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ある慈悲深き恋の結末  作者: 凛野冥
柏崎恭平の章 参
15/31

1、2「恐るべき悪魔の所業」

    1


 人間は恐ろしい――と私が思わなかった日は一日としてないが、しかし今日ほどに強く思った日もまた、なかったかも知れない。

 自分の部屋、その居間の床に座り込み、私はもう二度と立ち上がれそうになかった。脳裏に刻まれたあの光景が一向に離れず、いくら暖房を効かそうと寒気が引く兆しはない。

「お兄さん、大丈夫?」

 彩音が私の顔を覗き込み、心配そうに眉を寄せている。その表情を見ると、こうしていつまでも震えているのがみっともなくなるが、それですぐに割りきれるはずもなかった。

「こ、怖い……。それが率直な気持ちだ」

「ごめんなさい。そんな思いにさせちゃって」

「い、いや、彩音が気に病む必要はない。私が、悪いのだ」

「お兄さんは悪くないよ」

 彩音はすかさず首を横に振った。

「悪いのは、お姉ちゃんだよ……」

 私は喉の奥が跳ね上がった。

 人間は恐ろしい。

 玖貝麗子は、恐ろしい。

 私は今日の昼に、それを思い知ったのだ……。


    2


 昨晩。

 玖貝麗子が通り魔とは、いくら彩音の口から聞かされようと、すぐ鵜呑みにはできなかった。外部からの情報を極力遮断している私はそもそも、百条市を通り魔が闊歩かっぽしていることも知らなかったのだ。

 混乱の只中にいる私に、それでも彩音が訥々とつとつと語ったところによると、彼女は一昨日の夜――私が彩音と遭った夜――に姉の正体を知り、逃げ出したのだと云う。

 あの夜、極端に人影が少なかったのは、人々が通り魔を警戒していたからだった。そんななか彩音だけがいたのは、彼女がまさに通り魔から逃げて来たからだった。私の手際の悪い拉致まがいな行為に、彩音がほとんど抵抗をしなかったのも、彼女はさらに怖いものから逃げていて、自分を匿ってくれる先を探していたからだった。

 彩音は姉が通り魔であるという真実に直面し、どうしていいかも分からずに逃げ出したらしい。だが、警察を頼るわけにはいかなかった。姉が通り魔であると告発するなんて、できるはずもなかった。そうなれば、間違いなく家庭は崩壊する。実の姉に対して裏切りを働けないという思いはもちろんだが、何よりも自らの破滅へも、それは繋がってしまうのだ。どうやら玖貝家は母子家庭で、あまり裕福でないらしい。そんな事情から、母親に迷惑は掛けられないという考えもあったようだ。

 彩音は途方に暮れた。友人を頼ろうにも、いざ友人と会ってしまったら、姉の秘密を打ち明けてしまいそうな予感が拭えなかったと云う。無理もない。中学生の少女が抱えるには、その苦悩は大き過ぎた。

 そんなときに、お兄さんが現れたの――と彩音は云った。

 はじめのうちは戸惑ったが、しかし私のことが、しようとしている行為とは裏腹に、まったく悪人には見えなかったらしい。それはおそらく、私が弱弱しく、情けなく、悪事を働く度胸を持ち合わせているとは到底思えなかったということなのだろう。

 彼女は私に匿ってもらうと決めた。

 私がさながら白馬に乗った王子様のように見えたと、彼女は云ってくれたけれど、さすがにお世辞だと思う。

 それでも、嬉しかったが。

 しかし、だからと云って、私の混乱は収まらなかった。

 彩音の話は本当なのだろう。それを語った口調は、絶対に嘘をついているものではなかった。辻褄だって合う。大体、私にはもとより彼女を疑うつもりなんてなかった。

 本当なのだ。事実なのだ。

 私が女神と呼び崇めていた女性は、人殺しなのだ。

 だが、頭ではそう考えられても、やはり飲み込めなかった。

 その犯行だって、想像を絶する内容だった。

 下校途中の女子高生を襲い、殺害し、解体し、各部を別々の場所に置いて回る……極めて残忍で、およそ人間の為せる所業とは思えなかった。

 それじゃあ女神どころか、悪魔じゃないか……。

 なぜ、玖貝麗子はそんなことを。そう訊いた私に、彩音は云った。

 説明するより、その目で見て確かめてもらう方がいい、と。

 だから明日、一緒に玖貝家に行こう、と。

 それにこんな恐ろしいこと、自分の口からはとても云えない、と。

 そうして私は今日の昼、彩音と共に出掛けたのだった。

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