11話 王都探索 中編
翌日、日の出前にロビーに降りるとすぐに大将が厨房から出てきた。
どうやら助手の料理人に任せてきたらしい。
「そんな簡単に任せちゃって大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、問題ない。料理はできている」
某アクションゲームのフラグを思い出し吹き出しそうになったのは言うまでもない。
エントランスで女将さんも加わり三人で市場に向かう。
香辛料などの調味料を売っている店と酒類を売っている店が近くて助かった。
ワインビネガーは簡単に見つかった。
バルサミコ酢などもこの世界には存在するようだ。
「大将、このビネガーは使ったことがありますか?」
「ああ、ピクルスをつくるときにな」
なるほど、ワインビネガーは比較的、一般的なものらしい。
だが肝心のオリーブオイルがどこにも見つからない。
「すみません、植物油って置いてないですか?」
「植物油? 髪を固めるやつかい? それは雑貨屋の領分だろ」
この世界では植物油というと椿油のようなものしか無いのか。
肩を落として立ち去ろうとすると調理服の見知らぬ男に話しかけられた。
「君は……もしかしてクラウス・イェーガー君か?」
この街に来たばかりの自分に料理人の知り合いはいない。
「初めまして。スイーツパーラーのミゲールです。おや、ワイバーン亭の大将に女将さんもいたのかい」
ミゲール?……ああ、思い出した。
俺の冒険者としての初仕事の依頼者にして、前日に山ブドウを切らした間抜けなパティシエだ。
「どうして、俺がわかったんですか?」
「いや、あれだけ上質な山ブドウを調達してくれた冒険者とは、いったいどんな人物か会ってみたくてね。剣を二本差した少年、しかも一つは龍刀みたいだと聞いていたからすぐわかったよ」
「そうでしたか」
やはり日本刀もどきは目立つのか……。
「なるほど、山ブドウね。ミゲール、あんたこの子に頼んで正解だったよ。今日はいいのが入ってないみたいだよ」
「そうか、ツイてたな」
どうやらワインに加工していない山ブドウは、いつも質のいいものが市場に並ぶわけではないらしい。
安酒に加工するならまだしも、そんなブドウをスイーツ店で使えるわけがない。
「ところで、何かお困りのようだったけど……」
パティシエならもしかしたら珍しい食材のことも知っているかもしれない。
聞いてみよう。
「実は………」
俺は植物油について説明した。
「なるほどね、料理用の植物油か。それなら私に心当たりがある」
ビンゴだ。
「本当か? ミゲール!」
「大将、落ち着なって。今、店はいいんだろ? 歩きながら説明するからついてきてくれ」
「私がデザートの濃厚さを出すために使うものは、ほとんどが乳製品だ。バター、チーズ、生クリーム……。そこは大将も同じだろ。焼いたり炒めたりには牛脂や豚油を使うんだから。だがこれだと、どうしても使い方が限られてくる。そこで私は新しい油を手に入れたんだが、どうにも使いこなせないんだ」
「新しい油?」
「ああ、なんでもアブラナを絞ったものらしい」
驚いた。
すでにキャノーラが存在している。
これなら揚げ物やマヨネーズも作れるだろう。
「着いたぞ」
ミゲールの店は現代日本と比べても勝るとも劣らないお洒落な喫茶店だった。
「グレッグ、待たせたな」
そこにいたのは貴族風の高そうな服を着崩した精悍な男だった。
「おかえり、用意は……何だ手ぶらか?」
「食材よりずっといいものを見つけた。さっき話した冒険者だよ。クラウス君、彼が例の植物油を調達してくれた商人だ」
グレッグと呼ばれた男はこちらを値踏みするような視線を向ける。
「ほう、間違いなさそうだな。君がイェーガー士爵の坊ちゃんか。なるほど、いい面構えだ」
「父をご存じなので?」
ミゲールは何のことかわからない表情をしている。
「ああ、イレーネが昔勤めていた商人の家というのは私のところさ。ミゲールから君の名前を聞いて、まさかとは思ったが。髪と顔の面影ですぐにわかったよ」
「なるほど、そういうことですか」
イェーガー家のメイド、イレーネが昔仕えていた商人。
それが、この人。
ランドルフ商会会長のグレッグ・ランドルフだ。
「うちの実家のメイドが昔ランドルフさんの家で働いていたんです」
俺はミゲールやワイバーン亭の面々に説明した。
「ところで、いくらクラウスの坊ちゃんが冒険者として優秀でも、スイーツづくりに役に立つのか?」
「ああ、坊主の舌は確かだ」
「うむ、クラウス君が用意してくれた山ブドウは食べごろ且つ新鮮だった。食材の良し悪しを見分ける目に管理能力、どちらも疑問の余地はない」
それは“分析”の魔術と魔法の袋のおかげなんですけどね。
「では頼むとしよう。このアブラナ油を使ったスイーツと……サラダの改良だったかな」
仕事が二倍に増えてしまった。
だが、ここでうまく事を運べれば商売を成功させられるかもしれない。
ランドルフを味方につけておいて損はないだろう。
「では、後から戻ってくるのは面倒なのでデザートから。大将、よろしいですか?」
「構わん」
今回作るのはドーナツだ。
まずはシンプルにプレーンを作ってみる。
下手にオリーブオイルで代用した低カロリーマフィンなどを作るより王道というわけだ。
油で揚げるという調理法自体この世界では馴染みが無いのだろう。
ミゲールも生地に練り込むバターの代わりくらいしか思いついていなかったようだ。
その方法だとアップルシュテュリューデルという、サラダ油で作ったパイ生地でリンゴのフィリングを包むお菓子があるが、さすがに練習無しでできるとは思えない。
「出来ましたよ」
見た目は普通のパンのようだ。
だが立ち上る甘い香りにミゲールは吸い寄せられるように手を伸ばす。
「では早速、むぐ…………素晴らしい! 素晴らしいよクラウス君。パイとは違ったサックリとした官能的な食感に小麦粉の旨味と卵の香り、菓子パンやパイでは得られない満足感がこの一つに凝縮されているようだ」
「これは…………売れるぞ」
「旨い……」
「あら、おいしいじゃないの」
俺は胸をなでおろした。
正直、文化祭でしかスイーツなど作ったことがなかったので不安だった。
単純な調理法のものにしておいてよかった。
「では、次はサラダに取り掛かりたいのですが……ランドルフさん、オリーブの実からとった油とかありませんか」
無ければキャノーラでもいいが、できればドレッシングにはオリーブオイルを使いたい。
「オリーブか……確か南部で見た記憶がある。試しに果汁の瓶詰を手に入れたが…………あったぞ、これか?」
ランドルフが汎用の魔法の袋から取り出した物は、エメラルド色に輝く美しい液体だった。
間違いなくオリーブオイルだ。
「そう、それです。これとワインビネガーがあればサラダに革命が起こります」
「大きく出たな」
その後、俺たちの姿はワイバーン亭の厨房にあった。
すでに冒険者たちは朝食を終えており助手の料理人の姿もそこにはなかった。
「このオリーブオイルは精製してないようですね。とりあえず、これで試してみましょう」
エクストラバージンのオリーブオイルは酸化すると癖が強くなるので遮光性の瓶をいずれ作らなければならないだろう。
加熱用のピュアオイルもいずれランドルフさんに頼んでみることにする。
オリーブオイルとワインビネガーでドレッシングを作り塩コショウで味を調え、グリーンリーフに似た野菜に振りかけて、よくかき混ぜる。
「いかがですか?」
「……食べやすいな」
「いいじゃない、これ。肉料理の付け合わせにピッタリよ」
女将さんの尻尾が上機嫌に揺れている。
「これ、瓶詰にすれば一般家庭にも売れるかもしれないな」
「へー、うまいもんだね」
ミゲールとランドルフにも好評だ。
「これとパスタの組み合わせなら女性客を狙えるかもしれませんね。冷たいパスタ自体に絡めてもさっぱりとした出来になるかと」
ドレッシングが無いということは冷製パスタも存在しないだろう。
「……パスタを冷やすのか?」
「ええ、茹で上がった後に水にさらすんです」
俺は実演した。
生ハムはなかったがトマトと燻製肉を使う案を採用されたところ、そこそこの味に仕上がったようだ。
ここの食堂で冷製パスタが食べられる日も近いかもしれない。
ちなみにワイバーン亭は俺が考案した料理でさらに多くの客層を取り込み、ミゲールの店は創作スイーツで王都一のスイーツ店に成長、ランドルフ商会は植物油や調味料の販売でさらなる発展を遂げる。
また、ランドルフとは末永い付き合いになる。
俺は商会の顧問としてかなりの額の収入を得つつ、後世に残る商品を次々と世に送り出していくことになるが、それはまた別の話。
翌日のロビーには大将だけでなくランドルフがいた。
「南部にはすでに人を送る手はずを整えた。オリーブとアブラナの買い占めと工場の設置計画が急ピッチで進んでいる。マヨネーズ工場もすぐに着手できるよ。あとミゲールのドーナツは初日から大人気だそうだ。またアイディアを頼むと言っていた」
「今日の朝食にはリザードシチューを用意してきた。妻は……昨日大勢の冒険者たちボロボロになって帰ってきてな。服の縫い直しが忙しくて来られない」
あのあと俺はほかのパスタの形状を大将に提案し、オリーブオイルについては何かで覆うか色付きの瓶での劣化を防ぐことと、精製したものをいずれ調達するようランドルフさんに指示、マヨネーズおよびタルタルソースの試作、キャノーラでの揚げ物を実演した。
おかげで屋台に行っている時間は無くなってしまった。
今日は魔法学校の試験前日だが、今度こそ屋台に行こうと心に決めていた。
屋台はまだ全部出揃っていなかったが、鳥人のお兄さんの屋台はすでに商品を焼き始めていた。
「おや、気が早いお客さんだね。ってワイバーン亭の大将か。どうした? 奥さんに追い出されたのかい? はっはっは!」
「新しい商売の芽を探しにきたのさ」
「何だいランドルフの旦那まで。やけに大所帯じゃないか。俺にも一枚噛ませろよ。……そっちの若いのは見ない顔だね」
「冒険者のクラウス・イェーガーです」
「おう、よろしくな。俺はこの店の店主でコルボーってんだよ」
名前がそのままカラスじゃねーか。
「とりあえずメニューに載ってるもの全部焼いてもらおうか」
「はいよ、さすがランドルフの旦那だ。太っ腹だね」
意外と種類は多かった。
前世の焼き鳥と同じでハツ、レバー、砂肝、もも肉、手羽、皮などが並ぶ。
「思った通りですね。酒を同時に頼むにしても皿一つ置けるスペースがあれば立ち飲みができます」
ふとランドルフの方を見るとコルボーがしきりに絡んでいた。
「で、旦那よ。どういう儲け話なんだ?」
俺はこの焼き鳥屋も利用することを思いついた。
「ランドルフさん、大将。ここはひとつコルボーさんにも協力してもらいましょう」
コルボーは顔を輝かせた。
「クラウス、あんたは話が分かるね。ささ、旦那。このコルボーにドンと任せちゃくれませんか?」
「坊ちゃん、何か策があるのかい?」
「ええ、ワイバーン亭とは違ったアブラナ油の活用法が。ただ、商品に関して手を抜かれると……」
俺はトレントに斬りかかるタイミングを狙うときの目つきでコルボーを見据える。
「わ、わかってるって。クラウス殿の仰せのままに……」
冷や汗で羽を濡らしながらコルボーは誓った。
どうやら想像以上の威圧感だったらしい。
殿がつくとは俺も出世したものだ。
「鳥の串焼きもいいですが、串揚げや唐揚げ串なんてどうですか? これで近くに集客できれば宿の客も増える可能性がありますし、ワイバーン亭のがっつりした料理との住み分けもできますから。ランドルフさんも卸し先が増えて万々歳でしょう」
「そうだな。坊ちゃんの言う通りだ」
「……客引きになるのなら反対する理由は無い」
こうして揚げ物の屋台は王都サントアルカディアの商店街の名物となるのであった。