ちょっとしんみりする日もあるさ
その日から、僕の生活は一変した。
昼間のうちにある程度のメニューを決めて、学校帰りに買い出しをする。すでに日曜朝市だけで調達できる量ではとてもなかったのだ。けれど平日の夕方というのも実は狙い目で、タイムセールをうまく使えば、まったく遜色ない仕入れを確保することができた。
家に帰ると、さっそく下ごしらえに取り掛かる。注意しなければいけないのは、衛生面だ。弁当という性質上、どうしても傷みやすくなる。前日は火を通す直前の状態までにしておいて、最後の仕上げは必ず朝やるようにした。味付けは全体的に濃いめにして、汁気が残らないようにするのは基本だ。ご飯にのせる梅干しも欠かせない。
そんな風にあれこれ考えるのは、なんだかとても楽しかった。それに、工夫すればするほど手元に残るお金が増えるというのも、魅力だった。
本当は、高校に入ったらバイトをしようかとも考えたりしていた。そもそも部活をやる気はなかったし、多少なりとも家計の足しになればと思ったのだ。
でも。
どうしても、疲れて帰ってくる母に、おいしくてバランスの取れた食事を出してあげたかった。そして今は何よりも、月子がいつでもうちに来れるようにしておいてやりたかったのだ。
だからこの弁当作りの副業は、今の僕にとっては渡りに船、と言えた。ここでも僕は、多少強引ではあったが話をうまくまとめてくれた栗原に、感謝することとなった。
はじめの頃は朝のテーブルをすっかり占領するフードパックにあきれ果てていた母も、次第にその光景に慣れてきたと見えて、僕が弁当を作り終わる頃を見計らって朝食をとりに出てくるようになった。
「なんだか、楽しそうねえ。最初は無理してるんじゃないかと思ってたけど、これなら心配ないみたい……ふぁあ、あーっ」
濃いコーヒーを淹れながら、母が大あくびをする。
「でもね、もしお金のためにがんばってるんだったら、無理しなくっていいのよ。母子家庭って言ったって、洋介を育て上げるくらいの甲斐性は、母さんにだってあるんだから」
そう言って母さんは、力こぶを作る真似をした。
「そんなんじゃないよ。そうじゃなくて……楽しいんだよね。自分が作ったものを、みんながおいしそうに食べてくれるのがさ」
「……そう」
ちょうど差し込んできた朝陽にまぶしそうに目を細めながら、母は柔らかく微笑む。
その顔を見ながら、僕は思い出す。父が死んだあとのことだった。ちょうど今みたいに、この場所で、おんなじように朝陽を浴びながら、母と向かい合っていた。
母は今よりだいぶやつれていて、しょんぼりと小さく見えた。
「本当はね、このマンションを売ってもっと小さなところに引っ越せば、お金はその分楽になるんだけど――お母さんね、どうしてもここを離れたくないの。ねえ、洋介。お母さん、お父さんみたいに頑張って働くから、ここにいてもいいかな。引っ越さなくても、いいかな」
僕はまだ小さくて、母がなんでそんなことを言うのかよくわからなかった。ただわかったのは、母がとても必死だということだけだった。それで、ただ自分が思っていたままのことを口にした。
「僕も、ここがいい。だから僕も、頑張ってお手伝いするから、ずーっと、ずーっと、ここにいようよ」
母の目のふちがスッと赤くなったかと思ったら、いきなりすごい力でぎゅっと抱きしめられた。僕はそのままの姿勢で、母が何度も鼻をすする音を聞いていた。
「でもねー、お母さん」
「ん?」
「お父さんみたいに頑張ってもいいけど、絶対、お父さんみたいに、いなくなったり、しないでね」
「うん。うん。約束、する」
後にも先にも、母が僕の前で涙を流したのは、その時だけだった、と思う。




