夏の終わり
長い眠りから覚めた月子は、恐ろしいほどの勢いで食欲を取り戻していった。
あっという間に病院食だけでは飽き足らなくなり、毎日僕に出前を要求してくる。
「とりわさ食べたい! あと、きのこカレー!」
「は? 月子さ、わかってる? おまえ、ひと月何も食べてなかったんだよ。いきなりそんなの無理だろ、体的に」
月子はさらさらと髪を揺らしながら口をとがらせる。
「だってヨースケ、いつだって何だって好きなもの作ってやるって、そう言ったじゃん」
「な……!」
耳がカッと熱くなり、口があわあわと震えだす。
「お、お、おまえ、なに、全部聞こえてたのかよ!」
「ん? ヨースケの声なら、ずっと聞いてたけど?」
月子はケロッと答えると、お粥をひとさじ口に入れ、「まずっ」と言ってくしゃっと顔をしかめた。
「いや、あれは、その……」
やばい。あと、何を言ったんだっけ?
真っ赤になってうろたえる僕を、月子の大きな黒い瞳がのぞきこむ。
「ずっと、ごはん作ってくれるんでしょ? で、一緒に、大人になるんだよね?」
屈託のない笑顔にサーッと血の気が引いて行く。
それって、聞きようによってはすげー恐ろしい内容なんだけど。こいつ、どこまでわかって言ってるんだ?
そのとき、病室のドアがガチャリと開いた。
「月子、やったわよ。あさって退院だって」
入ってくると同時に叫んだのは、柊レミだった。
「あら、ヨースケ、来てくれてたんだ」
「あ、はい」
「ママ、馴れ馴れしいってば」
月子の頬がぷーっと膨れる。
こうして並んだ母娘の顔立ちは驚くほど似ているのに、醸し出す雰囲気がこうも違うのは、いったいどういうわけだろう。
もしかしたら月子も、大人になったらこんな感じで艶っぽくなったりして? なんてこっそり考えてみる。それをずっと間近で見てる、とか……うわ、想像するだけでおかしくなりそうだ。
「そう言えば月子、退院したらどうする? 山梨で迎える準備してくれてるみたいだけど……いやだったら、ママのところに来てもいいのよ」
けれどレミの問いかけに、月子は間髪いれずに答えた。
「今のままが、いい」
レミはちょっとだけ驚いた顔になった。
「月子がそう言うなら、別にいいけど……でも今度は、ほんとにひとりで暮らすことになるわよ。大丈夫?」
「今までもそうだったもん。それに、ヨースケの近くがいい」
あっけらかんと言ってのける月子に、僕はますます赤面し、レミは「へえ」と嬉しそうに目を細める。
「そっかあ。もしかしたらヨースケは、将来私の息子になるのかな?」
にいっと笑うレミの赤い唇。その横で、月子の顔が急にパッと輝いた。
「あ、いいこと考えた。ケッコンしたらね、ヨースケと私はうちに住むの。で、ヨースケのママは、今のとこ。そしたら、スープが冷めないキョリだよ?」
僕はギョッとして思わず叫んだ。
「お、おまえ、バカ! 一体、何考えてんだよ!」
慌てる僕を見ながら、レミは肩を震わせて喉の奥でくっくっと笑う。
病室の窓から見えるヒマワリの花びらが、茶色くしおれ始めている。
今年の夏も、もうすぐ終わるのだ。
そうだ、月子が退院してきたら、真っ先にうちのベランダに連れて行こう。
そしてようやく濃い緑の葉をのぞかせ始めた、あのシクラメンの鉢を見せてやろう。
秋の匂いが混じり始めた風に吹かれながら、僕は想像する。
長い夏の眠りを越えたこの花は、いったいどんな花を咲かせるのだろう、と。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。




