毎日ごはんを食べにまいります
「月子ちゃん、お箸のほうがよかったら、言ってね」
「あ、大丈夫です」
そう言ってナイフとフォークを使い始めた月子の白い手は、この上なく優雅に皿の上で踊り始めた。ほとんど音もなく、流れるように料理が口に運ばれていく。自分がカチャカチャ音を立てているのが、ひどく恥かしくなってくる。
「まあ、まあ、月子ちゃんったら、上手に食べるのねえ」
「いえ……」
青ざめていた月子の顔が、ポッと赤くなる。
「あ、あの……これ、すごく、おいしい、です」
「ああ、これね、洋介が作ったのよ。わたしも仕事で遅くなったりするでしょ? だから、すっかりおまかせ。今じゃこの子のほうが上手くなっちゃってねぇ」
「え? え? そ、そうなんですか」
そう言って月子はこっちを向くと、一瞬ふにゃっとつぶれたような顔をした。おそらく笑おうとしたのだろうが、その試みは失敗に終わったようだ。
けれどもその姿はひどく健気に見えて、ちょっと心が動いたのも事実だった。
「ねえ、母さん。さっきはどうやって、町田さんを言いくるめたの」
月子が帰ったあとで洗った食器を拭きながら、僕はずっと思っていた疑問を口にした。
「あーら、言いくるめたなんて、人聞きが悪い」
母はわざと怒ったように、頬を膨らませて見せる。
「だってさ、声かけられてはいはいってやってくる感じの子じゃ、ないでしょ」
「ん? わかる? ふふふ。実はね、このマンションには、ジンクスがあるって言ったの」
「ジンクス?」
「そう。引っ越してきた日に住んでる人と一緒に食事をするとトラブルなく過ごせるから、絶対においでって。みんなそうしてるからって」
僕は思わず吹き出してしまった。
「なにそれ、すっげーでっちあげ。で、それ信じたんだ」
「うーん。信じた、のかな」
母は考え込むように、ちょっと小首を傾げた。
「ま、これからも毎日夕飯食べに来るようにって言っといたから、よろしくね」
「え」
僕は耳を疑った。
「毎日って、なに、だって、母さんいつも遅いじゃん」
「だからぁ、別に待ってなくたって、二人で先に食べていいのよぉ」
「二人でって、二人で?」
「そう。二人で」
そう言って母は、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
この人はいったいどこまで能天気なのか。
僕らはもう、一緒にしておけばどうにか遊び始める幼稚園児とかじゃない。立派な思春期の男女で、それもほとんど初対面で、今日はなんとかがんばってみたけど、本来はその気まずさとか気恥かしさといったらありゃしないでしょ。ホントに、何考えてるんだよ。
けれども母の無謀な提案を無下に断ることができなかったのは、ちっちゃな子どもみたいに全身全霊で父親を呼び続ける月子の姿を、しっかりと見てしまったからなのだな、とも思う。