表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある慈悲深き恋の結末  作者: 凛野冥
千代原真一の章 参
14/31

4、5「恋愛感情とは何か」

    4


 麗子さんがトイレから戻った後、すぐに繭ちゃんとはお別れとなった。麗子さんも話は済んだと判断したようだし、繭ちゃんの帰りが遅くなるのを避けたいようでもあった。

 繭ちゃんが喫茶店の前まで迎えに来た彼女の母親の車に乗って帰ると、僕と麗子さんは喫茶店の裏の公園に這入った。今後の方針を定めるためだ。全然注文しないのに店内に長く居座るのは気が進まなかった。

 先程まで老人が腰掛けていたベンチに並んで腰掛ける。

 夜のとばりが下りてくる時分だ。

「麗子さん、もう警察に相談するべきじゃないでしょうか」

「それはいけないわ。理由は話せないけれど、何度も云っているようにそれだけは譲れない」

「でも彩音ちゃんが行方不明となってから二日が経ちます。自ら消息を絶ったにせよ、事件に巻き込まれたにせよ、相当に危ういところまで来ているんじゃ……」

 ネガティブな可能性を指摘するのは僕も嫌だが、そうも云っていられない。

「真一くんが想定している最悪のケースは、彩音が通り魔に殺されたというものよね」

「……そうですね」

「それなら、死体はとうに見つかっているはずよ。三人の被害者はみんな、殺された翌日には発見されている……。通り魔はあえてそういう隠し場所を選んでいる……。劇場型犯罪の向きが強いのね。だから彩音の行方不明は通り魔とは関係ないのよ。それに、通り魔が狙うのは女子高生のようだわ」

「なるほど」

 だが正直、根拠としては弱い気がする。通り魔はあくまで通り魔であり、ちょっとした気まぐれで手口を変えてしまうかも知れない。

「でも他の犯罪に巻き込まれた可能性も、大いにありますよね。これまでの話しぶりからすると、麗子さんは彩音ちゃんが自ら行方をくらませたと考えているようですけれど……つまり、家出だと」

「ええ、その通りよ」

「何か根拠があるんですか? それくらいは教えて欲しいと思うんですが……」

 麗子さんは黙ってしまった。僕に話していいものか考えているのではなく、どう誤魔化すか考えているように見えた。

「ゆめちゃんの知恵を借りたいところね」

 結局僕の質問には答えてくれず、それは誤魔化しと云うより言外の拒絶だった。

「これまでの話をもとに調査を進めようにも、雲を掴むような話だとは感じますからね」

 実際問題、ゆめに相談したとして、彼女は鋭い考えを披露してくれるだろうか。それにしたって情報が足りていないと僕には思えるが……しかし、そんな状況を明快に解きほぐしてしまう彼女の姿を僕はこれまで何度も見ている。

「あまり遅くに家を訪ねるのも無礼なので、ゆめには今晩電話してみます。そこでもう一度、せめて一時的にでも協力してもらえないか頼んでみますよ」

「ありがとう。そうしてくれると助かるわ。……今日もあと少し、付き合ってもらっていいかしら」

「もちろんです。できることから早め早めに取り組んだ方がいい。とりあえず、彩音ちゃんと繭ちゃんが帰ったルートを歩きましょうか」

「そうね」

 公園から出た僕らは、繭ちゃんから教えてもらったそのルートを辿る。彩音ちゃんと繭ちゃんの別れる地点が丁度良い場所になるように選択されたルートなので、僕や麗子さんが百条駅の行き帰りに使うそれとは少し異なっているのだ。こうして歩いてみることで発見があるかも知れないし、どのみち無視できない行程である。

「でも麗子さん、家出だとすると、彩音ちゃんは突発的にそうしたのでしょうか。繭ちゃんと一緒に寄り道があったにしても、学校帰りですよね。普通、失踪するなら相応の準備をしそうなものですけれど」

 麗子さんは考え込んでいるらしく、返事はない。

「麗子さんの気付かない間に一回帰って来た、なんてことはないのでしょうか」

「ないと思うわ。私はずっと自室にいたから、帰って来たときに気付かないことはあるでしょうけれど、その形跡もなかったから」

「繭ちゃんは、自分と別れるまで彩音ちゃんに不審な様子はなかったと云っていましたね」

 聡い子だったから、そこは信用していいだろう。

「とすると、彩音ちゃんは制服姿で、学校に行くにあたっての持ち物しかない状態で、未だ行方をくらましたままということになります。それは無理じゃないですか? お金もあまり持っていないでしょうから遠くには行けないし、制服姿ではとっくに補導されていそうです」

「衣服くらいは手持ちのお金で都合できるかも知れないわ」

「それでも、不自然なことに変わりはないでしょう。通り魔じゃなくても、やはり、何らかの犯罪に巻き込まれているんじゃないですか? たとえば、人攫ひとさらいとか……」

 それならいちおう、不自然な点に説明がつく。

「だけど身代金の要求とか、そういった電話は受けていないのよ?」

 たしかにそうだが、人攫いの目的が金銭だけとも限らない。

「友人の家に匿ってもらっているとも考えられるわ」

「そうですね。ああ、すみません。先程から不安を煽るようなことばかり云ってしまって」

「いいのよ。そうでないと、協力してもらっている意味がないわ」

 僕の思考がその方向に傾いてしまうのは、愛穂の死を経験したばかりだからだろう。

 人は自分とその周りは安全だと、一時的に乱れたとしても最後には元のかたちに収まると、楽観的に考えてしまう……それが仮初めに過ぎないと、僕は思い知らされたから……。

「友人の家に匿ってもらっているとしたら、繭ちゃんの調査に期待するしかありませんね」

 こんな状況にしては危機感に欠けている様子の麗子さんを見るに、彼女はその線が妥当と考えている節があるが……ふと、僕は違和感を覚えた。

「匿ってもらう……?」

「どうしたの、真一くん」

「麗子さん、彩音ちゃんには誰かに匿ってもらうような……家出して、身を潜めるような理由があるんですか?」

 麗子さんの眉が一瞬だけ引きつった。

「それは……」

「ああ、いえ、教えられないと云うのは、そのことなんですね。ずっとモヤモヤしていましたけれど、ようやく分かりました」

 家庭の事情……でなくとも、きっと姉妹の事情があるのだ。彩音ちゃんが失踪するような事情が。そしてそれを、麗子さんは隠したいのだ。姉妹の事情に周りを極力巻き込みたくないから、母親にさえ秘密にしているのだろう。僕にも大体のところが見えてきた。

「大丈夫です。詮索はしませんよ」

 麗子さんは安心したのか、表情が幾分か穏やかになった。

 やがて僕らは、彩音ちゃんと繭ちゃんが別れた地点に到着した。なんの変哲もない住宅地の中だ。彩音ちゃんの此処から先の足取りは分からない。此処までの道でも特段、気付きはなかった。

 もうすっかり夜で、周囲はまばらな街灯と家々から洩れる明かり、それから月明かりに照らされるのみである。

「この時間だと、あたりの家に手当たり次第訊き込みするというわけにもいきませんね」

「そうね……」

 麗子さんも難しそうな顔をしている。それに、そんな無茶な訊き込みは非効率なだけでなく、目立ち過ぎる。彼女からすると歓迎できないやり方だろう。

 その場でしばらく話し合った結果、今日は解散する運びとなった。万策尽きたとまではいかないものの、これからできることは思い浮かばない。一旦帰宅し、考えを整理した方が良さそうだ。

「麗子さん、それでもアパートまで送って行きますよ。通り魔が出没しているんですから、麗子さんひとりで夜道を歩くのは危険でしょう」

「平気よ。それに真一くんの家とは方向が逆なのだから」

 だが愛穂のことで後悔がある僕は譲らなかった。麗子さんも折れ、僕は彼女の帰路に同伴する。

「真一くん、少し無遠慮なことを云ってもいいかしら」

 もうじき麗子さんの住むアパートというあたりで、彼女がそう切り出した。

「何でしょうか」

「真一くん、愛穂ちゃんが死んだことをどう思っているの?」

 よく意図の分からない質問で、僕は戸惑うはめになる。

「本当に悲しいとか、悔しいとか、思っているの?」

 それは詰問口調ではなかったが、内容的には責められているように受け取らざるを得なかった。

「麗子さんには、僕が愛穂の死を何とも思っていないように見える、のでしょうか?」

「いえ、そこまで薄情とは思っていないわ。気に病んでいるのは確かなのだと思う。学校も欠席していたし、こうして私に協力してくれているのも、愛穂ちゃんが死んでも平気だからではなく、電話で云ってくれた理由からなのだと思う。……だから云ったでしょう、無遠慮なことだって」

「なら、どうして……」

「会ってみると、真一くんは普段と何も変わらなかった。私はもう少し落ち込んだ感じで来るだろうと思っていたから、少し驚いたわ。ええ、それは私に心配させないため、調査の妨げにならないための振る舞いなのだとは分かるけれど、でも……」

 麗子さんはそこで首を横に振り「質問の仕方が悪かったわね」と云ってから、僕を見据えた。

「貴方、本当に愛穂ちゃんのことが好きだったの?」

 今度の質問には不意の一撃を食らったような気分にさせられた。

 咄嗟には返答できなかった。そのくらい、予想外で、衝撃的だったのだ。

「好き、でしたよ」

 当たり前だ。後ろめたいところなんてない。それなのに、僕の言葉はどこか空々しく響いた。そんな自分自身にも驚かされた。

「本当に?」

 麗子さんは僕の反応を見て、我が意を得たりと云わんばかりだ。

「真一くんは昔から優柔不断……ではないけれど、意志薄弱だわ。だから真一くんに恋人ができたと知って、驚いたの。小学校のときに一度あったきりよね、真一くんが恋愛したのは」

 僕が自己主張の少ない性格であるのを、幼馴染の麗子さんはよく知っている。否定はできない。

「真一くんの姿勢って基本的に、来る者拒まず去る者追わずよね。争い事を好まないのも、波風立てないように振る舞うのも、そう換言できるわ。それで私、今日確信したの」

 麗子さんは足を止めた。

「真一くんは愛穂ちゃんに告白されたから、それを当然のように受け入れて、二人は恋人同士になったけれど、実は真一くんに恋愛感情はなかったのね」

「そんなことは……」

 釈明しようとしたが、麗子さんの揺るがない目を見て、気勢は削がれてしまった。

「真一くんが愛穂ちゃんを好きなのは、本当なのだと思う。愛穂ちゃんが殺されてしまって、気を落としたのも本当。真一くんが不誠実なわけでも、性格が歪んでいるわけでもないのは、よく分かっているわ。そこで誤解はしていないから、安心して」

 その点は安心するが、そうなると僕に訪れるのは混乱だった。麗子さんの話の筋を見失ってしまったのだ。

「私が云っているのは、真一くんは恋愛感情というものをよく分かっていないということなのよ。もう高校生の真一くんに私がこんな指摘をするのは面映おもはゆいけれど……私だって恋愛経験には乏しいしね……でも、私くらいしか云ってあげられる人もいないと思うから、やっぱり云うわ。真一くんが愛穂ちゃんに向けていた〈好き〉という気持ちは、友人に向けるものと変わらない類のものだったのよ。だから、彼女の死に際してもそういうリアクションになるの……これはあえて酷い云い方をしているのだけれど、気を悪くしないでね……本当に愛している人が死んだら、人はもっと立ち直れなくなるものよ」

 僕は云い返せなかった。麗子さんの言葉の意味を完全には飲み込めていないけれど、納得させられているのは確かだった。

 自分が恥ずかしかった。


    5


 麗子さんからの指摘に答えを出すこともできないまま、つまりは有耶無耶なまま、彼女のアパートに到着して僕らは別れた。少し上がったらどうかと誘われたけれど辞して、半ば逃げるように僕は帰った。

 今は家で用意されていた夕飯を食べ終え、自室である。

 携帯から、ゆめの家に電話をかけた。ゆめは携帯を持っていないから、連絡を取るには彼女の家にかけるしかない。すぐに彼女の母親が出て、ゆめに取り次いでもらった。だいぶ待たされてから、電話口にゆめが現れる。

『はい』

「僕だよ」

『僕とは』

「分かるだろ……千代原真一だよ」

 変な突っかかり方をしてくるあたり、今回も機嫌が悪いのだろうか。

「麗子さんと彩音ちゃんを捜索しているのだけれど、どうも調子が悪いんだ。手詰まりと云っていい状態だよ。どうしても、ゆめの力を借りたい」

『しつこいです。それはもはや任意の要求ではなく、無理強いに等しいですよ』

「僕らも本気だから仕方ない。彩音ちゃんが消えてから、明日で三日だ」

『今日で二日、明後日で四日という意味ですね』

「余裕がなくなってきているという意味だよ」

『僕に電話をかけて睡眠を妨げる余裕はあるようですが』

 取り付く島もない。これではずっと平行線で、小学生レベルの云い合いである。

「余裕がないからこそ、無理強いみたいになってしまっても、ゆめに協力を仰いでいるんだ」

『もう寝る時間なので失礼しますね』

「ちょっと待ってくれよ」

『おやすみ、は云わないでいいですよ。そういうのは自慢の恋人さんにどうぞ』

「……愛穂は死んだよ」

 ゆめが息を呑むのが電話越しでも分かった。愛穂の死は知らなかったらしい。さすがに知っていて嫌味を云うほどに性格が悪い彼女ではない。

「百条市に通り魔が出没しているのは知ってる? その三番目の被害者が愛穂だった」

『……通り魔のことは、お母さんから聞いています』

「話を戻すけれど、手伝ってくれないか?」

 恋人が死んでも彩音ちゃんの捜索にあたっているということで、僕の真剣さや事態の深刻さが伝わっていて欲しいのだが。

『はあ、死にたいです』

 そんな口癖を最後に、向こうから通話を切られてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ