128話 ヒルデブラント男爵家
ヒルデブラント男爵領。
領土の境界上ではイェーガー士爵領の隣に位置する、規模としてはうちと似たり寄ったりの田舎町だ。
男爵領ではあるが、ここよりも内陸にあるので、沿岸や広大な森のフロンティアを有するイェーガー士爵領よりも領土は狭い。
田舎の小貴族同士だ。
うちの実家とはそれなりの取引があるのかと思ったが、二つの領地の間に山脈を挟んでいるので、交易の便が悪く人の行き来も少ない。
イェーガー領にしてみれば、ヒルデブラント男爵領よりも東の王都方面とやり取りした方がコストも安上がりなのだ。
距離自体は遠くとも、王都まで馬車が真っ直ぐに通れる平坦な道が続いている。
山脈を超えるより東の交易路の整備を優先するのも当然だ。
そんな関係性がほとんど無い田舎男爵が、何故にこれまた弱小の下級貴族であるイェーガー士爵家に縁談を申し込んできたのかと言えば……。
『間違いなく、貴公が原因であろう』
「あ、やっぱり」
領主館の近くの宿の部屋で、今度は正式に緊急連絡としてフィリップに通信水晶を繋いだ。
俺はイェーガー士爵家の親族ではあるが、今はただの招待客でオルグレン伯爵の名代も兼ねている。
実家の領主館に泊まってもよかったのだが、一応アルベルトたちが俺の対外的な立場に配慮した形だ。
通信水晶を使った密談にはちょうどいいので助かった。
アルベルトたちの話から今までに分かったことをフィリップに伝えた結果、返答は予想通りのものだった。
『ヒルデブラント男爵領は、貴公の実家より歴史は長いが、大した特産品も産業も無く財政難だ。当主の力量不足と見栄っ張りな性格に関しては、私も小耳に挟んだことがある。恐らく、実家の婚姻に割り込み親族面をして、貴公に口を出す腹積もりだろう。内容がストレートな金の無心か産業関連での援助の要求かは、今の段階ではわからぬがな』
やはり、ヒルデブラント男爵の目的は俺へのタカリか。
イェーガー士爵家にしてみれば、男爵の魂胆がわかっていても、建前としては単に婚姻の話というだけなので、正当な理由が無ければ断れなかったわけか。
士爵家よりも男爵家の方が立場は強い。
面倒な話だ。
「ありきたりだな。しかし、一つわからないことがある。何故、ここまで事が進むほど放置されていたんだ?」
俺の実家から手を回そうとする連中の存在は、前々から気には掛けていた。
そういう馬鹿はヘッケラー侯爵家とオルグレン伯爵家の威光にビビって、大人しくなったのではなかったのか?
この二つの上級貴族家による虫除けは、確かに効果があったはずだ。
ところが、気づかないうちに男爵令嬢がうちの兄貴と式を挙げるまでに話が進んでいた。
それに、招待状に結婚相手の名前が書いていなかったことも気になる。
俺たちはバルトロメウスの相手が貴族の血筋ではないのだと思い、それなら面倒事も無いだろうと出席してやることに決めた。
仮にも、俺はバルトロメウスの血縁で、個人的に兄と仲が悪かったわけではない。
しかし、イェーガー士爵家の面々は平民との結婚式に招待するつもりは無く、男爵令嬢からの縁談なので仕方なく招待したと言う。
俺たちがそれを知ったのは、イェーガー士爵領に俺が到着した後の話だ。
何か作為的なものを感じる。
どうしても俺を結婚式に呼び出したかった理由が、どこの誰に存在するのかがわからない。
『とにかく、近々ヒルデブラント男爵令嬢のヴァレリアが来るのであろう。貴公も彼女と会ってみることだ』
それしか無いか。
男爵令嬢の人となりを見れば、今後のヒルデブラント男爵への対処も決まってくるはずだ。
彼女がある程度まともな思考回路を持っていて、現男爵である父親の意向に逆らえず困っているようなら、男爵だけ不幸な事故に遭ってもらえば全て解決だ。
令嬢の方には醜い利権争いと無縁の婚姻をセッティングしてやればいい。
まあ、フィリップに丸投げするけどな。
バルトロメウス自身もフィーネと結ばれることを望んでいる。
俺の事情で巻き込んでしまった侘びだ。
キューピットくらいは勤めて進ぜよう。
まあ、もしも男爵令嬢が父親の事情とは関係なくバルトロメウスに惚れているのなら、二人とも娶っても構わないだろう。
そこら辺はバルトロメウスが決めることだ。
結論から言うと、俺の気遣いは男爵令嬢に会った瞬間に水泡に帰した。
貴族の婚礼の儀にも形式は色々とあるらしいが、ヒルデブラント男爵家が選んだのは、特に手順が多く面倒くさいやつだ。
見栄っ張りなのは本当らしい。
で、今日はバルトロメウスとヴァレリア・ヒルデブラントを一番目立つ席に座らせて一回目の……そう、一回目の披露宴となる。
衣装を変え、余興を変え、食事会を何日もやるそうだ。
こんな面倒な形式は今どき王族の結婚でも使わない……らしい。
儀式の名前は忘れたが、今日は招待客からの祝儀を山盛りにして見せびらかす会らしい。
当然、俺もオルグレン伯爵家からの祝儀と子爵相当のイェーガー家からの祝儀を分けてテーブルに積み上げる。
フィリップからは上質な袋に包んだ現金のほかに、弓矢と酒類が送られた。
俺もフィリップに倣って、魔法の袋から清潔な絹の袋を引っ張り出して現金を詰めた。
現物での贈り物は砂糖を中心とした調味料と中くらいのサイズの熊の毛皮を置いた。
どうせこの結婚式は無意味なものになるが、今の段階でトラブルを起こす予定は無い。
男爵の排除はもう少し様子を見てから静かに執行する。
「クラ……イェーガー将軍」
俺が祝儀の品を置き終わったところで、バルトロメウスが声を掛けてきた。
傍らにはアルベルトやハインツと共に、見慣れない女性が立っている。
先ほど、バルトロメウスの隣に座っていたことから、彼女がヒルデブラント男爵令嬢ヴァレリアだろうと予想を付ける。
で、その後ろに居る小太りの中年がヒルデブラント男爵のはずだ。
「イェーガー将軍、本日はお越しくださいまして、ありがとうございます」
ハインツが淀みなく俺に頭を下げた。
今の俺は兄弟ではなく招待に応じて来てやった子爵相当の将軍である。
実の兄や父に頭を下げられるのは妙な気分だが、貴族とはそういうものなのだ。
ここは俺の方も鷹揚にしかし偉そうに対応する場面だ。
しかし、俺が口を開く前に空気を読まない奴が割り込んだ。
「あなたがクラウスね。あたしが今日からあなたの義姉になるヴァレリアよ」
濁った眼に厚化粧の傲慢そうな女だ。
たとえ政略結婚でも、こういう相手はご免だな。
「ヴァレリアさん……」
「いいかしら? あたしはあなたのお兄さんのバルトロメウスと結婚したの。だから、あたしはあなたの義姉ってわけ。これからは、あたしの言うことを聞くのよ」
ハインツを無視してヴァレリアは捲し立てた。
……こういう奴か。
どうやら、排除するのは父親の男爵だけでは済まなそうだな。
背後に誰が居るにしろ、ヒルデブラント男爵がどこまで俺に絡むつもりがあるにしろ、ここまで舐めた真似をされては、ただで済ませるわけにはいかない。
男爵にはハナからその首でちっぽけな陰謀の責任を取ってもらう予定だった。
ヴァレリアは本人の性質次第で不問にしてもいい立場だったのだが……どうやら完全に向こう側の人間のようだ。
後顧の憂いを断つためにも、この女には消えてもらわなくてはならない。
「ねぇ、わかった? 返事は……」
「イェーガー士爵!!」
俺は魔力を乗せた半ば咆哮のような声でアルベルトを怒鳴りつけた。
会場全体の空気が震え、食器のみならず木製の椅子やテーブルまでもガタガタと揺れる。
招待客の何人かは皿を取り落とした。
「……はっ」
「この無礼な女は何だ!?」
「失礼しました! 平にご容赦を、将軍閣下」
アルベルトは俺に深く頭を下げて謝罪した。
俺は転生者とはいえ、この男の実の息子だ。
父は中世の田舎者にしては子どもに対する理解があり、俺にとっては条件のいい転生先だった。
アルベルトの人となりを知っているだけに、今の状態は決して気分のいいものではないな。
しかし、この茶番は最後までやり遂げなければならない。
俺の殺気にあてられたヴァレリアとヒルデブラント男爵は腰を抜かしている。
「不愉快だ。私は失礼させてもらう」
「申し訳ありません」
俺は踵を返すと、会場を後にした。
会場から出る頃には悲鳴や罵詈雑言も聞こえてきたが、俺は全てを無視して宿に向かった。
宿の部屋に戻った俺は、通信水晶を取り出してフィリップに繋いだ。
『そうか、ヴァレリア・ヒルデブラントは駄目か』
「ああ、完全にアウトなタイプだ。ああいう奴は近くに存在するだけで毒ガスのように悪影響をばら撒く。まとめて排除すべきだろう」
ヴァレリアの人となりはわかった。
あの高慢な態度が演技だとしたら見事なものだが、敢えてそんな振る舞いをする意味は無い。
あれが彼女の素だと見ていいだろう。
男爵は一言も発する暇がなかったが、どちらにせよ当主である以上、彼には責任を被ってもらわなければならない。
二人の運命は決定した。
『問題は……』
「口実か」
さすがに聖騎士や勇者の伯爵とはいえ、何の理由も無しに人殺しをするのは外聞が悪い。
まあ、それだけなら暗殺という手もあるのだが、どうせならヒルデブラント男爵の裏を探っておきたいところだ。
あの披露宴ではヴァレリアの人間性がわかっただけで、未だに疑問は一つも解決していない。
あの招待状の不自然な仕組みは何だったのか?
ヒルデブラント男爵父娘は本気で俺から金を引き出せると思って自発的に動いたのか?
背後で操っている奴が居るのか?
こういう仕事こそ軍務局に頼みたいものなのだが……。
『それは難しいであろうな。確かに、不可解なことも多いが、軍務局を動かせるほどの事案ではない。今のところはな。折を見て始末するしかあるまい』
「ああ、わかった。とりあえず、披露宴が終わるまでは待とう。それでも動きが無ければ、あの二人を暗殺するだけで済ませるしかないな」
『うむ、貴公の兄には不憫なことだが……』
確かに……。
政略結婚の話で普通の恋愛結婚が妨害されたのみならず、これまた貴族の事情でぶち壊しにされて振り回されることになる。
一番の被害者はバルトロメウスだ。
終わった後に何て説明しようか。
しかし、そんな俺の懸念は二日目の披露宴を迎えることなく吹き飛ぶことになる。
夜、町全体が寝静まった頃に、俺の部屋に侵入者が現れた。
レイアに貰った結界魔法陣に反応があり、俺の近くで小規模な魔力の変質が起こった。
甲高い音が俺の目を覚まさせる。
魔法陣の中心に居る使用者への指向性を持ったアラートだ。
「(向こうから来るか……)」
俺は枕の下に隠したSIG SAUER P226を取り出し、布団の下でグリップを握り締めて迎撃に備えた。
レイアの結界魔法陣がいかに丁寧に作られた質のいいものとはいえ、隠蔽の類の術式は組み込まれていない。
ある程度のレベルの魔術師ならば、魔力の流れから結界の存在を察知する。
魔術師ではなくとも、一流の斥候や暗殺者ならば、結界を回避することも可能だ。
俺のように火力に秀でている魔術師や魔法剣士なら、わざわざ結界の内部に侵入することなく外から火魔術でも撃ちまくればいい。
その方が圧倒的に攻撃態勢を整えてから着弾までのラグが少ないので、敵に迎撃の時間を与えなくて済むのだ。
剣士や戦士ならば、結界どころか足音すら気にせずに、スピード重視で突っ込んでくる。
ところが、今まさに俺に接近している男は、明らかに暗殺者のような足音を殺した接近をしており、それでレイアの結界に引っ掛かっている。
この襲撃者のレベルは大したものではないだろう。
しかし、油断は禁物だ。
俺は睡眠時と同じように寝息を立てているふりをしながら、いつでも拳銃を撃てるように身構えた。
「…………」
ドアを軋ませる音こそ出さなかったものの、襲撃者は隠しきれない殺気を放っている。
ゆっくりと俺の寝室の扉が開けられ、黒い装束の男が部屋に侵入した。
既に俺に存在を検知されていることにすら気付かない時点で、こいつに暗殺者の才能は無いな。
俺はナイフを持って近づく男に、布団の中からP226の狙いを付けた。
「っ!」
布団の表面の動きでようやく俺が起きていることに気付いた男は、身を翻して逃げようとした。
しかし、当然ながら男が走って部屋を出るよりも俺のP226が火を噴く方が早い。
くぐもった炸裂音が轟き、続けざまに発射された9mm弾が男の脚を撃ち抜いた。
「がっ!」
男が床に突っ伏すのと同時に、俺は焼け焦げた穴の開いた布団を跳ね上げ、左手に魔力を収束させる。
「“放電”」
暗い寝室を一瞬だけ照らした紫電が男に向かって伸び、弾けるような音とともに襲撃者の身体に命中した。
男は床を転がって痙攣する。
死ぬほどの電流は流していないが、マッチョでも一瞬で気絶するほどの威力だ。
あとは拘束して尋問となるはずだった。
しかし……。
「なっ!?」
俺の雷魔術をモロに受けた男は、足を撃ち抜かれて膝をついたままの体勢でナイフを振るってきたのだ。
「何だお前……?」
不自然な体勢でナイフを振るったことで、襲撃者は再び姿勢を崩して地面に突っ伏した。
膝関節を撃ち抜かれた状態では、さすがに真っ直ぐ立つことはできないのだろう。
しかし……どう考えても反撃できるダメージではなかったはずだ。
俺の“放電”は確かに男に命中した。
この男の攻撃自体は難なく躱せる程度のレベルだが、防御力は尋常じゃない。
魔法障壁や溢れ出る身体魔力でレジストした形跡は全く無かった。
魔道具の類で電流や魔力を吸収したり霧散させたりしたようにも見えない。
ダメージは完全に食らっている。
この状態で意識を失うことなく反撃してくるとは、まるでゲームの高難易度に出てくるゾンビだ。
「う……がぁ!」
男は再び膝立ちのまま俺に向かってナイフを振り回した。
「ちっ」
気味が悪いので、もう頭を撃ち抜いて始末したいところだが、情報源をこのまま殺してしまうのは惜しい。
俺はP226をデコックしてホルスターに仕舞うと、ベッドサイドに立てかけてあったサーベルを掴む。
抜刀し、そのまま流れるように剣を振って男の両腕を切り落とした。
さらに芋虫のようにのたうち回る男の側頭部を蹴りつける。
横滑りに吹き飛んだ男は、部屋の壁に勢いよく激突した。
「げぅ!」
ようやく男は武器を取り落とした。
床に落ちたナイフには、いかにも毒っぽい粘液を塗られている。
「……マジで何なんだよ? お前」
襲撃者の男はここまでボコボコにされてなお、意識を失うことなく俺を焦点の合わない目で睨み続けた。
凶器を回収した俺は、どうにか男を鎖で拘束し、サーベルで覆面を切り裂いた。
覆面の下の顔はヒルデブラント男爵の従者の男のものだった。
披露宴会場では男爵の横に控えているのを見たので間違いない。
このタイミングの襲撃だ。
襲撃者が男爵の手先でも何もおかしなことは無いだろう。
大方、ヴァレリアが俺に恥をかかされたとか何とか言って癇癪を起し、男爵の手先を刺客として差し向けてきた、と。
動機も証拠も十分だ。
フィリップと話した口実も、この男が居れば十分だろう。
……しかし、何かが引っ掛かるな。
何故、男爵たちは聖騎士の俺相手にこの程度の刺客一人で対抗できると考えたのだろうか?
この男の打たれ強さがあれば押し切れるとでも思ったのだろうか?
確かに、俺の雷魔術を食らっても気絶しない頑丈さは大したものだと思うが、ナイフの扱いも接近する技術もお粗末なものだった。
ナイフに毒を塗ってあった点は評価できるが、それでも当たらなければ何の意味も無い。
もっとも、俺は解毒魔術が使えるし、強化咆哮を使えば毒に侵されても一時的には動けることが実証済みだけどな。
これで聖騎士を暗殺しようとは、はっきり言ってドラゴン相手に素人が果物ナイフで挑むようなものだ。
ヒルデブラント父娘はその程度のことも分からないほど馬鹿なのだろうか?
「わからん……」
とりあえず、俺は襲撃者のボディチェックから始めることにした。