130話 後始末と忍び寄る脅威
目の前で娘を処刑されたヒルデブラント男爵は、俺が顔を覗き込むと失神したが、背中を蹴って喝を入れてやるとペラペラと喋り出した。
闇魔術も準備していたのだが、出番は無かったな。
ヴァレリアは父親の計画に加担した理由は単純だ。
バルトロメウス経由で俺に金の無心をすれば、今までよりも贅沢な暮らしができると言って連れてきたらしい。
男爵は男爵で、ヴァレリアとバルトロメウスの婚姻関係をコネに、俺の名前や人脈を自分の領地のために利用しようとした、と。
ここまでなら、フィリップの予想通り、田舎貴族の下らない陰謀で済んだ。
今から数世代を経るまで、ヒルデブラント男爵家が中央から爪はじきにされて窓際に追いやられる、といった程度の話で終わったことだろう。
しかし、あのバカ女は俺に怒鳴られたことでへそを曲げ、部下の中で一番腕の立つ男を暗殺者に仕立てて俺の命を狙わせた。
これだけでも俺に一族郎党を滅ぼされても文句は言えないほどやらかしているが、当主であるヒルデブラント男爵本人までこの悪行に手を染めている以上、事態はさらに大きくなってしまった。
自陣の手勢を過大評価し、俺を暗殺できれば兄経由で遺産が手に入る、などと脳みそお花畑な結論に至ったのだ。
その根拠である『強化薬』こと『フェアリースケール』が、今まさに俺や軍務局が追っている違法薬物だったのだから、男爵が馬鹿で助かったというべきか?
まったく、こんな近くの雑魚に『フェアリースケール』のヒントが隠れていたとは、いい面の皮だ。
一番恥をかかされたのはイェーガー士爵家の面々だが……。
「父上、こいつらの拘束はお任せしてもよろしいですか? オルグレン伯爵家経由で軍務局に連絡を入れて、ヒルデブラント男爵領の調査のついでに引き取りに来てもらいます。それまでは、イェーガー士爵家の方で監視をお願いしたい」
「ああ……」
アルベルトは襲撃者と男爵の拘束を引き受けたものの、その表情からはかなりの憔悴が見てとれる。
まあ、たかが政略結婚がらみの面倒事が、こんな大事件に発展したのだから仕方ないか。
『フェアリースケール』に密接に関わっていたヒルデブラント男爵の罪は重い。
下手をすれば、婚姻関係を結んだイェーガー士爵家も吹き飛んでいた可能性があるほどの話だ。
それを回避するためには、俺と軍務局に協力して、今回の一件を功績に変えてもらうしかない。
「ハインツ兄さん。軍務局への報告書を作ってください。『フェアリースケール』の担当は官吏のキャロライン・デヴォンシャーなので、変なところで捻じ曲げられたり握り潰されたりはしないはずです。嘘はマズいですけど、父上とバルトロメウス兄さんが中毒者の拘束と監視に貢献したことは、きちんと書いてください。俺の名前も使ってくれて構いません」
「わかったよ。任せてくれ」
これで王国に対する手続きは大丈夫だろう。
足りない部分があれば、その都度キャロラインの部下にでも聞けばいい。
で、問題は……。
「バルトロメウス様……」
「…………」
イレーネが声にも反応しないバルトロメウスは、十歳ほど老け込んだかのような様相だ。
突然降って湧いた政略結婚とはいえ、自分の妻になるはずだった女性とその父親が重罪人だったのだから、彼の心労も推して知るべしだ。
バルトロメウスは熱血漢というか体育会系の男なので、結婚が決まった以上はヴァレリアといい家庭を築けるように最善を尽くすつもりだったはずだ。
たとえ、ヴァレリアが傲慢で高飛車な勘違い系のドラ娘だったとしてもだ。
正直、こんな結果になって申し訳ないと思う。
「バルトロメウス兄さん。領民へのフォローが必要です。騎士団と若い衆をまとめて、くれぐれも男爵領に攻め込んだりしないように、それと軍務局の連中と諍いを起こさないようにしてください」
「……ああ」
顔が死んでるな。
「フィーネさん、バルトロメウス兄さんの補佐を」
「っ! は、はい! わかりました」
フィーネに任せておけば、バルトロメウスも持ち直すだろう。
悪いが俺にできるのはここまでだ。
襲撃事件と裏庭での殺戮のせいで宿の部屋に戻れる空気ではなくなってしまったため、俺はパウルに頼んで馬車を動かしてもらい、町外れの人目に付かない場所まで移動した。
念のため周辺を“探査”で探り、耳や目が無いことを確認した俺は、通信水晶を取り出して起動する。
今夜の件をフィリップに報告しなくては。
キャロラインが担当する『フェアリースケール』の捜査に関する重要な情報がある以上、軍務局には最優先で連絡を取らなければならない。
しかし、俺の通信手段といえばオルグレン伯爵家と繋ぐ通信水晶の小玉だけだ。
一度フィリップに話を通して、そこから軍務局に連絡を取ってもらうことになる。
伝書鳩に手紙を依頼するしかなかった今までに比べれば、通信水晶があるだけでも段違いだが、現代のスマホを知っている身としては本当に不便だ。
いつかラファイエットに解決してもらわないとな。
『あ、クラウスさん……』
『クラウス殿、どうされましたか?』
オルグレン伯爵家のフィリップの執務室に置いてある大玉の通信水晶が映し出したのは、エドガーとカーラだった。
フィリップはもう寝ているのかと思ったが、それならエドガーはともかくカーラが居るのは不自然だな。
それに……二人の様子がどことなくおかしい。
通信水晶越しなので、その場にいるような気配を感じることはできないが、二人の表情を眠気とは違う種類の疲労が覆っている気がする。
「ええ、こちらの件で報告があるのですが……何かありましたか? フィリップは?」
カーラは一瞬の逡巡の後、エドガーに頷いた。
『クラウス殿、お館様は今出ております。どうやらメアリー様と連絡がつかないとのことでして……』
「っ!」
俺はエドガーの言葉に背筋が寒くなった。
俺が留守にしている間にオルグレン伯爵家で……よりにもよって、大した戦闘能力を持たないメアリーにトラブルがあったということか。
『メアリーさんの方で、鳩や伝令が確保できないかったではないかと思っていたのですが……フィリップ様は何やら嫌な予感がすると……』
『お館様は既に魔法学校に向かっています』
なるほど、確かに普通じゃない。
オルグレン邸は郊外にあるが、メアリーの居る魔法学校までそんなに遠いわけではない。
馬車を使えばその日のうちに行き来でき、伝書鳩なら数往復できる距離だろう。
連絡が途絶えた以上、早急に足を運んで確認するのは理にかなっている。
現代ならL〇NEの既読が付かないくらいで騒ぐなど束縛し過ぎもいいところだが、この危険な世界ではそんな悠長なことは言っていられない。
特に俺たちは、ここんとこ『黒閻』やら何やらのせいで、踏んだり蹴ったりの目に遭っているからな。
まあ、このままフィリップがメアリーに会えれば、今回の騒動は一件落着だ。
杞憂だったというだけなら何の問題も無い。
しかし、エドガーは言葉を続けた。
『……嫌な予感がするのは私もです。こればかりは説明しろと言われても難しいのですが、言わば戦場で培った勘のようなもので……』
「そいつは馬鹿になりませんね」
剣聖の異名を持つ伝説の元Sランク冒険者エドガーの言葉だ。
経験に裏打ちされた主張において、彼の意見を軽視する者など、ここには存在しない。
「それで、フィリップたちは全員でメアリーのところに向かったので?」
『はい。レイア様とファビオラ様を伴って、お出かけになりました』
戦える嫁を連れて行ったわけか。
『どちらにせよ、お館様から連絡があるまで私たちは待つしかありません。お館様は通信水晶をお持ちになっているので、確認が取れ次第、すぐに連絡を入れてこられるはずです』
『ええ、今はじっと待ちましょう。遅くても今日中にはフィリップ様からお話が聞けるでしょうし……』
それしか無いだろうな。
オルグレン邸の方もエドガーが居れば安全上の問題は無いだろう。
『ところで、クラウス殿の話はどうなったのです?』
俺はエドガーに今日の顛末を説明した。
初日でヴァレリアが短絡的に俺に暗殺者を差し向け、俺に首を刎ねられた話も驚愕に値するはずだったが、それよりも二人が絶句したのは『フェアリースケール』の件だ。
まさか、これほど身近に軍務局の追っているヤクの手掛かりがあったとは、二人とも想像すらしなかったことだろう。
『そういう事情でしたか。では、クラウス殿は軍務局の到着までそこで待たれることになりますか?』
「ええ、父……アルベルト・イェーガー士爵も俺がぶちのめした暗殺者と男爵の拘束くらいはできるでしょうが、『フェアリースケール』の物が物なので放置するのは危険です。念のため、俺も軍務局と宮廷魔術師団の人間が来るまでは、ここで警戒を続けようかと。俺が動けるのは、捜査を軍務局に引き継いで、宮廷魔術師にクソ男爵令嬢の首を渡してからです」
運送ギルドの馬車でも、王都からイェーガー士爵領までは一週間ほど掛かる。
その頃にはメアリーのトラブルも解決しているかもな。
『わかりました。では、私の方で王城の方に伝書鳩を出しておきますね』
「お願いします」
エドガーが王城への書簡を用意し終わり、再び通信水晶の前に戻ってしばらくしたところで、彼は弾かれたように立ち上がった。
『っ! 失礼します。お館様から連絡です』
ようやくフィリップからメアリーの件の報告が来たようだ。
エドガーが部屋にあったもう一つの大玉のディスプレイを起動すると、水晶にはフィリップとレイアとファビオラの顔が映し出された。
よく見ると、フィリップたちの奥にはもう一人の少女が居る。
どうやらアンのようだ。
二重の通信水晶越しなので、フィリップたちの表情や背景までは見えない。
しかし、相手の顔が識別できる程度の画質はあるので、向こうからも俺が居ることはわかるはずだ。
『っ! クラウス!』
「よお、フィリップ。こっちも一区切りついたんでね。まあ、予想以上に大事になっちまったが『クラウス……』」
映像からはわからないが、通信水晶越しに聞こえるフィリップの声はひどく固いものだった。
張り詰めた空気の感触がこちらまで伝わってきそうだ。
俺は背筋を駆け上がる嫌な予感を覚えつつも、口を噤んでフィリップの言葉に耳を傾ける。
『メアリーが、誘拐された……』
フィリップの放った一言に、俺は頭の芯まで冷えるような感覚を覚えた。
どうやらメアリーの件は一筋縄ではいかないらしい。