式の騎士の礼をする。
アルベルトの作法は概ね正しい。
王国という建前がある以上、国王の下に貴族は皆同じ臣下だ。
しかし、爵位の上下には発言力や保有資産の額などにおいて明らかな差があり、それこそ士爵家と公爵家では露店と大店くらいの差がある。
平伏しすぎてもよくないが、アルベルトが当主でキャロライン本人が爵位を持たないからといって、家の序列を無視して上から話すわけにもいかない。
アルベルトは軍人の作法を通すことで、文句を言われにくい無難な対応をしたわけだ。
一方、バルトロメウスや集まっていた領民は、慌てて片膝をついて最敬礼の姿勢を取ってしまった。
バルトロメウスは不躾に誰何しようとした件でテンパり、領民の多くはキャロラインの醸し出す気品と神々しい美貌にやられて、つい流れで跪いてしまったようだが……。
去年、ミアズマ・エンシェントドラゴンのついでにぶっ殺したナントカ侯爵であれば、傅かれればふんぞり返って喜ぶかもしれないが、キャロラインは困るだけだろうな。
公爵家は王家の血が特に濃い家柄だが、あくまでも国王の臣下である貴族の最上位であって、王家そのものではないのだ。
平民はともかく、貴族家の次期当主であるバルトロメウスに臣下の礼を取らせたなどと公に話題になったら、最悪の場合は王家への謀反の疑いが掛けられる。
俺や身内にそのつもりが無くても、粗探しをする奴はどこにでも居るのだ。
「皆様、私は軍務局の官吏として務めを果たすべく赴いたのです。まずは、イェーガー将軍と情報共有する必要がありますので、皆様はご自分の業務に戻ってくださいな」
キャロラインは落ち着いて領民たちを手で制し、余所行きの笑顔を張り付けながら言った。
群衆が再起動するにはもう少し時間が掛かるかと思ったが……彼らは催眠術にかかったようにキャロラインの言葉に従い散っていった。
さすがは公爵令嬢。
こういう場面での対応には慣れているようだな。
それにしても、俺をご指名かよ……。
この段になって、バルトロメウスは自分の作法に問題があった可能性に思い至ったようだがもう遅い。
後でアルベルトからお説教だろうな。
接近していたワイバーンが役人の騎獣であることが通達され、領内は落ち着きを取り戻した。
居住区の警戒態勢が解かれたので、俺はキャロラインを領主館まで案内することとなった。
まずは、ハインツが作成した報告書に目を通してもらわなければならない。
連れ立って歩くのに沈黙を保つわけにもいかないので、俺たちは雑談を交わす。
「あのワイバーンは、デヴォンシャー公爵家の?」
「いえ、宰相権限で使用できる、連絡用のテイムモンスターです。鞍に王国軍の紋章が入っていたでしょう? 所属は軍になります」
実質、デヴォンシャー公爵の専用機のようなものか。
魔物を卵や幼体の頃から育てて人に馴れさせるテイムの研究は、国を挙げて推進されている。
航空戦力と空路による情報伝達は数が最優先なので、比較的おとなしい種類のワイバーンが主だ。
召喚獣と違い、召喚した術者にしか制御できないということも無いので、テイムモンスターの普及は中央大陸のどの国においても急務である。
とはいえ、研究自体も金と労力が掛かり、飼育費も決して安いものではないので、竜騎士の数は思った以上に少ない。
宰相権限で動かす緊急連絡用ということは、キャロラインの乗ってきたワイバーンは、王国軍の従魔の中でも相当速く優秀な個体だろう。
そんな貴重な戦力を独断で持ち出すとは……。
デヴォンシャー公爵、今頃泣いているのではないだろうか。
「それにしても……先ほどはよく私だとわかりましたね」
キャロラインは俺の心配をよそに雑談を続けた。
彼女が防具の面を外す前に、俺が正体を言い当てたことか。
「魔力のパターンを見たので」
そもそも、この世界の人間は一般人でも微量の身体魔力を保有している。
魔術師のものほど鮮明な特徴こそないが、何度も会っている人間の魔力の波長くらい、覚えようと思えば覚えられる。
匂いや気配、足音やノックの癖のようなものなのだ。
まあ、キャロラインの場合はドS特有の殺気というか不穏な気配というか……そういう意味で頭から離れそうもない印象があるからな。
忘れる方が難しい。
「あら、イェーガー将軍は私の魔力を覚えてらっしゃるのですか?」
「ええ……盗賊団の件もあって、キャロライン殿とはそれなりの頻度で会いますから。隠形のローブでも使われなければ、すぐにわかります」
ドSの印象が強烈すぎて忘れられない、など面と向かって言えるわけがないよな。
「そ、そうですか」
キャロライン少し慌てたように相槌を打った。
よくわからないが、何だか機嫌が良さそうだ。
珍しく、僅かだが口角が上がっている。
「でも、少し残念ですね。イェーガー将軍を驚かせて差し上げようと思っていましたのに」
「驚きましたとも。まさか、キャロライン殿が……それも一人で来られるとは思いませんでしたよ」
公爵令嬢が護衛と編隊も組まずにワイバーンに乗って飛んでくるなど、普通は思いつかないよな。
俺としては、官吏が一刻も早く到着してくれるに越したことはないのだが。
さっさと片づけて、フィリップの方の援護に行きたい。
だから、キャロラインが素早く動いてくれたことには感謝している。
そのことを伝えると、彼女は今日一番の笑顔を見せた。
もしや……俺の事情を考慮して、強引に自ら動いてくれたのか?
しかし、それを聞く前に俺たちは領主館に到着した。
キャロラインは既に応接室で待っていたハインツを認めると、一瞬で仕事モードに切り替わり、挨拶を数秒で済ませて報告書を受け取った。
書類にざっと目を通して満足そうな表情で頷く。
続いて、ヴァレリアの首をキャロラインの持つ汎用の魔法の袋に移して引き渡した。
「さて、それではヒルデブラント男爵の所へ案内してください」
お役所仕事とは思えないほどトントンと話は進んでいった。
「え~と……こちらにどうぞ、お嬢様?」
バルトロメウスはぎこちなくキャロラインに声を掛けて誘導した。
ヒルデブラント男爵を拘束している牢へ案内するのは、俺とアルベルトとバルトロメウスだ。
キャロラインに万が一のことがあったら大変なので、この領地の戦力ツートップである父と長兄が両方とも護衛に就く。
もちろん俺も。
バルトロメウスはまたしても作法がなってないことでアルベルトに小突かれていた。
「(そ、そうか……。王女様じゃねぇんだったな……)」
兄貴よ……王族にお嬢様もダメだろう……。
権威に弱いというより、公爵令嬢のような存在は別の生き物にしか見えなくて戸惑うのだろう。
長いこと自警団の団長のような立場で生きてきたことで、自分が貴族の直系であることを忘れかけているのかもしれないな。俺みたいに。
「あまり気を遣わないでください。私も軍属ですから、細かいことをいちいち気にしたりはしません。わざわざ護衛をしていただいて、感謝しております」
「そうか……あ、そう、ですか……」
さすがに連続でアルベルトが突っ込むことは無かったが、後で説教される時間がさらに伸びたことだろう。
そして、俺たちはヒルデブラント男爵をぶち込んだ牢に到着した。
バルトロメウスが先頭に立ち、俺が後に続くことで真後ろのキャロラインの盾になり、最後尾をアルベルトが固める。
薄暗い廊下を進んで独房の前まで来ると、厳重に縛られて床に座らされたヒルデブラント男爵の姿が目に入った。
普段は手錠足枷くらいで許しているだろうが、今日はキャロラインが来るので、最大の警戒レベルで拘束しているようだ。
「あの男ですか……」
キャロラインは躊躇うことなく独房に足を踏み入れた。
さすがに危険すぎるので、俺は慌てて止めようとした。
本来なら、彼女をこの牢に連れてくるだけでもあり得ない話だ。
しかし、俺がダルマにして捕らえた襲撃者はともかく、ヒルデブラント男爵に関してはキャロライン本人が聴取をすると言って聞かなかった。
キャロラインは一瞬だけ俺の方を振り返って微笑んだ。
「何か起きても、あなたが助けてくれるのでしょう?」
キャロラインは俺が返答する前に再び歩を進めた。
そのままツカツカとヒルデブラント男爵の目の前まで歩み寄る。
俯いていた男爵は、至近距離まで人が近づいてきた気配に顔を上げた。
「この……恥知らずの豚が!!」
突如、キャロラインは鋭い回し蹴りをヒルデブラント男爵の側頭部に叩き込んだ。
思ったよりも威力が乗っており、男爵は横倒しになって地面に叩きつけられる。
あまりの出来事に、俺もアルベルトやバルトロメウスと同じくフリーズしてしまった。
「気の済むまで抵抗するがいい。しかし、貴様の汚物にまみれた腹の中にある情報は、全て私が引きずり出す。わかったか、豚が!!」
キャロラインの靴底が男爵の頬を張り飛ばした。
「後続の捜査官と軍隊が到着しましたら、すぐにヒルデブラント男爵の移送を開始します。そのまま周辺の捜索と男爵領への強制捜査に移行できるよう、追加の人員も手配しておりますので、どうかご安心を」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
一通りヒルデブラント男爵の尋問を終えたキャロラインは、再び厳重に男爵を閉じ込めておくようアルベルトに指示を出した。
何故、バルトロメウスではなくアルベルトか?
あの兄貴は本性をむき出しにしたキャロラインに引いてしまって、使い物にならなかった。
早々に帰ったので、今頃はフィーネに癒されているだろう。
「これで、イェーガー将軍からの引き継ぎは完了です。どうぞ、次の現場へ向かってください」
仕事の完了は言い渡されたものの、ここでキャロライン一人を残して立ち去るのは不安だった
「さすがに危険すぎませんか? せめて後続の竜騎士が到着するまでは俺も……」
「いえ、問題ありません」
キャロラインは間髪入れずはっきりと大丈夫だと言い切った。
そうだよな……。
元々、俺が早く自由に動けるように、彼女は危険を承知で動いてくれたのだ。
俺が彼女の護衛を理由に残ったら、それこそ厚意を無駄にしてしまう。
何だか俺の方が情けない感じだ。
「あと、こちらを」
キャロラインが取り出したのは、この世界なら明らかに錬金術の産物と思われる、電子機器のような物体だった。
テレビで見た盗聴器の探知機が一番似ている。
「これは……魔道具ですか?」
「はい、『フェアリースケール』の中毒者の痕跡を追える魔道具です。元々は『フェアリースケール』自体を微量でも検出できる道具だったそうですが、ラファイエット教授や宮廷魔術師団の研究で、中毒者の呼気や汗や排泄物から漏出した『フェアリースケール』を捉えられるように改良されたそうです」
今まで感知できなかったことから察するに、『フェアリースケール』は肝代謝経路で排泄されるのだろう。
未変化体が腎排泄されるのならば、今までの装置でも問題なかったはずだ。
要は、人体を経由した後の『フェアリースケール』の代謝産物を感知できるということか。
差し出されたので、つい受け取ってしまったが……。
「いいのですか? 最新鋭の試作品なんじゃ……」
「今、これを一番必要としているのはイェーガー将軍です」
キャロラインは俺の躊躇を一蹴した。
「ヒルデブラント男爵の陰謀とオルグレン伯爵の婚約者の誘拐。今回、この二つの事件が同時に起こったことは偶然ではありません。キーファー公国にも、『フェアリースケール』の痕跡は必ずあるでしょう」
誘拐犯の足取りが隣国へ続いていたことは、俺も報告を受けている。
しかし、まさか司法の上層部に居るキャロラインが、他国との関係にひびが入りかねない情報を堂々と口にするとは思わなかった。
「公式の発言ではないので問題ありません。イェーガー将軍はそのようなことで私の揚げ足を取って小細工するような方ではないと記憶しております」
まあ、やらないけどさ……。
随分と信用されたものだ。
しかし、これだけ配慮してもらった以上、こんなところで油を売っているわけにはいかないな。
早くフィリップと合流して、この魔道具を使って敵を追わなければ。
「キャロライン殿、今回は本当にお世話になりました。このお礼は、いつか必ず」
「ふふっ、期待しています」
切れ長の目を僅かに細めてキャロラインは微笑んだ。
「では、俺はもう行きます。まだヒルデブラント一門が完全に排除されたわけではないので、どうかお気をつけて」
「はい。イェーガー将軍も、ご武運を」
俺は地面を蹴って飛行魔法を発動した。