135話 家族との会話 中編
俺は沈んだ表情で居間を退出した。
正直、父に何と声を掛ければいいのかわからなかった。
俺はこの世界に転生して、家族とは良好な関係を築いて上手くやってきたつもりだった。
幼少期から鍛錬を怠らず、独立するのに十分な力を蓄えた。
運にも恵まれた。
王都に出てすぐにランドルフ商会と縁を繋げたのは幸運以外の何物でもない。
神からの説明もスキルやステータスなどのヒントも無く、それでも可能な限りの準備をして頑張ってきたのだ。
転生者であることを隠しつつも、俺は両親や兄弟には友好的に接してきた。
前世の記憶と価値観がある俺は、今生の親がロクデナシだったとしても、ドライに切り替えられる思考を持っていたはずだ。
しかし、イェーガー士爵家の面々は、少なくとも一生理解し合えないような連中ではなかった。
普通の家族に近い関係を築けるように努力してきたつもりだ。
それでも、俺はアルベルトには息子として見られなかったのかもしれない。
当然ながら、俺の前世の記憶には両親のことも含まれている。
……俺とアルベルトは、どこかお互いに相手を本物の親(子)として認識できていなかったのかもしれないな。
十数年の月日を共にした以上、ある程度は親への愛情を育んできたつもりだったが……。
アルベルトにとって、バルトロメウスとハインツは本当の息子だ。
バルトロメウスの人生を狂わせてしまった俺は、やはり拒絶されるのだろうか?
残念……いや、悲しいのかな?
少なくともマイナスの感情が湧きおこる以上、人間らしさを失うほど冷淡になったわけではないようだ。
その点は安心したが、心は晴れない。
「クラウス」
廊下でハインツが俺を呼び留めた。
気配で接近には気付いていたが、あえて避けるのもどうかと思案していたところ、向こうから声を掛けてきた。
「ああ、ハインツ兄さん。えっと……」
そういえば……ハインツには軍務局へ提出する書類を頼んでいたんだった。
「報告書の方は?」
「さすがにもう終わっているよ。概要をまとめるのに何日も掛かりはしないさ」
そうだった。
一番時間を食いそうなアルベルトの仕事が終わっているのだ。
ハインツの仕事がそんなに遅いわけはないか。
「そうですか。さすがはハインツ兄さん、仕事が早い」
父や兄がせっせと仕事をこなしている間、俺は何をしていればいのだろうか?
いや、もう彼らの役目は終わってしまったから、今更俺が何かやり出しても遅いか。
俺の仕事は待機。
軍務局が来るまで、ここで待機だ。
ヴァレリアの首の保管も俺の任務になる。
他にも『フェアリースケール』の中毒者が現れたときに戦うのは俺になるだろう。
しかし、どうにも落ち着かない。
「ねぇ、クラウス。ヴァレリアさんのことは……」
「その件は、本当に何とお詫びをしたらよいか……。ハインツ兄さんにも、こんな面倒な仕事を押し付けてしまって……」
「ああ、いや……僕の方は全然問題ないんだけど……」
何だか思考が空転しているな。
良くない傾向だ。
「ハインツ兄さんが作成した報告書をもとに、イェーガー士爵家は国賊を捕えるのに貢献した体で話を進めます。男爵の身柄が王都に移されれば褒賞が出るはずなので、今回の騒動による損害はそちらで補填を……」
「クラウス!」
俺を遮ったハインツは、頭痛を堪えるように額に手を当ててため息をついた。
「僕たちにも、話せないことなのかい?」
「……何がでしょう? フェアリースケールの件なら、軍務局から正式に……」
「違う。クラウス自身のことだよ」
さすがにアルベルトの件があったばかりだ。
驚愕の表情を表に出すことは、どうにか免れた。
しかし、アルベルトに続きハインツまで、俺の事情に勘付いているようなことを言うとは……。
「クラウスは昔からその調子だ。僕たちや両親に伺いを立てることこそあるものの、相談をしたことは全く無い。さらに、君自身はそれが当然のことのように振る舞っていた。既に、自分の生まれ落ちた意味が、使命がわかっているかのように。何故、そこまで一人で抱え込む?」
ハインツはイェーガー家の中で一番頭が切れる。
もしかしたら、俺の幼少期の不用意な振る舞いのせいで、既に転生者であることに気付かれていたのかもしれない。
ポーカーフェイスを装っているものの、俺の利き腕には自然と力が入る。
最悪、兄の口を封じなければならないのか……。
「クラウス、君が僕たちとは違う異質な存在だということはわかっている。だけど、達観や自立心では説明がつかないことが多すぎるんだ。君は……」
その先は、できれば聞きたくない。
「君も、オルグレン伯爵と同じく勇者なのか?」
「……ハインツ兄さんは勇者の伝承をご存じで?」
「ん? ああ、オルグレン伯爵が勇者に認定されてから、商隊が売りに来ていた本を買ってみた……って、そうじゃなくてさ!」
……どうやら俺の考え過ぎだったようだ。
まあ、この世界で転生者なんて概念が一般的ではない以上、思いつくのは勇者や魔王か。
それと、うちの実家には勇者と魔王の伝説の本は無かったはずだ。
両親から寝物語に聞いた記憶も無い。
現代日本なら、田舎の子どもでも桃太郎や浦島太郎を知らない人間は少ないだろう。
しかし、この中世世界においては、有名な昔話ですら田舎では知られていないこともあり得るわけだ。
まあ、我がイェーガー家は昔からこの地に定住してきたわけではないので、両親は勇者の昔話を知っていたのかもしれないが、子どもたちに教えることは失念していたようだ。
ハインツは今更ながらに勇者の伝説を調べたのだろう。
「僕は勇者の出現には何か意味があると思っている。千年前の伝承に関しては色々と眉唾なことも多い。しかし、魔王という明確な脅威の対になる存在として認識されている以上、勇者の出現には勇者でなければ対処できない天災が伴うのではないか? もし、クラウスが勇者だったのなら、定められた使命に幼いころから気付いていたとしてもおかしくない」
このセリフだけ聞けば、末期の中二病を疑うところだが、この世界において実在する概念に基づいている以上、無視できない点も色々とある。
勇者の伝説を知っただけでここまで考えられるハインツは大したものだ。
まあ、実際には、幼いころに天啓で自らの使命を、なんてことは現勇者のフィリップにも無かったわけだが。
「その説は非常に興味深いのですが……残念ながら、俺は違います。勇者はフィリップです。彼の愛用の剣から聖剣が誕生したことが、それを裏付けています」
「そうか……なら、クラウスは神の啓示も勇者の定めも無く、こんな田舎で育まれることはあり得ない価値観を身に着けた、ってわけだね」
……ハインツを侮るべきではなかった。
どうも安心したところで俺の事情の核に急接近されてしまった。
さて、どうやって誤魔化したものか……。
しかし、救いの手は意外なところから差し伸べられた。
「おーい、クラウス! 来てんだろ!?」
領主館のドアが開け放たれる音とともに玄関から聞こえたのは、紛れもなくバルトロメウスの声だった。
今の俺にとって一番合わせる顔が無い相手だが、状況が状況なので縋らせていただく。
「お呼びのようです」
「…………」
俺はハインツの視線から逃げるようにバルトロメウスの声の方へ足早に向かった。
「バルトロメウス兄さん……」
「よお、クラウス。探したぜ。おう、何だ。ハインツも居たのか」
ハインツも俺に付いてきたので、決して広くない玄関が男三人で塞がれることになる。
そのことに真っ先に気づいたハインツに促され、俺たちは居間へ移動した。
アルベルトの姿は既に無かった。
俺と兄たちが思い思いの椅子に座ると、イレーネがお茶を持ってきた。
彼女に父のことを聞いてみると、書斎の方へ行ったらしい。
「失礼いたします」
イレーネが退出し、俺たちのカップに口を付ける動作がシンクロする。
こうして兄弟で集まるのも久しぶりだ。
思えば今回の帰省直後も、のんびり兄たちと語り合う暇など無かった。
何せ、俺が実家に着いたとき最初に目にした光景は、バルトロメウスとエルマーのつかみ合いだったのだ。
事情を聴いた後も、ヒルデブラント男爵家への対策を考えたり準備をしたりで、食卓を共にする機会すら無かった。
男爵父娘を拘束した後のことなど言うまでもない。
「そういや久しぶりだな。クラウスも交えて集まるのは」
「そうだね」
「ええ」
バルトロメウスも俺と同じことを考えていたようだ。
「昔は……よくここでクラウスに治癒魔術をかけてもらったな」
「そうだったね。それで、後で母様にバレて怒られたりしたね」
「そんなこともありましたね」
兄たちは俺のように自前で治癒魔術を使うことなどできないので、外に狩りにでも行って怪我をすれば、当然ながら俺かエルザに治療してもらう必要がある。
擦り傷程度で領主の身内が診療所のジローラモの手を煩わせるのも考え物だ。
エルザもそれなりに忙しい。
何だかんだで、治癒魔術が使える一番暇な人間は三男の俺だった。
自然と、二人の兄の治療は俺が引き受ける機会が多くなった。
エルザにしてみれば、いくら掠り傷で治療済みとはいえ、負傷した事実を黙っていられるのは気に入らなかったのだろう。
最初は俺も素人だったわけだからな。
「ま、それは置いておいてだ……クラウス」
バルトロメウスは俺の方に身を乗り出した。
気は進まないが、俺も聞き流すわけにはいかないので、顔を上げてバルトロメウスに向き直る。
「単刀直入に言っちまうが……まあ、何だ。今回のことは、いい機会だった」
「…………」
どうやら、ヒルデブラント男爵家との話が消え去ったので、バルトロメウスは当初の予定通りフィーネを正妻に迎えるようだ。
これだけ聞けば、普通にめでたく終わる話に思える。
現代なら、略奪愛を目論んだ悪役令嬢が死に、相思相愛の二人が結ばれたハッピーエンドだ。
しかし、それで済まないのが貴族社会の面倒なところだ。
ヒルデブラント男爵家との諍いは、確実に次期イェーガー士爵であるバルトロメウスの経歴の傷になる。
フィーネにとっても、そんなバルトロメウスと一緒になるのは、相当な覚悟が必要なことだろう。
「バルト兄さん、愛されてるね」
「まぁな。俺みたいな曰く付きに、最後まで付き合い続ける必要なんか無ぇってのに……。あいつは凄ぇ奴だよ……」
バルトロメウスは顔を上げると、俺に笑顔を見せた。
「だからよ……結果的には、これで良かったと思っている」
嘘だ。
バルトロメウスはそんなに簡単にヴァレリアを切り捨てられる男ではない。
情がどうこう以前の段階だったとしても、婚姻が決まった以上はヴァレリアに尽くすつもりだったはずだ。
俺だったら付き合いきれないが、バルトロメウスならそんな相手とも真摯に向き合おうとするだろう。
未来のためにポジティブに振る舞っているが、今回の件は消えない傷となってバルトロメウスとフィーネの記憶に留まり続けるに違いない。
結局のところ、俺は一番ダメージの少ない善後策を取ったつもりで、兄夫婦の門出を血塗られたものにしてしまった。
とはいえ、他にいい方法があったのかと言われれば難しい。
後から考えてみても、俺にできるのはイェーガー士爵家と兄たちに害が及ばないように工作することだけだった。
頭ではわかっているが、いざ自分の近くで理不尽なことが起きてみると堪える。
「クラウス、お前には本当に世話になった。ありがとな」
「……はい」
バルトロメウスの自分に言い聞かせるような言葉に、俺もどうにか返事を絞り出した。
本当に、ヤクってのは碌なことをしないな。