2、3「天才・仲野宮ゆめ」
2
自殺願望を抱える僕の友人、仲野宮ゆめは過去に数回、探偵活動をしたことがある。
県を跨ぐまではしなかったものの、県内の殺人事件の類を、彼女は警察よりも早く次々と解決していった。それは過去の未解決事件にも及んだ。もっとも非営利だったし、名前が何らかのメディアに取り上げられることも彼女は拒んだので、名が売れるようなこともなかったのだが、それではなぜ彼女がそんな積極性を見せたのかと云えば、やはり死ぬためだった。
持て余していた己が才覚を発揮したかっただとか、少しでも社会に貢献したかっただとか、そういった目的は一切なく、殺人事件に関われば犯人に殺してもらえるかも知れない、と考えたらしい。いや、そんな荒唐無稽な展開が起こり得ないのは僕でも想像がつくから、実際はただ単純に〈死〉というものに関わりたいという気が起きたのだろう。だが、あるきっかけがあって、彼女のそんな活動も中学生のうちに終わった。
僕はゆめの探偵活動に、終始付き添っていた。いうなれば探偵の助手。麗子さんが今回僕を頼ったのは、そういう経緯あってのことというわけだ。彼女はそういったゆめと僕の過去を知っている数少ない人達のひとりである。
放課後、普段の通学路から少し遠回りするかたちで、僕は仲野宮家にやって来た。
愛穂からの連絡は未だなく、彼女についても気掛かりだけれど、麗子さんからの依頼が急を要するのも事実だし、約束した以上、務めを放り出すなんて選択肢はない。
インターホンを鳴らすと、ゆめの母親が出迎えてくれた。ゆめのような子供を持って気苦労が絶えないのではないかと思われるが、悩みとは縁遠そうな柔和な笑みをいつも浮かべている。ゆめの性格は、この母親に甘やかされていることが一因であるに違いない。
久々に会ったゆめの母親と少し会話を交わした後に、僕は二階の最も奥に位置するゆめの自室に向かった。
「ゆめ、僕だよ。開けてくれ」
扉を軽くノックして、開錠を待つ。返事がないのはいつものことだ。彼女は今頃、のろのろと床を這うようにして扉に近づいてくる最中だろう。気長に待つしかない。
それでもいい加減待ちくたびれたころになって、ゴロゴロゴロゴロ……
ガチャリ。
音がして、同時にそれは入室の許可が下りたことを意味しているので、僕は扉を開けた。
「久し振りだね、ゆめ」
ゆめはすぐ正面で、椅子の上に膝を抱えて座っていた。僕の姿を見るなり、突然僕を突き飛ばすかのように押してくる。あまり強い力でもなかったので僕はわずかによろけただけだったが、対する彼女の方は椅子ごと後ろへゴロゴロゴロゴロと後退していった。椅子がキャスター付きで、僕を押したのは移動のための力を得るのが目的だったらしい。前まではなかった椅子で、見るからに新品だ。
「そんな便利なものを買ったなら、もっと早く鍵を開けてよ」
云ってみると、彼女は唇を尖らせて、
「真一は無粋ですね。僕だって女の子なのですから、突然押し掛けられると色々と支度があるのですよ」
僕、というゆめの一人称は、高校生になっても改められない。常に拗ねたみたいな態度なのも同様だ。
ぶかぶかの白シャツと体育の授業で使うようなハーフパンツという出で立ち。髪は彼女自身が邪魔だと見做したときに雑に切るだけなので無造作なそれだ。ほとんど陽の光を浴びない肌は真白である。
「相変わらず空気が悪いよ。換気はたまにでもした方がいい」
僕は喉にイガイガしたものを感じつつ、適当にベッドに腰掛けた。
ゆめは昼も夜も、窓も開けなければカーテンも開けない。蛍光灯は常に最も少ない光量に設定されており、薄暗い。部屋は一人部屋にしては広い部類なのだが、大量の毛布やら布団やらクッションやら書物やらよく分からない電子機器やら工作やら何やらで散らかっているので、狭い印象を受ける。ゴミの類は一切ないから、決して整理ができないのではない彼女だが。
「分からないですか、真一。この不健康そうな空気が、僕をじわじわと殺してくれるのですよ」
ゆめは椅子をゆっくりと回転させながら述べる。その動きが、身体が僕に向いたところでピタリと止まった。
「それで、何か用ですか。忙しい真一が、あんなに忙しい真一が、わざわざ僕みたいな奴のところに訪ねてくるなんて、余程の用事がおありなのでしょうね」
言葉にやけに棘がある感じだが、どうしてかは分からない。別にいつも嫌味な喋り方をする彼女ではないのだが、そう云えば前回会ったときもやたら不機嫌そうだった。
「忙しくないよ。僕が暇人なのはゆめが一番よく知っているでしょ」
「えー、どうでしょう。真一自身を除いたところで、所詮僕は二番手、あるいは三番手、それでも自惚れが過ぎるようでしたら、もう上位五十位からは外れていますよ。どうせ」
「ちょっと、どうしたんだよ。今日はえらく怒ってない?」
敬語は彼女のデフォだけれど、それすらもわざとらしく聞こえるくらいだ。
「僕は極めて平常どおりです。怒っていると感じたなら、それは真一に何か後ろめたいところがあるからではないですか」
「いや、ないけれど……。もしかして、久しく訪ねてなかったから?」
「自意識過剰ですよ。真一にほったらかしにされるのを、僕がいちいち気に病む理由がないではありませんか」
それはそうだ。少し恥ずかしい発言をしてしまった。
「まあ本題に入らせてよ。ゆめの云うとおり、今日は用があって来たんだ」
「ああああ」
ゆめは天井を仰ぐと、椅子を半回転させ、こちらに背中を向けてしまった。行動の意味が分からな過ぎるのには慣れている僕なので、構わず話を続ける。
「麗子さんの妹が行方不明になったみたいなんだ。止むを得ない事情があるらしくて、警察どころか母親にまで隠しているんだって。おかしいとは思ったけれど、麗子さんの様子が只ならぬ感じでさ、僕も気圧されて、依頼を引き受けたんだよ。依頼というのは、彩音ちゃんを探して欲しいって内容で……彩音というのが麗子さんの妹の名前なんだけれど、ゆめは彩音ちゃんとは会ったことがないよね。ともかく、麗子さんは秘密裏に、迅速に彩音ちゃんを見つけたいみたいで、僕と、それからゆめの力添えを期待しているんだ」
我ながら下手な説明だったが、ゆめなら大方は理解してくれただろう。
返答を待っていると、ゆめは突然、貧血を起こしたかのように椅子から転落した。しかし、単に床に広がった布団や毛布やクッションの山にダイブしただけのようだ。ゆめの部屋は学生の修学旅行かと思うほどに布団が多く、それは部屋のどこにいても寝られるようにするためらしい。睡眠とまではいかないまでも寝転がるのが大好きなゆめである……あるいは、寝転がる以外が嫌いなのか。
「ああああ、死にたいです」
ゆめは泥のようにぐったりしながら口癖を発した。
「死にたいです。死にたいです。死にたいです」
「気が進まないのかも知れないけれど、ここは一肌脱いでよ。僕からもお願いだ。状況は結構、切迫しているんだよ」
「帰ってください。僕は死にたいです」
暖簾に腕押しである。こうなったゆめを説得するのはほとんど不可能だと経験上知っている僕は困った。本当に困った。
「やっぱり引きこもっていたらいけないんじゃないかな。一緒に外に出てみようよ」
「死にたいです」
「このままだと本当に自殺を図りそうじゃないか。それは僕も嫌だ。少し散歩しよう。多少は気分が晴れるかも知れないよ」
麗子さんからの依頼とは関係なしに、僕がゆめを心配しているのも事実だ。
ゆめが顔のみをこちらに向けた。つい先程までよりも、さらに目が虚ろである。
「前にも云いましたが、真一は見当違いです。僕は自殺志願者ではありません。心外です」
説得力がまるでないのだが……。
「僕は早く人生を終えたいのです。生きるのが辛いので、早く過ぎ去って欲しいのです。それは早く人生を全うしたいという意味です。自殺となると、意味合いが大きく外れます。妥協策ですらありません」
「えーっと……」
「ああああ、ほら真一は、幸せ者ですから、幸せの絶頂を日々更新しているような人ですから、僕のことなんて理解できないのですよ」
また顔を背けてしまうゆめ。
「こうして生きているだけで立派じゃないですか。もっとみんな、僕を褒めてくれてもいいものです。ああ、死にたいです」
要するに〈死にたい〉とはゆめにとって〈辛い〉や〈面倒〉等の言葉の代用……と云うか、総括なだけで、本当に死にたいわけではないということだろうか……。いや、前にそう訊ねてみたら彼女は機嫌を損ねたのだと思い出し、口にするのは控える。少なくとも、彼女が自ら死を選ぶ心配は無用とだけ分かっていれば問題ないのだろう。
「僕みたいな陰気な奴と話していても気が滅入るだけでしょう。もう恋人さんのところに行ったらどうですか。そうやって僕のベッドに腰掛けているのだって、不義を働いているふうにも取られかねませんよ。あああ、死にたいです」
「それが、愛穂も行方不明……じゃないけれど、今朝から連絡が付かなくてさ」
「へえ、倦怠期というやつですか。そんなものですよね、恋愛なんて。あああ、吐きそうです、死にたいです。真一の変態的行為の数々に耐えられなくなったのでしょうね」
「そんなこと一度もしていないんだけれど」
「極めて死にたいです。恋人さんのことで気が気でない真一、早く帰ってもらえませんか。僕、忙しいので」
たしかに精神面ではかなり忙しそうだ。この調子では、ゆめの助けは期待できそうにない。麗子さんには申し訳ないが、僕も全身全霊で彩音ちゃんの捜索にあたるので、それで納得してもらうしかない。
「じゃあゆめ、僕は帰るよ」
「はいはい、役に立たない僕に用はないというわけですね」
「帰らないで欲しいの?」
「帰ってください」
部屋から出る際、背中にクッションを投げつけられた。ダメージはないのだが、どういう意思表示だろうか。ゆめは何か云っているが、顔を布団に埋めているせいで声がくぐもって聞き取れない。『二度と来ないでください』でなければ『死にたいです』だろうと思う。
まるで我儘な子供のような状態のゆめが、このまま自暴自棄になってはしまわないかと不安だけれど、本人が僕の退出を望むならそうしてやるしかない。それに、ゆめの機嫌の悪さは僕が原因であるようにも見えるから、僕がいなくなれば解決するとも考えられる。
短い付き合いでもないのでこのくらいは慣れているけれど、こうも露骨に拒絶されると少し落ち込む僕だった。
3
とりあえず一旦、僕は帰宅した。麗子さんにゆめの件を報告する前に、軽食を取ることにする。昼食がなかったので、さすがに空腹だった。冷凍食品のピラフを電子レンジで解凍し、ダイニングで食べる。隣接したリビングでは、母親がソファーに寝転がってテレビを見ている。映っているのはニュース番組だ。
僕はぼんやりとニュースを見て、唖然とした。
百条市内で例の通り魔による三人目の被害者が出たと報じられていた。身体を三つに切り分けられ、別々の場所から発見された女子高生……名前は姫路愛穂だった。