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夏に眠る花  作者: 小日向冬子
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あの歌が聞こえる

 月子が目を覚まさないまま、とうとう一学期が終わった。

 これまでずっと月子の枕元に張り付いていた父親は、もうこれ以上休み続けるわけには行かないからと、腫れぼったいままの小さな目をしばたたかせながら仕事に行き始めた。大手商社マンがどれほど忙しいものなのか僕にはよくわからなかったけれど、その後姿からは、できることならずっと娘のそばにいたいという気持ちが痛いほど伝わってきた。

 そのかわりと言っては何だが、夏休みに入った僕は、毎日午後の面会時間いっぱいを月子の病室で過ごすようになった。もちろん栗原も顔を出してはくれたが、なにしろ一番下の妹が生まれたばかりでそんなに長い時間ゆっくりしているわけにもいかないらしく、いつも小一時間ほどで慌ただしく帰っていった。

 月子はベッドに横たわり、静かに目を閉じて寝息を立てている。艶のある頬にはほんのりと赤みがさして、今にも目を開け「ヨースケ!」と飛びついてくるのではないかと思われた。実際は、細い腕に刺さった点滴だけが、かろうじて月子の命を支えている。乾いて少しささくれ立った薄紅色の唇は、うっすらと閉じたままだ。

「月子」

 そっと名前を呼んだ僕の声は、ひどくかすれていた。カーテン越しに入り込んでくる午後の日差しのまぶしさに、思わず目を細める。

「これじゃまるで、眠り姫じゃないか」

 皮肉に口を歪めながら、真っ白なシーツの上に力なく横たわる細い指にそっと触れてみる。月子の体が冷たいことは前から知っているはずなのに、ひんやりしたその感触は僕をひどく怯えさせた。両手で月子の左手を包み込み、自分の頬に押し当てる。

 あったかくなあれ、早く息を吹き返せ。

 心の中で祈りながら、僕はあの歌を口ずさむ。

 あの日栗原から聞いたその曲名を、僕は家に帰るなりネットで調べた。そしてその歌詞の中に、『あなたに出会って初めて知ったの、月にまで届くほどの、この胸の高鳴りを』というフレーズを見つけた時、僕の頭の中に、「ママはね――月に帰ったの」という月子の言葉が蘇ってきた。

 ストンと胸に落ちてくるものがあった。

 もちろんただの思いすごしかもしれないし、仮に僕の予想通りだったとしても、そのことが月子の心にどんな影を落としているのかはわからない。でも少なくとも、月子が目覚めない理由が母親と無関係には、どうしても思えなかった。


 それからも暇を見つけてはネットでいろいろ検索してはみたが、出てくる内容はどれも似たり寄ったりで、具体的なことは何ひとつわからないままだった。月子の容態は少しも変わらず、僕は日に日に焦りといら立ちを感じていた。そんなある日のことだった。

「いろいろ、調べてきたよ」

 面会時間が始まるや否や病室に入ってきた栗原が、ガッツポーズを作りながらそう言ってニンマリと笑った。

「父親の知り合いで、柊レミの熱狂的ファンだっていう人がいてね」

 無理やり時間を作ってもらい、会いに行ってきたという。

 グッジョブだ、栗原。

 その人は、最初は頑として口を開かなかったのが、レミの娘かもしれない月子が生命の危機に立たされているのだと言って何度も頭を下げるうちに、『しょうがねえな、栗ちゃんの娘にそこまで言われちゃあね。俺さ、ファンだからレミのことはなんでも知りたいんだけどさ、ファンだから絶対に幸せになってもほしいんだよね』そう言って、マスコミ関係には一切流さないという条件で、隠し撮りした写真なんかを見せてくれたのだという。その中には、月子の父親と月子が一緒に映っているものもあった。

「やっぱり、か」

「うん。それとね――柊レミが復帰した後の歌に、ちょっと、気になるのがあったよ」

 そう言って栗原が差し出した紙には、「夏に眠る花」という題名の歌詞が印刷されていた。


   夏に眠る花


 月のきれいな夏の夜

 あの子を置いて家を出た


 「だってママにはあの人がいるでしょう

 パパには私だけだもの」


 大丈夫よと微笑みながら

 あの子は自分の時を止めた

 幸せだった季節を

 凍らせようとするみたいに


 僕は思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「これって――」

「うん」

 いつになく真剣な表情で、栗原がうなずいた。

 僕たちのすぐ横で、何もなかったかのように穏やかな寝息を立てて、月子は眠り続けていた。


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