126話 出張
「旦那、そろそろ停めますぜ」
「ん……そうか、ご苦労様」
馬車の座席で転寝をしていた俺は、パウルの声で我に返った。
徐々に減速し、街道沿いの茂みから川辺に近づいた辺りでパウルが手綱を引く。
車体が完全に停止したのを確認し、俺も一つ伸びをしてから扉を開けて外に出た。
空を見て見ると、既に日は落ちかけている。
「旦那、野営はここら辺でいいですか?」
「――“探査”……ああ、付近に魔物の気配は無いので問題ない。火種を用意してくれ」
「へい」
パウルが着火の魔道具で小枝に火を付けて焚火を熾している間に、俺は魔法の袋から竈を出して薪とフライパンを用意した。
「今日は簡単に済ませよう。昼に仕留めたアーマーディアの肉を焼く。スープは作り置きのものを温めるか」
「へい」
アーマーディアは硬い外皮と強靭な角を持つ鹿型のCランクの魔物だ。
俺の印象としては、普通の鹿に比べて少し頑丈で素早く狂暴な獣といったところだな。
頑丈とはいっても、それは普通の冒険者や武器にとっての話だ。
俺ならば、少し強度の高い“風刃”の魔術や“ブースト”で強化したクロスボウで、素材の傷を最小限にして狩れる。
むしろ好戦的な性格で真っ直ぐ向かって来てくれる分、臆病な普通の鹿より倒しやすい獲物と言える。
今回は試し斬りがてら刃のブーメランこと偽フラガラッハを投げてみた。
落としたり投擲したりしても手元に戻ってくるこの魔剣は、回転しながらアーマーディアに向かって飛び、見事に首を切り落とした。
オリハルコンを使った刃の切れ味は伊達ではない。
少々、オーバーキルに過ぎる結果が出たが、魔剣のテストと今日の飯の調達ができたのでよしとしよう。
アーマーディアは体格も一般的なエルクより二回りは立派なので、当然ながら採れる肉の量も多い。
そういう意味でも非常に美味しい獲物だ。
「旦那、火です」
「お、ありがとさん」
薪を入れた竈にパウルが火のついた小枝を投げ入れ、俺も厚めにスライスした肉を二つ載せたフライパンを火にかけた。
味付けは塩コショウのみ。
強火で周りを焼き固め、続いて天板付きの竈の口にフライパンを移動させ、弱火でじっくりと火を肉の中に通す。
普通の鹿をこのように熟成もさせず単純な味付けで料理しても、味も素っ気も無い焼肉になるだけだ。
しかし、魔物の肉は新鮮な状態の味にも侮れないものがある。
今こうして料理しているアーマーディアからも、十分な旨味を含んだいい匂いが漂ってきている。
「旦那、今日も美味そうっすね」
「褒めても酒しか出ないよ」
「へへっ、そりゃ全力で媚びないといけねぇや」
ステーキをフランベしたところで、馬に餌を与え終わったパウルが戻ってきた。
別の火で温め直していたスープの鍋の蓋をパウルが開ける。
パウルが覗き込んだ鍋の中では、玉ねぎと根菜を大量にぶち込んだチキンスープがいい具合に沸騰していた。
「こっちも完成だ。スープを注いでくれ」
「へい」
ミディアムレアに焼きあがったアーマーディアのステーキを皿に盛りつける。
パウルがスープを深皿に注ぐのと同時に、俺の方もパンとデザートの野イチゴを魔法の袋から出して、二人の皿に分けた。
これで今夜の夕食は完成だ。
「さ、食いましょう」
「ああ」
魔法の袋から出した焼きたてのパンをスープに添え、俺たちは食事を始めた。
鹿のステーキに具材たっぷりの温かいスープ、保存食ではないパンと果物。
ヘッケラーが居るときより手抜きとはいえ、男二人の気取らない野営飯にしては信じられないほど豪華な夕食だ。
パウルには南部で手に入れたココナッツから作った酒を飲ませてみた。
ココナッツリキュール、いわゆるマ〇ブだ。
これの製法は知らなかったので、ランドルフ商会で製造に着手する前に“醸造”の魔術で試行錯誤しながらいくつか作ってみたのだ。
それぞれ牛乳で割ったものとオレンジの果汁で割ったものを用意する。
「ぷはっ! この瓶のやつが一番美味いですぜ」
「そうかそうか。ありがとう、参考になったよ」
しばらくパウルを観察したが、顔色や呂律に異変は見られなかった。
明日になってもパウルが無事だったら、彼が美味いと言っていたパターンで量産しよう。
本当に便利な毒見役だ。
ヘッケラーだとあまりにも安全性に疑問があるものは避けやがるからな。
食事を終え、パウルがいい感じに出来上がってきたので、俺も毛布を取り出して焚火に薪を足し、野営の準備をした。
レイアの魔法陣があるとはいえ、二人揃って熟睡するわけにはいかない。
パウルは操車で日中に起きているので、夜の見張りは俺の役目だ。
「旦那~、明日には着きそうっすね~」
「ああ、そうね……。はぁ……」
「そ~んな暗そうに……。せっかくのぉ、帰郷なんですから……もうちょい楽しそうにしねぇと……ヒック」
「色々あるんだよ。ほら、もういいから寝ておけ」
「へ~い」
そもそも何故、俺がパウルの馬車で故郷であるイェーガー士爵領に向かっているのか。
その話は、先週オルグレン伯爵家にある一通の手紙が届いたことに端を発している。
軍務局でキャロラインとフェアリースケールについて話してから数日。
特に新しい情報が入ることもなく、俺はいつも通りオルグレン伯爵家の筆頭家臣としての職務に勤しんでいた。
メアリーとアンの実家の武器屋で生産してもらったボルトアクションライフルも、フィリップやエドガーと話して配備の計画を立てた。
奴隷たちの中で戦闘に関して見込みがありそうな連中を私兵団に組み込むことは、既に話に上がっていた。
その中で隠密の才がある者を特殊部隊として訓練し、いずれは対魔術師用の兵器としてライフルを装備させようという話だ。
とはいえ、今すぐに進められる話ではない。
彼らの忠誠心と士気は高いとはいえ、物が物だけに扱いは慎重にならざるを得ない。
銃の実戦配備はもう少し先の話だな。
そもそもライフルの数が少ないし、俺も今はランドルフ商会絡みの酒や南部の食材の件で忙しい。
そんな矢先に、オルグレン伯爵家に一通の手紙が届けられた。
宛先はオルグレン伯爵たるフィリップだが、内容は俺に向けての話だった。
差出人はこの世界の俺の実の父親であるアルベルト・イェーガー士爵。
懐かしの故郷からの手紙だ。
「へぇ、オルグレン伯爵家宛てってことは、うちの実家も俺が仕官したこと知っていたんだな」
「貴公……私が話を通したに決まっておろう」
「あ、そうなの? わざわざクソ面倒くせぇ雑用をありがとうごぜぇます」
知らない間にフィリップが処理していたようだ。
俺では気付かずに放置してしまう事案を片づけてくれるから助かる。
社員のケアを欠かさない社長だ。
素晴らしいホワイト企業だよ、本当に。
「クラウス殿、そんなに実家と上手くいってなかったのですか? 聞いた限りでは、タカりや金の無心をするような、非常識なご実家ではないように思えましたが……」
「いや、実際にそういうトラブルがあったわけではありませんよ」
確かに、エドガーの言う通り、うちの家族は田舎者の割には善良でまともな連中だった。
明らかに異常な力を持った俺を村八分にせず、普通に接してくれたことには感謝している。
聖騎士に任命されたときも、フィリップとヘッケラーの名前で事務連絡的な報告だけを済ませてもらったが、基本的には干渉してくることは無かった。
俺としても、独立して自分の生活基盤を手に入れたからには、実家と関わることはもうほとんど無いと思っていたのだ。
「しかし、そうすると今になって手紙を送ってきた理由が気になるな。フィリップ、何て書いてあった?」
「招待状だ」
「招待状? 何の?」
「結婚式の招待状だ」
「誰の?」
「貴公の兄バルトロメウス殿のだ」
「……そういえば、うちの兄貴たち独身だったな」
よくよく考えればバルトロメウスもハインツも、うちの兄たちはとうに成人している。
俺が今年14なのでハインツは20歳でバルトロメウスが22歳。
この世界なら、二人とも子どもが居てもおかしくない年齢だ。
「バルトロメウス兄さんにそんな相手がいたとはな……」
「それすらも初耳であるか……。少々、兄弟の絆に問題があるのではないか?」
どうやらロドスの目にはうちの家族関係が歪に映るようだ。
「いやぁ、うちの場合は色々と……。そもそも俺がこんなですから、普通に家族として接して、後腐れなく家を出ていかせてくれただけでも、お互い十分上手くやっている方だと思いますよ」
「なるほど、確かに……」
エドガーは俺の事情がわかるようだ。
彼はSランク冒険者の中でもトップクラスの剣士になるほどの腕の持ち主だ。
幼少期には色々とあったのだろう。
親兄弟には恐れられ、嫉妬され、長男は自分の地位を脅かされることを危惧して暗殺者を送り込んだ、とか。
「クラウス、式は一月後だ。山間部でも雪が完全に溶けた、招待客も来やすい時期だな。ギルドの馬車を使っていいから準備しておけ。ロドス、頼むぞ」
「承ったであるな。パウルに行かせるように手配しておくのである」
「え!? 俺が行くの!?」
俺はフィリップの突然の宣言に跳び上がった。
「当然だ。招待されているのは貴公だぞ」
「……何で俺が?」
「別におかしなことではなかろう。貴公はイェーガー士爵の実子だ」
「いや、そういうのってさ。知名度のあるフィリップが行くとか、運送ギルド員で行きたい奴を生贄……もとい観光ついでに送るとかさ」
見苦しく足掻く俺にフィリップはため息をついた。
「無理に決まっているであろう。伯爵家の当主である私が出たら、イェーガー家との身分の差で面倒なことになるぞ。主役は貴公の兄夫妻なのだからな。その点、貴公は辺境伯相当の軍人扱いではあるが、公的にはオルグレン伯爵家の家臣だ。招待するのに何の問題もあるまい」
「じゃあ、私用により欠席させていただきます」
三十六計逃げるに如かず。
この文言で重要なのは、「欠席させていただいてもよろしいですか?」ではなく「欠席させていただきます」と、無理だと断言することだ。
日本人にとって遠慮がちなのは美徳かもしれないが、伺いを立てることすらせずに無理だと言えば、どうにもできない事情があるのだと理解を……。
「名代すら送らないのは、さすがに礼を失する行為だ。認められん」
理解を、得られなかった……。
「じゃあ! それこそ運送ギルドで働き過ぎの奴を休暇がてら……」
「私の名代も兼ねての貴公だ。それだけの権限を持たせることができる者は他に居らん」
「…………」
「オルグレン伯爵家からの祝儀も運んでもらう。魔法の袋があれば重さは関係なかろう」
そんな具合に、結局俺は実家の結婚式に出席しなければならないことになってしまったのである。
前世でも面倒事以外の何物でもない冠婚葬祭。
この世界ではさらに往復で二週間の馬車の旅が加わる。
本当に、冠婚葬祭ってやつは……。
「――ロクでもない代物だな」
『……で、クラウス。貴公はわざわざ私に愚痴を言うために通信水晶を使っているのか?』
パウルの運転する馬車に揺られながら、俺は通信水晶越しにフィリップに文句を言っていた。
この通信水晶はオルグレン伯爵家から出張の多い家臣である俺に貸し出されたものだ。
こちらの小玉からはオルグレン邸の大玉にしか繋げないが、向こうはフィリップ自身が出先で持つ水晶やエドガーが持つ物と通信することができる。
現代のスマホどころかショルダーフォンにも劣る自由度だが、この文明レベルではリアルタイム通信自体が貴重だ。
緊急連絡用に持たせた通信水晶を気軽に使う俺に、フィリップは青筋を浮かべているが、不平不満はついでだついで。
「おっと、君の顔を見たらつい嫌味が、な。ちょっと聞こうと思っていたんだが、俺は祝儀をどのくらい出せばいいんだ?」
『本当に今更だな……』
仕方ないじゃないか。
行きたくねぇ、面倒くせぇ、としか今まで考えてなかったんだから。
「フィリップは金の他にも色々と入れていたが……俺はどうすればいい? そもそも額は? 俺はフィリップの家臣だから、そっちの祝儀の何十分の一くらいだ?」
フィリップは呆れていたが、祝儀に関してはきちんと教えてくれた。
俺は爵位こそ持っていないものの伯爵クラスの軍の地位があり、それでも法衣伯爵のフィリップの下についているというポジションがあるので、こういった席での身分は子爵と同等になるそうだ。
当然、出すべき祝儀の額も子爵相当である。
伯爵家よりは安いとはいえ、自分の子どもの結婚で結納や持参金を出すわけでもないのに金貨が飛ぶなんて……。
やはり貴族というものは金が掛かるな。
『それと、イェーガー士爵領もかなりの辺境だからな。王都で売っている酒や菓子折りも出すといい。持っているだろう?』
「ああ、魔法の袋を漁ればあるはずだ」
『あと、武官である貴公は狩りの獲物の毛皮を送るのもいい。もちろん、新郎の実家の祝儀が見劣りしない程度にな』
そんな具合に、フィリップからの教えでどうにか祝儀の用意を終えつつ、俺は生まれ故郷に足を踏み入れたのだった。