1.そろそろ私が限界らしい。
ネル、頑張れ……。
いらいらはピーク。
どうも納得がいかん。
職員室前で、腕をわざとらしく組む。
目の前には、にやにやした男教師。歳、28歳。まぁまぁの容姿。
……は、どうでもええねん!!!!!
「……何で止められてんの、ウチ」
「だって、辞めるなんて言うからやん。あれやろ、顧問は止めるんやろ? こういう時」
「知らんがな。第一、アンタ顧問らしい仕事一つもしてへんやろ。研介」
「おっと、ここで呼び捨てはアカンで? 一応俺は教師。お前は生徒。家とはちゃう」
怒鳴り散らしたくなる気持ちを、抑える。
……深呼吸や、こういう奴と話すときは。
「なぜ私が辞めることに反対していらっしゃるのですか? 在堂研介先生」
在堂研介。
職業、教師。
バスケ部顧問。
好きな食べ物、黒砂糖。
ちなみに、ウチのいとこ。
「お前が辞めたら困るからや」
ばーんと、胸まで張っとる。何か文句あるか、とばかりに、ウチを見下してる。
残念ながら、文句は、ある。
「あんな、研介」
「呼び捨てアカン」
「ウチが入りたかった部活を知っとるか?」
「漫才部」
「関西弁の奴が全員漫才すると思うなや」
「思てへん」
「ウチの憧れは、強い、優秀な、バスケ部や」
やっとのことで、研介が押し黙る。
まぁ、にやにやした顔は健在だが、それはもって生まれた顔やから仕方ない。
ウチはため息をついた。おおげさに。
「ウチはもう限界や。いくら、何言うても動かん奴もおる」
リョウが頭に浮かんだ。
「しかも、顧問は部活を放置」
睨みつけるけど、知らん顔のいとこ。
「シュートは打たれへん。パスは出されへん。こんなんでどうやって試合しろっちゅうねん」
研介はにやにやした顔を、ちょっとだけさわやかにした。
いつもの教師スタイル。
言っとくが、ただの仮面や。
爽やかな、いつも笑顔の先生。
みんな、おもっきり騙されとる。
「まぁそう早まるな、ネル」
「早まってない。十分頑張ったで、ウチ」
「もうあと少し頑張る気はないかい? マネージャー」
「バンドのライブっぽく言うても、やらんもんはやらん」
「さぁ、元気出して手ぇ上げな!」
「……あなたに手ぇ出してもよろしいんでしょうか?」
右手にグーを作って目の前につきだす。研介はまたにしし、と笑って、
「おっしゃ、分かった」
と、言った。
「……何が分かったんや」
なんか、嫌~な予感がする。というか、それしかせん。
「辞めさせたる。その代わり」
びしっ、と人差し指がウチの鼻の頭に突き付けられた。
「1勝、が条件や」
…………。
出ましたよ、みなさん。出ました。
スポーツマンガにおなじみの、このパターン。
1勝したら、辞めていいです。
感動もんとかの下りやで。
1勝しても、絆とか強くなって『私、やっぱり辞めない!』みたいな、熱血もん。
んで、勝ち進み続けて最後は日本一とか?
「……あり得へん」
「なんか文句あるか?」
「文句しかないわ、このサボり顧問!!!!!!」
作ったグーをパーに変えて、指先を綺麗にそろえ、お腹にどーん。
ちょい堅い腹筋に、刺さる。
「ぐお……っ!」
「何が1勝や。何が勝利や! 見てみぃ、ウチのバスケ部を!! 『勝利』の『し』の字も、いや、『s』でさえないわ!」
痛い痛いとお腹をさする研介。
「だいたい。ウチは勝利に導くコーチとちゃう。みんなの憧れの可愛いマネージャーや!」
「後半おかしいぞ、ネル」
「おかしないわ!」
「『みんな憧れの可愛い』て……。アカン、笑い止まらん」
「そこ笑うとこちゃう! 真剣に話しをしとんねんウチは!」
あーあ。ウチの中学校時代大失敗。
ひゃひゃひゃ、と品のない笑いを響かせる研介を見て、ウチはどうしようもない嫌悪感を覚えた。
……なるほど、『嫌悪感』という言葉はこういう時に使うんか。
「……んじゃ、そういうことで」
「ちょ……っ! 待てや、どういうことや!」
ニヤリと笑う研介。
「1勝。それ以外、ネルがマネージャーを降りる道はない」
ぎり……と奥歯が鳴った。
あっひゃひゃひゃ、とおかしなリズムで笑う研介。ウチは奥歯をかみしめたまま立ち尽くすしかなかった。
「……ネル?」
はっと我に返った。
「なんか静かで怖いんやけど」
目の前で汗を流したまま、水筒をくわえていたのはハジメ。
「ん。ちょっと考えごとや」
「辞めんねやろ?」
急に言われる。
「……何で知っとるん」
「在堂先生から聞いた。というか、勝手にしゃべってくれた」
「あのガキ……」
頭を抱えた。ホンマ、秘密を打ち明けたりしたらシャレにならん。
「ハジメはどう思う?」
ウチは聞いてみた。向こうでコウキがまたシュートを外し、座りっぱなしで動かないリョウが笑っている。
「何が?」
「このチームが……1勝できるかどうか、や」
何も言わない。それが答えやろ。
「ウチは、無理やと思てるんや」
言ってしまった。隣で、きゅぽん、と水筒を口から離す音がした。
「……無理かどうかは、俺には分からん」
そっと、言った。
「……弱い。それは俺も分かっとる。俺があがいてもどうにもならん。これからずっと負け続けるかもしらん。でも」
あはは、と口を開けて、ハジメが笑った。
「俺はこのみんなが好きやから」
何も言い返されへん。三角座りで、膝を抱えた手に力を入れる。
弱い生徒。動かん生徒。風邪ばっかりひく生徒。部活放棄の顧問。鬼の、マネージャー。
「……こんなんでも、好きなんか?」
別に答えを期待したわけやなかった。ハジメにも届いていなかったかもしれん。でも、口から出たんはそんな言葉で。
「……あほらし」
ウチは深呼吸した。ゆっくり立つ。
「……ネル?」
「あーあ。あほらしてしゃあないわ」
伸びをした。
「こんなクラブ、さっさと辞めたる」
この言葉のホンマの意味を理解したんは、隣におったハジメだけやった。
隣でハジメがニヤっと笑うのが、目の端に映る。
「行くで」
誰に言うでもなく、ウチは呟いた。自分に言い聞かせて、気合いを入れるため。
「まずは、1勝。それでウチは晴れて、こっからおさらばや」
「そうやな」
ハジメが笑って、立ち上がった。
さて、帰宅後の夕飯前。
「……何勝手に人の個人情報流してくれてんねん、このイソウロウがぁ!!!!!」
ウチの華麗な回し蹴りが、研介に炸裂したんは、言うまでもない。