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ある慈悲深き恋の結末  作者: 凛野冥
柏崎恭平の章 壱
6/31

4、5「その運命的な拉致」

    4


 家の周りを歩き回ってみたが、少女どころか、ほとんど人間がいない状態だった。

 まだ夜の十時なのに、住宅地とはいえ、あまりに人気がない。普段の私なら人間がいないなんて喜ぶことであり、少女を連れ去るのに周囲の目がないのは都合が良いとも云えるが、肝心の少女がいないのでは話にならない。

 なぜ、これほどまでに人が少ないのだろうか。

 そろそろ諦めようかと思ったときだった。

 前方から、制服姿の少女が歩いてくるのが目に留まった。街灯に照らされたその姿……まだ幼く、おそらく中学生と思われる。

 私はにわかに緊張した。私が求めていた年頃と完璧に合致している。

 周囲には、他に人影はない。まさにあつらえたような状況だ。

 この機を逃すわけにはいかない。

 もはや使命感まで湧いてきた。私はここであの少女を連れ去らなければならないと、どこか高位からの声に突き動かされる感覚がした。

 私も一歩、少女に対して歩みを進めた。

 だがこの瞬間、身体が強張こわばって、その場に硬直してしまった。

 ……怖くなってしまったのだ。いくら拉致と云っても、人に自分から接するなんて私には荷が重すぎる。これまで断固拒否し続けてきたことを、どうして今に限ってできる道理があるだろう。

 それでも少女の方は歩みを止めないので、距離は縮まっていく。

 私は動けない。秋の夜は相応に冷えるものだが、今の私は全身が汗だくだ。動悸までする始末だ。

 この機を逃したところで、永久に機会が失われるわけではない……。こんな私が、此処までやって来られただけでも、今日は良しとするべきじゃないだろうか……。

 少女はもう間近だ。その顔が、まだ幼さの残る顔が見とめられ、ドクン、と大きく胸が高鳴った。小動物を思わせるような可愛らしい姿……身長も私の胸のあたりまでしかない……私が思い描いていた理想の少女像に限りなく近い……。

 私のなかで、少女を連れ去りたい欲求が激しく暴れる。葛藤が激しいあまり、声が洩れそうになった。少女は私の隣を通り過ぎていく。その刹那せつな、私の脳内に浮かんだのは、暗く狭い部屋でずっと繰り返してきた自問自答だった。

 年端としはもいかない少女を拉致監禁したとなったら、もう後戻りはできなくなる。しかし、そうでもしないと、私は破滅してしまう。

 答えは出ていた。この機は絶対に逃がしてはいけないものだ。もう一日ですら、ひとりは、孤独は、耐えられない。

 気が狂いそうなのだ。

 身体が動いた。振り返り、まだすぐそこにいた少女の背中を見据える。追いかけると、足が震えて、危うく転びそうになった。それでもどうにか少女に追いついた私は、背後から少女を抱き留めた。

 少女の動揺がじかに伝わってくる。私は少女の口を右手で塞ぐ。漏れた息が、私の掌で跳ね返る生々しい感触。私は頭が真っ白になった。少女が私の拘束から逃れようとする。駄目だ――それを許したら、叫び声でもあげられてしまったら、私は取り返しがつかなくなってしまう――いや、取り返しなど、とうにつかなくなっているではないか。私は出刃包丁を持って来ていたと思い出し、左手でそれをポケットから取り出した。手がのたうち回るかのように震え、包丁を落としてしまいそうになる。

「お、お、お願い――おとなしっ、く、してくれないだろうか。大人しく、わ、私に従って、欲しい――き、危害を加えるつもりは、ないのだ」

 少女の耳元に口を寄せ、そう口にする。舌が上手く回らない。ただでさえ、言葉を発するのに慣れていないのだ。台詞だってもっとスマートなものを用意していたのだが、すっかり忘れてしまっていた。

 それから包丁の刃を、少女の首のあたりに移動させた。怪我をさせてしまわないように、ある程度の距離は取っている。手の震えが止まらない以上、そうでないと手元が狂ってしまいそうだ。

「ほ、本意ではない――傷つけるのは」

 包丁を見たためか、少女は抵抗をやめている。声をあげようともしていない。私は内心で胸を撫で下ろすが、気を抜いてはいけないとすぐに思い直す。

「私の部屋に、来て欲しい。だ、大丈夫だから、安心して欲しい。酷いことはしない、絶対に、絶対にしない」

 少女が首を縦に振った。とりあえず大人しくさせることに成功した私は、今の自分が少女を抱いている格好だと気付き、気恥ずかしさのあまり飛び退きそうになってしまった――が、咄嗟とっさに思い止まる。

「も、申し訳ない。どうか、どうか怖がらないで欲しい。本当に、酷いことは何もしないのだ。とにかく一旦、私の部屋で、話そう。私を暴漢の類と勘違いされるのは、困る。まずは色々と、話したい。いいだろうか?」

 問い掛けてどうする、と私はすぐに失言に気付く。少なくとも部屋に着くまでは、こちらに主導権があると思わせ、威嚇していないといけない。

「い、今のは修辞疑問の類だ。あ、貴女に拒否権はない。この格好は、誰かに見られるといけないからくが、逃げ出さないように、叫ばないように、お願いしたい。わ、私は凶器を持っている――つ、使いたくはない」

 少女がまた首を縦に振る。私は恐る恐る、少女の口から手を離し、ほとんど密着していた身体も少し離し、かたわらに移動した。包丁もゆっくりと下げ、周りから見られるおそれのない位置に持ってきた。少女が反撃してこないか、助けを呼ばないか、逃げ出さないか、よく注意しつつである。

「こ、このまま、私の部屋に行こう。そう離れていないから、大変な思いはさせないと思う」

 少女は顔を前方に向けたままで、視線だけをこちらに寄越した。怯えている……のだろうか。中学校に上がって以降、人の感情の機微というものを読み取る能力を放棄して生きてきた私なので、どうも分からない。表情が読めない。途轍とてつもなく、怖い。

 何かを云おうとして、自分が喋れなくなっていると知った。衝動に身を任すようにここまではやれたが、我に返ってしまったのだ。少女がいま私に怯えているのかそうでないのかは分からないが、快く思っていないのは確かだろう。それを思うと、今すぐ消えていなくなってしまいたくなる。

 だが、後戻りはできない。

 私は自分が言葉を発せなくなったと気取られないよう、進む方向を顎で示し、少女を歩かせた。この態度が横柄なふうに映りはしないか、そう考えただけで泣き出しそうになってしまう。

 少女に寄り添うかたちで、私も歩く。少女も私も緊張のためか、歩幅も小さく、えらくぎこちない足取りだった。


    5


 無事、少女を部屋まで連れて来ることに成功した。途中、通行人に見咎みとがめられるどころか、誰ともすれ違いすらしなかったのは僥倖ぎょうこうであった。

 後ろ手に玄関扉の錠を掛け、チェーンも掛け、私は包丁の切っ先を少女に向けたまま、さてどうしようと考える。

 まず電気を点けた。狭い部屋なので、玄関の照明だけでも全体に明かりが行き届く。少女は律儀にもこちらに背を向けたまま、静止していた。玄関も狭いため、本当にすぐ間近だ。

「あ、ありがとう。礼を云う」

 ここで礼というのも間抜けな気がしたが、どうにも勝手が分からない。少なくとも無言ではまずいだろう。歓迎の意を示すのは間違っていないはずだ。

「こちらに、向いてくれないだろうか」

 少女は無言で従う。改めてその姿をはっきりと見て、私は絶句とはいかないまでも、驚いた。

 その容姿があまりにも可憐で、愛くるしかったからだ。遠慮がちに上目遣いでこちらを見るその視線も、私が苦手とする攻撃的なものではなく、やはり小動物を連想させる。肩のあたりまでしかない素朴な黒髪も、彼女の幼い顔立ちによく似合っていて、まさに私が求めていた少女そのものだ。身体は少し痩せ気味と云ったところか。

 見覚えのあるブレザーが、しかし何という中学校のものなのかは、私なので分からない。いや、そもそもまだ中学生と確定したわけではないと思い至り、

「ね、年齢はいくつなのか、教えてもらえないだろうか」

 少女はややあって「十四……」と答えた。声音も実に初々しい感じで、期待通りの少女らしさである。

 だがここでまた、私は二の句が継げなくなってしまう。とにかく玄関で立ち話というのもおかしいので、

「奥に、進んで欲しい――あ、いや、その前に、手を洗いたい、だろうか?」

 洗面所は右手の扉を開けた中にある。風呂とトイレが同室内のユニットバスだ。

 しかし少女は、私の言葉の真意が分からないとばかりに怪訝けげんそうな表情である。なぜだろう……帰宅したら手を洗うものではないだろうか。自分の常識に疑いがきざしたが、少女は「それじゃあ……そうする……」と云った。

「あの……靴は?」

「え、ああ、気が回らなくて申し訳ない。靴は、適当に脱いで欲しい。洗面所は、その右の扉を開けたところだ」

 少女はちらちらと私――正確にはその手に握られた包丁か――を気にしつつも、靴を脱ぎ、洗面所に這入った。私は廊下で待つことにする。

「せ、石鹸も使って構わない」

 少女はこくりと頷いて、私の奨めに従った。

 こんなにいたいけな少女が、今、私の部屋で手を洗っている……。私と二人きりでいる……。この部屋に、私以外の人間が存在している……。

 夢の中にいるようで、現実味がない。だが不思議と嫌な気はしない。待ち望んでいた、これはいわば憧憬しょうけいなのだから当然かも知れないが、しかし私は本来、人と接することに極度の恐怖を覚える人間だというのに……。

 少女が手を洗い、タオルでそれを拭き、廊下に出てくる。私も入れ替わりで手を洗おうかと思ったが、一時でも包丁を手放すのは得策ではないと思い直した。

「奥へ、進んで欲しい」

 少女は無言で、云われたとおりにする。廊下から地続きになっている居間に出る。

 ユニットバスを除けば、この居間しかないのが私の部屋だ。キッチンも、小さなものがこの居間の壁際に付いている。一般的な部屋というものがよく分からないが、物は少ない方だろう。それでも、お世辞にも広いとは云えない。ベッドのような幅を取るものは置けないので、床には敷布団を畳んで置いている。

 少女は居間の中央で立ち止まった。次の指示を待っているようだ。ここまで従順にしてくれるとは予想以上に好都合だが、私が刃物で脅してそうさせているのだから、心が痛む。

「お、怯えさせてしまって、申し訳ない。私としては穏便にいきたかったのだが、失敗は許されなかったから、こ、こういった手段を取るほかなかったのだ……」

「……ねえ、お兄さん」

 少女に〈お兄さん〉と呼ばれて、私はドキリとした。

 何だろう、その呼び方に、背徳的で蠱惑的こわくてきなものを感じてしまう。

「お兄さんは……私を、どうするつもりなの?」

 相変わらず上目遣いで――これは単に身長の問題かも知れない――遠慮がちに、少女は問い掛けてきた。

「き、危害を加えるつもりはない。さっき、云ったとおりだ。私はただ、貴女と仲良くなりたいだけで……い、一緒に暮らしたいだけなのだ……」

 後半にいくにつれて声が小さくなってしまった。

「お兄さん、名前は?」

 少女と会話を成立させている自分に気付き、高揚する。段々と、自信が湧いてくる。

「柏崎恭平という」

「高校生?」

「ああ、そうだ」

「高校の名前は?」

「天則高校というところに、通っている」

 少女はそこで、また黙った。あまり質問を重ねると、私を怒らせてしまうとでも危惧きぐしているのだろうか。それは誤解である。むしろ私は少女と会話を交わすために、仲良くするために、こうして来てもらったのに。

 そうだ、私はまだ、少女の名前を訊いていないではないか。

「あ、貴女の名前は何というのだろうか」

「……玖貝彩音あやね

 一瞬、私は耳を疑った。

「くがい、あやね……」

 少女の名前を発声し、違和感の正体に気付く。

 玖貝。その名字は、人名をほとんど記憶しないように努めている私が数少ない例外としている……それどころか、崇拝してやまない女神のものと同じではないか。

「あ、あ、あな、あ、貴女」

 呂律ろれつが回らない。

「も、も、もしか、して、姉が、いはしない、だろうか」

 偶然に名字が一致している可能性もある。限りなく低いが、玖貝という名字の珍しさを思えば限りなく低いが、それでも絶対にないわけではない。

 しかし少女は首肯した。

「いるよ……天則高校に。麗子って名前」

 私は今度こそ、絶句した。

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