118話 筆頭家臣のお仕事
王城でニールセンとの面会を終えた俺は、すぐにオルグレン伯爵邸へと戻って来た。
今回の仕事は俺の身一つで済む雑用なので馬車は出していない。
行きも帰りも飛行魔法だ。
日頃の鍛錬と昨今の修羅場を潜り抜けた経験、それにヘッケラーという師の的確なアドバイスもあって、俺の魔力量は今も上がり続けている。
この程度の距離を飛ぶことなど造作もない。
しかし、飛行魔法自体がそれほど効率の良い魔力運用でない以上、やはり消耗はそれなりに大きい。
人間の身体は空を飛ぶようには出来ていないし、空中で事故らないように気を配る必要もあるのだ。
障壁を張っているので自分が死ぬ可能性は低いが、好き好んで鳥と正面衝突したいわけでもなければ、離着陸や制御が乱れて高度が下がったときに人を傷つけないとも限らない。
車の運転程度には気を遣うわけだ。
「(はぁ、今日はもう閉店ってことで……)」
「そうは問屋が卸しませんぞ」
オルグレン邸の事務室に入るや否や、俺の呟きはエドガーに察知されてしまった。
この部屋はエドガーやロドスがオルグレン伯爵家に関する事務処理をするための一室で、フィリップの執務室とも扉一枚で繋がっている。
エドガーはフィリップの執務室から顔を覗かせて、俺をまっすぐに見つめて監視した。
事務室には既に俺のデスクも用意され、今日は俺の担当になる初仕事をエドガーに教えてもらいながら処理する予定なのだ。
どうやら俺が帰ってくるのを律儀に待っていてくれたようだ。
こういうことをされると嫌な顔はできなくなってしまうな。
「分かってますよ。エドガーさんに時間を取らせている以上、俺の身勝手でバックレたりしませんって」
「そうしてください。では、私はお館様のところへ行ってきます。これを片づけたら戻ってきますので、もう少々お待ちください」
エドガーは書類の束を手にフィリップの執務室へ向かった。
彼が戻ってくるまで、書類に目だけでも通すか。
しかし、今日の王城行きは近衛騎士団との訓練を抜きにしても、本来なら半日以上は掛かってもおかしくない仕事だ。
飛行魔法と、何より俺の魔力量があったからこそ、三時間程度で帰ってくることができたが、こなした仕事量で考えれば人間一人の一日分としては十分だろう。
いや、それ以上だ。
普通の人間なら、騎士団との訓練をしたうえで他の仕事などできない。
労働基準法的にはこれ以上の激務はよろしくないのではないかね。
「……やっぱり、少しくらいサボっても……」
「お待たせしました」
「ぴゃっ!」
「……どうかされましたか?」
「いえ、別に……」
桑原桑原。
うちの家宰殿は本当にタイミングがいい人のようだ。
「エドガーさん、確認をお願いします」
「はい」
俺は初の事務仕事として作成した手紙と収支計算書を持ってエドガーのデスクに向かった。
初めての企画書を上司にチェックしてもらう気分だ。
なかなかに緊張するものだな。
エドガーは慎重に目を通し終わると、顔を上げて口を開いた。
「概ね、問題ないですね」
「ほっ」
どうやら一発で通ったようだ。
「こちらの会計書類は先日のパーティーの収支の一部ですが、計算は完璧、まとめ方も期待以上に簡潔且つ見やすい。素晴らしい出来です。会計士の経験があるので?」
「いえ、全く」
エドガーは事前に業務に関するマニュアル的な紙を渡してくれた。
前世で簿記などやったことは無いが、それでもこの世界の帳簿程度ならば俺でも処理できるようだ。
複雑な表記など無く、精々が町内会の収支報告書レベルだ。
さすがに単式簿記で全てを記述しろと言われたら面倒だったが、複式簿記は普通に使われているようで安心した。
計算に関しても電卓が無いのは不便だが、紙切れにメモればどうということは無い。
「そうですか。クラウス殿、気付いていらっしゃらないようですが、これはかなり凄いことですよ。お館様はそもそも数学を苦手としているので論外ですが、会計業務を生業としている文官でも、計算においてあなたほどの正確さと速度を持つ人材は滅多に居ません」
まあ、これでも現代日本の大学受験をパスできるくらいには算数や数学を勉強したわけだからな。
エドガーはこれ一枚で日が暮れると思っていたようだが、さすがに現代知識チートを持つ身としては楽勝だ。
「で、こちらの文書の方ですが……」
もう一つ言いつけられた仕事は、貴族の家臣がこなす業務の代表格。
他家への手紙だ。
今回、俺に振られた仕事は、多少の粗相をしても見逃してくれそうな、トラヴィス辺境伯家への手紙だ。
クロケットならば見逃すどころかフォローまでしてくれそうだな。
俺が作成した手紙は二種類。
先日の勇者就任パーティーへの参加と手土産のお礼、それとリッパークラブ含め今後の南部一帯での商業に関する書類に添える書状だ。
エドガーが作成してくれたマニュアル通りで済む簡単な手紙だ。
「これも問題ありませんね。文法や表現におかしなところもありませんし、誤字脱字もありません」
俺は胸を撫で下ろした。
帳簿はともかく、こういう文系の仕事には落とし穴がある気がしたのだ。
まあ、今回の仕事が簡単だったというのもあるだろうが、最低限の能力は自分に備わっているようで何よりだ。
「ただ……」
エドガーが口を開いた。
どうやら気になる点はあったようで、俺の心臓が縮み上がる。
魔物と戦うより緊張するな。
「字が汚いですね。これではお館様といい勝負です。どうにかなりませんか?」
「……善処します」
字が汚いのは前世からの引継ぎ特典だな。
転生チートで改善されないのかと思ったが、そう都合よくはいかないか。
そんな具合にデスクワークに忙殺されること数日。
オルグレン伯爵邸で筆頭家臣としての仕事を始めて二週間ほどが経った。
今はエドガーの指導を受けて文官の仕事にも慣れてきて、ロドスやパウルの案内で運送ギルド本部の整備や管理部門の仕事にも参加している。
とはいえ、ギルドでの俺の仕事はそれこそランドルフ商会の顧問のときとあまり変わることは無く、どちらかと言えばアイデアを出す側だ。
例えば、俺の開拓した南部の商品なら、ロドスたちが具体的な販売と流通の計画を立て、ギルド職員が書類に起こす作業だ。
これは現代でも成功者の部類に入る連中の働き方だろう。
まあ、事前に現地での探索という重労働はしているのだが。
対外的には俺の方が立場は上とはいえ、エドガーの許で書類に埋もれている方が仕事をしている気になるのは、一人のモブに過ぎなかった前世で染みついた労働者根性なのだろうか?
まあ、デスクワークが好きか嫌いかで言えば嫌いなので、俺はワーカーホリックとは程遠いようだが……。
「そんなイェーガー殿に朗報である。軍務局から呼び出しが来ているのである」
軍務局?
キャロライン嬢から直々のお呼び出しか。
先にオルグレン伯爵家に話が行くあたり、こちらの立場も考えているということかな。
しかし、面倒な呼び出しには違いない。
この前ニールセンのところに行ってきたばかりなのに、またしても王城からの召喚だ。
「ロドスさん、フィリップは何と?」
「さっさと行ってこいとのことであるな」
単純だった。
「退屈な仕事から解放されて良かったであるな」
「出張に行きたいとは言ってないんすけど……」
しかし、相手は軍務局の官吏として正式に要請を出してきている。
呼び出されたからには理由もなく無視はできない。
一体何の話だか。
いい予感はしないな。
「失礼します。イェーガー将軍をお連れしました」
「どうぞ、入ってください」
王宮騎士の案内で軍務局に辿り着いた。
部屋の奥からは聞き覚えのあるキャロラインの声が響く。
俺は立ち去る騎士に礼を言い、キャロラインのオフィスに足を踏み入れた。
「お邪魔します。キャロライン殿」
「イェーガー将軍、今日は急な呼び出しで申し訳ありません」
「いえ……」
俺は可能な限り無表情を装いつつも、厄介事の臭いから既にテンションが下がっていた。
何せ、キャロラインのだだっ広いオフィスには想像以上に大勢の人間が待ち構えていたのだ。
キャロラインの斜め後ろに控えているメイドは彼女の個人的な使用人だろうが、他の何故か見覚えのある面子は、明らかに俺が呼ばれた件と関係がある。
「どうぞ、お掛けください。彼らのことは覚えてらっしゃいますか?」
「どうも。ええ、確かに。見覚えはありますよ」
キャロラインに向かい合ってソファに座りつつ、部屋の奥に並ぶ獣人たちに目をやった。
身綺麗にしているので見違えたが、間違いなく彼らはブラッサムからの帰り道で俺が助けた奴隷たちだ。
相変わらず俺はビビられているようだな。
獣人が多いので、逆立った犬耳や猫耳から容易に恐怖心が読み取れる。
別に対価は内臓で払えなんて言わないのに……。
「皆さん、イェーガー将軍にはとても感謝しているそうです。お察しの通り、彼らは違法奴隷です。あのまま売り飛ばされていたら、劣悪な環境下での労働どころの話ではありませんでした」
まあ、そうでしょうね。
登録されていない奴隷は既に死んでいるも同然の存在だ。
犯罪奴隷も崩落の危険がある鉱山などの死亡率が高い環境に身を置くことになるが、違法奴隷の扱いはそれに輪をかけて酷いものになる。
存在が抹消されているので、いつどこで不自然な死に方をしても怪しまれることが無い。
良くて変態の慰み物、それも飽きられれば殺処分される運命である。
去年のハイゼンベルグ伯爵の関係者にも似たようなことをやっているゲス野郎が居た。
奴は異常な性癖を持つ変態だった。
一族郎党連座で処刑だったので、その違法奴隷は解放されて、被害者への分配金を元手にまっとうに暮らしている。
生きているだけ儲けものとはいえ、その女性が心に消えない傷を負っていることには変わりはない。
「将軍が討伐された盗賊もそうですが、殺された商人も真っ黒な連中です。どちらの手に落ちても彼らの末路は悲惨なものになっていたでしょう」
俺は白馬の騎士だったわけだ。
それならもう少し恐怖よりも感謝や憧れの目を向けられたいものだがな。
キャロラインの言う通り、感謝の気持ちも当然あるのだろうが、実際に俺を目の前にするとほとんどの奴らが委縮してしまうようだ。
「で、ここからが本題です。イェーガー将軍、彼らをあなたの庇護下に置いていただけませんか?」