127話 家族との再会
王国西部イェーガー士爵領。
この世界に転生した俺の生まれ故郷だ。
魔物の討伐に類する軍事行動の指揮で功績を上げた父アルベルト・イェーガーが貴族位を賜り、開拓地の領主に就任したことが始まりらしい。
森に一歩踏み出せば広大なフロンティアが広がる、文明から隔絶されたど田舎である。
士爵領にしては相当な広さを持つ土地なので、畑の作付面積も十分で森の恵みも豊富だ。
未開地としては、それほど貧しい方ではない。
しかし、トラヴィス辺境伯領ほどの大規模な城塞都市を築いているわけでもないので、人口や街の規模はお察し。
当然、定期的に来る商隊も限られている。
魔術や魔道具に関する書物、それに外の情報を手に入れるのに苦労した。
ただ、幼少期の俺にとってありがたかったのは、森の奥から沿岸には誰も立ち入らないので、遠慮なく魔術を練習したり魔物を狩ったり採掘したりできる点だ。
今になって、この場所を訪れる意味など無い。
「と、いうわけで、わざわざ俺様がご足労を掛けられやがる謂れは無いわけだよ」
「旦那……もう領主館ですぜ」
パウルに八つ当たりしても仕方が無いので、俺はため息を吐きながらも馬車から降りた。
何の変哲もない、俺が子どもの頃と何一つ変わらない田舎町だ。
この時間だと、森の中へ狩猟や採取に行く領民以外はほとんど農作業に出ている。
さらに、今はうちの兄バルトロメウスの結婚式の直前ということで、多くの領民が慌ただしく町内を駆け回っている。
当然、俺の姿は彼らの目に入るわけで……。
「(あれは……王都の騎士か?)」
「(高そうな甲冑だな。あのローブもこの辺じゃ見ない魔物の素材だ)」
「(領主様の客人か?)」
「(どこかで見たような……)」
「(ん? あの人は、もしや……)」
「(おい、あれアルベルト様の三男じゃないか!?)」
「(クラウス様か! 魔法学校に行った……)」
「(確か、聖騎士になったって……)」
「(ああ! そういえば号外で見たな)」
完全に悪目立ちしているな。
曲がりなりにも貴族の結婚式なので、俺の他にも外部から来た連中は居るはずだが、彼らはもう宿の方へ行ってしまったようで、領主館の辺りに来客と思わしき人間は見当たらない。
俺もイェーガー家の面々と顔を会わせるのは式の当日でいいのではないかと思ったが、さすがに新郎の実弟の俺が挨拶の一つも無しというのはマズいわけで……。
しかし、こうも人目を集めるのは予想外だったな。
いっそ、この前ラファイエットに貰った隠形のローブでも被ってしまいたいところだ。
仕方ない、さっさと領主館に入ってしまおう。
「(バルトロメウス様! それは! あまりにも……!)」
「(すまねぇな。だが、俺には何とも……)」
「(くっ……それでは! フィーネは……)」
そう思った矢先、イェーガー家の裏庭の方から不穏な口論が聞こえてきた。
バルトロメウスって言ったな。
なら言い争っている連中の一人はうちの兄貴か。
「はぁ……無視はできねぇよな」
俺はまっすぐ家の扉に向かわず、幼い頃に父と剣術の稽古をした裏庭へ向かった。
「フィーネはどうなるのです!? 彼女は……バルトロメウス様を本気で……」
「エルマー、言いたいことはそれだけか?」
「なっ!?」
「俺は長男で次期イェーガー士爵だ。これは、仕方ねぇことなのさ。フィーネも今ならまだ他に相手が見つかるはずだ。最悪、この領地は無理でも王都にでもやれば……」
「……バルトロメウス様、あなたは……彼女をイェーガー士爵領から追い出すつもりですか!?」
「…………」
「ふざけるなっ!!」
俺が口論の現場に近づいたとき、既にエルマーはバルトロメウスの胸ぐらを掴んで拳を振りかぶっていた。
これはマズいな。
バルトロメウスの結婚式のせいで、今は外の領地からの客も多い。
いくら素手とはいえ、領主の嫡男を一方的にぶん殴ったりしたら、エルマーの立場はヤバいことになるだろう。
俺は手を翳して急ぎ魔術を構築した。
「――“氷結”」
「っ!」
“氷結”は初級の水魔術だが、敵を氷で拘束して足止めできるのが便利なので、フィリップやレイアとパーティを組んで冒険者活動を行っていた際には多用していた。
ざっくりと範囲を指定して水分と冷気を凝縮させ敵の手足を囲むだけなので発動も早い。
前衛のフィリップの援護にレイアの魔術を用意するための時間稼ぎと、使いどころは多かった。
当然、殺傷力も低い魔術なので、殺さずに拘束したい場合にも有効だ。
もちろん、普段なら“放電”で気絶させた方が早いが、今回は二人とも顔見知りなので明確な攻撃は控えたわけだ。
「ぐっ、何をする!?」
「おい、あんた! いきなり何の……」
両手足を氷漬けにされたエルマーだけでなく、目の前で魔術を発動されたバルトロメウスまでがこちらに振り返ってがなり立てた。
そりゃ、目の前の人間がいきなり凍ればビビるか。
しかし、バルトロメウスはすぐに俺が誰かわかったようで口を開けたまま固まった。
「お前……クラウス、なのか?」
「え? クラウス様……?」
一拍遅れて、エルマーも自由の効く首をこちらに向けた。
「お久しぶりです、バルトロメウス兄さん。エルマーも……まあ、何て言うか、久しぶりだね」
エルマーの拘束を解いた俺は、バルトロメウスの案内でイェーガー家に迎え入れられた。
かれこれ二年以上は顔を会わせていない連中だが、妹のロッテの背が伸びた以外は大して変わっていない。
家も俺が出たときのままだ。
王都に行く直前に、勝手に領地のフロンティアで狩猟や採取をして得た獲物の分け前として、幾ばくかの魔物の素材は残していったのだが、どうやら家の建て替えやリフォームには回さなかったようだな。
「クラウス兄様、お帰りなさい」
「ああ、ロッテ。帰ってきたってわけじゃないけど…….まあ、何はともあれ会えて嬉しいよ。背、伸びたな」
「はい! ……ところで、兄様。さっきから皆の様子がおかしいんですけど……何かあったんですか?」
確かに、周りを見れば意気消沈したバルトロメウスと俺の魔術でずぶ濡れのエルマー、今にも土下座を始めそうなイレーネに、難しい表情のハインツと両親が揃っていた。
あともう一人、顔面を蒼白にしている、見たことない女性が一名。
先ほどのエルマーとバルトロメウスの小競り合いの件は伝わっているのか、どうにも和やかに挨拶をする雰囲気ではなくなってしまった。
イェーガー士爵家のダイニングには通されたものの、重苦しい空気が充満している。
「……ロッテ、すまぬが診療所に行ってジローラモ殿を手伝ってやってくれぬか?」
「あ、はい。わかりました……」
ロッテは完全には納得していないようだが、アルベルトの指示に従い席を立った。
家のドアが閉まる音を聞き、ロッテの気配が遠ざかったのを確認した俺が口を開く。
「母上、ロッテは治癒魔術が使えるのですか?」
「ええ、クラウスほどの規格外ではないけれど、初級の“ヒーリング”を数回なら使えるわ」
なるほど、妹には母の才能が遺伝したか。
彼女は俺の六つ下なので8歳。
今からそれだけ使えれば上等だろう。
「申し訳ありません!」
「お、おい! イレーネ!?」
「う、うぢのバカ息子が! クラウス様に恩を仇で返すなんて……ぐっ……」
イレーネはやはりと言うか、床にひれ伏して嗚咽混じりに謝り始めてしまった。
彼女は俺が生まれる前からイェーガー士爵家に使えるメイドだ。
昔のイレーネは俺のことを恐れていた。
規格外の魔術を使えるうえに、森の魔物をいとも簡単に屠り、近衛騎士クラスの父を剣術ですぐに追い抜いたのだから、それも仕方のないことだろう。
しかし、彼女の息子のエルマーが魔物との戦いで重症を負い、母エルザや司祭のジローラモの初級治癒魔術では助からない状態に陥ったときに、俺は中級治癒魔術でエルマーの命を救った。
それ以来、彼女は俺に敬意を持って接してくれるようになったわけだが……。
足腰の弱っている婆さんを正座させて喜ぶ趣味など俺には無いのでやめてもらいたい。
「イレーネ、お前は何も悪くないから、とにかく普通に座ってくれないかな? エルマーの件も、ちょっと兄貴との小突き合いの度が過ぎたんで、俺がずぶ濡れにしてお灸を据えたってことにしてさ。あれでチャラだよ」
「しかし……」
「わ、私が悪いんです!」
突然、割り込んできたのは、エルマーの横に座っていた見覚えのない女性だった。
彼女は見たところ兄たちと同じ年頃なので、俺よりも年は大分上のはずだが、俺が視線を向けると再び顔色を悪くして俯いてしまった。
見ず知らずの女性にビビられることをした覚えは無いんだけどな……。
「……あなたは?」
「私の妻の妹のフィーネです、クラウス様。私にとっては義理の妹になります」
俺に答えたのはエルマーだった。
っていうか、エルマーは結婚していたんだな。
初めて知った。
「私が結婚したのはクラウス様が魔法学校に旅立たれた直後ですが、バルトロメウス様はフィーネともっと前からお付き合いされておられたのです。フィーネはバルトロメウス様の婚約者なのです」
何と!
あの筋肉バカっぽいバルトロメウスの兄貴には婚約者が居たのか。
では、今回のバルトロメウスの結婚相手というのは、このフィーネのことだったのか?
「少々、事情が込み入っているのでな。私が最初から説明しよう」
父アルベルトが一から説明してくれると言うので、俺は黙って頷いた。
バルトロメウスとフィーネの関係は先ほどエルマーが言った通りだ。
俺が魔法学校に入学した直後、先に交際していたバルトロメウスとフィーネは、エルマーとフィーネの姉の間を取り持ち、二人は結婚に漕ぎ着けた。
そして、次はバルトロメウスとフィーネがゴールインするのも必然だった。
しかし、ここで横槍が入ることになる。
「そもそも、バルトロメウスはうちの嫡男でクラウスの兄だが、フィーネはごく普通の平民だ。そして、お前は既に我々が足元にも及ばない身分と地位を手に入れて独立した身。本来なら、その程度の結婚式で公式に招待することなど無い。クラウスの場合はうちとは関わらない方針を今まで取っていたのだから、尚更な」
ほうほう。
確かに、貴族が平民から側室を娶る度にどデカい式を催して縁のある家の当主を招待していては、呼ぶ方も呼ばれる方も大変だ。
下級貴族が平民を正妻に迎える場合も同様だ。
このような小さな催しには、かなり親しい間柄の人間しか来ない。
公式の招待状を貴族家宛てに送り付けることなど、普通はあり得ないわけだ。
ましてや、うちの実家はヘッケラー侯爵家とオルグレン伯爵家の圧力により、余程のことが無ければ俺と関わらないようにしている。
その方がお互いの為だからだ。
俺も実家を引き合いに出されるのが面倒だし、イェーガー士爵家にとっても俺への取り次ぎを頼まれて迷惑しないわけがない。
フィリップは大雑把な性格なので結婚式くらい出てやれというスタンスだったが、よくよく考えれば妙な話だ。
もう少し、カーラにでも聞いておくべきだったな。
いや、うちの兄貴の結婚相手が平民の村娘だという情報も無かったのだから、聞いてもそう簡単に有益な情報は得られなかったか。
「何故、フィーネさんとの結婚式の招待状を出すことになったんです?」
俺の疑問に答えたのは次兄のハインツだった。
「クラウス、信じがたいことかもしれないけどね……。バルト兄さんの結婚相手はフィーネさんじゃないんだよ」
「え?」
俺は間抜けな表情で疑問を発してしまったが、他の皆は沈痛な面持ちだ。
当のバルトロメウスは能面のように無表情で、エルマーは唇を噛み締めている。
俺はハインツの説明の続きを待ったが、アルベルトがため息を一つ漏らしてから引き継いだ。
「バルトロメウスに縁談が来たのだ。隣の男爵領から」