月子の見る夢
ずっと、夢を見ていた。
もしそれを夢と呼んでいいとすれば、だけど。
なぜそんな言い方をするかっていうと、それが単なる夢ではなくて、3年前に本当に私の目の前で起こったできごとだから。
まるで同じ動画を何度も再生しているみたいに、夢の中で忠実に再現されるそのときの記憶。目が覚めたときの生々しさったらありゃしない。そのまま吐いちゃうんじゃないかと思うくらい。
そのせいで、そのときの感情はいつまでたっても私の中で一向に薄れていく気配がない。
頭の中に、青白い月の光がさしこんでくる。
それが夢の始まりの合図。
舞台は、息苦しいほど暑い夏の夜。窓の外に見える月を背に、パパとママは、激しく言い争いをしている。
ママはもう一度歌いたいと懇願し、パパは許さないと固く唇をひき結ぶ。それまでの数カ月間で、幾度となく繰り返されてきたやりとり。
あ、言い忘れてたけど、ママは昔、結構有名な歌手だったらしい。確かにちょっとハスキーで甘いその声は、娘の私でさえうっとりしちゃうくらい素敵だ。
パパと結婚してから歌手という仕事はやめてしまったけれど、ママはずっと歌ってた。小さな私を抱っこするときも、フローリングにモップをかけるときも、手をつないで公園に向かうときにも、パパの帰りを待つ間も、いつだってママはまるで息をするみたいに、恋や孤独や幸せの歌を口ずさんでた。私はいつもそれを聞きながら、これからの人生で自分が出会うであろうあらゆる素晴らしいものたちに想いを馳せ、胸をときめかせてきたのだ。
だから正直なところ、私には全然わからなかった。どうしてパパが、ママに歌っちゃダメなんて言うのか。
なのに。
ある晩ママは、大きなスーツケースをひきずりながら、私に言った。
「ごめんね、月子。ママは行くわ。このままでいたら、あたしがあたしでなくなってしまいそうなの」
私はびっくりして、何も言うことができなかった。いくらケンカをしていたって、まさか本当にそんなことが起こるなんて、考えてもみなかったから。
「あなたは、どうしたい?」
ためらいがちにそおっと差し出されたママのことば。大きな黒い瞳に、頼りなげな私の姿が映っているのが見えた。月の光に照らされたママのきれいなおでこに、苦しそうなシワが寄ってたのを、はっきり覚えてる。
その晩遅くに帰ってきたパパは、ママの持ち物がごっそりと消えた部屋の有様を見るなり、打ちのめされたように床にへたりこんでしまった。そして潤んだ瞳で、熱にうなされている人みたいに苦しげに首を横に振りながら、何度も私の名を呼んだ。
「月子」
「なあに、パパ」
「月子、ああ、月子……」
パパは私の両腕にすがりついたまま嗚咽した。絞り出すようなその声を間近に聞いているだけで、心臓がちぎれてしまいそうだった。
「おまえも……いつか、行ってしまうんだろう? 私を、置き去りにして」
「パパ」
「大人になって、誰かを好きになって、私の元から去って行くんだろう?」
「パパ」
大きな体を震わせて絞り出すように泣き続けるパパの背中にそっと手を置いて、私は言った。
「……どこにも、行かないよ」
「月子」
「……どこにも、行かないから」
「……」
窓の外には、月。
ぼんやりと青白い光に照らされながら、まるで、夢の中にいるみたいだなって、そんなことを思ってた。




