140話 家庭教師 後編
「疲れました……」
「お疲れさん」
騎士団の訓練場で荒い息をつくロッテに、俺は水を差しだした。
数メートル先の地面には、焦げ跡の付いた打ち込み用の人形が転がっている。
訓練場とはいっても、領地の中で住宅の密集する場所の外れにある、ただの空き地のような場所だ。
一応、イェーガー士爵領の騎士団――名前は立派だが自警団のようなもの――が素振りや打ち込み稽古ができるように、武具や設備は田舎にしては整っている。
これは父アルベルトが魔物の襲撃に備ええるために注力した結果らしい。
ここに来たのは、ロッテに初級の攻撃魔術を指導するためだが、彼女は当然と言わんばかりに木剣を持ってきた。
どうやら、魔法剣士である俺の真似をしているらしい。
アルベルトやバルトロメウスからは、それなりに剣術の稽古をつけてもらっているようだ。
剣術の稽古を始めたばかりのド素人だったころの俺に比べれば、今のロッテは遥かにまともな動きをしている。
強化魔法の無い人間としては上出来だろう。
そして、ロッテは俺に初級の攻撃魔術の使い方を聞いてきた。
俺の理科の授業を聞いてもつまらなそうにしていたあたり、強力な攻撃魔術には興味がないのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
で、またしても俺は例の『何を教えればいいのかわからない』問題に直面した。
確かに、俺は主に剣術と攻撃魔術を使って戦うが、戦法はかなり特殊なものだろう。
魔力剣の用途に限っても、通常の魔術師とは全く違う。
ミスリル製の剣などを持つ魔術師は近距離での牽制や時間稼ぎに魔力剣を使うが、俺の場合は使い勝手のいい低燃費で高火力の主砲としての運用だ。
俺が大剣を用いて魔力剣を使うのは、少ない魔力消費量で素早く少人数をまとめて葬る、もしくは強力な魔物に対する高火力の単体攻撃という用途になる。
魔術は距離が開いている場合の繋ぎか、面制圧での効率的な範囲攻撃、味方が居れば支援のために敵の行動阻害や火力支援に使う。
しかし、この戦法はあくまで俺だからできることで、真似しようとしてもほとんどの人間は魔力量が足りない。
強化魔法のように魔力を体に定着させて運用する技術と、体外で魔力を操作する放出系の魔術のセンス。
この両方を持つ者すら大した数が居ないのだ。
そういえば、冒険者などの一般的な魔法剣士の知り合いは居ないな。
心当たりは……今は亡きデ・ラ・セルナくらいか。あとボルグ。
宮廷魔術師にも剣を使う奴は居るが、あれは典型的な魔術師の魔力剣で、近距離における護身用か牽制用だ。
よくよく考えれば、デ・ラ・セルナも同じような戦法の使い手だったのか?
要は、自分の特殊さと魔法剣士自体に関する知識の無さが相まって、俺は何をロッテに教えればいいのかわからないのだ。
以上のことは、きちんとロッテにもエルザにも話したが、二人はそれでも初級攻撃魔術の指南をしろと言って譲らなかった。
何はともあれ、俺は魔法剣士志望の少女ロッテの最初の攻撃魔術である“火弾”の練習に付き合うことになったわけだ。
俺は“火弾”や“火炎放射”などの初級から上級の“業火”に至るまで、一通り火魔術を実演することになった。
これは……何かの参考になるのかな?
因みに、ロッテは俺が手取り足取り教えるまでもなく、すぐにコツを掴んで拳大の火の玉を射出し、的になった木製の人形を焦がした。
何とも拙い攻撃だが、一般人なら顔に火傷を負って怯む程度の威力はある。
その辺のゴロツキ相手の護身術としては十分だろう。
先が楽しみだ。
しかし……治癒魔術が使えるのだから、ロッテに魔力を扱うセンスがあることは間違いないが、今まで使えなかったにしては呑み込みが早すぎる。
「(えへへ……クラウス兄さまの教え方がよかったからです)」
ロッテは悪戯っぽく笑い、俺に耳打ちしてきた。
いや、それは無いから。
「(“火弾”自体の発動が確認できていたのなら、魔力制御の練習は“水弾”でした方がいい。何かに燃え移ったら大変だぞ)」
「もう! そうじゃなくて……」
何故か妹は拗ねてしまった。
次のステップを教えただけなのにな……。
「驚いたわね~。まさかもうロッテが攻撃魔術を使えるようになるなんて~」
「才能があったのでしょう」
今まで練習していたわけでもないなら、それくらいしか考えつかない。
「なるほど……」
エルザは俺を見ると意地の悪そうな笑みを浮かべた。
微かに、先ほどのロッテの笑い方に似ている……かもしれない。
「それで、クラウスとしては……ロッテの当面の目標は“火弾”の威力と速度の向上ってことでいいのね?」
「ええ、そうですね。火は……手練れや一部の魔物は例外ですが、人間にも獣相手にも効果が高い。剣術と併用する攻撃魔術としては、いい選択でしょうね」
他の魔法剣士が本当にそのような運用をしているのかどうか、そこら辺が全くわからないのが痛い。
俺の場合は強化魔法と四属性の攻撃魔術と潤沢な魔力があったおかげで、剣と魔術を組み合わせた立ち回り自体に試行錯誤してこなかったからな。
しかし、素材を求めての狩猟に用いるのでなければ、火が一番有用であるのは間違いないだろう。
カーラみたいに火の玉をぶっ放してみたいから“火弾”を習得した、なんて変わり者もいるが……。
それを思えば、士爵とはいえ貴族の娘であるロッテにそこまで実用的な攻撃魔術や戦闘能力が必要なのかは疑問だ。
まあ、使いやすい武器はあるに越したことはない。
物騒な世の中ですからね。最近は特に。
「もう少し鍛錬して弾数を増やせれば、飛び道具として十分使い物になる。強化魔法や魔法障壁やほかの魔術の訓練も並行してやるといいが、“火弾”の練習も続けた方がいい」
「はい! わかりました! でも、今日はもう撃てそうにないです……」
ロッテは先ほどの“火弾”数発で魔力を使い果たしたようだ。
二、三発が限界のハインツに比べれば遥かにマシだが、これだと実用性は……いや、俺を基準にしても意味が無いか。
俺は初めて魔術を試してみたときも、魔力切れで倦怠感を覚えるまでに百発は撃てた気がする。
きっと世の魔法剣士たちは、撃てても初級魔術が数十発分の魔力でやり繰りしているのだろう。
しかし、何も訓練を全て自分の魔力総量を基準にやる必要は無い。
この世には、魔道具や錬金術という便利なテクノロジーがあるのだ。
「ロッテ、これを」
俺は魔法の袋から魔晶石を取り出してロッテに渡した。
ベヒーモスの小魔石から作ったものではなく、王都に到着した直後に商店街の魔道具店で買ったものだ。
中級の魔術師が全回復できるとは店主の言葉だが、俺が最も多用する中級魔術――改良して炸裂弾にした“火槍”――だと二、三発分くらいにしかならない。
俺にはもう必要ないものだ。
「それは魔晶石だ。中級魔術が数発は撃てる量の魔力を貯められる」
「中級の魔晶石ですか!? そんな高価なもの……」
うん、完成品を買うと高いよ。
一つ金貨10枚也。何と! ひゃっくまん円のモバイルバッテリーでございます。
これは魔石持ち込みで作製してもらったから、十個の加工賃が金貨5枚だったかな。
まあ、一つ5万円でも庶民にとっては高いけど。
「元手はそんなに掛かってないから」
「でも……兄さまからは三年前にも宝石を頂いたし……」
宝石?
ああ、そういえば……実家を出る前に置いていったな。
フロンティアで好き勝手に採取したものの一部を還元したのだ。
魔物や野生動物の肉と素材のほか、採掘した宝石を一つロッテのために残していった。
貴族の令嬢として、彼女もいずれはどこかへ嫁に行くだろう。
宝飾品の一つでもあった方が便利だろうと思ったのだ。
大したことじゃない。
「俺はもっと容量のデカいやつがあるから、それはもう使わないんだよ。貰ってくれ」
「……はい。兄さま、本当にありがとうございます」
魔法学校に入学してから『黒閻』との衝突。
度重なる死闘とヘッケラーによる指導で、俺の魔力量はさらに増大した。
ベヒーモスの小魔石を加工した魔晶石を手に入れたこともあり、中途半端な魔晶石など、俺が持っていても魔法の袋の肥やしになるだけだ。
「放出魔術を使えるだけの魔力を扱うセンスがあるのなら、恐らく簡単に魔力を取り出せる。消費した魔力の補充は、魔法の袋や“倉庫”に入れずに持ち歩くなり置いておくなりすれば、長くても数日で溜まるから」
「はい!」
若い頃のエルザに似た眩しい笑顔だ。
思わず古い魔晶石を全部あげたくなる。
さすがに十個全て渡したら金銭的な価値が高すぎて危ないので、8歳の少女にホイホイ渡したりしないけど。
「ん?」
俺は背後から肩をトントンと叩かれる感触に振り返った。
「ねぇ、クラウス……それ、お母さんも欲しいなぁ~」
「…………」
さすがに四十路の母の猫なで声はキツイのですが……。
「それがあると、診療所の仕事も楽なんだけどな~」
しつこさに耐えかねた俺は、結局エルザにも中古の魔晶石を譲ることとなった。
魔晶石から引き出した魔力を使って追加の訓練を終えたロッテに、俺は改めて修練の方法を説明した。
「強化魔法や魔法障壁の展開訓練を反復したり、放出魔術の精度を上げたりすることは重要だ。魔力そのものの制御を訓練すれば、実戦では大いに役に立つ。さらに、自然科学の理論を応用すれば、既存の魔術をそのまま使うよりもさらに強力な火力や貫通力を持つ魔術を構築できる」
地球の物理法則とは異なる点もあるだろうが、俺たちが同じような人間タイプの生命体である以上、応用できることは多いのだ。
「もちろん逆も然り、一般的な魔術師の鍛錬にも有用なノウハウがある。攻撃魔術を単純な面制圧や火力として使うだけなら、治癒魔術で外傷や一般的な毒物に対処するだけなら、俺のやり方でも構わない。しかし、自然科学とは別のルートで進化した魔導理論には、俺の想像の上を行く産物が多々含まれている」
「それで……何か困ったことがあるのですか?」
「ああ、実際にアンデッドの対処に困り、自然界には存在しない毒と予備知識の無い属性の魔術に翻弄されて死にかけた」
初めてボルグと戦ったときは酷かった。
高火力の魔術を連発できることに、強化魔法による力押しで大抵の人間どころか獣にも競り勝てることに、俺は胡坐をかいていた。
その穴を見事に突かれた結果が、初めてボルグと遭遇したときに殺されかけたことだ。
何故、助かったのかといえば、全ては運が良かったからに過ぎない。
全くの偶然で強化咆哮が発動して『マナディスターブ薬』によるデバフを弾き、老練な先輩の聖騎士デ・ラ・セルナの援護が間に合った。
あんな幸運は二度と無いだろう。
そもそも、デ・ラ・セルナはもういない。
「俺は……魔法陣や魔導理論など、魔術師としてスキルアップする定石の真ん中をすっ飛ばしてしまったからな。少なくとも、宮廷魔術師クラスの連中なら、そのほとんどが魔法陣などの学問を触っている。俺は今も理論の方は勉強中だ」
今でも時々、魔法学校の図書館からレイアおすすめの資料を借りて、魔法陣や理論の勉強を続けている。
魔法陣作成の才能が無いからといって、知識が全くの無駄になる保証は無い。
もし知識が無駄になるとしたら、それはナノマシンや電脳化によって、人間が脳みその記憶力に頼る必要がなくなったときの話だ。
地球はともかく、この世界では大分先のことだろう。
「去年、王都で俺がエンシェントドラゴンと戦った話は聞いているか? あの時も宮廷魔術師団の運用する魔法陣が活躍した」
「そうなのですか!?」
「ああ。勇者の聖剣に俺の火力と宮廷魔術師団の技術、力を合わせたから勝てたんだ」
「凄い!」
実際、俺が戦線を離脱した際にもエンシェントドラゴンを同じ戦場にとどめていたのは、ヘッケラーの部下たちが設置した魔法陣による功績が大きい。
フィリップの参戦で最終的に討伐できたとしても、宮廷魔術師団の力が無かったら、被害はさらに広範囲に及んでいたはずだ。
「ロッテはもっと魔術が上手くなりたいかい?」
「はい!」
「いろんな知識や技術があれば、魔法剣士はもっと強くなれることがわかっただろう?」
「はい!」
「なら、まずはあらゆる視点から魔術を理解しようとする心掛けを、忘れないようにしなさい。魔導理論だけでなく、自然科学だけでなく。もちろん実践だけでもなく、ね。“火弾”一つとっても、練習方法や使い方は決して一通りではないんだ」
「わかりました!」
うん、いい返事だ。
俺の自分でもわかるほどつまらない講義に仏頂面していたのが嘘のようだ。
「それでは早速、火について詳しく調べ直してきます。兄さまの資料、借りてもいいですか?」
「ああ。さっき講義をしたままだ。俺の部屋にあるよ」
ロッテは領主館の方に向かって走り去った。
俺の部屋……見られて困るものは無いよな?
「まあ、あれが取っ掛かりになればいいか」
好奇心や知識欲は役に立つ。
ロッテがやる気になったのはいいことだ。
実践に付き合うのは無駄だと思ったが……案外、悪くなかったのかもな。
俺は小さな成果を出せたことに安堵した。
「ふふっ」
「……何か?」
「意外と才能あるんじゃない? 教師の」
「さすがに恐れ多くて誇れませんよ。魔法学校にはもっと優秀な教師が居るでしょうし、師匠のことを思えば何とも……」
やれやれ……。
本当に、人にものを教えるのって難しいものだな。
ヘッケラーは魔術師の定石を外している俺によく指導できたものだ。
「さて、とりあえず俺の仕事は終わ「クラウス様! 奥様!」」
伸びをしかけていた俺は、血相を変えて訓練場に駆け込んできたイレーネの声に振り向いた。
もう年なのだからあまり走らない方がいいと思うが、どうやら緊急事態のようだ。
「どうしたの?」
「そ、それが……猛スピードで飛竜が近づいているとの……」
俺はエルザに答えるイレーネの言葉を全て聞く前に走り出した。
領主館前の町の広場まで行くと、そこには大勢の領民が集まっていた。
それなりに魔物の襲撃があるとはいえ、イェーガー士爵領はトラヴィス辺境伯領なんかに比べれば遥かに平和だ。
当然、ワイバーンの襲来など一大事である。
既に、件のワイバーンは町の上空に接近していた。
普通なら俺が先陣を切って対空の雷魔術を撃ちながら斬りかかるところだが、俺はむしろ武器を持って集結している領民の方に焦って顔を向けた。
何故なら、ワイバーンは既に俺の“探査”の範囲に入っており、その背に乗る人物の反応も捉えていたからだ。
「「待て!」」
アルベルトと俺の声がハモった。
彼もワイバーンに取り付けられた手綱を視認しており、人が騎乗しているものだと気づいていたようだ。
よく見れば、ワイバーンの鞍には王国軍の紋章が取り付けられている。
バルトロメウスの指示で、警戒していた騎士団員たちが次々と武器を下した。
どうにか友軍を撃墜するという不祥事は免れたようだ。
警戒がある程度解けたのを騎乗した騎士が見て取ったのか、ワイバーンはゆっくりと町のど真ん中に降下してきた。
ホバリング状態から着陸し、翼から齎された風圧で砂埃が舞う。
物的な被害は出ていないが、また随分と強引なことだ。
しかも、降りてきた竜騎士はたったの一人。
無警戒というか、豪胆というか……。
「何も……むぐっ」
バルトロメウスが騎士団を代表して誰何しようとしたので、俺は慌てて彼の口を塞いだ。
何故なら、俺には既に竜騎士の正体がわかっていたからだ。
たとえバルトロメウスが乱暴な口調で問いただしても、本人は別段問題にしようとしないだろうが、相手の身分を鑑みるに無礼な振る舞いは制止したい。
群衆が見守る中、俺に気づいた竜騎士がこちらに近づいてきた。
軽装の防具をつけているが、騎士にしては細身で小柄だ。
「キャロライン殿、何故あなたが?」
俺の呆れたような一言に、竜騎士は軽く驚いたような仕草を見せると、バイザー付きの面に手を掛けた。
彼女がフルフェイスの面を取ると、その素顔が露わになる。
振り乱されても太陽のような輝きが損なわれることのないブロンドが風に靡いた。
予想外の美女の登場に皆が絶句する中、彼女は整った顔に僅かに悪戯っぽい笑みを浮かべる。
着陸したワイバーンに騎乗していたのは、俺もよく知る軍務局の官吏キャロライン・デヴォンシャーだった。