第28話「地上の協力者」
「ガルドさんに会う前に、確認させてくれ」
俺は管理層の準備室で、ノードに最終チェックを頼んだ。
今回の地上行きは、これまでのダンジョン攻略時とは違う。新しい設計の境界点はまだ稼働していない。だから、いつも通り第七迷宮の最深部経由で、ギルドの裏口に出る。タイムリミットは三時間。それを超えると地上滞在の負荷が世界に響き始める。
「ノード、留守を頼む」
「えーと……はい。お気をつけて」
「セレスとカルクとダンジには、計画通り進めるよう伝えてくれ」
「えーと……はい」
ブレスレットが、軽く光った。
管理層の景色が、ぐにゃりと歪んだ。
* * *
「これはこれは——どうやら、お客様のようだ」
冒険者ギルドの応接室。
大柄な男が、机の向こうから俺を見下ろしていた。黒髪に白髪交じり。オールバック。鋭い灰色の目。胸のバッジに「受付長 ガルド・ベインズ」とある。
話には聞いていた。元A級冒険者で、左膝に古傷があり、雨の日には足を引きずる。デスクワークでやや腹が出てきたところも、設定通りだった。
「……どうも、はじめまして」
俺は手首のブレスレットを軽く触った。彼の表情を見るために、出力情報を最小限に絞った。
ガルドはしばらく俺を観察してから、ゆっくりとうなずいた。
「落ち着いてください。状況を整理しましょう」
彼の口癖だ。状況がまだわかっていないのに、彼は既に「整理」に入っている。それが、彼の流儀らしい。
「私が落ち着いてないように、見えますか」
「いや、あなたは落ち着いている。落ち着いていない私自身に、声をかけたのです」
俺は少しだけ笑った。彼は、悪くない。
* * *
「いきなり本題に入る。あなたの時間も限られている」
「どうぞ」
「私は、世界の管理層に所属する者です。これからしばらく、世界の基盤の作り直しが行われます。地上には、影響が出ます」
ガルドは表情を変えなかった。
「……ほう」
ただ、机の上に置かれた、引退時に折ったという剣の柄に、彼の手が触れた。
俺は続けた。
「具体的には、まず辺境の小さな村で、新しい設計の試験稼働を行います。住人の数が少ない地域から始め、問題がなければ段階的に拡大します。試験中の村では、天候が一瞬乱れたり、夜の星の動きが少し変わったりする可能性があります」
「住人が傷つく可能性は」
「最小限に抑えます。問題が出たら、すぐに元の設計に戻します」
「それは、まことに——」
ガルドが言葉を切った。彼の鋭い灰色の目が、俺をまっすぐ見つめた。
「最近、ダンジョンの報告書を読んでいて、不思議なことが続いていました。あなたは、それと、関係がありますか」
「私が直したものも、ある。私が原因のものは——たぶん、ない」
「……あなたが直していた」
「世界のあちこちにトラブルが出ている。私はそれを少しずつ直しながら、最終的に、世界そのものを作り直すしかないと判断しました。今日は、その作り直しの計画について、地上の協力者の力を借りに来ました」
ガルドは、しばらく沈黙した。
それから、長い、長い息を吐いた。
「やはり、そうだったのですね」
「気づいていましたか」
「数十年、ダンジョンの報告書を見てきました。世界は、年々、おかしくなっていました。記録として証明できないので、誰にも話していませんでしたが——あなたのような方が、いつか現れるかもしれない、とは思っていました」
ガルドは折れた剣の柄を、軽くなぞった。
「で、私に何をしてほしいのですか」
* * *
俺は、地図を広げた。新しい設計に切り替わる順番が、地域ごとに色分けされていた。
「最初の村——南部の小さな村」
「リオン村ですね」
「ええ。三十軒ほどの集落です。ここで試験稼働が成功すれば、次は周辺の集落、次は地域、最後に全土へと拡大します。問題は、住人が試験稼働中に異常を感じたとき、適切な対応を取れる人がいないことです」
「冒険者ギルドの支部に、対応マニュアルを配布できます」
「ありがたい。そして、もうひとつ、地上側にお願いしたいことがある」
「どうぞ」
「住人を新しい設計の世界へ運ぶのは、夜、眠っているあいだに行う。意識が起きたまま運ばれる体験は、住人にとって酷だし、混乱の元になる。だから、移行の夜には、対象の村全体が深く眠っている必要がある」
ガルドが、しばらく俺の顔を見た。
「神官団に、眠りの祈祷をかけてもらえ、ということですか」
「そうです。リーゼル殿たち神官団に、移行の夜だけ、村全体に静かな眠りが行き渡るよう祈ってもらいたい。夜更かしの旅人も、徹夜で看病している家族も、その夜だけは深く眠れるように」
「儀式の名前は」
「『眠りの儀式』、と、ひとまず呼んでいます。実体は、神官団による集団祈祷です」
ガルドが、机の上で指を組んだ。
「神官団なら、引き受けてくれるでしょう。リーゼル殿は、住人の安らかな夜のためなら、自分の生命力を使うことを厭わない方ですから」
「彼女が無理をしないよう、神官団全体で負荷を分散してほしい。ひとりに負担が集中するやり方は、避けたい」
「承知しました。そこは、私からも釘を刺しておきます」
「ありがたい」
「ですが、こちらからもひとつ、お願いがあります」
「なんでしょう」
「冒険者にも、説明できる範囲で構いません、本当のことを伝えたい。彼らは、世界のおかしさを最前線で感じています。隠したまま動かしても、勘の鋭い者には伝わる。むしろ、信頼を失います」
俺はうなずいた。
「全てではない、と言うことを条件に、許可します。詳細は、あなたが判断してください」
「承知しました」
ガルドが、はじめて、口元を緩めた。笑った、と言うほどではないが、長年の責任を、誰かと分かち合えた表情だった。
「冒険者の命を預かる仕事です。軽々しく判断はできません。だからこそ、記録だけでなく、信頼が要る——あなたに、許可します」
「同感です」
「では、計画を、すり合わせましょう」
ガルドが折れた剣の柄を、もう一度なぞった。その仕草には、後悔ではなく、過去の経験を「いま使える資源」として扱う、職人のような落ち着きがあった。前の世界でも、長く現場を見てきた人ほど、過去の傷を「使い方を知っている道具」のように扱う傾向があった。ガルドは、その種の人だ。
* * *
三時間ぎりぎり、管理層に戻った。
ブレスレットが、地上滞在の超過警告を一瞬鳴らした。間に合った。
「悠真さん、お帰りなさい」
「ノード、ガルドさんは協力してくれる」
ノードがほっとした顔をした。
「えーと……良かったです」
「あの人は、データではなく、経験で世界のおかしさに気づいていた。たぶん、俺と同じものを、別の方法で見ていたんだ」
地上には、地上の見方があった。管理層には、管理層の見方があった。それぞれの場所で、それぞれの方法で、同じ世界を観察してきた。今日、ようやく、両方の視点がひとつの計画に統合された。
* * *
夜。
俺は深層の『5. 後任者への申し送り』の続きを開いた。最初の一行『次に来る者へ。すまない』のあとは、しばらく空白だった。今夜、その空白の先まで、文章が浮かび上がっていた。
『私はひとりで世界を作り、ひとりで管理し、ひとりで終わらせる準備をした。すべて、ひとりでやった。だから、君に「すまない」と書く以外、申し送りができなかった』
『もし、もう一度設計するなら——たぶん、私はひとりではやらないだろう。世界は、ひとりで管理するには、大きすぎる』
『君がこの章を開いたとき、君がひとりでないことを、私は祈る』
俺は、しばらく動かなかった。
画面の文字を、もう一度、読み返した。
「ノード」
「はい」
「ひとりじゃないって、エルディアスが書いてる」
ノードが画面を覗き込んだ。
「えーと……それ、続きがあったんですね」
「ああ。準備ができたら、見えるようになるらしい」
「えーと……あの、悠真さん。エルディアス様は、すごく、寂しかったんだと思います」
「……だろうな」
俺は管理層の壁を見上げた。
管理層に来た日から、何度この深層のコメントを見てきただろう。「いつか直す」「彼らは予想以上に面白い」「失敗した」「次に来る者へ。すまない」——どれも、ひとりで世界を抱えた誰かの、押し殺した感情のかけらだった。
その人が、最後に、後任に向けて書き残したのが「ひとりで背負うな」だった。
俺は、四人の顔を思い浮かべた。セレス、カルク、ダンジ、ノード。それから、地上の人たちの顔も。アリア、フィオナ、リーゼル、ガルド、ミラ。
ひとりで背負える人数じゃない。ひとりで背負う気もない。
画面に、文字以上のものは書かれていなかった。でも、その短い数行に、ひとりで世界を背負った先代の、長い長い独白が詰まっていた。
書ききれなかった分量は、たぶん、画面の十倍も二十倍もあるのだろう。書いたら止まらなくなるから、書かなかった部分が。残った数行は、削り落とした末の、骨だけのメッセージだった。
俺は画面を、そっと閉じた。
次の復活まで、あと三日。
ひとりじゃない、と先代も書き残してくれた。それを胸に、明日もまた、ホワイトボードに向かう。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
インシデント・ステークホルダー説明:システムに大きな変更を加える前に、影響を受ける関係者に丁寧に説明し、合意を取り付けるプロセスです。技術的な変更計画より、関係者との対話の方が時間がかかることもあります。本作の悠真も、ガルドへの説明と合意形成に多くの時間を割きました。
引き継ぎドキュメント(後任への申し送り):システムの設計者が次の運用者・後任者に残す文書のことです。技術的な内容だけでなく、「ひとりで背負わないでほしい」という運用上の知恵が含まれることもあります。エルディアスが残した申し送りは、技術文書というより、長年の孤独からの呼びかけでした。
次話「最初の村」もよろしくお願いします。
感想・ブックマークいただけると励みになります。




