第1章 鬼の手【6】
公爵家から預かった書類を整理するあいだ、レイシーはイテルのことを考えていた。生まれ持った異能により家族から忌み嫌われ、家族は公国への報告を怠った。特異な環境で育ったイテルは、まだしばらくは新しい生活に戸惑うことだろう。
ミィ、と短い鳴き声に顔を上げる。器用に窓を開けるのはミィだった。
『サンドライト家はどうだった。処分はもう決まったのか?』
「今回は閣下の温情で、罰金で済ませるそうだ」
イテルの存在を隠したサンドライト家は、本来であれば投獄されてもおかしくない。異能の申告を怠ることは、フラール公国においては重い罪となるのだ。
「サンドライト家でのイテルの暮らしは、人間が生活する環境としては劣悪だった」
『イテルは六歳にしては体が小さい。まともな生活ではなかっただろうな』
ミィの言う通りで、最悪な環境のせいでイテルは満足に成長することができなかったのだろう。家の奥に閉じ込められ、まともな食事も出て来なかったはずだ。サンドライト家の者、使用人も含め、すべての者がイテルの成長を阻害していたのだ。
「部屋で勉強道具だけは確認した。おおよそ子どもが健やかに成長できる環境ではなかったよ」
『鬼の手……。家族が恐れるのも無理はないが、さっさと宮廷に引き渡せば話が済んだだろうに』
イテルが宿す異能は「鬼の手」と呼ばれ、触れた者の生命力を奪う異能だとされてきた。その異能を恐れるなら、公国に保護させるという名目で家から追い出せばよかっただけの話である。
「イテルには、何か……それ以上のものが隠されている気がするんだ」
『ふむ。明日の鑑定で何かわかるといいのだがね』
明日の鑑定はレイシーが担うことになる。神官であるレイシーは、街の鑑定士より詳細に鑑定することができる。イテルに隠された何かが見えるようになるかもしれない。
「きみはどう感じた?」
『イテルの魔力は心地良い。人の生命力を奪う異能だけとは思えない』
「そうだね……。私もそう思うよ」
『街の鑑定士は調べたのだろう?』
「調べはしたけど、すでに行方を眩ませていたよ」
異能を隠した罪は、異能を知る鑑定士にもある。鑑定して異能を発見した場合、宮廷への報告義務が課される。サンドライト家の者だけでなく、鑑定士もその義務を怠った。下される罪の重さを確信していたため、罰を恐れ姿を消したのだ。
「イテルの異能が鬼の手だと言う者は、いまではサンドライト家の者しかいないよ。サンドライト家に何か報告することに不都合が生じるのだろうね」
『それなのに閣下は温情をかけたのか』
「イテルのためだよ。イテルはいずれ、家族の処遇を知ることになる。イテルはきっと優しい子だ。家族の処遇を聞いて胸を痛めることもあるかもしれない」
サンドライト家の者はイテルへの愛情を持っていなかった。だが、イテルもそうとは限らない。イテルがどう考えているかをいまは知る由がないが、いずれその心が見えたとき、処遇の重さによっては何か感じることもあるだろう。
『お前の千里眼はどうした。あの子の何か見えたか?』
「何も。おかしいことに、イテルの内面が何も見えてこないんだ」
嘘をつけば必ず見抜かれると恐れられる千里眼。レイシーの異能は、他人のうちに秘めたものを見ることができる。だが、この異能を以ってしても、イテルのことは何もわからなかった。
「私の千里眼と同じ類いの異能なのかもしれないな。けど、あの子にもきみの声が聞こえてよかったよ」
『そうだな。あの子の声が戻るまで、まだしばらくかかるだろう。とにかく環境が悪かった』
「私は心を開いてくれるまで待つつもりだよ」
『同感だ』
家族とまではいかずとも、この場所がイテルにとって心安く過ごすことのできる家になるといい。レイシーはそう願わざるを得なかった。
* * *
息苦しさに目を覚ます。辺りは真っ暗だ。明かりがほとんどない光景が、イテルの心をざわつかせる。
(……ここ……どこ……?)
カーテンの隙間から漏れる僅かな光で、ここが室内であることはわかる。あのカビ臭い部屋ではない。良質なベッドから降り、イテルはドアを探した。薄っすらと見えるドアノブに手を伸ばす。手探りの状態でドアノブを開くと、広い廊下に灯された淡い光が、何かによって遮られている。
「ん?」
短い声が聞こえるので、イテルは肩を跳ねさせた。影を作るのは人だった。喉を引き攣らせるイテルに、影がゆっくりと動く。それに合わせてイテルが後退すると、ああ、と声が聞こえた。
「自分っス。エイカーっスよ」
影が足元からランプを拾う。仄かな明かりに照らさせる顔は、確かにエイカーだった。
「目が覚めてしまったんスね。慣れないところは怖かったでしょう」
イテルが小さく頷くと、エイカーは優しく微笑んだ。
「大丈夫っス。自分がいますよ。安心して寝ていてください」
エイカーはランプを置き、イテルを部屋に戻るよう促す。イテルがベッドに入るまでそばに付き添い、イテルを安心させるように微笑んだ。
(……どうしてみんな、優しくしてくれるのかな……。こんな……なんの価値もない僕に……)
その疑問も、ゆったりとした微睡の中に溶けていく。優しく胸元を叩く手がイテルにもたらすのは、確かに安堵であった。




