1「人間恐怖症の処世術」
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私は常日頃から、自分だけの世界を確立し、そこから出ないようにしている。外界は私を傷付けようとする悪意で満ちているから、それに対する防御策――つまり私にとっての処世術だ。
これが身に着いたのは、一体いつだっただろうか。
私は小学校低学年のときに虐めを受けた。みなも幼い時分だったから、内容はそれほど悲惨でもなかった。見る者によっては虐めとも思わなかったかも知れない。しかし私にとっては何よりも耐え難い苦痛であった。
私は感受性が誰よりも強い。それはもっぱら、痛みを知覚する方向にばかり作用した。普通の人が耐えられる苦痛でも、私の心は大量の血を流す。これを顕在する外傷に置き換えれば、みなにとってのかすり傷が私にとっては致命傷に等しい。
その特徴は、自信のなさにも繋がった。自分の言動すべてに、周りの人間がどう思うのかが気になって仕方がなかった。誰かが私をちらと一瞥しただけでも背筋がゾーッと冷たくなり、次に身体中が火照って汗が噴き出し、震えが止まらなくなる。他人の視線が怖くて堪らない。また、周囲の人間の話し声に聞き耳を立てずにはいられなかった。私を嘲笑、侮蔑、憎悪――そういった類のいずれか――する会話をしているのではないか、という疑念がどうしても払拭できなかった。
誰も私を見ませんように。誰も私に気付きませんように。とにかく私の周りに人間がいませんように。それが私の最も強く、切実な願いだった。
人間は怖い。平気で他人を傷付けるばかりか、それを愉悦とする者までいる。そんな人間で溢れ返った世界で、私はどうやって生きていけばいいと云うのか。
私が生まれ育った華蓋町というところはどちらかと云えば田舎だったからまだしも、都会なんては地獄という表現でもまだ足りない魔境だ。小学校の修学旅行ではじめて大都会に連れ出された私は、ウジャウジャと蠢く人々の群れを見て卒倒してしまった。そのことを学校のみなはきっと話題に上げるに違いなく、私を笑うに違いなく、それを想像するだけで胃の中が空っぽになるまで吐いてしまう私は、それから一度も学校に行けなかった。
だが登校拒否というのは、それだけで悪目立ちしてしまうものだ。私がいない場所であっても、私を異端と罵る人々を想像すると、夜も眠れなかった。おまけに家にずっといる私を心配する親の視線は、私にとっては脅迫的にさえ映った。引きこもったところで解決にならないばかりか、事態はさらに悪化したのである。
それが大きな契機となったのだろう。私は辛うじて生き続けるために、自分だけの世界をつくり上げた。外界から意識を遮断するすべを体得したのである。
外界の情報をできる限り入れない。また、自分から外界への働きも必要最小限に抑える。外界との関係を極力断ち、自分だけの世界を構築する。他人の視線も声も存在しないと自分に暗示をかける。そうやって生きていけば、私でもどうにか生活を送れた。
もちろん、学校に通う以上、最低限入れなければいけない情報はある。しかし、最低限……そのラインを絶対に超えないよう、自らを調整し、なおかつ、その調整を意識しない心理状態をつくる。
それでも時々失敗はあるので、そのつど私は泣き出しそうな辛い目に遭ってきたが、昔のように常に周囲を気にして挙動不審になり、そんな仕草を気取られてますますそれを気に病んでしまうという悪循環からは抜け出せた。
そうやって誤魔化し誤魔化し、なんとか生きているのが私である。