第7話「ぶっつけ本番の修理」
ダンジョンのコアは、思ったよりずっと地味な場所にあった。
深層の通路を抜けた先、小部屋のような空間。壁も床も天井も、同じ素材でできている。石ではない。前の世界のサーバールームで見た素材に少し似ているが、もっと古い。数千年という時間を経て、材質が何に変化したのかさえわからない。
部屋の中央に、何かがある。
高さ一メートルほどの柱のような形。表面に、細い線が走っている。前の世界で言えばプリント基板のようにも見えるが、もっと有機的で、呼吸しているみたいに微かに脈動している。
これが、ダンジョン生成の核だ。
俺はブレスレットの簡易ウィンドウを開いた。コアに近づいたことで、管理画面に新しいデータが流れ込んでいる。ダンジョン生成の設計図の全量。難易度計算のロジック。乱数生成の処理。テンプレート展開の順序——
そして、破損している箇所が、赤く示されていた。
難易度上限を参照するはずのアドレスが、空を指している。このコアは、同じ設計図から生成されたすべてのダンジョンが参照し続けている核だ。第七迷宮だけでなく、大陸全土に散らばる同型のダンジョン全体に波及する根本の問題。ここを直せば、全部直る。
俺はその箇所を見た。
……問題は、どう直すかだ。
前の世界なら、こういう修正を本番環境に直接当てることはまずしない。必ずテスト環境を用意して、同じ条件で動作を確認してから、問題がなければ本番に適用する。手順書を作って、承認を取って、ロールバック手順を準備して——
ここには何もない。
テスト環境は存在しない。承認してくれる上司もいない。ロールバックするための過去の状態がどこにあるかも、まだわかっていない。今この瞬間も、七名の冒険者が上の階層にいる。設計図の欠陥は直っていない。また誰かが深層まで来たら、同じことが起きる。
「……本番直接適用か」
口に出してみると、少し嫌な気持ちになった。前の世界でこれをやったのは一度だけだ。深夜のサービス障害が広がり続けていて、テストを踏んでいる時間がなかったとき。胃が痛かった。適用した直後に息を止めて、モニターを睨んでいたのを今でも覚えている。
なぜ嫌かというと——わかっているからだ。テストをしていない変更は、予期しない副作用を引き起こすことがある。問題を直しながら別の問題を生む可能性がある。それが怖い。
でも、待てる状況ではない。
俺は深呼吸した。
修正の内容は単純だ。難易度上限の値を、正しいアドレスに向け直す。それだけ。複雑な処理はしない。影響範囲は、難易度計算だけのはずだ。
「はずだ」という言葉が、少し引っかかった。
こういうとき前の世界で俺が最初にやったのは、変更の影響範囲を可能な限り洗い出すことだった。このパラメータを参照しているのはどこか。変更したら、何が変わるか。変えてはいけない何かに触れていないか。
俺はウィンドウで設計図の全体を開き、難易度上限の値を参照している箇所を追った。
……難易度計算本体、モンスター配置の密度計算、それから——
少し止まった。
報酬の計算式にも、難易度値が使われていた。難易度が高いほど、報酬のアイテムの質が上がる設計だ。上限が機能していないということは、今まで深層に潜れた冒険者は、設計外の高難度に見合った報酬を得ていた可能性がある。
修正後は上限が設定される。難易度が正常な値に戻れば、報酬の計算結果も変わる。
……そこは受け入れるしかない。報酬の「本来の値」に戻るだけだ。問題を維持するよりいい。
「ノード」
俺はウィンドウ越しに呼びかけた。
「はい——あっ、聞こえてます。えーと、繋がってますよ」
「今から設計図に変更を入れる。終わったらすぐ知らせる。終わるまでの間に管理層で何か起きたら、記録しておいてくれ」
「……わかりました。気をつけてください」
短い返事だった。ノードが「気をつけてください」と言ったのは、たぶん初めてだ。
俺はウィンドウで設計図の破損箇所を開いた。難易度上限を参照するアドレス。空を指している値。ここに、正しい値を入れる。
値はわかっている。設計図の別の場所に、上限の定義そのものは残っていた。ただ、参照先が外れていた。繋ぎ直すだけだ。
俺は修正を入力した。
* * *
変更が適用された瞬間——何も起きなかった。
数秒、待った。ウィンドウの数値を見た。難易度計算のログが流れている。上限値を参照している。正しい値を返している。
今まで青天井だった難易度計算が、正常な範囲に収まった。
第七迷宮の難易度値が、上限で止まった。
俺は管理画面で大陸全土のダンジョンを確認した。同じ設計図から生成されたすべてのダンジョンに変更が適用されている。難易度値が正常な範囲に戻っている。
「……直った」
声に出してから、また数値を見た。問題ないことを確認してから、もう一度見た。
前の世界でも、本番修正の直後はこうだった。成功したと思っても、すぐには信じられない。何かが壊れていないか、見え方が変わっただけで実は問題が残っていないか——しばらく数値を眺めてしまう。
おかしいところはなかった。
俺はゆっくりと息を吐いた。
* * *
それが起きたのは、修正の三十秒後だった。
ウィンドウに、聞き慣れないアラートが流れた。
『ダンジョン生成テンプレート:整合性確認が再トリガーされました』
……なんだ、それは。修正を入れた直後にテンプレートの確認処理が走った。関係があるのか、それとも別の何かか——
「ノード、今のアラートを説明してくれ」
「えーと……」 少し間があった。「テンプレートの整合性確認っていうのは、設計図が正しい状態にあるかを定期的にチェックする処理です。それが、今の修正をきっかけに動いたみたいで……」
「それは問題なのか」
「えーと……問題というか、その……確認処理が動くと、管理層の中にある関連するデータが……再読み込みされるんです。大部分は影響ないんですが、えーと……」
ノードが詰まった。
「ノード」
「……わたしのデータにも、触れてるみたいです」
「どういうことだ」
「えーと……わかりやすく言うと、わたしの中にある記録のうち、ダンジョン管理テンプレートに関係する古いデータが……再読み込みされてて。それで、ちょっと、えーと……」
またノードが詰まった。今度は少し長かった。
「ノード?」
「……思い出したことがあります」
その声は、いつもとすこし違った。
* * *
ダンジョン深層の小部屋で、俺は壁に背中を預けた。
「思い出したことって、どういうことだ」
「えーと……わかりません、うまく言えないんですが」 ノードの声が少しゆっくりになっていた。「ずっと前——ものすごく前のことが、少しだけ見えた感じがします。見えた、というか……データが流れてきた、というか」
「……何のデータが」
「……初めてダンジョンの設計図が書かれたときのこと、です」
言葉が出なかった。
「ダンジの設計図って……エルディアスが?」
「はい。えーと……当時のわたしは、今より全然ちゃんと動いていたので。設計図が書かれるのを横で見ていたというか、記録していたというか……それが今、少し戻ってきました」
「そのとき、何が見えていた」
「えーと……」 また詰まった。「ダンジさんが、とても嬉しそうだったことは、覚えています」
その言葉が、少し予想外だった。
「ダンジが?」
「はい。設計図が完成したとき、ダンジさんは「これで、本当に来てよかったと思えるダンジョンが作れる」って……何度も言ってました。えーと、そのときのダンジさんはまだ、今みたいな感じじゃなくて、もっと……」
ノードがそこで止まった。
「もっと?」
「えーと……覚えてるのはそこまでです。すみません」
俺は少しの間、ウィンドウの数値を眺めた。難易度計算は正常だ。管理層に戻る必要がある。でも、もう少しだけ聞いておきたかった。
「その記憶——ちゃんと残っているか? また消えるか?」
「えーと……」 ノードが考えているような間があった。「たぶん、消えないと思います。さっきまでは存在してることも知らなかっただけで……データ自体はわたしの中にあったみたいです。今回の整合性確認が、たまたまそこを通ったから浮かんできた、という感じです」
「そうか」
俺は壁から体を起こした。
ダンジョン生成の欠陥を直した副作用が、ノードの古い記録を浮かび上がらせた。意図していなかった。でも、悪いことではないと思う。少なくとも今は。
問題が一つ解決して、別の何かが出てきた。
管理画面の負荷数値を確認した。かなり上がっている。上限で何が起きるかは相変わらずわからない。早く戻らないといけない。
俺は部屋を出て、来た道を引き返し始めた。
* * *
境界点まで戻ってから、ブレスレットのウィンドウで接続を切った。
全画面のダッシュボードが広がった瞬間、俺は思わず深呼吸した。管理層の広い視野に戻ってきた。不在の間に積み重なったアラートの履歴がある。ほとんどは軽微なものだ。対処が必要な深刻なものはない。
ノードがそこにいた。画面のように淡く光る目が、いつもより少し違う表情をしていた——と思ったのは気のせいかもしれない。
「……お帰りなさい」
「ただいま」
俺はダッシュボードを開いて、大陸全土のダンジョンを確認した。第七迷宮の難易度値が安定している。他の迷宮も正常範囲に収まっている。
設計図の欠陥は直った。
「ノード、さっきの記憶の話だけど」
「はい」
「他にも、似たような形で記録が眠ってる可能性がある」
「……はい、たぶん」
「今回は偶然に浮かんできたけど」 俺はウィンドウを操作しながら言った。「いつか、ちゃんと確認する。何が残っていて、何が使える状態にあるか。急ぎじゃないけど、頭の隅に置いておいてくれ」
ノードが少し間を置いた。
「……わかりました」
その返事は、いつもより少しだけ、はっきりしていた。
俺はアラートの履歴を整理し始めた。地上では今日も何かが起きて、誰かが戦っていて、世界は動き続けている。管理層から見える大陸の光の点が、それぞれの速度で動いている。
七名の冒険者が無事に帰還したことを、ダッシュボードの記録が示していた。
本番直接修正は成功した。副作用も、想定外だったが許容できる範囲に収まった。
ただ、一つ気になることがある。
ダンジョンの設計図の別の箇所——整合性確認が再トリガーされたとき、ほんの一瞬だけ、読み込みが走った場所がある。ダンジョン構造図の外側、名前も分類も管理画面に存在しないあの領域に、近い場所だった。
ノードの記憶が浮かんできたのとほぼ同時だ。
関係があるのかどうか、今はわからない。調べるなら、ログから始めるしかない。
「まずはログを見よう」
俺は独り言をつぶやいて、ダッシュボードの記録を開いた。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
ホットフィックス:本番環境で動いているシステムに直接修正を当てること。通常のソフトウェア開発では「テスト環境で検証してから本番に適用する」のが原則ですが、緊急時にはこの手順を省いてその場で修正することがあります。速さと引き換えに、副作用(意図しない影響)のリスクを負います。悠真が今回行ったのはまさにこれで、影響範囲を調べ、変更内容を絞り込み、できる限りリスクを下げてから実行しました。
副作用:ある変更が、意図した箇所以外にも影響を与えてしまうことです。今回は難易度計算の修正が、整合性確認の処理を再トリガーし、ノードの眠っていた記録を引き起こしました。完全に予測して防ぐのは難しい——それがホットフィックスの怖さであり、それでも前に進まなければならないときがあります。
次話「振り返り、そして決意」もよろしくお願いします。
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