ハニーハニートラップ(前編)
「いってっきまーす!」
俺は能天気に玄関から飛び出し、表札の前で佇む人影に驚く。
当然といった様子で男は、ウサギの荷物を手に取る。
「クマっ!もう、俺たち高校生なんだぜ。登下校は別々にしようって話したじゃん。」
俺の話には耳も貸さず、クマは駅まで歩みを進めてから主張した。
「ウサギ、よーく聞いてくれ。誰にも言ってないことなんだが、実は俺、電車が苦手で誰かと一緒に乗らないと、耐えられないんだ。こんな恥ずかしい相談できるの、ウサギしかいない。俺を、助けてくれよ。」
困ったものだ。
クマはデカい図体になっても、俺がいないと何もできないようだ。
ウサギは得意満々の笑顔で胸を張り、「俺に任せとけ。」と言うのであった。
電車内で、俺はクマを守る使命感に燃えていた。
しかし、逆に、俺が守られているような気がするのは、何故だろう。
「クマ、お前そんな姿勢で辛くはないのか。」
クマが壁際にいる俺を囲っているため、満員電車であるにも拘わらず、俺の周囲はかなりゆとりがあった。
クマは汗ばんだ額を拭いながら、「大丈夫だ。ウサギの方こそ、平気か。」と白い歯を見せて爽やかに笑うのだった。
今朝は、数少ないクマの弱点を知ることができて、ラッキーだった。
クマは勉強も運動もかなり出来る奴なので、俺が勝てる分野なんて殆どないのだ。
「おはよう、猿楽。」
初めて知り合ったクラスメートの猿楽は、常に顔を赤く蒸気させており、倒れはしないかと見ていて心配になる。
「おおっおはよう、うう宇賀野。」
どもり過ぎな猿楽に吹き出す俺の様子を、斜め後ろの座席からクマが見つめていた。
「ちょっと、来い。」突然クマが俺の腕を掴むと、教室から引っ張り出した。
「いたいって、クマ!」俺の声に気付き、クマはすぐに手を離した。
顔を見上げてみると、眉間に何本もしわを寄せて、恐ろしい形相をしている。
「どうしたんだよ、怖い顔して。」問いかけには答えず、クマは俺を見つめていた。
「どうして、そんなに可愛いのに無自覚なんだよ。」クマの呟きが理解できず、俺は首を傾げる。
「ウサギ、猿楽には今後一切近付くな。声を掛けるのも、手を触れるのも、笑顔をみせるのも、全部ダメだ。」
理不尽な宣告に、「なんでそんなことまで、お前に決められなきゃならないんだよ!俺のことに構いすぎなんだよ、クマは!」と怒りを露わにして、俺は声を荒げた。
「ウサギのためを思って言ってるのが、分からないかっ?!」
俺に詰め寄ったクマは、先ほどの表情とは打って変わり、今にも泣きだしそうな困り顔を浮かべている。
やばい、クマのこの顔に俺は弱いんだ。ああ、このままだと、押し切られてしまう。
「何をしているんだい?二人とも、予鈴が鳴ったから席について。」
担任である小犬丸先生の出現は、俺に訪れたチャンスとしか考えられない。
クマの視線が先生の方に向いた瞬間を狙って、俺は一目散にその場から逃げ出した。
暫く走り続け、クマが追いかけて来ないことを確認すると、一息ついて辺りを見渡した。
どうやら中庭らしき場所にいるようで、手入れの行き届いた植物に囲まれていた。
その時、ふいに後方から声を掛けられた。
「おチビちゃん?また、会ったね。」親しげな様子で話し掛ける制服姿の男に、俺は怪訝な視線を送る。
「ああ、この格好で会うのは初めてだったね。こう言えば、分かるんじゃないかな?入学式の日に、道案内してあげた“釜爺”だよ。」
「ええっ!?」俺は、驚きの色を隠せずにいた。何故なら、目の前にいる男は“釜爺”とは、真逆の人間だったからだ。
スラッとした長身に、真っ白な肌と色素の薄い瞳、そして肩まで伸ばされたプラチナブロンド。
その姿はまるで、童話に出てくる王子のようであった。
「フフッ、信用できないって顔をしてるね。」
“釜爺”の時の荒々しさは微塵も感じさせないが、確かに声質が似ているような気がする。
「あっ、分かった!今日は、“ハウル”のコスプレをしてるんだねっ!」
ウサギが自信を持って出した答えに、「残念ながら、こっちが地なんだ。僕は、日本とスイスのクォーターだから。」と微笑みを返した。
「ところで、おチビちゃんは今日も迷子?」
俺は言い訳もできず、下向き加減に頷く。
「今更、授業に出たって仕方がないし…そうだ、先生たちにも叱られない、とっておきの場所に連れてってあげよう。」
またもや、強引に話を進められ、俺は“ハウル”の後を追うしかなかった。
到着した場所は、北館の最上階に位置する生徒会室だった。
“ハウル”が慣れた手つきで鍵を開けると、室内には学校とは思えないほど、豪華絢爛な世界が広がっていた。
「うわぁ、すっげぇ。」俺は、思わず感嘆の声を漏らす。
“ハウル”は俺の様子を横目に、「僕のお気に入りは、これなんだよね。」と言って、純金製の地球儀をクルクルと回した。
「この時間帯は、誰も使用しないはずだから、授業が終わるまでくつろぐと良いよ。」
そう一言だけ言い残して、“ハウル”は出ていってしまった。
◇
結局、“ハウル”の正体は確認できなかったが、ウサギは快適過ぎる室内でウトウトと、眠りに誘われていった。
人が来ないと聞き、安心して眠りについたウサギであったが、唐突に生徒会室の扉が開かれた。
乱暴に扉を開けて入って来たのは、生徒会副会長の豹堂晶だ。
「ああ~、だりぃ。」
派手なヒョウ柄のシャツを着た豹堂は、自分の定位置である赤のソファに向かうが、人影に驚き尻餅をついた。
「だ、誰だ!?」
震えた声で尋ねてみるが、相手からの反応は返ってこない。仕方なく豹堂は、及び腰で相手に近付いていった。
すると、そこには天使のように、すやすやと眠る男子生徒の姿があった。
えええぇぇーーーーっ!!!
なんだコイツっ!?めっちゃ可愛い!!
えっ、女子じゃないよな??
いやいや、だってここの制服着てるし!
てゆーか、顔小っさ、睫毛長っ!!
マジで…半端なくかわゆいっ!
ヤバっ、かわゆ過ぎないか!?
豹堂の頭の中では、得体の知れない男子生徒について、激しく意見が飛び交っていた。
一瞬にしてウサギに魅了された豹堂は、無意識のうちに手を伸ばし、寝息に揺れる頬に触れていた。
「ぅぅんっ。」
軽く反応を返すだけで、全く目覚める気配はない。
魔が差した豹堂は、恐る恐るウサギの口元に顔を近付けていった。
「な、に…、あんた誰?」
唇まであと数センチのところで、ウサギが眠たそうに瞼を開けた。
急いで顔を離した豹堂は、焦りながら質問した。
「お前の方こそ、何者だよ?どうして、生徒会室で寝ていたんだ?」
「あっ、ええっと、“ハウル”に案内してもらって休んでたんだけど。」
「ハウル?ああ、狼士のことか。それで、お前の名前は?」
「俺の名前は、宇賀野うさ吉。あんたは?」
豹堂は待ってましたと言わんばかりに、自己紹介を始めた。
「俺様は、生徒会副会長の豹堂晶だ。世界を圧巻するファッションブランド、〝Hyodo〟の御曹司さ。」
言い終えると、豹堂はドヤ顔を決め込んだ。
「ああ、通りで奇抜な服装なんだね。」ウサギの言葉に、豹堂は目を輝かせる。
「何だ、お前分かるヤツじゃん!よし、確かここには、最高級のコーヒーがあったはずだから、特別に俺様が淹れてやるよ。」
ウサギは、こちらに背を向けた派手な男を、まじまじと眺めていた。
金髪頭に豹柄のシャツ、自分のことを俺様と称し、奇抜と言われて喜ぶ男。こいつは、かなりの変態臭い。
ウサギは豹堂のことを警戒しつつも、仮にも先輩である人間に、飲み物を用意させることは不味いと感じ、急いで立ち上がった。
ウサギは、ぼーっとしているようで、案外義理堅いのである。
一方、平静を装っていた豹堂は、胸の高鳴りを抑え切れずにいた。
やっべーーーっ!!
誰でも、寝顔は二割増しぐらい、可愛く見えるもんだけど…
あいつは目覚めてからの方が、すんっげーー可愛いんですけど!!
何か後光が差してるよね、うん。
寝ぼけてる様子、やば可愛いよね。
てゆーか、声まで可愛いかったんですけど。
またもや、豹堂の頭が大混乱になったところで、ウサギから声を掛けられた。
「あの、先輩?僕も手伝います。」
振り返るってみると、かなりの至近距離にウサギが迫っていた
。驚きの余り豹堂は、ポットのお湯をひっくり返した。
「あぶないっ!」
豹堂がウサギを庇おうとするが、バランスを崩して二人は倒れた。
「先輩、大丈夫ですか!?」覗き込むウサギの顔には、心配の色が滲み出ていた。
「全然、大丈夫だって!ぬるま湯だったから。…それより、ちょっと、退いてくれる?」
安堵の表情を浮かべるウサギは、先ほどから豹堂に馬乗りの状態であった。
ウサギはその場から離れて、「すみません。僕が急に、声を掛けたりしたから。」と心底申し訳なさそうに述べる。
「いやいや、俺の不注意だから!気にするなって!俺はちょっと、濡れた服着替えてくるから。」と言って、豹堂は奥の部屋に向かった。
ウサギの姿が見えない所まで来ると、豹堂は堪えていた感情を爆発させた。
ああああぁぁぁーーーーーーーっ!!!!
超絶ヤバい!何だ、この感情は!?
てゆーか、あの姿勢は、何っ!
興奮度MAX、俺様の息子が…
ヤバいことになってるんですけど!!!
うおおおあああーーーっ!!!
「先輩、ほんとに大丈夫ですか?」
興奮が醒めきらぬまま豹堂が戻ると、ウサギがとんでもない恰好で待ち構えていた。
ウサギは白いシャツを脱ぎ、陶器のように美しい肌を露わにしていたのだ。
「どどどど、どうしたの?」
「ちょっとシャツが濡れちゃったから、乾かそうと思って。」
ウサギは答えながら、豹堂のそばに近付いてきた。
「ちょっ、ストップ、ストップ!!それ以上、こっちに来るな!」
ちょっ、冗談じゃねー!!
この色っぽさは、犯罪レベルっしょ!
いくら紳士の俺様でも、我慢できねーって!!!
そんな豹堂の心情を知らぬウサギは、火傷がひどかったのだと勘違いし、更に豹堂との距離を詰める。
「先輩、僕にちゃんと見せて!」
豹堂のシャツのボタンに手を掛け、ウサギは切羽詰まった様子で言い放った。
はっ??
今、この子、なんて言った!?
『センパイ、ボクニチャントミセテ!』
確かに、そう言ったよな?
それに、このシチュエーションだよ!
密室に、半裸の男子高校生が二人…
えっ、これって、俺、誘われてる?
ねえ、誘われてるよね?
うっひょおおあああああああーーーー!!
マジかっ!!!
据え膳食わぬは武士の恥!!!
男、豹堂晶、有難く頂戴します!!
野獣の如く息を荒げ、ウサギをソファに押し倒す豹堂。
「先輩…?」
ウサギは状況を把握できず、潤んだ瞳で豹堂を見つめ返す。
その視線がさらに豹堂を煽る結果になることを、ド天然のウサギは知る由もなかった。