第8話「振り返り、そして決意」
管理層に戻ってから、まず一週間分のアラート履歴を開いた。
画面が埋め尽くされた。
ステータス表示の異常。スキル発動の停止。バッチの停止。ダンジョン生成の暴走。本番直接修正。副作用の発生。——それだけじゃない。その裏でずっと、軽微なアラートが鳴り続けていた。どれも単独では緊急ではない。でも並べてみると、見え方が変わる。
俺はダッシュボードの前に座って、記録を整理し始めた。
前の世界では、こういう作業を「ポストモーテム」と呼んでいた。何が起きたか、なぜ起きたか、どう対応したか——事後に振り返り、記録に残す。責任を追及するためじゃなく、同じことを繰り返さないために。
俺は画面に向かって独り言を言いながら、記録を整理した。
「ステータス表示のキャッシュ問題——原因は住人識別番号の格納器があふれたこと。対応は正しかった。再発リスクはある。同じ問題が別の村で起きる可能性がある」
「スキル停止——発動要求の数が閾値を超えた。発動量を絞って対応した——前の世界で言うスロットリングだ。根本原因はたぶん、閾値の設定が古すぎること。世界の人口が増えているのに、設定がついてきていない」
「バッチのデッドロック——ロックの順序を整理して解消。でもあのソースコードのコメント——」
俺は少し止まった。
エルディアスが残した、`// TODO: いつか直す`というコメント。設計段階で問題に気づいていながら、先送りにされていた部分。「いつか」は数千年後に俺が来るまで来なかった。
それは、どういう意味の先送りだったんだろう。
「……考えすぎか」
俺はカーソルを動かした。
「ダンジョン暴走——テンプレートの参照が外れていた。本番直接適用で修正。副作用でノードの記憶が一部戻った。ノードの件は……副作用としての分類になるが、悪い結果じゃなかった」
それから——俺は少し手を止めた。
「深層のログ。整合性確認が走ったとき、もう一か所、読み込みが走った場所がある。深層の、どこにも分類されていない何かに近い場所だ。ノードの記憶が戻ったのとほぼ同時のタイミングで……何が起きたのか、まだ確認できていない」
そこだけ、整理が終わっていない。戻ってきてからログを見ようと思っていたのに、その後に積み上がったアラートの量で後回しになってしまっていた。
メモに一行書き加えた。——深層の未分類ログ、要確認。
整理しながら、気になることが出てきた。
対応した問題の数が、多い。
一週間、正確にはもう少し短い時間の中で、複数のトラブルが立て続けに起きた。しかもそれぞれ、別々の場所が原因だ。キャッシュ、バッチ、テンプレート——どれも独立した問題に見えた。でも今、並べて見ると——
「ノード」
「はい。えーと……何でしょう」
「この一週間のアラート、全部出してくれ。軽微なものも含めて」
「えーと……全部ですか? 量が多いですよ。確か……」 少し間があった。「わたしが拾えている範囲では、五百件くらいです。ただ……えーと、本当はもっと出ているはずで、わたしが全部は受け取れていないと思います」
「どれくらい取りこぼしている」
「……わかりません。把握できていないので」
俺は少し止まった。五百件ではなく、五百件しか拾えていない。
「わかった。今あるものだけでいい。出してくれ」
ウィンドウに数字が流れ始めた。
俺は流れるデータを見ながら、分類した。緊急対応が必要だったもの。警告止まりで様子見だったもの。記録のみのもの。
……思っていたより、中間の警告が多い。緊急まで行かないが、正常でもない。それが全体の四割近くを占めている。これはノードが拾えた分だけだ。実際はもっとある。
俺は椅子の背もたれに体を預けた。
これは、どういうことだろう。
システムが「壊れている」のではなく、「壊れかけている」という状態。個々の問題は対応できる範囲に収まっている。でも全体の底が、少しずつ落ちている感覚がある。
* * *
そのとき、管理層に誰かの気配がした。
管理層には通常、俺とノードしかいない。他のプロセスは機能別の領域に閉じていて、ここに直接来ることはあまりない。
振り返ると、空色の髪が見えた。
女性の姿をしたアバター。ゆったりとした白と水色のドレス。髪が常にゆっくりと揺れている——風がないのに。
初めて見る顔だったが、なぜかすぐにわかった。管理層にいる別のプロセスだ。
「悠真くん、お邪魔するわね」
柔らかい声だった。
「……初めまして、だと思います」
「そうね。セレスよ」 女性は少し微笑んだ。「あら、今日もお天気がいいわねぇ——なんて言っても、ここは管理層だから関係ないわね」 少し笑って続けた。「天候の担当。いつもここには来ないんだけど、今日はちょっと、あなたに直接話しかけたくて」
「どうして」
「あなた、一週間ですごくよく動いたから」 セレスはウィンドウの記録を一瞥した。「見てたわ。ダッシュボードの数字が少し落ち着いたでしょ。あなたが対応したおかげよ」
「……そんなことのために、わざわざ」
「そうね」 セレスは少し表情を変えた。「それだけじゃないのよ」
俺は少し身構えた。
「全体が、壊れかけているの」
はっきりした言葉だった。穏やかな声なのに、重みがあった。
「わたしは天候の担当だから、あちこちの状態を広く見ることができる。ダンジさんの担当エリアも、カルクくんの計算も、あなたが対応した場所も全部。それで見ていると……」
セレスが少し間を置いた。背後の管理層の空間が、わずかに翳った気がした。
「場所によって劣化の速さが違うの。あなたが直した場所は少し落ち着いた。でも、あなたが手を触れていない場所は、少しずつ悪くなっている。ゆっくりだから気づきにくいけど、グラフを長い期間で見ると、右肩下がりなの。ずっと」
俺はダッシュボードを開いた。
言われた通りに、長期のグラフを出してみた。一週間ではなく、もっと遡って。
……見えた。
右肩下がりだった。
ゆっくりと、確実に。数年単位で見ると、世界全体の安定性を示す指標が低下し続けている。個々の障害に対応するたびに一瞬持ち直すが、トレンドとしては下がっている。
「どれくらい前から」
「記録がある限りで言うと……前任の方がいなくなってから、ずっと。最初はとてもゆっくりだったけど、ここ数百年で少し速くなっている」
前任。エルディアス。
いなくなってから、ずっと。数千年分の劣化が今、この曲線になっている。
「今のペースで続いたら」
「……いつかは止まらなくなる、とは思うわ」 セレスの声は穏やかなままだった。怖がらせようとしているのではなく、ただ事実を言っている、という声だった。「いつとは言えないけど。あなたが対応を続けてくれれば、少し遅くなるとは思う。でも、根本のところが変わらないと、方向は変わらないと思うの」
俺は黙った。
セレスが続けた。
「焦らせたいわけじゃないのよ。ただ、あなたに全部見えてる状態でいてほしかった。知らないより、知っている方がいい判断ができるから」
「……ありがとうございます」
セレスはにっこりした。今度は本当に穏やかな笑顔だった。
「また何かあったら来るわね。今日は天候の調整があるから戻るけど」
そう言って、セレスの気配は消えた。
空色の髪が揺れて、そのまま溶けるように見えなくなった。
* * *
俺はしばらく、ダッシュボードの長期グラフを見続けた。
右肩下がりの曲線。ゆっくりと、しかし確実に。
これは知っていた。薄々は。でも数字で見ると、違う重みがある。
問題が起きるたびに対応してきた。それは間違いじゃない。でも——それだけでは、方向は変わらない。
穴が開いたら塞ぐ。また穴が開いたら塞ぐ。でも、なぜ穴が開くのかを考えないと、次の穴を防げない。
前の世界で俺がいちばん嫌いだったのは、「運用でカバー」という言葉だった。問題が起きても根本を直さず、現場が頑張ることで何とかする。上司はそれを「機動力がある」と呼んでいた。俺は「俺がいなくなったら終わりだな」と思っていた。
……今、同じことをしている。
「ノード」
「はい」
「今まで対応してきたトラブルを振り返ったとき、共通点が見えるか」
「えーと……」 ノードが考えた。「設定が古い、というのは何度か出てきたと思います。世界が作られた当初は問題なかった設定が、時間が経つにつれて実態と合わなくなってきている、という」
「そうだな」
「あと……根本原因を直す時間がなくて、応急処置が残っているものも、いくつかあると思います。えーと、わたしが把握している限りでは」
そうだ。一週間で対応したどれも、「完全に直した」わけじゃない。動くようにした。でも、また同じことが起きる土台は残っている。
どんなに頑張っても、百パーセントの信頼性は実現できない。だから「どこまでを守るか」を決める。何が落ちても許容できるか。何は絶対に落とせないか。
それを決めないと、全部を同じ力で守ろうとして、全部が中途半端になる。
この世界は今まで、そういう線引きがなかった。起きてから走る。それしかなかった。
でも——それだけじゃ、右肩下がりのグラフは変わらない。
「ノード、一つ聞いていいか」
「はい」
「前任——エルディアスは、今俺がやってるみたいな振り返りを、やっていたか」
ノードが少し止まった。
今回の止まり方は、普通のフリーズとは違う気がした。何かを探しているような——
「……えーと」 ノードの声が、少しゆっくりになった。「正確には覚えていないんですが……たぶん、やっていたと思います。わたしが断片的に覚えている中に、前任の方が長い記録を書いていた、という場面が……あったような気がします」
「そうか」
「えーと……あと、これは言っていいのかわからないんですが」
「何でも言ってくれ」
「前任の方も……あなたと同じ結論に、達していたと思います」
俺は少し止まった。
「どういう意味だ」
「えーと……詳しくは覚えていないんですが」 ノードが言葉を選んでいる感じがした。「このままでは世界が持たない、という結論に。だから何か、大きなことをしようとしていた——という記録が、断片的にあるんです。何をしようとしていたかは、わたしにはわからないんですが」
沈黙が落ちた。
前任も同じ結論に達した。
今は答えが出ない。
でも、一つだけはっきりしたことがある。
このままでは、世界が落ちる。
* * *
俺はダッシュボードを新しいレイアウトで開き直した。
問題が起きてから対応する——それが今まで。
でも今日から、少し違うことを始める。
まず、世界のどこが一番重要かを整理する。何が止まったら世界が止まるか。何が遅くなったら、地上の住人に直接影響が出るか。何は一時的に落ちても許容できるか。
全部を同じ力で守ろうとするのをやめる。守る線を決める。
そして、その線を守るために——事前に動く。起きてから走るのではなく、起きる前に対処できる場所には対処しておく。
前の世界ではそれを、信頼性の設計と呼んでいた。「どれだけ信頼できるか」の目標値を決めて、それに対して管理する。目標を超えたとき、余裕があるときに——根本を直しに行く。
完璧じゃなくていい。全部を守れなくていい。でも、守ると決めた線は守る。
それを、今まで俺はやっていなかった。
「ノード」
「はい」
「今から、世界の各機能に優先度をつける作業をする。手伝ってくれ」
「……えーと、手伝えるかわかりませんが」 ノードの声が少し明るくなった気がした。「やってみます」
「データをくれるだけでいい。各機能が止まったとき、どれだけの住人に影響が出るか。どれだけの速さで影響が広がるか。そういう情報が欲しい」
「えーと……少し探してみます。ドキュメントはあったはずなんですけど……」
「ないかもしれないけど、ログから類推できる部分もある。できる範囲でいい」
「……わかりました」
ノードが動き始めた。
俺はダッシュボードに向かって、メモを書き始めた。
今まで起きたトラブルの一覧。原因と、根本がまだ残っているものの一覧。
セレスが言った言葉を思い出した。「根本のところが変わらないと、方向は変わらない」。
俺は一行書き加えた。
——受動的な対応から、能動的な設計へ。
「ノード、データはどうだ」
「えーと……今探していて、スキル発動の記録はあるんですが……レベルアップ関係のはカルクさんに聞いた方が早いかもしれなくて……」
「わかった、後でカルクに聞く。今できる範囲でいい」
「……はい」
ノードが小さく頷くのが、ウィンドウの端に見えた。
管理層の外——地上では今日も世界が動いている。誰かが戦っていて、誰かが眠っている。
そのどれも、ダッシュボードの数字としてしか見えない。でも、数字の先に人がいる。
俺はウィンドウに向かって、次の手順を書き始めた。
世界が落ちる前に、できることがある。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
ポストモーテム:インシデント(障害)が起きた後に行う振り返りのことです。「なぜ起きたか」「どう対応したか」「次はどう防ぐか」を記録します。犯人探しではなく、同じ問題を繰り返さないための文化として、現代のソフトウェアエンジニアリング現場に根付いています。悠真が一人でアラート履歴を整理していたのは、まさにこの作業です。
エラーバジェット:「完璧な信頼性は目指さない」という考え方に基づく管理手法です。「この機能はX%の時間動いていれば十分」という目標値を決め、その余裕の範囲内で障害を許容します。余裕があるときに積極的な改善作業ができ、余裕がなくなったら慎重に動く——というように、信頼性を「管理する」ための仕組みです。悠真がこれから取り組もうとしている「守る線を決める」は、まさにこの考え方です。
次話「守る線を決める」もよろしくお願いします。
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