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雷光の聖騎士  作者: ハリボテノシシ
学園編3年(家臣編)
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138話 入国 後編


「マイスナー殿、下ろしてやれ」

「しかし……」

「任せろ」

 マイスナーに続いて馬車から降りたフィリップは、口角は上げていたものの目は全く笑っていなかった。

 フィリップの言う「任せろ」は、明らかに不穏な意味だ。

 表情からそれを察したマイスナーは、自分が締め上げて殴るよりも悲惨な目に遭いそうな指揮官の末路を想像すると、幾分か溜飲が下がり冷静さを取り戻した。

 黙って頷いたマイスナーは男の喉元から手を離した。

「げはっ! ゴホッ! ……くそっ、貴族である私にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!? 貴族の名は、貴様らのような庶民の命よりも重いのだ!! おい! こいつらを殺、ぜヴオァッ!!」

 尻もちをつきながら喚く指揮官の言葉が最後まで発せられることはなかった。

 指示待ちの体勢から緩慢な動作で武器を構えようとした兵士たちは、突然の出来事に一斉にフリーズする。

 何しろ、自分たちの指揮官がいきなり口から血をまき散らしながら目の前に転がってきたのだ。

 兵士たちが視線を上げると、爪先を軽く振りぬいた体勢からゆっくりと脚を下ろすフィリップが目に入る。

 指揮官を吹き飛ばしたのはフィリップの前蹴りだった。

 予想の斜め上を行くフィリップの乱暴な振る舞いに、マイスナーも一瞬だが唖然としてしまう。

「あ、が……ば……」

 フィリップはツカツカと芋虫のように痙攣する指揮官に近づいた。

 さすがのマイスナーも、これはさすがに制止するかどうか迷う。

 クラウスならともかく、まさかフィリップがこうも迷いなく手を出すとは思っていなかった。

 しかし、フィリップは落ち着いてマイスナーを手で制した。

「レイアとファビオラの気持ちを思えば、こんなものでは全くもって足りないが……今は一刻を争う状況だ。私の婚約者を不躾な目で見たことに関しては、今回はこれで許してやる」




 フィリップは空気が震えるほどの強化魔法の魔力を身に纏うと、さらに兵士たちに近づく。

 さすがに至近距離で魔力の余波を浴びると、兵士たちも圧倒的な力量差を感じ取って硬直した。

 もちろん、先ほど指揮官を蹴り飛ばしたときは、魔力など一切使っていない。

 フィリップは生粋の剣士で、格闘や足技の心得はほどんど無いが、それでも勇者として覚醒した強大な魔力を以って強化魔法を発動すれば、蹴りで並みの人間の頭部を吹き飛ばすことは容易だ。

 素人同然の相手に食らわせたりなどしたら、間違いなく首なし死体になる。

 フィリップは汎用の魔法の袋から安物のポーションを取り出すと、口の中を切って痛みに呻く指揮官にそんざいに振り掛けた。

 ポーションの効果で痛みが治まってきた指揮官も、フィリップの纏う尋常ではない気配に中てられて恐怖に慄く。

「き、きしゃま、何者……」

 フィリップは地面に転がったままの指揮官を冷たく一瞥し、つまらなそうにため息をついた。

 未だ傷の痛みが消え切らない指揮官には、もはやイキがって突っかかる余裕は無い。

 フィリップはゆっくりとした動作で自分の懐を探った。

 対峙する公国の警備隊が緊張しながら見守る中、フィリップが取り出したのは一振りの短剣だった。

 実用的なナイフではなく、装飾が施されてオルグレン伯爵家の家紋が強調された、儀礼用の短剣だ。

「っ! そ、それは……」

「私が、ライアーモーア王国の当代勇者にして運送ギルド総括、フィリップ・ノエル・オルグレン伯爵だ」

 貴族の証である家紋が刻まれた品は数多く存在する。

 印章はどの家でも必ず所有しているが、当主はそれとは別に家紋入りの品を携帯している場合が多い。

 人によって、ただの金板だったり、文鎮のような文房具だったり、ユーモアのセンスがある者だと酒用のスキットルだったりと、形態は様々だ。

 中でも、武官系の貴族に好まれるのは短剣である。

 実戦で使おうというわけではない。

 そもそも、王国政府に紋章を登録して作製してもらう儀礼用の特注品なので、耐久力やグリップ感などの使い心地の面で、実用的な武器には圧倒的に劣る。

 よって、バカでかい家紋入りの長剣は廃れた。

 命を託す一振りの愛用の剣にゴテゴテの装飾を入れるなど、本物の武官からすれば見栄っ張りの阿保扱いだ。

 刃物に紋を入れることで、武を誇りとする一族であることをアピールしつつ、重要な武器は実用品を持つ。

 あくまでも、家紋入りの短剣は軍系貴族におけるトレンドということだ。

 さらに、商家や家臣家でこの紋章入りアイテムの携帯という慣習を真似る者はまず存在しない。

 違法ではないが、家紋入りの品を携帯することは貴族の嗜み、というのが各国共通の認識である。

 商人たちに言わせれば、いたずらに面子お大事マンの貴族のプライドを傷つけるのは時間の無駄。

 貴族に言わせれば、商人が身の程を弁えて高貴な身分の自分たちに配慮した。

 傍から見れば、それこそ簡単に貴族を騙れそうだが、やはり紋章入りの小物を見せるという行為はそれなりに信憑性があるものとして扱われる。

 フィリップは家紋入りの短剣を堂々と示した。

 たとえ、オルグレン伯爵家の家紋を知らなくても、家紋入りの儀礼用短剣を所有しているということは、フィリップが貴族家の当主であることは疑いようがない事実だということだ。

 まさに、指揮官の目の前の青年が、オルグレン伯爵その人である証明に他ならない。

「そ、そんな……」

「どうした? 貴公の話では、貴族の肩書きは人の命よりも重いのだったな。名も知らぬ男爵公子殿」

 指揮官の男はしばしの間視線を上下左右に彷徨わせていたが、やがて力なく首を垂れた。



 公国とは、国王ではなく最上位の貴族である大公が国家元首として治める国である。

 キーファー公国は悪い意味で貴族至上主義の国だ。

 先ほどの指揮官のような無能でも、血筋だけで庶民の平均とは比べ物にならないレベルの地位と収入が約束される。

 王国貴族にも血筋だけで職を得られた例はあるが、少なくとも他国と密接に関わる役職や、人の上に立つようなポジションに就くことはまず無い。

 公国のシステムがそんな良識を覆してしまうものであることは、先ほどの出来事ではっきりした。

 ファビオラは指揮官の男の視線を思い出し嫌悪感を露わにした。

「ここは王国と国境を接する地域のはずなのです。交易都市を有する領地とは思えないのです」

「公国の中ではマシな方よ」

 実際、王国に近い辺境である分、エルナンド伯爵領の人々は柔軟な価値観を持つ方だ。公国の中では。

 レイアも魔法学校に入学する前の冒険者として活動していたころに、一時期だが公国に滞在したことがある。

 当然ながら、当時のレイアは身元の不確かなハーフエルフのソロの冒険者という、貴族からは最も遠い階級にあたる存在だ。

 平民の目線から、公国中央の貴族が平民をどう扱っているか、嫌というほど理解している。

「ワタクシたちは、種族の面でも余計に、なのです?」

「亜人という括りでの差別なら、王国でも似たようなものだわ。どこの国にも、薄汚い選民思想に染まっている奴が一定数は居るものよ。貴族や上流階級には特にね。でも、貴族だから許される横暴ということに関しては、ここの歪さは王国の比ではないわ」

 貴族にあらずんば人にあらず。

 公国に居た頃のレイアは、庶民がそのように扱われる現場を何度も見てきた。

 ひどく説得力のある説明だった。



 関所でのトラブルの後、フィリップは国境警備隊の指揮官を許した。

 とはいえ、ただ不問に付したわけではない。

 彼とのトラブルに関しては、エルナンド伯爵にしっかりと報告することが決まった。

 その上で、フィリップは指揮官の行動を自国に対する忠義と職務への熱意として称賛すると告げた。

 指揮官には引き続き国境での任務にあたるよう指示している。

 今回の訪問に際して、正式に使者を立てて承諾を得られたわけではないが、王国と公国の間に貿易が成り立っている以上、フィリップはエルナンド伯爵の客人である。

 指揮官はこれ以上フィリップに逆らって状況を悪化させるわけにはいかず、かといってオルグレン伯爵家に尻尾を振り過ぎれば売国奴扱いされるわけで……。

 説明を聞くまでマイスナーは納得できない様子だったが、フィリップの悪辣な策を理解してからは上機嫌だ。

「彼奴はこれから難しい立場を強いられることになる。上手く使えば、メアリーの捜索に役立つかもしれぬ。ちょうどいい駒だ」

「なるほど……あの真っ直ぐな少年剣士だった伯爵様も、悪い大人に毒されてきたねぇ」

 呆れたように首を振ったマイスナーは、フィリップの周到さに感心した。

「まあ、あんな奴でも利用できるのならいいさ。イェーガー将軍が居たら、あの指揮官どころか関所の兵士が皆とっくに黒焦げ死体だったろうよ」

「うむ、安物の治癒ポーションすら勿体ない輩であったが、クラウスのように片っ端から殺して壊しているようでは芸が無い」

 クラウス本人が聞いていたら、落ち着きの無い頃のフィリップを知っているだけに、どの口が言うのかと反論していたに違いない。

 因みに、レイアに治癒魔術を頼まずポーションを使ったのは、指揮官にレイアを近づけたくないという思いもあってのことだが、さすがのフィリップもそれを口に出すほど気障ではなかった。

 もっとも、レイアが何となくそれを察しているあたり、フィリップの天然ジゴロぶりが窺える。

「……なぁ、イェーガー将軍は本当に招集しなくていいのか?」

「…………」

 唐突なマイスナーの問いにフィリップは沈黙を保った。

「はっきり言うが、今回の件であの男が居ないってのは、かなり不利な状況だぜ。伯爵様もわかっているはずだ。イェーガー将軍の実家で注目度の高いトラブルがあったのと、メアリーの嬢ちゃんの誘拐。同時に起こったのは偶然じゃねぇ」

「……そうであろうな」

「だったらよ。今からでも……」

「クラウスは……何かあれば必ず助けに来てくれる。今までもそうであった。そして、それはこれからも変わらない」

「「「…………」」」

「見えてきたぞ、あれがエルナンド伯爵の居る交易都市ポートシャーロックだ」


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