第1話「目覚めたら、警報が鳴っていた」
IT用語が出てきますが、物語の理解に専門知識は必要ありません。
雰囲気で読み流していただければ大丈夫です。
詳しい方には温かい目で見守っていただけると助かります。
――ピピピピピ。ピピピピピ。
けたたましい電子音で意識が浮上する。
反射的に枕元のスマホに手を伸ばしかけて、気づいた。
枕がない。ベッドもない。
横たわっているのは、硬くも柔らかくもない、温度のない床だった。
目を開ける。視界に広がったのは、薄暗い空間を埋め尽くす無数の光の板だ。
赤、黄、橙。
どれもが点滅し、文字を吐き出し、けたたましく鳴り続けている。
知っている。この光景を、俺は知っている。
これは――監視画面だ。
サービスの状態を一覧で映し出す、あの画面。前の世界では「ダッシュボード」と呼ばれていたものに、よく似ている。
違うのは、画面がモニターの中にあるのではなく、空中に浮かんでいることだった。
半透明の板が何十枚と宙に並び、そのすべてが警告色に染まっている。
板の一枚に手を伸ばすと、指先が触れた瞬間に文字が拡大された。
『アラート:南部平原・魔力供給 不安定(WARNING)』
『アラート:迷宮第三層・構造データ 応答遅延(WARNING)』
『アラート:経験値処理キュー 滞留(WARNING)』
警告。警告。警告。
冒険者の成長記録が処理待ちの行列に詰まって流れなくなっているもの、魔力の供給が不安定になっているもの、構造データの応答が遅れているもの。
どれだけスクロールしても、黄色と赤の帯が途切れない。
――なんだこれは。
体を起こす。見回す。光の板に囲まれた、広くて暗い空間。天井は見えない。壁もない。ただ無限にダッシュボードが浮かんでいる。
そして、その全部が叫んでいる。
「あ、起きましたか!」
声がした。高い、少し機械的なエコーを含んだ声。
振り返ると、小さな人影が立っていた。
銀色の短い髪。大きな目は画面のように淡く光っている。白いローブのような服の裾には、データが流れるような模様が浮かんでは消えていた。
身長は俺の肩くらいか。子供のような外見だが、纏っている雰囲気はどこか人間離れしている。
「おはようございます! えーと……ようこそ、管理層へ!」
管理層。
「わたし、ノードと申します。この世界の管理補助を担当しています。担当して……いました。いえ、担当しています。たぶん」
自信がなさそうに首を傾げるノードを見ながら、俺はゆっくりと状況を整理しようとした。
最後の記憶。連続勤務。デスクに突っ伏した。そこから先がない。
「あの、高橋悠真さん……ですよね?」
「……なんで俺の名前を知ってる」
「それはですね、えーと……」
ノードの目の光が一瞬ちらつく。
「あっ、フリーズしてました。すみません、何の話でしたっけ」
フリーズ。このお助け役、大丈夫か。
「俺の名前を知ってる理由」
「あ、はい! この世界の基盤が悠真さんを選んだんです。前任の方がいなくなってから、もうだいぶ経ちますね……。基盤がずっと新しい管理人を探していて、ようやく適性のある方が見つかったと」
管理人。
「つまり、俺は今、どういう状況にいる?」
「えーと、簡単に言うと――この世界を動かしている基盤の、裏側です」
ノードが宙に手をかざすと、一枚のダッシュボードが目の前に滑り出てきた。他の画面とは違い、警告色ではない。地図のような俯瞰図が広がっている。
「地上には、こんな世界が広がっています」
大陸が見えた。緑の平原、雪を被った山脈、青い海。
その上を、無数の小さな光の点が動いている。
「あの光は、住人たちです。農民や商人、兵士……それに冒険者。みんな、この基盤の上で暮らしています」
ノードが地図の一点を指でつつくと、映像が拡大された。
石造りの街並み。市場に並ぶ露店。剣を腰に佩いた冒険者たちが行き交い、街の外では魔物の影が蠢いている。
「住人は魔法を使います。強さの段階があって、経験を積むと成長していきます。冒険者が迷宮に潜って魔物を倒したり、魔法使いが術を磨いたり。あと――」
ノードが地図の端をなぞると、暗い大陸が映し出された。禍々しい城がそびえ、黒い靄が渦巻いている。
「魔王がいます。定期的に復活して、人間を脅かします。それに立ち向かう勇者もいて……今は若い女の子が勇者をやっています」
剣と魔法。迷宮。魔王と勇者。
テンプレのような異世界だった。だが、それが画面の向こうではなく、データの集合として目の前に広がっている。
俺は自分で俯瞰図に触れてみた。指を広げると視点が上昇し、大陸の全景が見えた。
広大だった。
中央に巨大な王都。そこから街道が枝のように四方に伸び、村や街が点在している。西に深い森、東に乾いた大地、北の山脈は雲に隠れ、南の平原には麦畑の黄金色がどこまでも続いていた。
光の点が、その隅々で動いている。
街道を歩く行商人の列。森で魔物と戦う冒険者。城壁の上に立つ兵士。麦畑の農夫たち。
画面に目を近づけると、表情まで見えそうだった。笑っている者、走っている者、言い争っている者。数千万の人間が、それぞれの一日を生きている。
その全部が、この管理層の上で動いている。
「この管理層は、それが全部ちゃんと動き続けるようにする場所です」
サービスの裏側にある運用基盤。前の世界で言うところの――管理用の操作画面がある場所。
つまり俺がいるのは、サービスが実際に動いている場所じゃなくて、それを管理する側だ。前の世界で言えば「本番環境」の外側、管理コンソールにあたる場所か。
そして本番環境は、まるごと一つの異世界だということか。
「前任の管理人というのは?」
「神様です。この世界を作った方で……でもある日、突然いなくなっちゃいまして」
ノードの声が少しだけ小さくなった。
「接続が切れて、それっきりです。もう数千年前の話ですけど」
数千年。
「引き継ぎは?」
「ありません」
「説明書とか、手順書の類は?」
「えーと……ドキュメントはあったはずなんですけど……」
ノードは宙に手をかざして何かを探すような仕草をしたが、やがて困った顔で首を振った。
「……見つかりません。すみません」
引き継ぎなし。ドキュメントなし。前任は退職済み。
そして鳴り止まない警報。
――ああ、これ、知ってる。
前の世界でも同じだった。先輩が辞めて、同僚が辞めて、手順書は誰も書いてなくて。残されたのは動き続けるサービスと、鳴り続ける警報と、俺ひとり。
なんだ、異世界に来ても同じか。
不思議と、怒りは湧かなかった。呆れに近い、慣れた感覚だけがある。
俺は立ち上がり、目の前のダッシュボードを見渡した。
どの画面も警告で溢れている。赤と黄色の洪水だ。しかし、よく見ると大半は同じような内容の繰り返しで、本当に深刻そうなものは一部に絞られる。
まずはログを見よう。
それが前の世界で身体に染み込んだ、最初の一手だった。
慌てない。叫ばない。まず現状を把握する。何が起きているのかを、データで確認する。
「ノード、この警告の一覧を、深刻度が高い順に並べ替えられるか?」
「あ、はい! それはできます! たぶん……」
ノードが両手を広げると、宙に浮かぶ画面群がゆっくりと配列を変えた。赤い画面が上に、黄色が下に。一番上に並んだのは三枚。
『南部平原・魔力供給 不安定(WARNING)』
『迷宮第三層・構造データ 応答遅延(WARNING)』
『北部山岳・気象制御 パラメータ異常(WARNING)』
全部「警告」レベルだ。今すぐ世界が止まるという段階ではない。
だが、数が多すぎる。何がノイズで何が本物かもわからない。
試しに「南部平原・魔力供給 不安定」の画面を開いてみた。俯瞰図が切り替わり、南部の平原が映し出される。麦畑の下を走る魔力の脈が断続的にちらついていた。畑の上では農夫たちが何も知らずに鍬を振っている。この脈が途切れたら、この地域の魔法が使えなくなるのだろう。
前の世界なら、ここで整理をつける。重要な警告を見極め、対応の優先順位をつけ、一つずつ潰していく。
やることは同じだ。ただし規模が桁違いに大きい。前の世界ではサーバーの向こうにいるのは画面越しのユーザーだったが、ここでは一人一人が呼吸し、食事をし、誰かを愛している。
「この世界が動き始めてから、ずっとこんな状態なのか?」
「いえ、昔はもっと安定していたと思います。前任の方がいなくなってから、少しずつ……。わたしだけでは対処しきれなくて」
数千年、メンテナンスなしで動き続けた基盤。
壊れていないほうがおかしい。
「悠真さんは、その……大丈夫ですか? いきなりこんなところに連れてこられて」
ノードが控えめにこちらを窺っている。大きな目に、不安の色が浮かんでいた。
「大丈夫かと聞かれたら、全然大丈夫じゃないな」
知らない場所。知らない世界。身体がどうなっているかもわからない。
だが。
「ただ、やることはわかる」
鳴っている警報がある。止まりかけている世界がある。直せるかもしれない人間が、ここにいる。
なら、やることは一つだ。
「まず状況を把握する。それから優先順位をつけて、一個ずつ対処する。……ま、前の世界でもずっとそうしてきた」
ノードがぱちぱちと目を瞬かせた。
「悠真さん、すごいです! ……何がすごいのかよくわかりませんけど!」
よくわかってないのか。
俺は小さく息を吐いて、ダッシュボードに向き直った。
腕に巻かれた光のブレスレットが、心臓の鼓動に合わせるように明滅している。いつからこんなものがついていたのかもわからないが、これが管理層とのつながりらしい。
一枚一枚、画面を確認していく。
魔力供給。画面の中で、大地に張り巡らされた光の脈が脈動している。あれが魔法の動力源か。一部の脈が細く、途切れかけている。
経験値処理。冒険者が魔物を倒すたびに数字が加算されていく様子が、リアルタイムで流れている。一部の数字が詰まって流れていない。
気象制御。大陸全体の天候パラメータ。雲の密度、風速、降水確率――どこかの山岳地帯で数値が異常に跳ねている。
迷宮構造。地下に伸びる複雑な構造体の設計図。自動で部屋や通路が生成されているらしいが、一部のフロアが「生成エラー」で真っ赤だ。
ステータス演算。住人の強さを計算する処理。数千万件のデータが常に更新され続けている。
知らない単語ばかりだが、画面の構成には見覚えがある。数値の推移を示すグラフ、閾値を示すライン、正常値と異常値の色分け。
魔法だろうと迷宮だろうと、監視の考え方は同じだ。正常な状態を定義し、そこから外れたら知らせる。前の世界では「監視とアラート」と呼んでいた。
ノードが隣に立って、ダッシュボードを一緒に眺めている。
「あの、悠真さん。わたし、もっとお役に立ちたいんです。でも、壊れてるところが多くて……」
「いい。使えるところから使う。全部一度に直す必要はない」
本当は不安だった。何もわからない。この世界のことも、自分の身体のことも。
でも、警報が鳴っている。
それだけは確かで、それだけで十分だった。
ふと、ノードが出した俯瞰図がまだ隅に浮かんでいることに気づいた。
大陸全景。光の点が動き続けている。夜の帳が東から大陸を覆い始め、街に灯りが点っていく。王都の城壁に篝火が並び、街道沿いの宿屋に冒険者たちが吸い込まれていく。
この世界にも、夜が来る。
俺が画面を一つずつ確認していると、ノードが「あ」と声を上げた。
「悠真さん、あの画面……」
ノードが指さした先で、一枚の画面が色を変えた。
黄色から、赤へ。
最高警戒レベルを示す赤――前の世界では「クリティカル」と呼んでいた色だ。
『アラート:ステータス表示システム — Lv.表示異常(CRITICAL)』
画面が脈打つように明滅する。他の警告とは明らかに違う、鋭い警報音が管理層に響き渡った。
「……来たか」
俺はフードを深く被り直して、赤く燃える画面に手を伸ばした。
異世界の管理人生活、一日目。
最初の夜勤は、もう始まっていた。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
オンコール:障害発生時にすぐ対応できるよう待機すること。現実のエンジニアも夜中に叩き起こされることがあります。悠真の前世そのものですね。
ダッシュボード:サービスの状態を一覧で表示する監視画面。異常があれば色が変わって知らせてくれます。
次話「最初のトラブル」もよろしくお願いします。
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