パパに勝ち目はありません
あなたに出会って初めて知ったの
月にまで届くほどの、この胸の高鳴りを
低くかすれた、それでいてどこか艶のある声で、レミはつぶやくように聞き覚えのあるメロディーを口ずさんだ。途切れ途切れに聞こえるその歌は、懐かしい子守唄のようにも、語り聞かせの物語のようにも聞こえた。
ほんのワンフレーズを耳にしただけなのに、ざわざわと全身が総毛立っていく。声の背後に透けて見える深い情熱と、染みいるような悲しみ。僕は高鳴る心臓の鼓動を感じながら、静かにため息をもらした。
レミは切なげな表情を浮かべながら、月子に向かって歌い続ける。
彼女は月子に、何を伝えようとしているのだろう。
何を感じてほしいと、願っているのだろう。
語り聞かせるような歌声に包まれて、月子の頬がほんの少しだけ微笑んだように見えた。
そのとき、誰かの足音が近付いてくるのが聞こえた。それは病室の前でしばらく止まり、やがてためらいがちにガチャッとドアを開ける音がした。
「まさか、レ、レミ? どうして、ここに――」
驚愕の表情を浮かべながら入ってきたのは、月子の父親だった。
「ここにいちゃ悪い? あたしは月子の母親よ」
凄むような視線で一瞥するレミ。
「いったい、誰に聞いたんだ。君か? 君が彼女に、知らせたのか?」
月子の父は泣き出さんばかりの顔で、僕のほうに向きなおった。
「いや、僕は、何も……」
慌てて否定する僕のことばをさえぎるように、レミは鋭い声を浴びせた。
「違うわよ。月子とはずっと連絡取ってたの。ここんとこ急に通じなくなったから、おかしいと思ったのよ」
「まさか……」
そう言ってベッドのふちに手をついた彼の顔は青ざめて強張り、今にもその場に崩れ落ちそうに見えた。
「そんなはずはない。月子は、おまえを……恨んでたはずだ」
彼のことばに、レミはフンと鼻で笑った。
「なに? あの子が、そう言ったの?」
月子の父が、ハッとした顔になった。
「あたしを恨んでたのは、あんたのほうでしょ? あの子はあんたの気持ちに合わせてくれてただけよ。まあどうせ、あの子が何を考えてるかなんて、聞こうともしてなかったんでしょうけど。あたしのときみたいにね」
吐き捨てるようにレミが言うと、彼の顔色がさっと変わった。
「そんなことを言う権利があると思ってるのか。あの子を捨てて出て行ったくせに!」
が、激しくなじるような口調にも、レミは何の動揺も見せなかった。
「あら、あたしは、自分の道を選んだだけよ。いつだってそれは変わらない。でも、あんたは違う。大方、月子が離れていくのが怖くって、そうなる前に、手放してしまおうとでも思ったんじゃないの?」
月子の父親がぐっとことばに詰まった。
「違う、そんなんじゃない、私はこの子のためを思って……」
柊レミはひどく冷めた目で、興奮した元夫を刺すように見つめた。
「この子の何を思って、どうしようとしたって?」
「え? だから、それは……」
そう問い詰められて、彼は髪をかきむしりながら口ごもった。
「逆よ」
低くよく通る声で、柊レミが厳かに口を開いた。
「この子のほうが、どれだけ捨て身であんたのこと思ってることか」
月子の父が、怯えるように大きく目を見開いた。
「わからない? 月子はね、あんたのために、大人になるのことさえ、やめようとしたのよ」




