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世界が落ちる前に ~勇者が魔王と戦っている裏で、異世界がバグらないようにひとりで回してます。なお前任の神は辞めたそうです~  作者: あべのちょふ


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第6話「戦えない管理人」

 通路の奥から、唸り声が近づいてくる。


 俺は足を止めた。逃げる方向を確認する。来た方向は——境界点だ。引き返せば地上との接続口がある。でも、そこから管理層に戻れば七名の冒険者はまだ深層に取り残されたままだ。


 俺は壁際に体を寄せ、ブレスレットの簡易ウィンドウを開いた。


 管理層にいるときは全画面で世界を見渡せる。今は手首の上の小さな光の枠に、情報が詰め込まれている。接続が細い。見えるのは現在位置と、その周辺に存在するモンスターのごく限られた数値データだけだ。


 石壁に背中を押し当てながら、その数値を睨んだ。


 モンスターの現在座標、移動速度、探索状態、——それから、攻撃の直前に跳ね上がる「行動フラグ」とでも呼ぶべき数値。管理層で俯瞰図を見ていたときも似たようなデータは見えていた。ただ、それが今、目と鼻の先にある。前の世界なら、こうした数値の集合を「メトリクス」と呼んでいた。


 唸り声の主が曲がり角に差し掛かった。


 数値が急に跳ね上がる。俺はそれを見た瞬間、姿勢を低くして別の通路に体を滑り込ませた。


 石の回廊を何かが通り抜けていく音。爪が石畳を引っかく音。探索しながら通路を進んでいる。


 息を止めた。


 数値が落ち着いた。遠ざかった。


 壁にもたれながら、俺はゆっくりと呼吸を整えた。


 ……なるほど。行動前に数値が動く。


 管理層で俯瞰図を見ていたとき、モンスターは「動く点」だった。座標の集合。戦闘記録はあっても、その動きを「予測する」とは考えたことがなかった。数値として管理されているのに、それを使って動きを読むという発想がなかった。


 前の世界で言えば、サービスの挙動をログとメトリクスで観測して、障害の兆候を事前に掴む作業に近い。問題が起きてから対処するのではなく、数値の変化からパターンを読み取って先手を打つ。監視というのは本来そのためにある。


 俺は改めてウィンドウを開き、周囲のモンスターのデータを並べた。


 いくつかのことが見えてきた。巡回ルートがある。数値の変動幅が一定のリズムを刻んでいる。攻撃態勢に入る直前、約二秒前から数値が上昇し始める。視野の範囲がある——おそらく正面三十度程度。


 弱点ではない。ただのデータだ。


 でも、データがあれば動き方を決められる。戦うのではなく、接触を避けながら進む。それは戦闘ではない。運用だ。


 「戦えないなら、運用で勝つ」


 自分の声が石壁に吸い込まれた。


          * * *


 王都の冒険者ギルド。


 「深層立入禁止」の貼り紙が窓口に張り出されたのは昨夜のことだったが、今朝には十数人の冒険者が押しかけていた。


「受付長! うちのパーティの仲間がまだ中にいるんです。救助隊を送ってください!」


「落ち着いてください」 ガルドは静かな声で返した。「現在、内部のモンスターの状態が通常の把握範囲を超えています。追加の人員を送っても、さらなる被害が出る可能性があります」


「じゃあ、中にいる人間はどうなるんですか!」


 ガルドは答えた。


「……生きています。今朝の偵察で、深層の生命反応は七名確認しています。モンスターの行動に変化が出ていない。今すぐの危機ではありません」


 断言する根拠はなかった。ただ、ガルドの長い経験がそう言っていた。迷宮は変わった。しかしまだ、何かが止まっていない。


「状況が変わり次第、すぐに動きます。今は情報を集めることが先です」


 冒険者が納得したわけではなかった。それでも押し黙った。


 ガルドは窓口から離れ、台帳を開いた。この数週間の迷宮報告を読み返す。難易度の急上昇、モンスターの行動パターンの変化、深層から帰還しないパーティ——それらが今一つの流れとしてつながっている。


 同時に、別の報告があった。最近、北部の第七迷宮の最深部に「人影を見た」という証言がいくつかある。冒険者ではない。装備もない。薄暗い通路を、何かを確認するように歩いていた、と。


 ガルドはその報告書を指で押さえた。


 偶然ではないかもしれない。


          * * *


 第七迷宮・下層。


 俺は三度目の巡回をやり過ごしてから、下の階層に続く梯子を降りた。


 深層に進むにつれて、管理画面の簡易ウィンドウに表示されるデータが増えていった。モンスターの数だけでなく、ダンジョン構造そのもののデータが流れ始めている。難易度の上昇カーブ、各部屋の状態、——そして、深層にいる七名の生命反応。


 全員、生きている。


 モンスターが届いていない区画に固まっていた。経験のある冒険者たちだ。逃げ場のない状況でも生き延びる術を知っている。ただ、出口に向かう道が塞がれている。深層の入り口に近い部屋で、行動フラグが高いまま動き回っているモンスターがいる。


 そのデータを見ながら、俺は順路を逆算した。


 七名を安全に出口まで誘導するには、その通路を抑えているモンスターをどかすか、別の経路を開くかしかない。俺には倒す手段がない。なら、別の方法でどかすしかない。


 ダンジョンには、もともと設計として「仕掛け」がある。ダンジが作ったものだ。部屋と部屋の間の扉、落とし穴、音を鳴らす仕掛け。モンスターの行動パターンは単純で、大きな音や動きがあれば注意がそちらに向く。


 俺はウィンドウで該当区画の構造を開いた。問題の通路から四十メートル奥に、音響仕掛けのデータが残っている。元々は冒険者を驚かせるために設置されたものだ。今は使われていない。


 管理層からなら直接操作できたかもしれない。今の俺にできるのは——そこまで行って、手動で動かすことだ。


 遠回りになる。その間、地上に仮実体を置いている間だけかかり続ける——世界のどこかのシステムが払い続けているコストを示す——負荷数値が上がり続ける。でも、他に選択肢がない。


 俺は最短経路を確認して、動き始めた。


          * * *


 仕掛けのある部屋は、だいぶ奥だった。


 石造りの壁に、金属製の管が埋め込まれている。管の端に錆びた金属板が垂れ下がり、何かが触れると共鳴するような構造になっていた。


 管を指で叩いてみる。低い金属音が鳴り、通路に反響した。


 ウィンドウで確認する——問題の通路のモンスターの行動フラグが揺れた。音の方向に注意が向いている。俺は続けて何度か管を叩き、間隔を変えながら音を出し続けた。


 じわじわと行動フラグが動く。モンスターが通路を離れ始めている。


 三十秒ほど続けた。問題の通路が空いた。今だ。


 俺はウィンドウで七名の位置を確認してから、七名がいる区画に向かって走った。仕掛けの効果がいつまで続くかわからない。急ぐしかない。


 冒険者たちが壁際で固まっていた。松明の光の中で、年嵩の剣士が最前列に立ち、若い魔法使いが後ろを守っていた。


「……誰だ」


 剣士が剣を構えた。俺に向けて。


「待ってくれ、敵じゃない」


 俺は両手を上げた。武器はない。素手だ。


「今、上の通路が開いている。すぐ動ける人から上に行ってくれ。時間がない」


 剣士の目が細くなった。剣は下がらなかった。


「……お前、何者だ。装備もない、武器もない。なぜ深層にいる」


「通りがかりの管理人です」


「管理人?」 剣士の後ろで誰かが小声でつぶやいた。「この迷宮の、か。そんな話は聞いたことがないぞ」


「信じなくていい」 俺はウィンドウを開きながら言った。「ただ、あなたたちの出口を塞いでいたモンスターは今——この通路を分岐して左、十五メートル先にいる。音の仕掛けで誘導した。あと三十秒か一分は、そこにいるはずだ」


 剣士が仲間と目を合わせた。若い魔法使いが何か耳打ちした。剣士は俺を見たまま、しばらく動かなかった。


「……もし罠なら」


「俺が罠を張るつもりなら、わざわざ音の仕掛けを動かす手間はかけない」


 剣士が少し黙った。


「……それが本当なら」と、後ろの魔法使いが言った。「さっきから通路の方が静かなのは」


「そういうことです。長くは持たない。今のうちに」


 剣士が仲間を一瞥した。信じたわけではないだろう。でも、このまま壁際にいても状況は変わらない——そう計算した目だった。


 七名が動き始めた。俺はウィンドウでモンスターの位置を確認しながら、先頭で通路に入った。行動フラグはまだ低い。動いている。


 出口まで、走った。


          * * *


 冒険者七名が上の階層まで脱出したのを確認してから、俺はその場に立ち止まった。


 手首の上の簡易ウィンドウを見る。負荷数値が管理層に降りたときよりかなり上がっていた。この数値が上限まで達したらどうなるのか——記録を探したことがあるが、見当たらなかった。前任が試した形跡もない。わからないまま上げ続けるのは、あまり気持ちのいいものではない。急いで管理層に戻るべきだ。ノードが不在中のアラートを記録していてくれているはずだが、俺がいない間に何かが起きているかもしれない。


 でも、ここで引き返したら。コアには届いていない。設計図の欠陥は直っていない。また同じことが起きる。


 俺はウィンドウで現在位置を確認した。


 コアまでの距離がまだある。でも、ここまで来た。次の冒険者が被害を受ける前に直さなければならない。


 もう少しだけ、進む。


 深層をさらに下りた。


 通路が変わった。石造りの粗い壁が、だんだんと滑らかになっていく。表面が磨かれているのではなく、もともと別の素材でできているような質感だ。足元の石畳も変わった。目を凝らすと、表面に細い線が無数に走っている。光っているわけではない。ただ、刻まれている。


 ウィンドウを開いた。


 現在位置を示す点が、ダンジョンの構造図の最深部にある。その下——構造図の外に、何かがある。データとして存在はしているが、輪郭がない。名前も、分類も、管理画面に表示する項目がない。


 ダンジョンではない。


 ダンジョンの設計図にも、ノードのデータにも、今まで見てきたいかなるログにも出てこなかった何かが、この下にある。


 俺は壁に手を当てた。指先に、かすかな振動がある。何かが動いている。あるいは、動き続けている。稼働し続けている。


 前の世界で、サービスの最深部——ハードウェアに近い層を初めて見たとき、似たような感覚があった。自分が触っているアプリケーションの何万倍もの処理が、見えない場所で静かに走っている。それを知ったとき、少しだけ怖かった。


 これは、世界の根っこに近い何かだ。


 コントロールプレーンである管理層よりも、さらに深い場所。エルディアスが構築した領域。ノードがうまく言葉にできなかった深いところ。


 俺はしばらくその壁の前に立っていた。


 今ここに入れる権限が俺にあるかどうか、わからない。コアの修正という目的がある。でも、その向こうに何があるかは、見てみるまでわからない。


 管理画面の負荷数値をもう一度確認した。


 まずは目の前の仕事を片づける。コアを直す。それが今日の目的だ。


 俺はウィンドウでダンジョンのコアへの経路を開き、残りの距離を確認した。そして、その下にある輪郭のない何かから目を離して、コアへの通路に足を踏み入れた。

お読みいただきありがとうございます。


【今回のIT用語】

オブザーバビリティ(可観測性):システムの内部状態を外から観測できる度合いのことです。ログ・メトリクス・トレースの三つが柱とされています。悠真が今回やっていたことはまさにこれで、モンスターの「行動フラグ」という数値を継続的に観測することで、攻撃直前の数値の変化パターンを読み取り、接触を避けながら進むことができました。「何が起きているかわかる」状態を作ることで、初めて適切な対処が選べる——それがオブザーバビリティの目的です。


次話「ぶっつけ本番の修理」もよろしくお願いします。

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