103話 辺境の村の危機
「ひえええぇぇぇぇぇ!! ちょ、飛んでる! 高いっす!」
「我慢してください。低空じゃ敵が視認できないんですよ」
ボウイを引っ掴んだまま飛行魔法で草原を突っ切った俺は、村の上空から戦場の様子を見回した。
「ちっ、乱戦だな」
森に近い村だけあって櫓とバリケードは設けられているものの、今回は村の人口に対して魔物の数が多すぎたらしい。
ゴブリンの集団に囲まれている者も居れば、数匹のオーガとトロールに押し負けている部隊も見える。
「ボウイ士爵、後方で指揮と援護を!」
「簡単に言うんじゃねぇっす~!」
俺は近くの藁山にボウイを投げ捨て、最前線のオーガとトロールの集団に全速力で接近した。
「“落雷”」
「ぺぎゃっ!」
無詠唱で発動した雷魔術が、敵集団の後方に居たトロールに直撃した。
轟音と共に突き立った稲妻に、トロールの顔面は破壊されて炭化する。
前線でオーガと押し合いへし合いしていた村の自警団らしき若者たちも、閃光と轟音に驚き一瞬動きを止めてしまった。
自殺行為だが、硬直したのは魔物たちも同じだった。
俺は飛行魔法を制御して地上に降り立つ。
場所はオーガの集団の目の前だ。
「しっ!」
たっぷりと魔力を通した大剣を左から右に薙ぐ。
刀身に圧縮された眩い閃光が、紫電を僅かに舌なめずりしながら俺の剣筋をなぞった。
肉が焼ける嫌な臭いとともに、上下に両断された数匹のオーガの上半身が千切れ飛ぶ。
オーガたちは俺の魔術に驚いて防御すらできなかった。
地面に転がるオーガの下半身を横目で確認しながら、俺は残った二匹のオーガに向かう。
「ギェ……」
返す刀で袈裟懸けに放った斬撃が左側のオーガに直撃し、上半身を斜めに分断した。
どうにか俺を視界に捉えた右側のオーガには、横蹴りを腹に食らわせる。
「ゴァ!」
「“放電”」
身体をくの字に折り曲げ吹き飛んだオーガに電撃で止めを刺した。
これで大型種はほとんど片付いた。
奇襲から一息に始末できるとは幸先がいい。
残りはゴブリンと、その後ろにいるトレントだけだ。
これなら素人に毛が生えた程度の村の連中も安全に撤退できるだろう。
「退け!!」
俺を呆けた目で見ていた村人たちも、有無を言わせない指示を聞いてすぐに踵を返して駆け出した。
ゴブリンたちも追うが、小さな体躯故に成人男性の脚には追い付けない。
乱戦の様相が少しはマシになり、魔物だけが密集している空間も生まれた。
「“氷弾”」
ゴブリンの身体の素材にはほとんど価値が無い。
気持ちよく“火槍”で吹き飛ばすか“火炎放射”で焼き尽くすかしたいところだが、まだ近くに撤退途中の村の住民が居る以上、巻き込む可能性がある魔術は使えない。
代わりに初級水魔術を連射することで対処する。
ヘッケラーほどの精度が無いのは悲しいが、それでも“氷弾”は十分な威力と弾幕になり、ゴブリンは次々と倒れていった。
「ん?……」
ゴブリンの集団から小さい“火弾”が飛んできた。
ゴブリンメイジが居たようだ。
憎々しげな表情で杖を構えている。
一歩横にずれるだけで躱せたが、どうやらゴブリン全体の数が多くて見逃していたようだ。
人型の魔物であるゴブリンやトロールからは、人間と同じ魔術を使う個体が現れることもある。
トロールキングのような上位種や精霊種の血を引くと言われるトレントが使うものでもなければ大した威力は無いが、鬱陶しいことには変わりがない
奥のトレントより近いので先に始末しようかと思ったが、次の瞬間ゴブリンメイジの頭に矢が飛来し貫通した。
「イェーガー将軍! 奥から殲滅してくださいっす!」
ボウイは既に櫓の上に登っていた。
グラップリングフックのような道具で彼が一気に跳び上がったのは見ていたが、あの細いワイヤーから察するに体重が軽くないと使えなさそうだな。
俺は次の矢を番えたボウイに頷き返し、後方のトレントに向き直り地面を蹴った。
進路を妨害するゴブリンを大剣で斬り捨てながらトレントに接近する。
トレントの放つ“土槍”は全て躱し、“岩槍”は大剣で弾き“プラズマランス”で撃ち落とした。
「ッラァ!」
そのまま至近距離まで接近し、もう一度地面を蹴って跳び上がる。
大剣を持っている右手は“岩槍”を弾くと同時に引き、代わりに右膝を体の前面に突き出した。
ドラゴンボーン鋼のニーパッドの威力は凄まじく、俺の飛び膝蹴りがクリーンヒットしたトレントの頭部は木っ端みじんに粉砕された。
トレントは全身が素材になるので、四肢や胴体を砕いたり燃やしたりすること無く、傷の少ない状態で仕留めた形だ。
トレントが完全に活動を停止したことを確認した俺は踵を返し、ボウイや弓兵の攻撃範囲に入らない距離を保って、後方からゴブリンの残党に攻勢をかけた。
「ふぅ……」
ゴブリンを一匹残らず始末し、“探査”で撃ち漏らしが無いことを確認した俺は、大剣を洗浄の魔道具で洗い“倉庫”に仕舞った。
夏の日差しに晒された魔物の死骸のせいで、空気は血生臭く不快な湿っぽさを感じる。
ベヒーモスローブの温度調節機能のおかげで、服の中は蒸し暑くないのが救いか……。
「イェーガー将軍」
村の入り口のところで、自警団の男たちを引き連れたボウイと合流した。
「ああ、ボウイ士爵。さっきは助かりましたよ」
「いえいえ……あのままゴブリンメイジにブチ切れて上級魔術でも撃たれたら、村ごと灰になりそうだったんで」
失敬な。
終始巻き添えが出ないように気を遣って戦ったぞ。
「損害は?」
「死者は二名です。逃げ遅れた老夫婦だそうで。自警団から重傷者は結構出ましたが、皆命は取り留めたようです」
俺は複雑な表情になった。
幼い子どもが犠牲になるよりは遥かにマシだが、非戦闘員に死者が出てしまったか。
俺たちは普通では考えられない早さで増援に来たので、それ以上にできることは無かった。
しかし、村人たちの手前、手放しで喜べる気分ではない。
「今、村長を呼びに行ってもらってます。とりあえず襲撃は将軍のおかげで鎮圧できたんで、次は魔石なんかの回収とアンデッド化しないように焼却、それが終わったら報酬の話っすね」
思ったより仕事はしてくれるな。
まあ、そちらの処理はボウイに任せた方が円滑に進むだろう。
何せ、この辺りの領主の寄り親は、彼の主君であるトラヴィス辺境伯だ。
「で……イェーガー将軍」
「何です?」
ボウイが言い辛そうに言葉を続けた。
「ここの村長と自警団には辛く当たらないでやってもらえると……」
聞けばこの村には領主も騎士も居ないらしい。
俺の実家は領主であるイェーガー士爵の直轄地だったので、騎士団もあり領主もすぐ近くに居た。
しかし、広大な開拓地では領主の手が回らない場所もある。
ある程度の規模の村なら代官と駐留する騎士くらいは派遣するものだが、ブラッサムから離れた森の手前の村にまで手を掛ける余裕は無いそうだ。
結果、普段は一介の農民に過ぎない男たちが治安維持を担い、領主の家臣ですらない村長が最高位の責任者となってしまうわけだ。
「いや、散々扱き使われて何万もの民を魔物から守ってきたイェーガー将軍からすれば叱責ものでしょうけど、彼らを責めても仕方ないんすよ。もちろん、領主には一言あるはずですけど……」
別に俺は口を挟むつもりは無い。
この村の件も成り行きで関わってしまった以上、被害は最小限に抑えたいと思ったまでのことだ。
俺に領地や領民を背負う覚悟や器は無いからな。
「お任せしますよ。それに、こんな村からがめつく報酬を取り立てようとは思いません。冒険者としての相場で処理してください。金が無いなら俺の分は現物……食い物とかでもいいですから」
「助かります!」
面倒な処理はボウイに任せたが、これくらい問題ないだろう。
実際にほとんどの魔物を始末したのは俺なので、労力で払ったということで勘弁してほしい。
それにしても……俺が魔力や体格に恵まれているので時々忘れそうになるが、トロールやオーガのようなCランクの魔物でも一般人にとっては脅威になるのだな。
見れば自警団の連中は13歳の俺よりも小柄な者が多い。
農作業で力仕事には慣れているはずなので、現代人よりは格段に身体能力が高いはずだが、それだけでは魔物と戦うには不十分だ。
体格に関しては栄養学的な問題もあるだろうが、それを解決したところで人間とは一線を画す体躯のオーガやトロール相手ではどうしようもない。
俺のような理不尽な力が無い限り、魔物はどこでも身近な恐怖の象徴だ。
それでも開拓を続けフロンティアの最前線で民を守り続けるトラヴィスの苦労は計り知れない。
「領主はここから離れたもっと規模の大きい街の準男爵なんで、俺の方から話を通しますよ。少々、鼻持ちならない奴なんで、ふんだくっても大丈夫ですから」
その後、魔物の死骸の片づけを終えた後は、村長と自警団の連中からはしきりに礼を言われて居心地悪い思いをしながら愛想よく対応するのが大変だった。
ボウイの取り成しでようやく宿で休むことができたときには、もう既に日が暮れていた。
夜の酒場にて。
「いやあ、参ったねぇ~。まさかトロールまで出てくるとは……」
「オーガくらいなら俺でも余裕だったんだけどな」
「嘘つけ! あの聖騎士の兄さんに退却指示されたときに泣きながら逃げてただろ」
「なっ!? そういうお前だって!」
深夜の酒場の喧騒は、男たちの他愛もない話の盛り上がりに比例して激しさを増す。
犠牲になった老夫婦の弔い、運よく生き残ったことへの祝杯。
酒を飲む理由はいくらでもある。
「しかしあれだな。聖騎士ってのは初めて見たが、俺たちより大分若いってのは本当だったんだな」
「ああ、それであの化け物じみた強さか……」
「ガタイはいいが、まだ13か14だろ? とんでもねぇ奴がいるもんだな」
「目の前でオーガがまとめて真っ二つだぜ。チビりそうになったよ」
「俺もすぐ近くに居たけど、剣の動きが見えなかったな。最後のオーガに手から光を放って止めを刺していたのは見えたが」
「俺は将軍がトレントの頭を蹴り砕いた瞬間を見たぜ!」
剣筋を褒められるだけならクラウスも悪い気はしないだろうが、本人が居ないのをいいことに彼らの話は本人に聞かせられない内容にまで発展していく。
「あの目つきは絶対に千人単位で殺してるぜ」
「退けって言われたときは、従わなきゃ殺されるって思ったものな」
「ああ、俺も商人から聞いたんだが、イェーガー将軍は行く先々で血の雨を降らせる、人目に付く場所に出てきたら最低でもその場で十人は死ぬってのが常識らしいな」
「魔物の話じゃねぇの?」
「さぁな。しかし、貴族だろうがお構いなしに殺すってのは本当らしい。闘技大会だか御前試合だかで、客席にいきなり魔術をぶっ放して虐殺を始めたそうだ」
酒が進み、気が大きくなった男たちは、酔っ払い特有の呂律の回らない舌で自慢話を始めた。
「おれぁよ……前にもぉ、ボウイさまとおあいしたことがあるんら……。ららばものぼうけんしゃ~束ねるお方はぁ、人を見る目が違ぁう! 今日も、おれのやぐらにまっさぁきに登って……いっしょにごぶりんをぉ、撃ちまくったんらぁ」
「向こうはおめぇのことなんか覚えてねぇらろうさぁ~……」
「んだとぉ~……おめぇはあの人の凄さを知らねえから、そういうことが言えるんら……あの将軍みたいなバケモンさまとふつーに話せるなんざぁ、まろもな神経じゃねぇ」
「なぁんか、ボウイさまもあの将軍にはへこへこしてたけどなぁ……」
エスカレートする酔っ払いの他愛もない寝言は留まることを知らない。
「あの二人は結局何しに来たんだべな」
「あんなおえらいさんやら人外の騎士が来るような問題……あったかいな?」
「村長とはなしてんのを聞いたんだけどよぉ……何でも化け蟹を退治しにきたらしいぜぇっと……ヒック」
「化け蟹ぃ? ちょっと前に川沿いに出やがったあれか?」
「お~、そういえばおめぇさん、実際に見たっつってたな」
「あたぼうよ! しっかりと確認して逃げてきたぜぃ」
「ぼうけんしゃなんざぁ、来てくれやしねぇ! って話じゃなかったか? 何でそんな依頼を一流どころがぁ?」
「さぁなぁ……」
「んぁぁ? ボトル空だ~」
「誰か、次取ってこーい!」
「はいはいっと」
「んん~? すまねぇ……」
「いえいえ。ささっ、お兄さん。ぐーっといっちゃってくださいっす」
「ダーハッハッ! 仕方ねぇなぁ」
「よっ! 気が利くねぇ」
「恐縮っす。それより、お父さん。さっきの化け蟹を見た話、しっかり聞かせてくださいっす」
男たちは自分たちが飲み交わしている相手が誰か、気付くことは無かった。
「なるほどなるほど。あ、そこの美しいお嬢さん。もう一本追加っす」
「あらやだ、美しいだなんて……」
ボウイは息をするように女性を口説きつつ、酒場の席を効率的に渡り歩き情報を集めきった。
「いやぁ、皆さん博識のようで参考になりましたっす。それじゃ、俺はこの辺で……」
酒場を後にしたボウイは貼り付けたような愛想笑いを消し、ブラブラと歩き始めた。
「ふぅ……抜かりはないっすね。ちゃんと周辺情報を集めて役に立っておけば、イェーガー将軍に疎まれることにはならないはず。あの若者が言うほどの度胸は、俺には無いんすよ……」
ちなみにクラウスに紹介すると言った化粧の薄い巨乳な娘は見つかることが無く、ボウイはクラウスの癇癪を恐れて戦々恐々とすることになる。
ハナから期待していないクラウスの記憶からは既に消去されている話なのだが、ボウイがそれを知る術は無い。