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ある慈悲深き恋の結末  作者: 凛野冥
千代原真一の章 肆
18/31

1、2「仲野宮ゆめ、登校」

    1


 別れ際に麗子さんに云われたことが頭から離れなかった。

 僕が愛穂に抱いていた感情は、恋愛感情ではなかった……。

 そんなつもりはなかった。今だって、よく分からないままだ。僕が波風立てないように振る舞う性分なのは本当だが、告白を受けたとき、好きでなかったらさすがに断る。その場合は相手を傷付けないように苦心するだろうけれど、好きでないのに交際するのは何よりも不誠実だ。

 愛穂のことは好きだった。だから何も疑問を抱かずに、受け入れた。

 ……本当に、そうだろうか?

 麗子さんからの指摘があんなにも衝撃的に感じられたのは、僕にもどこか、心の奥底では思うところがあったからに他ならないのでは?

 愛穂と付き合っている最中、何か釈然としないものを時折感じたのは、否定できない。だが、その理由は何だろう。

 僕は恋愛感情というものを解していないのだとも、麗子さんは云っていた。なるほど、まさにそういうことなのかも知れない。

 僕が愛穂に向けていたのは終始、愛情ではなく友情、あるいは友情の延長線上でしかなかったのかも……。

 しかし、だとすると、僕は結果的に不誠実であったに変わりないではないか。

 不幸にも命を落としてしまった彼女に関して、そんなことを思うのは酷い。死者を冒涜するようですらある。

 僕は罪の意識に苛まれていた。彼女の死が悲しいのは偽らざる本心なのに……それでもやはり、麗子さんからの指摘に心が揺れてしまう。

 僕の気掛かりとは一体なんだろう。

 ふと、僕が愛穂と交際を始めたときに、ゆめが僕に述べた一言が脳裏をよぎった。

 あのとき、彼女は俯いて、

「真一なんか――」


    2


 彩音ちゃん捜索にあたっての妙案は浮かばないまま日付が変わり、僕は天則高校に登校した。欠席して、その時間を彩音ちゃん捜索に使うこともできそうだったが、考えなしにそうしても効果は上げられそうにないし、麗子さんも登校するそうなので実行には移さなかった。

 この調子で本当に大丈夫なのだろうか……。僕でこれなのだから、麗子さんだって本当は不安が増しているはずである。

「おはようございます」

 不意に隣から声を掛けられたので見ると、柏崎くんだった。もしかして彼の方から挨拶してくれるのは、これがはじめてではないだろうか。

「おはよう。一昨日は休んでいたけれど、昨日はどうだったの?」

「き、昨日も欠席、した」

「そうなんだ。僕も昨日は休んだんだ。……体調はもう平気?」

 たしか体調不良という話だったと思う。

「問題ない。と、ところで最近、何か変わったことはなかっただろうか?」

「変わったこと?」

「通り魔殺人……とか」

 その言葉に僕は少なからず動揺したが、柏崎くんの様子を見るに、三人目の被害者が僕の恋人であるとは知らないで云っているようだ。

「三人目が出たよ。もう一昨日のことだけれど、愛穂が被害者だった。このクラスのだよ。酷い不運だよね」

「そ、それは、申し訳ない」

 案の定、柏崎くんははじめて知ったというふうだ。

「……他には、何かないだろうか?」

 今日の柏崎くんは珍しくよく喋る。目を泳がせながら話しているのは照れ屋な彼らしいが、こうして質問を重ねてくるのはそれこそはじめてである。体調を崩していた間の出来事を知って、遅れを取り戻そうとしているのだろうか。それはそれで、彼の新しい一面を知った気分だ。

「うーん、他には、か……」

「たとえば、誰かが行方不明になった、とか」

 彩音ちゃんのことが一瞬浮かんだが、麗子さんが秘密にしているのだから、世間からは認知されていない出来事だ。

「あるいは何か、貴方の周りで……」

 柏崎くんが言葉を続けようとしたところで、僕は視界の隅にある人物を捉えて、思わず声を上げてしまった。

「学校に来たのか!」

「僕はれっきとした天則高校の生徒なのですから、そんなに仰天するのは失礼です」

 制服姿のゆめが、仏頂面で立っていた。

 別のクラスの彼女が此処に来たのは、僕に用があってのことだろう。

「ご、ごめん、柏崎くん、また後で」

 そう断ってから、僕はゆめの手を引いて教室を出た。どのみち、人前でできる話にはなりそうにない。いつだかの麗子さんにならって、四階へ向かう。

 登校拒否中だったゆめが今日になって登校して来たのはなぜだろう、と考えると、理由はひとつしか浮かばない。昨晩の電話ではああだったものの、彩音ちゃん捜索に協力する気になってくれたのだ。気分屋な彼女なので、そうおかしな話ではない。

 閑静な四階に到着し、廊下の端で僕はゆめの手を離した。早速自分の推測を確認しようとしたが、その前にゆめが、

「真一と話していた男子生徒はどういう人物ですか? 柏崎、と呼んでいましたけれど」

 喋り方は澄ましているが、引きこもりがちな彼女なので、階段を上がってきたせいで呼吸がだいぶ乱れている。

「柏崎くんはあの席に座っているクラスメイトだよ。どういう人物かって云えば……大人しい人かな」

「一昨日、昨日と学校を休んでいたと云っていましたけれど、よく欠席する生徒なのですか?」

 いつから聞いていたのだ。気付かなかった僕も悪いが、せめて一言声を掛けてくれればいいのに。

「いや、そんなことはないよ」

「そうですか」

 ゆめが誰かに興味を持つとは珍しい。柏崎くんは特別垢抜けた方ではないが、気に入ったのだろうか。

「それより、ゆめ、どうして学校に?」

「ですから、僕はこの学校の生徒なのですから当然――」

 ゆめはそこまで云うと、溜息をいた。これでは話が進まないと自分でも思ったらしい。

「玖貝さんの妹さん……彩音さんでしたね。彼女の捜索を手伝ってあげようと思っただけです。真一に免じて」

「ありがとう。とても助かるよ、ゆめ。麗子さんもきっと喜ぶ」

 説得が功を奏したようではしゃぐ僕を見て、ゆめは愛想笑いのようなものを浮かべた。

 こうして見ると、今日の彼女はいつもより顔色が悪い。物憂げな表情は普段どおりとも取れるが。

「……具合が悪そうに見えるよ。大丈夫?」

「久々に外に出たので、少なからず死にたいだけです」

「死なれたら困るけれど……。状況が状況とはいえ、無理させちゃってごめんね」

「心配には及びません。ただ、学校という場所はどうしてこうも、辛いのでしょう……」

 額に手をあてて嘆息するゆめ。

「それぞれの人生を呑気に謳歌していられる人々で溢れています。僕にとっては最悪の環境ですよ。彼らの無邪気さは僕からすれば世にも恐ろしい無軌道さで、いちいち苛立って仕方がありません」

「考え過ぎじゃないかな。気にしないでいればいいよ」

「なぜ考え過ぎないで生きていられるのか、と考えて無性にもどかしいのです、僕は」

 ああああ、と声を吐きながら、ゆめは悲嘆に暮れるかのように床に座り込んでしまった。

「ちょっと、ゆめ、本当に大丈夫なの?」

 僕もしゃがんで、ゆめの顔を覗き込む。

「死にたいです」

 登校してくれたと思ったら、早くもこうなってしまった。あまりに幸先が悪い。

「とりあえず、床に座るのは良くないよ。学校なんだから」

「今は真一しかいないので、別にいいのです……」

「何か嫌なことがあったの?」

 そうだとしたら、僕が話を聞くことで、ゆめの憂鬱をいくらか緩和できるかも知れない。

 ゆめは物云いたげな目つきで僕を見ていたが、しかし意外にもそれ以上の不平は口にせず立ち上がった。

「いえ、このくらい平気です。そろそろホームルームでしょう。……真一、昼休みに此処に集まりたいです。玖貝さん……妹さんの名前も頻出ひんしゅつしそうですから、麗子さんと呼び方を改めますけれど、麗子さんも呼んでおいてください。そのときに、詳しい事情を伺います」

「分かった」

 ゆめが協力の姿勢を示してくれた以上、僕は彼女にとって必要なすべてを整えるよう尽力するつもりだ。

 予鈴が鳴ったので、僕とゆめは階段を下る。僕の教室の前で別れる際、彼女は「僕がせっかく頑張ろうと決めたのですから、真一もずっと付き合ってくださいね」と小さめの声で云った。

「もちろんだよ。じゃあ昼休みに」

 ゆめはゆめで彼女の教室へと向かって行く。その背中は自信なさげに縮こまっていて、僕は奇妙な感覚に捕らわれた。

 ゆめはあんなに小さかっただろうか。

 中学時代の彼女は佇まいもどこか超然としていて、孤高の存在という表現が嵌っていた。だが今の彼女は、その対極にあるように見えた。

 一体いつからだろう……。

 煮え切らないままに席まで戻ってきた。隣の柏崎くんに「ごめん、話が途中だったよね」と話し掛けたが、彼は首を横に振るのみだった。知りたかった事柄は他のクラスメイトとでも話して間に合わせたのかも知れない。

 ただ、ホームルームの間、柏崎くんには僕の方をちらちらと気にしている素振そぶりがあった。僕はなぜか、その眼差しに、疑惑や敵意といった良くない感情が潜んでいるように感じた。

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