125話 妖精の鱗粉
翌日、俺は王都の行きつけの宿であるワイバーン亭で目を覚ました。
この宿に泊まるのも久しぶりな気がする。
オルグレン伯爵家に仕官してから、普段の俺は運送ギルドの宿舎の一室を借り受けて私室にしていた。
フロアの一番端で、宿舎の中では少しだけ広めの部屋だ。
何故、筆頭家臣たる俺が平ギルド員と同じような部屋に住んでいるかというと、一番楽で気兼ねが無い環境だからだ。
壁の材質からして高そうなオルグレン邸の一室で毎日寝起きするのは気が休まらない。
かといってエドガーやロドスのように、オルグレン邸の広い敷地内に離れを建てて住むのも面倒だ。
もし自分の家を持つことになれば、家を建てるだけでなく管理するのにメイドを雇わなければならない。
そんなことに金と労力と神経を使うのはご免だ。少なくとも独り身のうちは。
俺は特に寝床にはこだわっていない。
屋根と壁があって、ある程度の寝心地のベッドがあればそれでいい。
鍵なんかの防犯も、結界魔法陣があればどうとでもなる。
荷物も必要なものは大抵“倉庫”か魔法の袋の中だ。
唯一、必要なのは掃除だが、ギルドの宿舎に居ればそこで雇っている家政婦のおばさんたちに部屋を掃除してもらえるのだ。
寮費はなあなあにせず毎月きちんと払っているが、それでも新居を建てる面倒に比べれば安いものだ。
前世なら、後に残らず消えてしまう家賃や下宿費は削ろうとしただろうが、転生後の俺の貯蓄からすれば大した額ではない。
そんなわけで、俺は運送ギルドの居住環境に予想以上に適応しているわけだが、やはり王都に来てから一番のホームはここワイバーン亭だ。
安くて清潔で飯が美味い。
役員報酬の一部でランドルフ商会の商品を格安で流したり、狩りの獲物をお裾分けしたりしているが、それも元手はほとんど掛かっていない。
もし、聖騎士とオルグレン伯爵家の家臣の身分を剥奪されてニートになったら、確実にここに引き籠るな。
そんなことを考えながら宿の一階に下りると、いつもの女将さんが顔を見せた。
「おはようさん。今日は休暇にしちゃ早いね」
「いや、それが……今日も王城に行かなくてはならんのですよ」
「おや、まあ。それじゃあちょっと遅すぎるんじゃないかね?」
「そんなに急ぎ過ぎても先方が来ていないでしょう、多分……」
あくまでもイメージだが、キャロラインは規則正しい生活を好み朝が早そうだ。
俺が起きる頃には仕事を始めていてもおかしくない。
まあ、今日の呼び出しでは正確な時間が告げられていなかったので、そんなに急ぐこともないだろう。
「朝食をお願いします」
「はいよ」
今日もワイバーン亭の飯は美味い。
メニューは、レモン風味のソースをかけたバジリスクのソテーをメインに、人参や玉ねぎがたっぷりと入ったスープだ。
朝から肉だが、酸味と香りが見事に調和したソースのおかげでさっぱりと食べられた。
昨日の約束通り、軍務局に到着した俺は、キャロラインに面会を求めた。
早速、彼女のオフィスに通され、いつも後ろに控えているエリーだかミリーだかいう侍女が退出した。
妙だな。
いつもならエリーはキャロラインの傍を離れない。
一緒に話を聞くのを許すどころか、俺に渡す書類を持たせるほど、キャロラインはあの侍女を信頼していたはずだ。
「イェーガー将軍、今日はお時間を頂いて申し訳ありません」
「いえ、それは大丈夫ですが……」
今日のキャロラインは資料の類を一枚も用意していない。
ということは、やはり個人的な話なのだろうか?
キャロラインと言えば、ドSでこの封建社会では珍しく女だてらに軍務局の官吏で公爵令嬢なのに行き遅れで……。
はっ!
まさか、俺という13歳のショタの肉体を狙って……。
「あの~、やっぱり僕そういうのはいけないと思うな、お姉さん」
「……ぶっ殺しますわよ」
「ひっ! すんません!」
「はぁ……早速、本題に入らせていただきます。イェーガー将軍、あなたは『フェアリースケール』というものをご存知かしら?」
「はて、言われてみればどこかで聞いたことがあるような……」
可愛い名前だが、どこかヤバそうな気配を感じる。
少なくとも、妖精の鱗粉そのものではないな。
「こちらが実物になります」
「っ!」
キャロラインが紙に載せて出してきたのは、いかにも怪しい雰囲気の白い粉だった。
僅かにピンクがかった色が付いているが、どう見ても岩塩ではない。
「ヤクですか?」
「はい、危険な麻薬です」
何となく思い出してきた。
盗賊やスラムの犯罪者の間で以前も何度か出回った、摂取すると不死身になったような全能感と狂暴性を齎す、こちらの世界の強力な麻薬だ。
精神依存性も身体依存性も高く、強力な幻覚作用と暴力衝動を引き起こし、禁断症状が進むと衝動的な自殺へ駆り立てるような作用もある。
前世で言えばヘロインとLSDをかけ合わせたような最悪のヤクだ。
某漫画ではエンジェルダストも似たような薬として描かれていたな。
こちらの世界特有の危険な化合物を調べたときに、何かの本や資料で見た記憶がある。
警備隊の記録か、それこそ軍務局で見せてもらった資料に載っていたのかもしれない。
なるほど、こういう話題ならエリーを退出させたことにも納得がいく。
聞くだけで危険な話だからな。
いや、キャロラインは彼女を退出させたのではなく、人払いと見張りを頼んだのかもしれない。
「実物を見るのは初めてですね。ちょっと調べてもいいですか?」
「そういえば、イェーガー将軍は毒薬にもお詳しいとのことでしたね。どうぞ、押収品はまだありますから構いません」
キャロラインの了解を取った俺は、フェアリースケールの粉に“分析”の魔術をかけた。
とはいえ、薬物に対して俺が調べられるのは毒性の危険度くらいだ。
ヘロインやモルヒネなどのオピオイドの構造式や、コカインのトロパンアルカロイドの骨格など、完全に頭に入っているわけではない。
わかったのは、この薬を経口摂取や粘膜摂取すると確実にキマってしまうことと、どうやら化学構造的な要素以外にもヤクの成分が含まれているということだけだ。
恐らく魔法薬的な成分も含んでいるのだろう。
俺には微弱な魔力の痕跡があることしかわからなかった。
「どうですか? 何かわかりましたか?」
「どうでしょう、成分についてわかったことは多少ありますが……キャロライン殿、参考までに聞きますが、麻やコカやケシなどの植物由来の麻薬は、この国に出回っているので?」
「危険な中毒性のある薬物の売買は法で禁止されています。公には出回っては……」
「裏では?」
「……アサの葉の取引は行われているでしょう。全てを規制するのは不可能です。ケシを用いた幻覚剤も、水際で食い止められるように尽力していますが、絶対ではありません。コカ……というのは聞いたことが無いです」
なるほど、やはりこちらでも前世と同じ植物由来のヤクは存在するわけか。
しかも、よりにもよって一番危険なケシがある。
こいつの悪いところは、幻覚作用が強く依存性がとんでもなく強いジアセチルモルヒネすなわちヘロインに精製できてしまうところだ。
癌性疼痛の緩和にモルヒネを用いるのならば有用だが、今の文明レベルでケシが出回るということは、間違いなくヤクとしての利用目的だろう。
まかり間違ってもナンに振りかける薬味として種を求めてのことではない。
「それで、イェーガー将軍。他の薬物がフェアリースケールとどのような関係があるのですか?」
「キャロライン殿、麻やケシから作られる麻薬が植物由来の成分によって幻覚や依存を引き起こすというのはご存知ですか? オピオイド受容体……って言ってもわからないか。要は、魔法薬や魔法魔術とは違うメカニズムで作用を発現しているのです」
「そうなのですか!?」
「ええ、そして魔法薬としての麻薬というものに俺はそれほど詳しくないのですが、このフェアリースケールは両方の性質を持っているようです」
「両方……?」
「作用の面から言うと、このフェアリースケールはケシから作られる最低最悪の麻薬と同じ程度の依存性を持ち、さらに暴力衝動などの危険な作用を足したレベルの薬物、ってことです」
「っ!?」
キャロラインは絶句した。
彼女は軍務局の人間なので一般人よりは規制薬物に詳しいはずだ。
ケシ由来の麻薬の危険性は彼女なりにとはいえ理解している。
そのうえで、さらに危険な要素が詰まっているとなれば、彼女が顔面蒼白になるのも頷けるというものだ。
何となく症例から薬物の性質を予想した資料とは違う。
俺の言葉で裏付けが取れてしまったのだ。
「なるほど。麻薬の作用が魔法薬とは全く別の機序によるものとは、私も初めて知りました。すぐに報告書を上げるようにしましょう」
「今更ですが、フェアリースケールのことを俺に聞いてきたってことは、盗賊関連で大量に見つかったんで?」
「ええ、その通りです。最近は押収される量も少なくなってきたと思っていた矢先の出来事ですから。一応、イェーガー将軍にも話は通しておこうと思いまして。まさかフェアリースケールがそれほどのものとは……。麻薬中毒者の個別の差など聞いたこともありませんでしたからね。流通量の少なさだけで軽視するべきではなかった。もう少し警戒度を上げる必要があります」
一度は忘れかけられていた麻薬がまた出回り始めたのか。
もしかすると、今回も『黒閻』が関わっているのかもしれないな。
俺は念のためキャロラインにも注意を促した。
「わかりました。デ・ラ・セルナ前校長を亡き者にし、イェーガー将軍を苦しめた組織が背後にいるかもしれないわけですね。軽率な真似はしないように通達しておきましょう」
「そうしてください。奴らは一筋縄ではいかない。もし、少しでも怪しい要素があったら、すぐに俺や魔法学校のシルヴェストル校長に伝えてください」
軍務局でキャロラインと息の詰まる会話を終えた俺は、予定通りメアリーとアンの実家の武器屋に来ていた。
「いらっしゃい! おう、兄ちゃんか」
「どうも、親父さん」
去年までならアンも親父さんと一緒に鍛冶場で魔剣を作っている光景が常だったが、今の彼女は魔法学校の学生だ。
おっさん一人の鍛冶場には違和感……は無いな。
俺が見慣れていただけで、本来ならアンのような少女が鍛冶屋に居る方が珍しい。
「兄ちゃん、前に貰ったレッドドラゴンの牙と爪だがよ……本当にいいのかい? アンが卒業するまで、あの素材で武器を作らなくていいなんて……」
「いいんですよ。アンはあの素材で魔剣を作ってくれると言ったんです。別に今使う武器が無いわけでもなし……楽しみは取っておきます」
元々、お土産のつもりで渡したものだ。
一部を使って俺の武器も打ってもらえたらとは思ったが、急を要する話ではない。
俺は数多くの武器を所有している。
愛用の真・ミスリル合金の大剣も、普段腰に差しているオリハルコンのサーベルも、SIG SAUER P226はじめ数々の銃もこの店で作ってもらった。
それに最近では魔剣を大量に手に入れたので、手元に武器が無くて困るなんていうことは無い。
「本当に……兄ちゃんには何て礼を言ったらいいか……。アンのことで散々迷惑を掛けちまって……すまねぇが、責めるのは甲斐性の無い俺だけにしてくれ」
「たまたま俺が商売下手な職人の腕を見込んで、仕事を依頼する余裕があっただけです。それに、当初はメアリーだけで限界だったとはいえ、決して安くはない魔法学校の学費を出してやれるだけの稼ぎがあったんです。甲斐性が無いというのは卑下し過ぎですよ」
それに俺が色々と依頼しなくても、フィリップならいずれどこかから手を回しただろうさ。
「さて、湿っぽい話はここまでにしましょう。ところで、例の注文の方は?」
「ああ、わかった。出来てるぜ」
親父さんが大型の金庫から出してきたズタ袋を開き、俺は中身を一つずつ手に取って確認した。
出てきたのは夥しい数の銃器だ。
ほとんどがボルトアクションライフルで、その数は全部で十挺。
あとは三挺のSIG SAUER P226だ。
P226は俺がいつも右腰のホルスターに装備しているものの予備として注文したものだ。
決して、中二病の代名詞といっても過言ではない二挺拳銃や銃を投げ捨ててのリロードがやりたかったわけではない。
そもそも、P226は左手では握りにくい構造をしている。
デコッキングレバーが右手の親指で操作しやすい位置にあるので、その分グリップ左側が膨らんでおり、左手で握るとトリガーを引く人差し指に対して邪魔になるのだ。
「ふむ、ガタつきがさらに減って精度が上がっていますね。素材のヒヒイロカネとクロームモリブデン鋼の合金の質も良くなっているようだ」
「そりゃ、数をこなしたからな。後の作品の方がいい出来栄えなのは仕方ねぇ」
今まで使っていたP226も満足できる出来だったが、今回はさらに品質が上がった。
これは試射して問題無ければ、普段腰のホルスターに装備するのは新しいやつに交換しよう。
「そんで、このライフルの数は一体どういうこった? 俺としちゃ練習になるんでありがたいが、こんなに銃が必要ってことは戦争でも始めるのかい?」
「いや、そうならないといいんですけどね」
確かに、機構が単純で故障が少ないボルトアクションを大量に発注したのは、俺以外の人間に大量に配備するためだ。
とはいえ、銃の製造を任せられる鍛冶師が今のところ親父さん一人なので、一気に数百単位で集めることは叶わない。
「最近、うちが違法奴隷だった連中を引き取ったって話は聞いているでしょう? 彼らの自衛手段として、ですね」
剣や魔法で戦う者はそれでもいいのだが、オルグレン伯爵家の家臣団の編成に伴って、戦士団の配備も整えなければならない。
ほぼ全ての運送ギルド員が並の一般兵よりも精強とはいえ、それだけでは心許ない。
このご時世では戦力は無いよりある方がいい。
ボルトアクションは斥候に装備させて対魔術師用の兵器として運用する予定だ。
本格的に投入する戦場が無いに越したことは無いのだが……。
「そうか……まあ、兄ちゃんたちは『黒閻』と切っても切れない因縁があるんだ。できる備えは早めにやっておいた方がいいよな」
「そういうことです」
俺は全ての銃を一通り確認して、“倉庫”に仕舞った。




