恋と変は似ている
今、俺は頭をフル回転させている。
窮地に追いやられた現状を打破するには、如何すれば良いのか。辿り着いた答えは、“逃げる”ことだった。
胸に抱き寄せたウサギの手を取り、騒然とする講堂から逃げた。その場から離れることだけを考え、とにかく全力で走った。
「クマっ、待てって。」
俺との伸長差が20㎝以上あるウサギは、無理矢理引っ張られて息を切らしていた。
「あっ、ごめん。」
手を離すと同時に、先程の言い訳を考えるが何も思い付かない。
沈黙の後で、俺は重たい口を開いた。
「ウサギ、実は俺…」顔を上げた瞬間に、ウサギの頬に切り傷があることに気付く。
「その傷、さっきの奴にヤられたのか?」
俺の質問にウサギは頬をさすり、「あれ、いつの間に怪我したんだろう。」大したことはないといった表情を返す。
しかし、陶器のようなウサギの肌に、傷跡が残っては一大事だ。
俺は再びウサギの手を取ると、保健室まで連れて行った。
俺はウサギの方向音痴の対策として、校舎の内部を完全に把握していた為、迷うことなく到着するのだった。
保健室に入ると、消毒液の匂いとともに、フローラルの香りが漂ってきた。
「あら、さっそく怪我人?」
こちらを振り返ったのは、白衣を纏ったお色気美女であった。
綺麗にまとめ上げられたロングヘアー、ぷっくりとした魅惑的な唇、胸元から覗く豊かな谷間。
赤のマニキュアで、指先まで抜かりなく飾られている。
「イケメン君に可愛い子ちゃんか。今年の新入生は、豊作みたいね。」
俺たちの顔を交互に見てそう呟くと、ウサギの頬を手際よく手当てした。
照れ臭そうにウサギがお礼の言葉を述べると、「どういたしまして。私は、養護教諭の故蝶 亜華葉(こちょう あげは)よ。スクールカウンセラーも兼ねているから、何かあれば気軽に相談しに来てね。」と整った歯並びの笑顔で俺たちを見送ってくれた。
「すっげー、美人だったな!?」
教室に向かう途中で、ウサギは興奮ぎみに話した。
「そうかぁ?」
俺にとっては、ウサギの方が数千倍、美人に感じるので共感はし兼ねる。
「それより、講堂でのアレ何だったんだよ?」
ウサギの質問に、俺の鼓動が大きく跳ね上がる。
返答に困っていると、「クマは昔から、俺に依存しすぎだぞ。いくら俺が大事だからって、大勢の前で誤解を招く発言は止めろよな。俺たち、親友だろ。」と予期せぬ言葉に俺は面食らった。
そうだ。
忘れていたことだが、ウサギは超ド級の天然ちゃんなのであった。
「何だ、違うのか?」
少し不安げな表情を見せるウサギに、「ああ、気を付けるよ。俺たち、親友だもんな。」と笑ってみせた。
遅れて教室に入ると、ウサギの美しすぎる姿に男子生徒の視線が集中した。
「遅かったから心配していたんだけど、無事に来れたね。僕は一年二組の担任の、小犬丸 一(こいぬまる はじめ)だよ。一年間、よろしく!」
犬っころのような笑顔の担任から挨拶され、俺たちは座席に向かった。
「あっ!」
俺と同時に声を上げたのは、講堂でウサギに絡んでいた男だった。
「テメー、ウサギの顔に傷付けて、ただで済むと思ってねーだろうな!?」
一気に怒りのボルテージが頂上に達した俺は、無意識に相手の胸ぐらを掴んでいた。
「誤解だよ、誤解!!その人は、何にもしてないって。思い出したんだけど、草原を通って学校に来たから、その時に付いた傷だよ。」
ウサギの弁解に耳を傾けていたところ、担任が俺の手首を握りしめていた。
「熊谷君、どんな時でも暴力はいけないよ。」にこやかな表情とは裏腹に、握りしめる指先に力が込められる。
この教師、顔に似合わず、かなり強いようだ。
俺は男から手を放すと、おとなしく席に着いた。
着席したといっても、先ほどの男と俺の座席は隣同士であった。
それだけでも気に食わないのに、ウサギの席は男の真ん前である。
「あの、さっきはごめんね。俺が勝手にぶつかって、謝りもしなかったから…」
後ろを振り返りながら、申し訳なさそうにウサギが話す。
「別に。俺の方も、言い過ぎたと思っていたし。」
ウサギの顔を直視できず、赤面しながらぶっきら棒に男は答える。
「じゃあ、仲直りしよう!俺は、宇賀野うさ吉。お前は?」
満面の笑みを浮かべるウサギに、またもや照れを隠しきれず、男は無愛想に述べた。
「俺は名前は、猿楽 敦(えんらく あつし)だ。宜しく。」
猿楽と名乗った男は、ウサギに話しかけられて、浮かれている様子だった。
早々にウサギに惚れやがったな、この男。
俺が腹立たしく感じていると、ウサギから唐突に「ほら、クマも謝れよ。」と言われ、渋々謝罪する。
ウサギを味方につけて、こいつは気に食わねぇ。
猿楽 敦、ウサギに近づけてはいけない要注意者リストに掲載決定だ。
◇
ひょろっとした長身に威圧的なつり目、そして短気な性格から、俺は誤解されることが多い。
しかし、中身は至って普通の男子高校生だ。
俺の名前は、猿楽 敦(えんらく あつし)スポーツ推薦枠で皇楠学院高等学校への入学を決めた、自称爽やかスポーツマンだ。
男子校に進むことに、抵抗はなかった。
もちろん女性のことは好きだが、赤面症の俺にとって共学校での生活は、耐え難く拷問に近いものである。
女子生徒が一人もいない校舎は、無駄に緊張することもなく、楽園のようだった。
退屈な入学式でさえも、すがすがしい気分で過ごすことができた。
男子校の心地良さに浸っていると、前方から突然のタックルを受けた。
ぶつかってきたのは小柄な生徒で、それほど痛くはなかったのだが、反射的に「いってぇ、何すんだよ。」と相手に掴みかかっていた。
俺は、相手の顔を見て驚愕することになる。
そこには、女子と見間違うほど華奢な美少年が立っていた。
いや、むしろ女の子よりも可愛い。
くりくりとした大きすぎる瞳でこちらを見つめてくる姿は、この世のものとは思えないほど光り輝いている。
一瞬にして俺の顔が、真っ赤に燃え上がるのが感じ取れた。
「ウサギは俺のものなんだよ!気安く、触るんじゃねぇ!!」
見惚れていた俺の手を払いのけ、大声で威嚇してきたのは、地黒で大きな男子生徒だった。
はっと我に返るが、二人は足早にその場から逃げ去って行った。
どうしたんだろう。
俺…、変だ。
男の胸は、不整脈を起こすのではないかと心配してしまうほど、早鐘を打っていた。
さっき少年と目が合ってから、ずっとこの調子が続いているのだ。
教室ではガイダンスが進められているが、内容は全く頭に入ってこない。
天使のように愛らしい少年のことで、頭が一杯だった。
あの二人はデキているのだろうか。
男子校にはホモがいるから気を付けろと、よく言われるものだが、実際にお目に掛かったのは初めてだ。
そこまで考え込み、俺は重大なことに気付く。
えっ、この胸の高鳴りはもしかして…
その時、先ほどの二人の生徒が、遅れて教室に入ってきた。
同じクラスだったんだと安堵していたところ、またもや大きい方の男に正面からメンチを切られた。
しかし、美少年の弁解と、担任が止めに入ったことにより、一髪触発の事態は免れた。
俺の前の座席に腰かけたウサギと呼ばれる少年は、少々怯えながらも俺に謝罪し、自己紹介してくれた。
俺は、宇賀野うさ吉のアップの笑顔に、ノックダウン寸前だった。
◇
「帰ろうぜ、ウサギ。」そう言いながら、クマはウサギの分の鞄も持ち上げた。
「もお、自分の分は自分で持つって言ってるだろ。」とぼやきながら、ウサギも立ち上がる。
「あの、」そんな二人に声をかけてきたのは、のっぺりと優しそうな顔をした生徒だった。
「牛島―!!お前も同じクラスだったのか。」
ウサギは喜びを露わにするが、クマは誰だといった表情を浮かべている。
「クマ、覚えてないのか。ほら、小学校で一緒だった牛島 歩(うさいじま あゆむ)だよ。」
そう言われて、やっとぼんやりと思い出した。頭も性格も良くて、皇楠学院の中等部に進学した奴だ。
「三人で、一緒に帰ろうぜ!」
ウサギの言葉に、クマは露骨に嫌な表情を浮かべた。
今日は散々な一日で、俺はやっとウサギを独り占めできると喜んでいたのだ。
「じゃあ、駅までだけ。熊谷の機嫌を損ねちゃ、怖いからね。」
と微笑みながら答える牛島に、空気の読める奴だなと感心する。
「なぁ、保健室の先生って、すっげぇ美人だよな。」
帰り道で、ウサギがウキウキした様子で話すと、「ああ、故蝶先生だね。残念だけど、あの人、生物学的には男だよ。」サラッとした口調で衝撃の事実を知らされる。
しかし、牛島は落ち込むウサギに追い打ちをかけるように、「担任の小犬丸先生と故蝶先生は、あの学校の卒業生でさ、故蝶先生は学生時代から小犬丸先生のことが好きで、追っかけて先生にまでなっちゃったらしいよ。」と恋愛事情まで暴露した。
「それにしても、熊谷はこれから大変になりそうだね。昔から、うさ吉くん命って感じだったけど、敵は多そうだよ。あっ、僕には、そっちの気がないから安心していいよ。」
なかなか鋭いコメントを残して去る牛島だが、ウサギは意味を理解できずに、首を傾げるばかりであった。
牛島の言うとおり、敵は多い。
今日だけでも、一人確実に敵が増えている。
猿楽 敦、あいつは危険だ。
ウサギに何としてでも、近付けないようにしなくては。
◇
「くしゅんっ。」
誰かが、俺の噂でもしているのだろうか。
自宅に帰ってからも、猿楽は興奮状態にあった。
ああ、俺ってばどうしたんだろう。
いくら可愛いといっても、あれは男だ。
股間に俺と同じブツをぶら下げた、男なんだ。
「ああああぁぁーーっ!!」
ウサギのあられもない姿を想像してしまい、猿楽は奇声を発して転げまわる。
行き場のない思いに悶絶する猿楽であったが、そう、これは紛れもなく恋なのだ。
平常でいられぬような感情を‘変’だといって片付けてしまうことも出来る。
しかし、否定する気持ちが強く、認めたくない想いこそが、‘恋’であることを青すぎる少年はまだ知らない。