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夏に眠る花  作者: 小日向冬子
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栗原のヒミツ

「ふーん、そんで加瀬は、すねてるわけだ」

 次の日のお昼休み、僕の作った弁当を手にフムフムとうなずきながら話を聞いていた栗原が、したり顔でつぶやいた。

「す、すねてなんか……」

 そう言いながら、弱々しく語尾が消えていく。

 月子は目の前で、鶏肉のピカタをぱくぱくとたいらげている。もうすっかり夏だというのに。

 そうだ、今は夏なんだぞ? なのにどうしておまえは、そんなにも食欲旺盛なんだ。そう思った次の瞬間に、月子が邪気のない瞳で僕の顔をのぞきこんだ。

「どうして? どうしてヨースケは、そんなに元気ないの?」

 どうしてって、お前が元気だからだよ、とはさすがに言えず、ますます僕の表情はややこしくなる。

「それはね――ひょっとしたら、ジェラシー、かも?」

 栗原はぷふっと意味ありげな笑いを浮かべながら、僕の顔をちらっと見る。

 くそっ。こいつ、完全に面白がってやがる。

 ああそうさ、僕は嫉妬してるんだ。昨日の夜から月子はずっと瞳孔開きっぱなし。潤んだ瞳で頬を紅潮させ、落ち着かないようすでそわそわと動き回っている。挙句の果てに、

「ねえ、ヨースケ、パパと何話したらいい?」

「ねえ、ヨースケ、パパのご飯、どうしよう」

「ねえ、ヨースケ……」

 顔を合わせるたびに、ずーっとこんな調子だ。僕はまるで、片思いの相手から恋の悩みを相談されてるみたいな気分になっていた。

 ちくしょう、いくら父親だからって。こんなにもずっと、月子を放っておいたくせに。

 くそっ、くそっ。

「実の父親と張り合おうったって、そりゃ無理でしょ。いいじゃん、月子が元気になったんだから」

 栗原が半ばあきれたように言う。

「張り合ってなんか……!」

 躍起になって否定する自分の声が、やけに空々しく聞こえた。


 終業の鐘とともに、月子は学校を飛び出した。まるで羽が生えてるみたいな軽やかな足取りで。僕はすっかり打ちのめされて、とぼとぼと足をひきずりながら校門を出る。

「加瀬!」

 振り向くと、栗原が水色の自転車をこいで近付いてくる。栗原の家は僕たちのマンションよりだいぶ先で、歩いて通うにはちょっとしんどい距離だった。

「今日、スーパー行く?」

「ああ、寄ってくけど?」

 もうすぐ期末なのでしばらく弁当は作らないが、朝食用のパンと牛乳が切れていた。

「今日母親がいないからさ、私が作んないといけないんだよね。なんか、簡単にできて安くておいしいもの、ない?」

「そう言われてもなぁ、人数にもよるし……。栗原のとこって、何人家族?」

「うちはね、両親と、弟二人。で、もうすぐ妹が生まれる」

「えっ? そうなの?」

 僕が驚いたことに満足したかのように、栗原は不敵な笑みを浮かべた。

「すげー年離れてね? 栗原の母ちゃんって、いくつよ」

「いやー、それがさ、実は、まだ、二十代なんだわ」

 僕は耳を疑った。僕たちは確かまだティーンエイジャーだったはず。その困惑を察したように、栗原は続けた。

「継母、なんだ」

 ママハハって、なんだっけ。シンデレラのお母さんってそんな風に呼ばれてなかったか?

 ぽっかーんとした頭でそんなことを考えていると、栗原がしょうがないなという顔で、詳しい解説をしてくれた。

「ホントの母親は小さいときに死んじゃったんだ。で、四年生の時に、父親が再婚して」

 四年生。僕が、最高にいじめられてた頃だ。

「うわさになりかけたんだよねー。栗原の父親はえらく若い女をたぶらかした、みたいな」

 栗原は不自然なほど軽い調子で続けた。ひそひそとまことしやかにささやかれる噂話。そのようすは容易に想像ができた。

「でもさあ、そのときちょうど、加瀬とかいうクラスメートが、先にいじめられ始めちゃってね」

「へっ?」

 栗原がいたずらっ子のように僕に目配せする。

「あ、ああ、そうなんだ。そいつの話、僕も聞いたことあるわ」

 僕も軽いノリで調子を合わせる。

「やっぱり? まあ、今思うと、けっこうえげつないことやられてた。その加瀬って奴、よく耐えてたと思うよ」

「ああ、でも結構きつかったらしいよ。葬式ごっことか、わりとこたえてたみたいだね」

 他人事のようにあっけらかんと、僕は答える。

「そうだよね」

 栗原の目が、不思議な色を帯びて揺れていた。と、急にくるっとおどけたような顔を作って言った。

「いや、そのときクラスにいた栗原って女子の話なんだけどさあ、いつかその加瀬って奴に、謝んないといけないって、ずっと思ってたらしいよ」

「は? 謝るって、一体、何を?」

 僕は思わず聞き返した。

「うん、その子はね……正直、助かったって、思ったらしい。なんていうか……その、自分じゃなくて、よかったって」

 栗原の、横に広い鼻の頭と耳が、一時にパッと赤くなった。

 そうか。そういうことだったのか。

「ごめん。って、小学校の話今さらされても困るだろうけどさ。そもそも、あやまっていいことなのかもよくわかんないって、彼女も言ってたけど」

 そう言いながら、太い眉がしょんぼりと悲しそうに垂れ下がっていた。肉づきがいいはずの肩が、やけに小さく見える。僕は、自分の言葉ができるかぎりあっけらかんと聞こえるようにと祈りながら言った。

「そういえばさ、その加瀬って奴、実際はよく覚えてないらしいよ、その頃のこと。ただ印象に残ってるのは、栗原って女子がいじめに加わらずにいてくれたってことだけだって、言ってた。それが、すごく嬉しかったんだって。だから加瀬は、今でもそいつをすごく信頼してるらしいよ」

 栗原がハッとして僕を見た。

「もうそれだけで、よくない?……って、加瀬が言ってたよ」

 栗原は少しうつむいたまま、しばらく黙って自転車を押していた。そしてしばらくしてから、おずおずと口を開いた。

「そっか」

 僕はたっぷりとした丸っこい顔に向かって微笑みかける。

「そうそう」

 地面をすべっていく二つの短く濃い影。じりじりと照りつける夏の日差しを背中に浴びながら、僕たちは、スーパーへの道のりを歩いた。

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