篝火花
喉元を過ぎれば、熱さを忘れる。月子もおんなじで、今年もやはり夏が過ぎてしまうと、ウソみたいに急速に元気を取り戻していった。
死んだように眠っていたベランダのシクラメンもそうだ。夏が終わると何事もなかったかのように息を吹き返し、濃縮されたような緑色の固い葉をそっと伸ばし始める。
何度か夏を越したシクラメンは、花屋に並ぶものよりちょっと遅めのだいたい年明けごろから、前年よりもひとまわり小さい花を咲かせる。僕は毎朝鉢のそばに座り込み、黄色く枯れ始めた葉やしおれかけた花の茎を、根元から丹念にねじり取った。次のつぼみが大きくなっていくためには、欠かせない作業なのだ。
「今年もよく咲いたわねえ」
いつの間にかベランダに顔を出していた母が、感慨深げに言う。
わが家のシクラメンは、父がまだ元気なころ、会社帰りにふと買ってきたのが最初だった。
「なんだかさ、『わたしを連れてって』って、言われてる気がしてね」
お父さんったら、ロマンチストねえ、と朗らかに母は笑った。そのすぐ後に襲ってくる不幸の影なんかには、全然気づきもしないで。
ほどなくして、父の病気が発覚した。
進行が早いのに発見しにくいという厄介なタイプの病で、あれよあれよという間にやせ衰えていった父は、ほんの半年余りで命を奪われた。
僕も母さんも、変な言い方だけど、ポカーンとしていた。人間受け止めきれない出来事があると、心がバグを起こすのだということを、幼い僕は身を持って体験した。
父が死んだあと僕たちは、感情が麻痺したような状態のまま、ただそれぞれの義務を粛々と遂行し続けた。僕は学校に通い、母は仕事と慣れない家事に奮闘していた――はずだ。が、実際は、その夏のことはほとんど覚えていない。
そうして夏休みが終わり、新学期が始まる前日の朝、僕は久しぶりにベランダに出た。観察日記が宿題だったミニトマトの鉢は、乾いて白くひび割れているし、以前はベランダいっぱいに育てていたハーブや野菜も、すっかり枯れてしまった。ため息をついてただぼんやり土を眺めていると、ふと目の端に妙なものが映った気がした。僕は振り向いて、もう一度、気になった場所をよく見てみた。
それは緑の小さな葉っぱだった。もうすっかりだめになったとばかり思っていたシクラメンの干からびたような球根から、小さな緑の葉が顔を出していたのだ。
「母さん、母さん! 来てよ、早く!」
興奮して思わず大声になっていた。一体何ごとかと顔を出した母の目が、シクラメンの鉢に釘付けになった。
「もう、ダメだと思ってた」
そう言って母は、震える手をそっと伸ばし、シクラメンの鉢をしっかりと抱きしめた。僕たちの中で、やっと何かが息を吹き返した瞬間だった。
あれから、何代目のシクラメンになるのだろう。この鉢もまた、夏を越え、篝火のような花を咲かせてくれるだろうか。
風に揺れる花びらに月子の姿を重ねながら、僕は一年目の高校生活を終えようとしていた。




