それって、マジすか
一学期の期末試験を三日後に控えた日の朝のことだった。僕がひとりで教室に入ってきたのを見るなり、栗原が猛スピードで駆け寄ってきた。
「で、月子、どうよ」
「うーん、よろしくないね」
試験前と言うことで加瀬弁は休業中だったが、とても勉強に身が入る状況ではない。今朝もようすを見てきたが、学校行けそう? という僕の問いかけに、『う……む、無理っぽい』と息も絶え絶えに答えるので、半ば無理やりイオン飲料を口に突っ込み、所詮気休めだとわかりながらも、プリンやらフルーツゼリーやらをいっぱい冷蔵庫に詰め込んできたのだった。
「病院とかは?」
「一応母さんが、あっちの親に相談したんだけど……」
――病院に行って治るものでもないけれど、もしどうしても食事がとれないようなら、連れて行って点滴をしてもらってください。
相変わらず国内外を飛び回っているらしい月子の父親の要領を得ない言葉に母は憤り、こんなに衰弱して、何かあったらどうする気ですかとガンガンに詰め寄ったらしい。すると彼は、わたしにはどうすることもできないんです、と弱々しい声で言うなり、逃げるように電話を切ってしまったという。
「なんじゃそりゃ」
栗原が鼻の穴を横にふくらまして吐き捨てるように言った。こいつがこういう顔になるのは、かなり憤慨している証拠だ。
「あー腹立つ。まったくさあ、そんなんだから、月子は……」
栗原は声高にそこまで言いかけてから、ハッとしたように急に言葉を切った。唐突な沈黙を不審に思った僕が、
「ん? 月子は、なんなの?」
と問い詰めると、目を白黒させながら、
「いや……これは、あれだな」
と、明らかに動揺している。
「なあ、なんか知ってるんだろ、栗原」
「ま、まさか、そんなわけ……」
こういうとき、普段ウソをつきなれない奴の反応というは実にわかりやすい。僕にじろりと睨みつけられて、栗原は大きな体をきゅっとすくめ、最後はとうとう観念したように、「わかったよ。いや、全然確かな話じゃないんだよ。ないんだけどさ」と念入りに前置きしてから、ようやく重い口を開いた。
「この間、久しぶりに大学生のいとこが遊びにきたんだけどさ……彼女、高校の時に、入院してたんだよね」
「入院って、病気だったの?」
「うーん、病気は病気、なんだけど」
珍しく栗原が口ごもっている。
「なんか、命にかかわるような深刻なやつ……とか?」
「むむ……ある意味、そうかも」
僕が怪訝な顔をしているのを見て、栗原は一度大きく息を吐き、思い切ったようにあとを続けた。
「えーっとね、拒食症、だったんだって」
「拒食症って、あの……?」
「そう」
僕の頭に浮かんでいたのは、以前テレビのドキュメンタリーでやっていた、骨の形がわかるくらいにやせているのに、もっとやせなきゃと言って食事制限を続けようとする女の子の姿だった。それを一緒に見ていた母は、昔好きだった外国の歌手がやはり拒食症で亡くなって、ひどくショックを受けたことがある、という話をしてくれた。
「わたしも、いとこの具合が悪いらしいってのは聞いてたんだけど、病名はこの間初めて知ったんだ。ヘタしたら命が危ないって状態にまでなったみたいでね。それで、とうとう入院させられたって」
「そう……なんだ」
「うん。まあ、もう2年くらい前の話。今も痩せてはいるけど病的な感じではなかったし、普通に笑って話してくれたから」
こういうときって、何を言ったらいいかわからない。大変だねっていうのも、よかったねっていうのも、どれもひどくウソ臭い気がしてしまう。それで僕は木偶の棒みたいに、黙ってその場に突っ立っていた。
と、栗原の顔がふっと曇り、何やら口元が痙攣したみたいにぴくぴく動きはじめた。
「……栗原、どうした?」
具合でも悪いのかと、思わずそ顔をのぞきこむ。けれどどうやらそうではなさそうだ。
「それで、いや、あの、その……」
何度もためらい言い淀んでからごくりと唾を飲み込んで、とうとう栗原は口を開いた。
「もしかしたら、だよ。もしかしたらそこに、月子も、入院してたかもしれない」




