実は、いっぱいいっぱいです
「せっかくだから、月子ちゃんも一緒に食べようってことになってねぇ」
母はうふふ、と軽やかに笑った。
「あ、彼女、町田月子ちゃんっていうんですって、よろしくね。うちの真下の部屋だったのよ、おまけにヨースケと同い年」
よろしくって、よろしくされるのはおまえじゃないだろ、と突っ込みそうになったが、そこはぐっとこらえて僕は大人の対応をした。だって、母の後ろに隠れるようにして立っている月子は、下手なことを言ったらパリパリと音を立てて壊れてしまいそうなくらい青ざめて張り詰めて見えたから。
「あ、どうぞ」
僕は精一杯の善意を込めてそう言うと、笑顔でスリッパを勧めた。それからロールキャベツの鍋を火にかけ、きんぴらごぼうを小鉢によそった。
「あ、あ、あの、何か手伝うことは……」
うわっ、こいつ瞳孔が開いてやがる。どんだけ緊張してるんだよ。
「ああ、いいのいいの、ベランダの緑でも眺めてて……って言いたいところだけど、うちは花より実用本位だから、何も見るものないわねぇ」
母にそう言われてぎくしゃくと窓際に近づいた月子の視線の先にあったのは、ミニトマトとピーマンの苗にイタリアンパセリと青じそという、確かにこれっぽっちも華やぎもないものばかりだった。それでも月子はしばらくの間ガラス窓にコツンとおでこをつけて、身じろぎもせずにベランダをのぞきこんでいた。
「あー、あのさ、見たいものがあるなら、外に出たらいいよ」
さりげなさをよそおいながら声をかけたつもりだったが、それでも月子はビクンと震えあがった。
「あ、いえ、あの……あ、あれは?」
月子が小枝みたいに細い指で示したのは、ベランダの隅に置かれた素焼きの鉢だった。カサカサに白く乾いた土の真ん中に、茶色く枯れたような球根が頭だけ出している。
「ああ、あれはシクラメン。ホントはまだ花の時期なんだけど、今年は虫にやられちゃって。でも球根はまだしっかりしてるから、うまく夏を越せれば冬にはまた花を咲かせるよ」
平静を装いながらも、実はあやうく舌がもつれそうだった。こっちだって、女子とこんな近くで話すことなんてほとんどないんだから。
「夏を……越す?」
「そう。全部葉っぱがなくなって、枯れたみたいになっちゃうんだ。でもほんとうは、枯れてない」
「ほんとうは、枯れてない……?」
つぶやくように繰り返しながら、月子は急にふっと顔を上げ、どこか遠くを見ているような目をした。
今思うと、僕の心に最初に月子が住みついたのは、そのときだったのかもしれない。その瞬間の月子の横顔や黒いワンピースに包まれた細い肩の角度を、僕はその後何度も思い出すことになったからだ。
不意に彼女が振り向いた。僕はすっかりうろたえて、真っ白になった頭でどうでもいいような話題を振った。
「あ、ま、町田さんとこは、なんか育ててないの?」
僕の問いかけに、月子はほんの一瞬だけ苦しげに顔を歪めたように見えた。
「いえ、う、うちはみんな、生き物苦手だから……」
それだけ言うと、怒ったように口をつぐんでしまった。あれ、僕、なんか悪いこと言った?
「ロールキャベツ、あったまったみたいよぉ」
母の明るい声が、ぎくしゃくとした沈黙を追い払うように部屋中に響いた。僕たちはホッとして、料理や食器をテーブルに運び、席についた。