恐るべし、柊レミ
「こんな若い子に知っててもらえるなんて、光栄だわ」
柊レミは、口元に笑みをたたえたまま、射抜くように僕を見つめる。僕は蛇に睨まれた蛙のように、身じろぎもできずにその場で固まった。
「えっと、あなた……もしかして、ヨースケくん?」
すっと長い人差し指を白くて細いあごにあてながら、ハスキーな低音で彼女が尋ねた。それだけで、全身にぞわっと鳥肌が立つ。病室中の空気が、この人の濃密なオーラで覆い尽くされていくのを感じる。
「あ、は、はい!」
哀れなほど緊張した僕の声は、すっかり裏返って震えていた。
「そうなんだ、ふーん……」
そう言ってしばらくの間、レミの視線は目に入るすべてを値踏みするかのように、僕と病室中のあれこれを舐め回していた。と、その動きが、開いたままサイドテーブルに置かれていた古い料理本で止まった。
「あら!」
今度はレミが素っ頓狂な声で叫んだ。
「土田綾子の、おいしい家庭料理の基本じゃない! すごーい、よくこんなの持ってるわねえ」
子どものように頬を染め目を輝かせて、柊レミは料理本を手に取った。
「なに、あなたの?」
「いや、前から家にあったのを使ってるだけですけど……」
「あら、いやだー、そうなの? これね、あたしも持ってるのよ。結婚したときに買ったから、もうすっごいボロボロになってるんだけどね。ほら、初心者でもわかりやすいように書いてあるでしょ。それまで料理なんかしたことなかったもんだから、ほんと、この本にはお世話になったわあ……それでね……月子の遠足のときなんか……」
ミステリアスな雰囲気をまとった妙齢の美女は、急にそこらのおばはんのような口調になって、その料理の本にまつわる話から全然まつわらない話まで、息継ぎをするのももったいないというような勢いでひとしきりくっちゃべり続けた。呆気にとられた僕はというと、その間ほんの数回「ええ、はあ、まあ」と相槌を打つのが精一杯だった。
たっぷり30分はそんな会話が続いただろうか。さすがに彼女も疲れたのか、急に話が途切れた。そしてふうっと大きな息をひとつ吐き、
「なるほどねー、道理で月子、あなたの料理にハマるわけだわ。くっくっくっ」
そう言って、細く長い指で口元を押さえながら、さも楽しそうに笑った。
「え、月子と、話したんですか。ってゆーか、連絡とってたんですか?」
僕の問いにレミは、当たり前でしょ、と言わんばかりの表情になる。
「そりゃあ、親子だもん。……あ、それって、知ってんだよね?」
「はい、一応は」
「ああそっか、あの意気地なし、またなんかあたしの悪口、言ってたんでしょ」
彼女の言う『意気地なし』が月子の父親のことだと気がついて、僕は思わず下を向き、ニヤリと笑みを浮かべてしまった。が、レミはそんな僕の仕草を見逃さなかった。
「ほら、その顔。当たってるんでしょ? ね? ね?」
そう言って無邪気に突っ込んでくるところなんかは、やっぱり月子そっくりだ。知らず知らずのうちに僕の頬も緩んでしまう。でもさすがに彼のことを言うのは、告げ口みたいで気が咎める。
「いやあ、それは……」
そう言ってお茶を濁そうとしても、彼女は追及の手をゆるめなかった。
「いいじゃん、ヨースケから聞いたのは内緒にしとくからさ。教えてよ、あの意気地なしが言ってたこと。それに、ほら、もし誤解があったら、解いとかないといけないし」
真っ直ぐにこっちを見てにっこりと笑う顔は、さっきまでの艶っぽい表情の「柊レミ」とは明らかに別人だ。そこにいるのは、おしゃべり好きでたくましい、月子によく似たただの「おばはん」だった。
そして、おばはんのパワーを侮ってはならないというのは、僕が常々身にしみて思い知らされていることのひとつなのだ。
おそらく最強レベルのおばはんに分類されるであろう柊レミにロックオンされた非力な僕は、予想通りあっという間に月子の父親から聞いた洗いざらいを白状する羽目になった。




