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夏に眠る花  作者: 小日向冬子
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お姫様抱っこしちゃいました

 月子は真っ黒い目を見開いて、怯えた猫みたいにベランダの隅にじりじりと下がって行く。

「おい、こんなとこで何してんだよ、おまえ」

「ひっ」

 月子は素っ頓狂な悲鳴を上げて、両腕で顔を隠した。

「だらか、『ひっ』じゃないだろ。ああ、もう」

 僕は非常用はしごのハンドルをくるくる操作する。消防点検のときには見ているだけだったから、いざというときになったらパニックで手順なんか忘れるんじゃないかと思ったけれど、その場になるとけっこうわかるもんだ。

 長く下に伸びたはしごに足をかけ、ゆっくりと降りていく。最後にすたっと着地したときには、月子は毛を逆立てて敵を威嚇する猫みたいに「フーッ」と唸り声を立てていた。

「おまえ……なんで学校来ないの? メシも食べに来ないしさ」

 月子は、急にふにゃっとした顔になった。

「……食べに行っても、いいの?」

「は? そもそも、そういう約束だろ?」

 大きな目に見る見る涙がたまっていく。おいおい待てよ、潤んだ瞳でじーっと見つめるなんて、明らかに反則でしょ。

「だって、この間、ヨースケ、すごく怒ってたし」

 ほら、声だって震えてる。あー、もう。

「あ、あのときは、ちょっとほら、虫の居所が悪かったっていうか、ちょっとしたトラウマっていうか……」

 月子の瞳に、さっと光が宿る。

「じゃあ、また、ヨースケの家、行ってもいいの?」

「ああ、いいよ。メシ、余るともったいないしな」

 サラサラっと髪が揺れたかと思うと、月子はぴょんっと僕に抱きついてきた。だらだらと鼻をたらし、びーびー泣きながら、ね。

 ちっちゃい子どもかよ、まったく。


「ん?」

 しばらくの間、ひきつけを起こしたみたいに泣き続けていた月子の体が、なんだか妙に熱い気がした。

「ちょっと」

 額に手を当てると、やっぱり熱がある。

「おいおまえ、大丈夫か」

「ちょっと、疲れた……」

 小枝のような月子の体から、ふっと力が抜ける。

「おい、しっかりしろよ」

 とにかくちゃんと寝かさなくちゃ。僕は踏ん張りやすいように体勢を整えて、緊張しながら月子の体を持ち上げた。

 軽い。

 想像以上の軽さに、胸がきゅんと痛くなる。

「おまえの部屋、どこ?」

「すぐ、そこ……」

 急いで、でも慎重にベッドに寝かせた。落ち着いたところで何度か体を起こし、水をゆっくりと飲ませる。

「いったい、いつからあそこにいたんだよ」

「……ずっと」

 陶器のような頬が、赤くほてっている。苦しげな横顔の向こうには、冴え冴えと青い月が昇っていた。

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